眼に飛び込んだその光景に、眼が離せなかった。
 夕陽に赤く照らされる黒い物体。
 それは鮮やかな黒色と赤色で出来ており、その美しさは匠人の切り絵を連想させる。
 しかしそのくせ輪郭線はぼやけおり、それ自体の形ははっきりとした印象を与えない。
 歪に蠢く黒い物体。
 故にそれは、奇怪な物体に見える。
 嫌な予感がした。
 と、何かがひらりと眼前を舞う。
 手に取ってみると、それは黒い羽根だった。


『烏天狗』









 羽根の舞う中で目を凝らすと、どうやら黒い物体は影のようだった。
 夕陽を受け、その逆光により黒く見えていたのだ。
 フラフラと所在なさげに小さく左右に揺れている。その動きが先刻の不安定な印象を与えたのだろう。
 もしくは黄昏時にしか現れない、陽炎のような光景だったためか。

 ――人間。そう、人間だ。
 私と差ほど変わらないであろう背の丈をしている。
 そしてそれは、私の探している人物のものかもしれない。
 もしそうであるならばさっさと影の主に声を掛け、このような場所早急に立ち去るべき、なのだが。
 先程から感じていた「嫌な予感」が妙に気掛かりだった。
 この光景がどこか非日常じみていて夢の――悪夢のように思える。
 ……気のせいだ、こんなもの。
 脳にこびり付くその考えを振り払おうと頭を振ると、その動きに合わせ自分の髪が揺れるのを感じた。
 このまま何もしないわけにもいかないだろう、と意を決して影に数歩近寄った。
 不意に、影が揺れる。


「何だ、三木ヱ門か」
 湧いた安堵感から、思わず息をつく。
 聞き間違えるはずもないそれは彼のものだ。
 ひどい逆光のため、全くと言っていいほど顔は見えない。
 けれど、先程まで私を蝕んでいた不快感は消えた。
「滝夜叉丸」
 なんだ、こんなところに居たのか。
 探し人であった同級生の名を呼び歩み寄ろうとする。

 と、また何かが舞った。
 黒い羽根。
 顔にかかったそれを払い除ける。
 しかし払い除けた途端に、また一枚落ちてくるのが視界に入った。
 流石に訝しく思い、周りを見渡すとおびただしい数の黒い鳥が木に留まっていた。
 なんだ、これは? 何でこんなに――
 その不気味さに思わず後退る。
 烏だ。別にそれ自体は珍しくも何ともないが、ここまでの数となると嫌な威圧感がある。
 それらはまるっきり私と滝夜叉丸のことなど気にしていないようで、鳴き声一つ挙げない。
 せめて文字通り、烏合の衆のようにしていてくれればよかったのだが。
 何故ならひっそりと佇むその様は葬列を思わせ、決して気持ちの良いものとは言えないからだ。
「あまりこっちに近寄らない方がいいぞ。そうだな……その辺りなら陽には当たらないだろ」
「え?」
 そんな異常な光景の中、驚くほど軽い口調で忠告を受けた。
 その言葉の意味がよくわからず、真意を聞こうとしたのだがその前に滝夜叉丸の口が開く。
「まぁ気にするな。……何か用があったんじゃないのか」
「あ、あぁ……。四年学年共同演習が終了した。もう寮に戻っていいそうだ」


 四年学年共同演習。この時期になると裏山で行われるサバイバル訓練の一つだ。
 い・ろ・は組に分かれて行うので団体戦として扱われているのだが、殆どの者は一人で自分勝手にやっていたようだ。……私も含め。
 そして、優勝した組は――
「当っ然、私を筆頭に優秀な生徒が集まっている、い組が優勝したのだろう?」
 ……悔しいがその通りだった。
 反論しようとしたが、そのこと自体が敗北を認めているようで思い止まる。
 押し黙る私の様子を見て勝利を確信したのだろう、肩を震わせて笑いだす。

 私は笑っている滝夜叉丸が嫌いだ。
 癇に障る笑い声に歪んだ目口。汚い笑い方だ。
 一度同学年の者が注意しているのを見たが一向に直る気配がしない。と、いうより直す気もないのだろう。
 もっとも、滝夜叉丸の顔は影で隠れている為今は殆ど見えないのだが。

 そして、気がついた。

「……滝夜叉丸、お前さぼってたろ?」
 わずかに窺える衣類に汚れは全く、少しの埃すら付いていないようだった。
 いくら成績がよい、と言ってもまともに訓練をこなしていたのならば無傷でいられるはずがない。
 ずっとここに居たのだろうか。
「感じ悪く言うな。活躍の場を皆に譲っただけだ」
 後悔も反省も砂塵ほどにしてない響きだった。
「私は四年学年ナンバー1なのだから同学年の奴らと戦ったって結果は見えてるだろう?」
「私は弱い者いじめは好かない」
「だいたい私が本気を出し先頭に立ったら勝負にならんだろ」
「先ほど言ったようにい組は優秀だ。事実私の活躍なしに優勝したではないか」
 ……と言うようなことを、さも当然のように言い放つ。その姿に、怒りを通り越し呆れと諦めが湧いた。
 本当、なめられたものだ。
 私は実の所、演習中ずっと滝夜叉丸を探していた。勝負を仕掛けるつもりだったのだ。
 「喧嘩」ではなく「勝負」を。
 今ここにいるのも演習の終了を告げることと、訓練中に挑めなかった勝負を申し込む為だった。
 そんな私を心中を知ってか知らずか、滝夜叉丸は笑い続けている。
 ――私は笑っている滝夜叉丸が嫌いだ。









 もう勝負を挑むような空気でもない。すっかりだらけた空気に軽くため息をつき、この場を離れようと踵を返す。
 が、ふと気になった。
「よく見つからずに済んだな。不気味な場所とはいえ特別目立たない場所でもないのに」
 木と烏が多い為鬱蒼とした雰囲気が漂っているが、忍は少しの月明かりすら嫌う。
 たとえ一時的とはいえ、こんなに夕陽が当たるようでは隠れるのに最適な場所とは言えない。
 そんな初歩的なことは滝夜叉丸もわかっているはずだ。
「木陰の大事」
「……は?」
 さっきから意味のわからないことばかり……と思った一寸、何かが――烏の黒い羽根が舞った。
 木陰の大事…即ち、木を隠すには森の中 人を隠すには人の中。
「……あぁ、そうか。成る程」

 いくら他者に嫌われようと変わることの無いであろう高慢と捉われる態度。
 見下しながらこちらを馬鹿にしたような響きの声と視線。
 賢く、けれど狡猾と言っていいような物の考え。
 烏の黒い羽根と滝夜叉丸の黒い髪を思い返す。
 感心してしまうほどに、よく似ていた。
 しかし、いくらなんでも烏と人間を見間違えるわけがない。木の影にでも身を潜めていたのだろう。
 そうでなければすぐに見つかってしまっているはずだ。

 先程見た滝夜叉丸の影。烏に見えるわけがなかった。
 あの光景を頭に描く。
 ぼやけた印象を持った奇怪な黒い物体。
 烏と言うよりも、むしろ――


「見えなかったろ? 人間には」
 ぎくり、とした。


 頭の中を見透かされている。
 思わず滝夜叉丸を凝視するが、相変わらず表情――顔が見えず何を考えているのか伺えない。
「あ……いや、周り暗いし……木とかの影かと」
 嘘だ。木と見間違えるわけもない。
 木は背が高すぎる。逆に植え込みは背が低すぎる。……苦しい言い訳であったのは私自身が一番知っていた。
 別に言い訳などする必要もない。けれど。
 消えたはずの不快感が胸に渦巻き再び不安を呼ぶ。
 何か、踏み入れてはならない場所に入ってきてしまったのではないか。
 嫌な予感がした。
 人間でも、鳥でも、木でもなく。
 不安定な印象を持った歪に蠢く黒い物体――それは。
 違う、そうじゃない、馬鹿らしい、と必死に否定するが考えずには居られなかった。


 黄昏時。誰そ、彼は。
 誰だ。目の前に居る黒い物は。
 私はまだ一度も其れを滝夜叉丸だと確認していないことに気づく。


 瞬間、ザザァと葉が擦れたような音がした。それは前後から、左右からしている。
 その音と伴って間の抜けたような鳴き声も聞こえてくる。
 烏が一斉に騒ぎ出したのだ。
 それらより少し遅れて黒い羽根が降り注ぐ。

 それは僅かな陽すらも覆い尽くしていった。
 まるで餌に群がる烏のように、徐々に黒く染め上げる。
 影もその様を見ているようだった。
 計らずとも、私と影とで空を見上げる形になる。

「もうすぐ陽が落ちきる。その瞬間が一番美しいんだ」
 影は辺りを見回し、見晴らしの良い場所を探しだした。
 脇にあった岩の上に立ち空を見つめ考え込んではまた違う岩の上に乗り……と見物場所の品定めをしている。
 ……いつもの滝夜叉丸と何一つ変わらない。
 だからこそ、其れが滝夜叉丸なのかが疑わしく感じた。
 確かめねば、なるまい。
 恐らく、ここで私が寮へ戻ろうが其れは止めないだろう。何事もなく帰路につくだけだ。
 きっと今まで通りの生活が続く。まだ間に合う。
 しかし、それでは私の気が済まないのだ。
 どんな物事にもタネがある。そして手の内を明かしてしまえば只の下らない笑い話に変わる。
 今のこの状況も、数十分後には笑い話になるはずなのだ。
 これは、半ば意地だ。
 再び影に近寄った。









「ッ!」
 まぶしさに腕で顔全体を庇う。
 急に視界が全て白く塗り潰された。
 これが陽が落ちる瞬間の閃光だと気づくのにそう時間はかからなかった。
 実際にはそこまで強くない光なのだろう。しかし、暗闇の中に居た私の目を眩ますには十分だ。
 先程以上に騒々しい烏。
 全く視界の効かない今では、聴力だけが頼りだった。
 それ故に、前方からの足音も聞き逃さなかった。

「三木ヱ門」
 何の変わりのない滝夜叉丸の声。それが逆に不安を煽る。
「あまり近づくなと言ったはずだ」
 怒気を交えたような、それでいて笑いを堪えているような、弾む声。
「お前、只でさえ髪の色薄いんだから」
 烏の激しい喚き声の中、滝夜叉丸の声だけが脳に響く感覚。
「ホラ、陽の光を受けてまるで金色だ」
 何かが手の甲をかすった気がした。その部分にじんわりと熱が流れる。
「案ずるな、烏だ」
 私と其れの距離の短さを感じ、無理矢理光に目を慣らそうとする。
「お前の髪に反応したのだろう。奴ら、光り物を好むからな」
 視線を地面に落とす。何とか自分の足先の形が判別出来る程度には目が慣れた。
「それは私も同じなのだけど、な」
 前方に、一対の足が視界に映った。


 きりきりと首を挙げていく。
 足の甲から始まり、袴に、紐の結び目に、肩に、そこに垂れ下がる漆黒の髪。
 どれも見覚えがある。

 そこには無表情に、毅然とした態度で立つ滝夜叉丸が居た。
 その様はまるっきり普段の滝夜叉丸だ。
「滝、夜叉丸。お前――」
 上手く言葉を紡げず、それ以上言葉は出てこなかった。


 私は何を期待していたのか。いや、畏れていたのか。
 やはり、なんと言うことのない笑い話にしかすぎなかった。
 ただ単に、特殊な雰囲気に少しばかり呑まれていただけだったのだ。
 目の前に居るのはただの同級生で。
 私の畏怖していたような人間でも、鳥でも、木でもない「其れ」ではない。
 思えばどれも私の思い過ごしや見間違いで説明付けられるようなことばかりじゃないか。
 全身から力が抜けてその場に座り込みそうになる。

「滝夜叉丸――?」
 先程まであれほど饒舌に物を言っていた滝夜叉丸が何の反応もしていない。
 身動ぎ一つせずそのままの姿勢で私を見ている。
 そしてその視線の先が、私の眼ではないことに気づいた。
 何処を見ているのかと、その視線を追い顔を動かす。
 その反動で眼の端に映る金の筋。
 陽の光を反射する私自身の髪。

 無意識に体を退こうとしたが、それよりも早く滝夜叉丸の手が髪に伸びた。
 触れたかと思うと、突如荒々しく捕まれる。
 そのまま引っ張られて、体のバランスが崩れる。顔と顔の距離が縮まり初めて眼と眼が合った。
「最後の最後で気を抜くのがお前の悪い癖だな」
 髪に指を絡めながら、告げられる。

 そして、ふっと笑った。
 それは今まで見たことの無いような、美しさすら感じさせる微笑。
 私の知っている、私が嫌っているあの笑みとは全てが異なった微笑。
 しかしそれはどこか陽炎のような、不安定でぼやけた印象を持っていた。
 滝夜叉丸の眼の中に映りこむ私が歪に蠢く。
 あの影と同じ。
 そう、非日常じみたその笑みは夢の――悪夢のようで。
 そして、その表情から目を離せなくなる。
 初めてここに来た時のように。

 意識の隅に追いやっていた影。
 頭の中で理解できずにいた其れ。
 本当は気づいていたのかもしれない。
 打ち消したはずの考えが再び頭をもたげてくる。


 ぼやけた印象を持った奇怪な黒い物体。
 人間でも、鳥でも、木でもなく。
 不安定な印象を持った歪に蠢く黒い物体――それは――
 笑いながら、そのまま私の耳元へと顔を近づける。

「もっと気を引き詰めて、怯えていろ。そうでなければ、お前――」

 初めて影を見た時、私は其れを。



「喰われるぞ」

 化け物だと、思った。




 視界が黒く染まる。









 不意に突き飛ばされ、その場に尻餅を付く。
 同時に滝夜叉丸もしゃがみ、私の顔を覗き込む。
「三木ヱ門、お前さっきからボーっとしすぎだ。それでは戦場で生きていけんぞ」
 呆れたような物言い。

 すでに陽は落ち、辺りは夜へと変わっていた。
 あれほどいた烏も今では一羽としていない。
 辺り一面、もうあの時の面影の片鱗すらない。
 一瞬、本当に夢だったのかとも思ったが、ふと手の甲に違和感を覚えた。
 烏の作った切り傷。
 気づいた途端に痛み出し、その痛みが全てを現実であったことを証明している。
 目の前の滝夜叉丸を見遣る。丁度顔を伏せており表情を見ることが出来なかった。
 暫くそのまま俯いていたが、肩が震えだし――
 大声で、笑い出す。
「何馬鹿みたいな顔して――いや、元々そういう顔か。それじゃ仕方ないな」
 それは私の嫌う、あの汚い笑い方。
 もう、何もかも終わった後らしい。

「……そうだな、馬鹿みたいだ」
 つまらない笑い話だ。


「私は帰る。晩飯にありつけなくなりそうだからな」
 滝夜叉丸は立ち上がり――途中で動作を止めた。
 何かに気づいたようで、中腰のまま、おもむろに私の頭に手を伸ばす。
 黒い羽根。
 どうやら髪に付いていたらしい。
 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら羽根を一瞥し、放り捨てて立ち去る。

 私は座ったままその後ろ姿を見送った。
 完璧に闇に消えたのを確認した後に、もう一度辺りを見回す。

 もう、何処にも影は居ない。

 眼に黒い羽根が映る。先程滝夜叉丸に捨てられた羽根だ。
 立ち上がってそれを拾う。暫く指で弄び、懐に仕舞った。


 帰り際、空を仰ぎ見る。
 真黒に喰いつぶされた空。


 恐らく、私ももう。



 風に揺れる髪は何も反射せず、金に光らない。





10行くらいのメモにするつもりだったのに、色々詰め込んでいたら長くなってしまいました。というわけで小説もどきに。
小説ぽいの書くのこれで2回目なのですが、やっぱ難しいな、と。どうしても独りよがりになります。どう書けばいいんだよ…盛り上げ方わからんよ。起承転結?何それ美味いの?
むしろ長いかどうかも分かりません。平均的な同人小説の長さってどないなってるのかしら。
分かりづらいところとか誤字とかあったら教えてくださると嬉しいです。いっぱいありそうですが(笑)不安で仕方がねぇー。
まぁ、練習作品と言うことで一つ。
 薄暗いと何の区別も付かず、もしかしたら目の前の人は人間じゃないかもよーっていう意味を持つ「誰そ彼は(たそかれは)」て言葉が「黄昏」の語源らしい。
あとは滝夜叉丸は烏っぽいとかへたれな三木とか書きたかった。
なんでだろうね、三木ヱ門が受けくさくなるのは。原作の彼、あんなに男らしくてかっちょいいのに。
にしても滝夜叉丸の口調は難しい。なんだかだんだんイワッチみたくなってくる(笑)
戦輪を扱わせれば学年ナンバー1!あぁ、私ってなんてスバラシィ!スバラシィィイィイ!みたいな。要修行。
笑顔汚いとか言って滝ファンに怒られないかしら…(ドキドキ)つうか悪口ばっかり書いた気も(笑)大好きだからこそということで一つ。
私、滝夜叉丸のことを美形だとは思っていないので(美形というか漢前だと思う)色々こそばゆかったです(笑)背中かゆ!
 滝夜叉丸=烏天狗 三木ヱ門=妖弧 綾部=猫又って感じで、四年は濃くて妖怪じみてる学年だと思うのです。

一応絵も描いたのですが、どうも巧くいかなかったので保留をば。そのうちこっそりと絵描いときます。