Principality of Monaco/モナコ公国   2014

面積2.02平方km、人口3.6万人、ヴァチカンに次ぐ世界で2番目に小さな国。
故グレース・ケリーが王妃になることによって、また事故死によって知られるようになったが、今やF1の聖地として世界に知れ渡っている。

グレース・ケリーが眠るモナコ大聖堂

大公宮殿

F1モナコ・グランプリのコース
1週間前に行われたグランプリのタイヤ跡と
ピレリの看板が残っていた。
海岸の近くまで迫る山の中腹からはフランスだ。
中腹左端の建物は王家の別荘 グレース・ケリーは
ここからの帰りに交通事故を起こした。




France/フランス   2014



南仏  Cote D'Azur/コート・ダジュール (紺碧の海岸)


「鷹の巣村」 Eze/エズ

コート・ダジュールには、7〜8世紀頃イスラム教徒からの襲撃を防ぐために海岸沿いの岩山に城塞都市が幾つか築かれた。
こうした城塞都市は「鷹の巣村」と呼ばれ、海抜450mの切り立った山頂にあるエズは、その代表的な集落である。

中世の街並みが残り、地中海の眺めが美しい。
Chevre d'Or/シェーヴル・ドール
眺めの良いホテルで
レストランはミシュラン2つ星



Cote D'Azur/コート・ダジュール最大のリゾート地 Nice/ニース

古代ギリシャ人の交易地として開け、ギリシャ語の「ニカイア(勝利)」に語源を持つ。紀元前1世紀には古代ローマ帝国の州都。
中世にはプロヴァンス公爵領となり、14世紀にはイタリア・サヴォワ王国(後のサルディニア)の支配下となった。
1860年からはフランス領となり、王侯貴族が集う保養地として栄えた。

ニースの海岸は砂浜ではなく砂利浜だった。
イギリス人の散歩道と名付けられた3.5kmの遊歩道
ニースのメイン・ストリート

Le Negresco/5つ星のネグレスコ・ホテル

サレア広場の朝市 :  この円盤状の桃はイランにもあり、『知られざるイラン』にも書いたが、ジューシーで甘い。




南仏  Provence/プロヴァンス


セザンヌの愛した風景 Aix-en-Provence/エクス・アン・プロヴァンス

街の名の「エクス」はラテン語の水に由来するように噴水が多く、「千の泉の街」との別名を持つ。
「ロトンドの噴水」の横にはセザンヌの像が建つ。画家セザンヌは、1839年にこの地に生まれ、1906年この地で没した。

セザンヌが愛し、よく描いたヴィクトワール山
セザンヌ像
ロトンドの泉

大聖堂





フランスで最も美しい村 Gordes/ゴルド

ピーター・メイル著「南仏プロヴァンスの12か月」で有名になった。丘の頂上にある16世紀の城を取り囲んで石造りの家が階段状に連なる。

フランスの最も美しい村のひとつに登録されている。




古代遺跡が残るゴッホゆかりの街 Arles/アルル   世界遺産

ビゼーの「アルルの女」で有名な美女と闘牛の街。1888年に都会暮らしに疲れたオランダ人・ゴッホゆかりの地
としても有名だが、その歴史は古く、紀元前にローマの植民都市として栄えた。

ゴッホの「ラングロワの跳ね橋」のモデル
「夜のカフェテラス」
Le Cafe du la Nuit
ゴッホが入院していた病院跡
作品「アルル療養所の庭」のモデル

円形闘技場・古代劇場 紀元前1世紀 アルルは紀元前47年にローマの植民都市となり、ローマ帝国第2の都市として400年以上繁栄した。

アルル旧市街




Pont du Gard/ポン・デュ・ガール   世界遺産

高さ48m、全長50kmのローマの水道橋の一部、275mが残っている。建造は、西暦38〜52年で5万トンの石が使われたと云われており、
1kmに34cmの勾配がつけられ、500年にわたって毎日2000万リットルの生活用水を運んだらしい。



古代ローマ人の建築技術の凄さに驚くばかりだ。




14世紀・カトリック世界の首都 Avignon/アヴィニョン   世界遺産

フランス国王フィリップ4世の要請を受け、1309年に時の教皇クレメンス5世がここにローマ教皇庁を置いた。

ローヌ川とサン・ベネゼ橋(アヴィニョン橋)
洪水で流され、今は3分の2しか残っていない
「♪橋の〜上で〜踊ろよ踊ろ〜♪」の歌で有名
ローヌ川対岸から教皇庁宮殿を望む

1309年から7代の教皇・70年間カトリックの教皇庁宮殿として使われた。


神聖ローマ帝国同様、フランス王国もまた、民衆に浸透していたカトリック教会を取り込み強固な支配基盤を獲得してきた。この帝国教会政策に完全に組した カトリック教会は、領土並びに教皇殿を与えてもらうばかりか、貨幣鋳造権、市場開設権、税金徴収権までをも与えられ、要するにこの領土の王として君臨し、 民衆をキリスト教の教えを楯に支配したのだ。絶対的な権力者(教皇、大司教、司教)に反抗するものはキリスト教の名のもとに宗教裁判、拷問、公開処刑を 駆使してまでも弾圧した。権力者であるがゆえに軍隊をも持ち、戦争をも引き起こした。30年戦争の背景に宗教改革があったにせよ、本来は神聖ローマ帝国(ハプス ブルグ家)対反神聖ローマ帝国の戦いであり、それが宗教戦争の様相を呈したのは、神聖ローマ、反神聖ローマの権力者の多くが、 それぞれカトリック教会及びプロテスタント教会の修道院長・司教・大司教であったからに他ならない。



アヴィニオン から TGV で パリ を経て ロワール へ

アヴィニョンからパリまでフランスの新幹線TGVで行くべく切符を手配していたのだが、あいにくこの日は労働組合のストライキとなった。
ストライキと云っても実害の少ない間引き運転だったが、運悪く手配していた便がストライキの対象となった。仕方がないので次の便で行
くことにしたが、当然にも座席指定はパーになった上に超満員。パリまで2時間半、座席確保を目指して30℃の炎天下、早めにプラット
ホームで列車の到着を待つ。やはりこの時期南仏は暑い。何とか座席を確保しいざパリへ。

 

パリで一泊してロワール地方へバスで向かう。新車のベンツのバスは乗り心地よし。



仏中西部  Loire/ロワール


Chateau de Chambord/シャンボール城   世界遺産

ロワール川流域には、12世紀に築かれた80を超える城が点在するが、
その中でも山手幹線の内側の広さの敷地を擁するシャンボール城は、ロワール最大で豪華な城である。

城はフランソワ1世の命で狩猟のために建てられ、1658年ルイ14世の時代に完成。完全なシンメトリーに造られている。
敷地は地平線の彼方迄つづき、森には多くの動物が住む。この日も大きな狩猟大会が開催されていた。

レオナルド・ダ・ヴィンチ設計の二重螺旋階段
仲の悪い訪問者どうしが顔を合わせない
ようにするためだそうな
この城は寒いということで、365もの暖炉が作られた。
それでも寒いということで、この城はたったの70日間しか
使われなかったらしい





仏北西部  Normandie・Bretagne/ノルマンディ・ブルターニュ


Mont Saint Michel/モン・サン・ミッシェル   世界遺産

708年 ノルマンディ・オベール司教の夢の中にセイント・ミカエル(仏読みサン・ミッシェル)が現れ、「岩山に聖堂を建てよ」というお告げを受けたとされている。
これを受け、966年にノルマンディ公リチャード1世がベネディクト会修道院を島に建設。更に1017年修道院の教会を建設、1228年のラ・メルヴェイユ棟の完成で、ほぼ現在の姿となる。

朝のモン・サン・ミッシェル

昼のモン・サン・ミッシェル

夜のモン・サン・ミッシェル(23時にようやくこの暗さ)

かつては満潮時このように孤島となった
(昔の様子を看板にしてあるものを撮影)
巡礼者が潮にのまれる事も度々起り、1879年に
道を付けた。その結果潮の流れを堰き止めていた。
海洋環境の改善のため2014年から橋を造り
現在は道であった土手の撤去工事中だった

19時頃、モン・サン・ミッシェル方向の放牧地から
小屋へ羊が大挙帰ってくる。
夕暮れは21時半ごろだ。6時頃に日が昇る。

足を踏み入れると、モン・サン・ミッシェルは修道院というよりも要塞であった。幾重にも門が造られており、大砲や壁には弓や鉄砲を射る穴が開けられていた
1328年〜1434年に勃発した英仏100年戦争では城塞として活躍。干満の差と潮流の激しさで英軍の攻撃に耐えた。
またその後の30年戦争(カトリックとプロテスタントとの宗教戦争1562〜1598年)では、カトリックの拠点としてプロテスタントの9回の攻撃を防いだ。


荷物を引き上げる滑車
修道院なのに、
何故だか牢獄がある

名物のフワッフワッの玉子料理


英国を望むこの地に建てたモン・サン・ミシェルは、そもそも城塞として機能させる目的で、造ったのではないかと私には思われてならなかった。



仏北西部  Normandie・Picardie/ノルマンディ・ピカルディ


ジャンヌダルクゆかりの Rouen/ルーアン

1328年からの英仏戦争でフランスは劣勢であったが、17歳のジャンヌ・ダルクが登場し、英軍を次々と打ち破った。
彼女は2年間戦ったのち、英国に占領されたルーアンで捕えられ、宗教裁判で魔女との判決を受けて、1431年5月30日に火あぶりの刑に処された。

キリスト教の名において極めて残虐な方法で殺したものだ。何時の時代も宗教は権力闘争に組み込まれ、人を殺してはばからない姿を見せている。


英国撤退後、ジャンヌダルクは「救国の聖女」として名誉回復され、火あぶりにされた地にジャンヌダルク教会が1979年に完成した

しかし、ジャンヌダルクもまた仏軍の騎士として、英仏戦争を指揮し人殺しの先頭に立ったんだよね。
人を一人殺せば殺人者。沢山殺せば英雄か。

黄金の大時計

ノートルダム大聖堂「ノートルダム」とは「聖母マリア」のことで、
パリにも同名の世界遺産「ノートルダム寺院」がある




ile-de-France/イル・ド・フランス  花の都 Paris






Musee du Louvre/ルーブル美術館   世界遺産

ルーヴル美術館は、もともとフランス王フィリップ2世が12世紀に要塞として建設したルーヴル城を、その後フランソワ1世が改築した、歴代のフランス王の
王宮=ルーヴル宮殿であった。1682年にフランス王ルイ14世が、王宮をヴェルサイユ宮殿に移し、ルーヴル宮殿は、1692年以来収集されてきた古代彫刻など
の王室美術品コレクションの収蔵、展示場所となった。1803年に正式な美術館として開館し、現在は国立美術館として35,000点に上る美術品を収蔵、年800万人が来場する。

                          ミロのヴィーナス(紀元前130年頃)
                           1820年エーゲ海メロス島で発見
                         美の女神アフロディーテとされている

モナリザには
近づけない
ルーブル最大の絵画「カナの婚宴」

ナポレオン1世の戴冠式
アングルの代表作「オダリスク」
ドラクロワ「民衆を導く自由の女神」
1830年 フランス7月革命が題材




ルイ王朝の栄華 Chateau de Versailles/ヴェルサイユ宮殿   世界遺産

約10,000平方km、700室というヨーロッパ最大規模を誇り、その絢爛豪華さ・華美ゆえに「魔法の宮殿」とまで云われたヴェルサイユ宮殿。
1661年ルイ14世の絶大な権力の象徴として建設に着手、1687年に「鏡の間」が、1710年に宮殿全体が50年の年月を要して完成した。
当時宮殿に住む貴族は1,000人、召使が1万人。この貴族の贅沢な暮らしぶりが1789年のフランス革命の引き金となった。


王室礼拝堂
ヘラクレスの間

豊穣の間
ヴィーナスの間

ディアーヌの間
メルクリウスの間

アポロンの間
戦争の間

鏡の回廊
王の寝室
閣議の間

平和の間
王妃の寝室

貴族の間
アントワネットの肖像画
(大膳式の間)
戴冠の間





The cars which I met in France/Les voitures par lesquelles j'ai rencontre en France/私がフランスで出会った車たち

フランスは、その殆どがルノー、シトロエン、プジョーのコンパクト、次いでドイツのフォルクスワーゲン・ポロ、スマートであった。
つまり、実用一辺倒の小型エコカーばかりで、イギリスとは違って、楽しそうな車は殆ど見かけなかった。これらは数少ない珍しい車たちだ。

フェラーリ F430 Spider これは走っていた車ではなく、モナコの業者の観光客向けデモンストレーションだ

シトロエン
プジョー
ルノー

ベンツのキャンピングカー
ロンドンタクシー?
キャンピングカーを引く三輪バイク

BMW Z3


日本車 トヨタは案外少ない
UKでよく見かけたマツダ・ロードスターも
この1台のみ
日本であまり見ないスズキは案外多かった


イギリスから来たと思われるジャギュアー・XK140とMGBにすれ違ったが、写真は撮れなかった。



よかった! また行きたいところ
残念! もう行きたくないところ
「鷹の巣村」 エズ
ルーブル美術館
エクス・アン・プロヴァンス大聖堂
ジャンヌ・ダルク教会
ルーアン・ノートルダム大聖堂



フ ラ ン ス の 略 歴
 紀元前1世紀以前 地中海沿岸はギリシャ人の植民都市。
 それ以外はケルト人が住む土地で、ガリア(ゴール)と呼ばれていた。
 紀元前121年頃 地中海沿岸はローマの属州となる。
 紀元前 58年 ゴールも含めローマの属州になる。
 西暦  360年 ゴール北部の都市ルテティアはパリと改名。
 西暦  476年 西ローマ帝国の崩壊。
 西暦  708年 オベール司教が夢の中で聖ミカエルの「岩山に聖堂を建てよ」とお告げを受ける。
 西暦  962年 神聖ローマ帝国の台頭。
 西暦  966年 ノルマンディ公リチャード1世ベネディクト会修道院を島に建設(モン・サン・ミッシェル)。
 西暦  987年 フランス王国の成立。
 西暦 1017年 修道院の教会の建設開始(モン・サン・ミッシェル)。
 西暦 1211年 ラ・メルヴェイユ棟建設開始。1228年完成。(モン・サン・ミッシェル)
 西暦 1328年 英仏百年戦争勃発 フィリップ6世の即位に英国エドワード3世が仏王位継承権を主張。
 西暦 1431年 ジャンヌ・ダルクが仏軍の救世主として登場(1429年)、イギリス軍を次々打ち破るも捕え
 られ、宗教裁判にて英国に通じていた司教から魔女とされて火あぶりの刑に処せられる。
 西暦 1562年 宗教戦争の勃発 プロテスタントの攻撃 1598年迄続く。
 西暦 1624年 ルイ13世がベルサイユの丘に狩猟の館を建設。(ベルサイユ宮殿の前身)
 西暦 1643年 ルイ13世死去、ルイ14世(1643〜1715年)即位。ルイ王朝の最盛期を迎える。
 西暦 1661年 ルイ14世がフーケの城に嫉妬し、「狩猟の館」の改装を命じる。
 西暦 1682年 宮廷と政治の本拠地をヴェルサイユに移すことを宣言。
 西暦 1715年 ルイ14世死去、ルイ15世の即位。
 西暦 1769年 カリブ海で黒人奴隷を酷使し、サトウキビ、コーヒーなどの奴隷貿易で莫大な富を得る。
 イタリアのコルシカ島でナポレオーネ・ディ・ブオナパルデ(後のナポレオン)生まれる。
 西暦 1774年 ルイ15世天然痘で死去、ルイ16世即位。
 西暦 1789年 フランス・ブルジョア革命の勃発。
 西暦 1793年 ルイ16世、マリー・アントワネットなどがコンコルド広場で処刑される。
 西暦 1803年 ルーブル美術館が、王室のコレクションにナポレオンの戦利品を加え、ナポレオン美術館
 の名でオープン。
 西暦 1804年 革命後の政治的混乱を収拾し、ナポレオンが皇帝となる。第1帝政へ。
 西暦 1806年 オーストリア・ロシア軍に勝利(1805年)したナポレオンはその戦勝を祝して凱旋門の建設
 を命じる。 ナポレオンがヨーロッパ中央を制圧し、神聖ローマ帝国は消滅した。
 西暦 1812年 ナポレオン軍60万がロシアに侵攻も冬将軍とモスクワの放火作戦により大敗、5千人に
 なって帰還。
 西暦 1814年 対仏同盟軍によりパリ陥落。ナポレオン追放される。ブルボン家ルイ18世が王位を継承し、
 王政復古成る。
 西暦 1830年 7月ブルジョア革命により1815年の王政復古で復活したブルボン朝は再び打倒される。
 立憲君主制に。
 西暦 1837年 国王ルイ・フィリップがヴェルサイユに歴史美術館を開館。
 西暦 1848年 2月革命により、第2共和制に移行。
 西暦 1852年 1851年12月のクーデターでナポレオン3世が皇帝に。(第2帝政)1870年プロイセンとの戦
 に敗れ退位。第3共和制へ。
 西暦 1979年 モン・サン・ミッシェル及びベルサイユ宮殿が世界遺産に登録される。




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