イラン・悠久のペルシア  1987〜2008

ペルシア(1935年にイランと改名)は、紀元前500年(日本では縄文時代)にすでにアケメネス王朝が存在し、石造りの宮殿を擁した。 このアケメネス朝ペルシアは全オリエント(西はマケドニア=現ギリシアの一部やエジプトの一部から、北は前ソ連の南部、東はインドの インダス川まで)を統一し、シルクロードの要衝として栄華を極め、世界の文明の最先端・中心地であった。

ペルセポリスを守る人面有翼獣
イスファハンの間


テヘラン

テヘランは現在の首都 海抜は平均1,200m

テヘランの街はアルボルズ(エルブルス)山脈のふもとに広がる

冬のアルボルズ
夏のアルボルズ

テヘランの山の手の高級住宅街
チャドールに身を包みパンを買いに行く婦人
砂漠の国の街路樹は溝に
植えて時々水を流す

花を飾る習慣があるので街の
中に花屋が多い
外ではチャドールでも家の中では大違い
パーティーで夜中までダンスに興じる
都会の裕福な家庭では女性もチャドールは着ず
普通の服装で、食事も一緒に食べる

カジャール朝(1796〜1925年)の宮殿
壁面のタイル装飾やステンドガラスの窓が美しい

パーレヴィー王朝の宮殿に敷かれた
マシャッド・アマグリの逸品
チャイハネ(喫茶店)

イランでは日本が水洗化される
遥か以前から水洗だ

  初めてイランに赴いた時、公衆トイレに駆け込んで、「しまった!女性用トイレに入ってしまった!!」と思い飛び出したのを思い出す。
  何故なら、イランの男性用トイレには、いわゆる立ちション用の便器が並んでいないのだ。女性用トイレ同様、個室しかないのである。
  焦ったネェ! して個室に入ると、画像のような塩梅で、洋式ではなく和式でもない。「金隠し」がないのがイラン式、どちら向きに
  しゃがむべきや?足の位置は?またぐには広すぎるじゃろ??しばし悩んだねぇ〜。便器の中にある四角いでっぱりに足を乗せ、
  手前を向いて使うべし・・・・。
  はたまた、使用後にこれまた難解。必需品のトイレットペーパーがなく、蛇口に金属製の蛇腹ホースか、ホースのない場合は、
  蛇口の下に大きなジョウロが置いてある。ようするに、手動ウォシュレットという塩梅だ。ウヒョォ〜!!

慢性的な渋滞に悩むテヘラン市内
接触事故を起こし警官の到着を待つ

横断歩道といえども人が優先ではないので、何処で渡っても同じと交通量の多い広い道を人が渡って行く。
運転手の顔色を見ながら止まりそうなら行く、突っ込んで来そうなら止まる。これを繰り返しながら8車線位の道を渡る。
彼らは慣れているとはいえ、運転者との駆け引きを間違えば命にかかわる。慣れない私は本当に怖い。

テヘランの中心街は慢性的な交通渋滞と排ガスによるスモッグに悩まされている。近年、革命以前に計画されていた地下鉄が開通し、交通渋滞の緩和が期待された が、思うようには至っていない。そこで、テヘランの中心街を取り囲むように環状の高速道路があるのだが、車のナンバープレートの奇数番号と偶数番号とで、この高 速道路の内側に入ってもいい曜日を決めて規制している。それでも上の写真のように交通渋滞が繰り返されており、その間を人が縫うように渡っていく。
それに加えて、彼らには交通ルールと云うものがないのではと思われる。日本には、歩行者、直進車、左折車、右折車という優先順位があり、車線は守って走るという 常識(交通ルール)がある。しかし、彼らはこれら一切を無視し、少しでも鼻先を前に出した方が勝ちと云うカーレースにも似た運転をするのだ。車線はあってなし、幅 寄せも半端ではない。よって交通事故もありふれるくらいよく起こす。バンパーの接触位は問題にしないが、事故が起こると警察官が来てどちらが悪いか判定が出る までは車を路肩によけず、現場をそのままにするので大渋滞がさらに増すのだ。そして一日中クラクションがけたたましく鳴り続ける。プアァ〜〜!パッ!パッ!パーッ!!

車に乗ってなければ、ベファールマ、ベファールマ(どうぞ、どうぞ)といって譲ろうとする優しいイラン人が多いのに、ひとたび車に乗ると人格が変わるイラン人・・・。 私には、このギャプがほんと埋まりません?!?




ク ム

イスラム革命の指導者ホメイニの出身地、マシャッドに次ぐイラン第二の聖地
イラン最大の神学校があるとかで、頭にターバンを巻いた坊さんを多く見かける

テヘランからクムに向かう高速道路から見たカビール砂漠(土漠)

クム(ゴーム)の町並み  特に小さな町は夏に風があると涼しいのではなく暑いのだ 砂漠が50度〜60度Cにもなるので、熱風が吹いてくるからだ

絨毯の上にビニールを敷いて食事の準備
客人(私)がいるので、女性が出て来れないから男性が運ぶ。
壁に据え付けられた飾り棚 クムに多いスタイル
シルク絨毯を織る少女

ツートンでちょっとお洒落なカラス
およそ100年前の手書きのコーラン
壁掛けとして用いられているシルク絨毯




イスファハン

サファビィー王朝(1501〜1736年)の首都イスファハン(エスファハン)
「イスファハン・ネフシェ・ジャハン」イスファハンは世界の半分という意味 これは当時のイスファハンの繁栄ぶりを示す言葉だ

イマーム広場 シェイク・ロト・フォッラーモスク(左) イマームモスク(中央) 
アリカプ宮殿(右)現在の呼称は、メイダーネ・イマーム(イマーム広場)だが、
革命以前はメイダーネ・シャー(王の広場)と呼ばれていた。
(手前の門をくぐるとバザールに繋がる。)
イマームモスク 革命以前はシャー(王の)モスクと呼ばれていた
ドームは門から45度メッカの方角に振って建てられている
高さは54m

イマームモスク(17世紀)の見事なタイル装飾  ペルシャ絨毯のデザインを初め、世界のデザインに影響を与えている  ミナレット(塔)の高さは52m

アリカプ宮殿

音楽の間
この風変わりな装飾は、音響効果を考えてのものらしい

シェイク・ロト・フォッラー・モスク アリカプ宮殿と地下通路で
結ばれているらしい。王室専用のモスクだったので
礼拝を呼び掛ける必要がないためミナレットがない
チェヘル・ソトゥーン(40本の柱)宮殿の壁画
中央がアッバス大王
この宮殿の正面テラスには20本しか柱はないが、
水面に映る柱を入れて40本柱宮殿の名で呼ばれる

シオセポール アーチが33個ある事からシオセ(33)ポール(橋)と呼ばれる
カージュ(Kハージュ)橋 屋根付き橋
何れも水量が豊富なザーヤンデールード川に架かる橋  砂漠と山脈の国イランにも川は幾つかはある

アッバシーホテルの中庭
夏のコーサーホテルの中庭
冬のコーサーホテルの中庭

サファビー王朝時代の装飾を留めるアッバシーホテルのモザイクや壁画

イスファハンの絨毯バザール
このような大きなペルシャ絨毯も珍しくはない
日本に輸入されている絨毯はイランでは小さ目の絨毯だ
シャハ・プール作

モハメド・セイラフィアン
モハメド・アリ・セイラフィアン
ハッサン・ダルダシティ
モハメド、モハメド・アリ、サディック、アハマドの4兄弟が
初代レザー・ セイラフィアンの伝統を受け継いでいる
ウールをベースにシルク部分の比較的多い絨毯を作っている
彼は胡坐(あぐら)をかいているが、胡坐の胡とはイランを指す
イラン式の座り方なのだ。またイラン人は正座もする

カハージュ橋のたもとのチャイハネ
チャイを飲みながら水パイプを吸う
1989年に買った当時50年もののアンティーク彫金杯
羊の遊牧 カシャンからイスファハンに行く途中だったかもしれない




カシャン

カシャンゲ(美しい)カシ(タイル)の町、職人気質のカシャン

町のすぐ外は砂漠と禿山
フィンガーデンの裏手にある湧水の貯水槽

         小さな町は砂漠までの距離が近いので、夏は熱く、冬は寒い  レンガの上に泥を塗って固めた家屋は、40℃を超える夏には蓄熱するので
         夜になっても暑い そこで屋上に蚊帳を吊って寝る 砂漠が早く冷えるので涼しい風が吹いてくる  冬は、重油のストーブをガンガン炊いて暖をとる
綺麗な泉が湧き出すフィンガーデン  高低差による水の流れを利用した自然の噴水が並んでいる(左の写真)

テヘランやイスファハン等の都会とは違いクムやカシャンなど田舎町では女性は家の中 でもチャドールで過ごす 少女も7歳になるとチャドール・デビューだ

一般的に、都会ほど、裕福な家庭ほど信仰心は薄く、田舎ほど、貧しい家庭ほど信仰心が篤いように思える。それは女性の立ち振舞いに見て取れる。
テヘランの裕福な家庭の女性は、出かける時はチャドールの代わりに黒いコートと頭には絹の綺麗なスカーフ、スラックスかジーンズにブランドバッグだったりする。
ぴっちりしたコートで、体の線を出し、スカーフを巻いても化粧した顔は全面開放。前髪を出し金髪に染めていたりする。要するにイスラム教で禁止し、チャドール
で隠すべき顔、肌、髪、体の線など「男を惑わせるもの」を見せているのだ。また、家の中では普通の服装で、客人を交えた食事も共にするのが当たり前だ。
ところが田舎では、夫以外の男性には顔を見せない。客人が訪問するとキッチンから出てこない。私の友人のお母さん(カシャン在住)にキッチンの壁の陰で何度か
挨拶をしたことはあるのだが、私は未だ、お母さんの顔を知らない。

夕飯までのチャイとお喋り。お菓子と果物が勧められる勧められる これを断るのは至難の業だ。夕飯までに私はお腹が一杯

どこの家庭も写真のように果物が何時も山盛りにして置いてある。客人があると果物ナイフとお皿に3つくらいの果物をとりわけて渡す。
剥いて渡すようなことはしない。それぞれが自分で剥いて好きなだけ食べる。この果物が安くて美味い。
長い夏の灼熱の太陽と乾燥した塩分を含む土壌が果物を甘くするようだ。私は、UFO状の桃が一番の好物。
ちなみに、イランでは何故だか胡瓜も果物と一緒に出てくる。果物扱いなんだろう???。

バザール 基本的には17世紀頃の建物が今なお使われているというのも驚きだが、部分的には800年〜1,000年以上前の建物もある。




ケルマン

ケルマン州の州都ケルマンから少し離れたアフガニスタンとの国境近くのバムの町のアルゲ・バムは、遠くササン朝ペルシア時代(西暦227〜651年)の要塞

アルゲバム  2003年末の大地震で倒壊し、今は姿を留めていないらしい
古い公衆浴場 今はチャイハネ

風格のあるイランの三毛・ペルシャ猫
ケルマンのラバー村で織られたアンティークのケルマン・ラバー絨毯




タブリーズ

アゼルバイジャン州タブリーズは古くからシルクロードの交易の拠点として栄えた商業都市

エルゴリ公園
外食の主流チェロ・キャバーブ(羊の焼き肉ご飯)

タブリーズ、クム、マラゲ、ザンジャン等はナイフの先にかぎ針のついた道具を使うので織るスピードが速い




シラーズ

ファールス州シラーズは、世界史で最初に登場する大帝国アケメネス王朝(紀元前550〜前330年)の拠点の一つ
ペルシアの抒情詩人、サーディーやハーフェズを排したことでも知られる

アケメネス朝ペルシアの新年の祭事のための宮殿 『ペルセポリス(タクティ・ジャムシード)』(紀元前5世紀頃)
日本では縄文後期、エジプトのプトレマイオス王が登場する200年も前の時代だ
約300年オリエントを統一し、栄華を誇ったアケメネス朝はマケドニア(現ギリシャ)のアレクサンドリアの東征により崩壊し、ペルセポリスは焼き尽くされた
王の威光を象徴する猛獣を仕留めるレリーフ

サーディー(13世紀)の霊廟
シラーズの子サアディーの墓からは愛の香りが溢れる その死から千年の後までも


ハーフェズ(14世紀)の霊廟

およそ700年前の叙情詩人に会うために、

今もイラン各地から人々が訪れる。


”私の墓のそばに座れ、葡萄酒と音楽をたずさえて”

 喜びの春 雨が降り、草花が萌えいずる

 雨は草花のワイン 生命を与えるワイン

 さあ よく見ておけ 美しく咲き誇る草花を

 おまえの墓の上にどんなに美しく咲こうが

 お前は知るすべもないのだから


革命以前はワインもミニスカートもOKだった  今は云わずと知れた禁酒国



シラーズで招待されたお宅のリビング
ヴァキールバザール
アケメネス朝時代に香水瓶が既に作られていた
イランでは王の事をシャーと云うが、ヴァキールも王のことらしい




ハメダーン

アケメネス朝の夏の宮殿が置かれた古代イラン文明発祥地の一つ

ギャンジ・ナーメ アケメネス朝の岩彫刻の碑文
医師・科学者ブー・アリー・スィナーの墓霊



何回もイランに行った割に整理してみると写真が少ないのに驚かされる。ハメダーンはザグロス山脈の麓の高原にあるので、夏でも涼しい。
家の絨毯を敷いたテラスでそよ風に吹かれながらの昼寝は実に気持ちがいい。結構のんびりしたのに写真を撮らなかったのか?
まぁ、自分のスナップ写真は載せる気にならないけどね。それ以外は絨毯の写真ばっかりだったり、デジカメ初心者の時に間違えて全部消してしまったこともある。


アケメネス王朝以来の各王朝の栄華盛衰に触れられ、見どころの多い素晴らしい国だ。
ツアーなどもあるにはあるが、あまり観光化されていないので、交通事情を含め少々大変である。

紀元前以来、東西文明の要衝として発展し、富と文明の中心地であったので、その昔は最先端の文明を誇っていたことを随所にうかがわせる。
イスラム革命後のイランは、進んでいるところと非常に遅れているところがごちゃごちゃに存在している。単なる後進国ではない国、それがイランだ。

イラン人はいい加減と云えばいい加減だが、その反面おおらかで、楽しいことが好きだ。ハートは熱く、顔に似合わず実に優しく温かい。
ヨーロッパ、アメリカ同様、自己主張の国ではあるが、自分が自己主張するということは、他の人の自己主張も認め意見をすり合わせていこうとする。
日本のように、自己主張すること自身をわがままとして排斥することはない。イエス、ノー、意見はしっかり言わないといけないが、
はっきり伝えればかなりの無理も受け入れてくれる寛容さと温かさがある。また、高等教育を受けた人は日本人が恥ずかしくなるほど紳士だ。

また行って見たいと思わせる国イラン。行くことが決まると憂鬱になる国イラン。
行きたいのに行きたくない。行きたくないのに行きたい。40回位イランに通って私はどうやら厄介な病=イラン病に侵されているようだ。

やはりイランが好きなのは、ペルシャ絨毯とイラン人が好きだからだろう。政府は好きになれないけどね。



<タクシーについて>

 空港ロビーから出てくると、「タクシー?タクシー?」とヤミタクシーが声をかけてくるが、空港タクシーカウンター(空港ターミナルビル
 の外、向い側にある小屋)で頼んだ方がよい。行き先を告げれば前金で受け付けてくれ、運転手を紹介される。それ以上払う必要は
 ない。(イランのタクシーにはメーターがないのでタクシーカウンターで頼む方がトラブルを避けられる。)

 ホテルからは、ホテル内にあるタクシーカウンターで頼むとよい。(こちらも前金)ドアーマンに頼んでもだめ。



<ホテルについて>  イランのホテルはそもそも期待しない方がよい

 テヘラン   『ホーマ・ホテル』 革命以前米国と共同で建てた。旧名称はシェラトン・ホテル。設備は古くてあまりよくない割に一番高い
         『グランド・ホテル』 ビジネスクラスのホテル このクラスとしては安い割には良い
         『ホテル・アザディ』 テヘランの一番北にある。ホーマより安くて一押しのホテル。

 クム      一軒だけあるが、ホテルと云えるかは?だ。共同シャワーに共同トイレ。部屋の壁も天井との間に30cm位隙間のある板壁。
         二度ほど泊まったが、もう泊まりたくない。クムでは私は友人宅に泊めてもらうことにしている。

 カシャン   フィンガーデンとバザールの中間に一軒だけある。クムよりは幾分ホテルらしい。

 イスファハン サファビー王朝時代を感じたかったら 『アッバシー・ホテル』(革命前の名称はシャー・アッバス・ホテル)(写真参照)一見の価値あり。
         飲み放題の生メロンジュースが恋しければ 『コーサー・ホテル』。ザヤンデ・ルード川のシオセポールの傍。

 その他の町は知り合いの家に泊めてもらっているので不詳。



よかった! また行きたいところ
残念! もう行きたくないところ
テヘラン・バザール
カーペット・ミュージアム
イスファハン
ハメダーン
シラーズ
な し




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