在りし日々の思ひ出

スノーボード始めた頃。

1987年頃。ホントはバートンの「クルーザー165」っていうやつだったんだけど、ごらんの通りでブーツなんかなくて長靴で滑ってて、bindingのハイバックが倒れないヤツで死ぬほど痛い思いをして滑ってました。

ついに限界がきて当時友人だった方からこの「シムス」のボードを借りて遊んでたんです。

ウエアーなんかもスキーウエアーだしね。
1988年頃。

自分ではフリースタイルを目指したかったのだが、なにも解らず某ショップ(・・・というより友人?)から購入。

なんと!全長180センチのダウンヒル用のボード!(身長より高いでしょ?)

やっとブーツも手に入れました。しめて当時で18万円くらいだったと思います。しかしながらウエアーまでとはいかず、アーミーパンツにヘリーハンセンのジャケットという格好で滑ってました。
当時はボード用のウエアなんて青森では無かったみたいで・・・。

しかし、この板でエアーしたり、八甲田のダイレクト(しかもコブ斜面)をノンストップで降りてきたりしてたもんな。
1989年頃。岩木山にて。

ボードは「アバランチKICK175」。当時アメリカのプロスノーボーダー、ダミアン・サンダースに憧れてこの板を購入。

髪もまねて、サイドを刈り上げてバックを伸ばすといった今では考えられないスタイルもしてました。(今でも小さい男の子にそういう髪をしている子がいますが・・・ヤメテもらいたいです)
ちょっと前まで流行った「ソフトモヒカン、ウルフ」みたいな感じです。

大好きなボードベスト3の一つです。
1990年頃。八甲田山にて。
現在のパークのあるあたりですな。板は「ニーデッカー」。某ショップのライダーとしてサポートを受ける。

なんとこの年に、無謀にも国内初のプロテストをうけるも撃沈。体験したこともないハーフパイプでのテストで自分のアマサに打ちひしがれる。

しかし、現在ナショナルチームのヘッドコーチとして活躍している阿部幹広さんや、八百由の田口さん、ニーデッカーの佐藤圭吾クン、当時シムスの塩谷真吾さん達に暖かい声をかけてもらい、得るものがあったと自分なりに納得。
同じく90年頃。
実はアルペンもやってて、乳頭温泉スキー場の大会にエントリー。
ハードブーツの写真はめずらしい。

この日、現バンドでドラムを担当しているハジメと前の夜に現地入りしたのだが、ビールの飲みすぎでお金がなくなってしまい、ガソリン入れる金もなく、高速代だけ財布に残っててメシも食えなかった苦い思い出があります。(当時、カードももっていなく、ハジメは高校生で、むろんそんなに持ってる訳もなかった)

帰りは腹へって腹へって、ひもじかったな〜。
1991年頃。平舘のスキー場にて。

ボードはアバランチの「ダミアン・ダガー161」。前年の悔しい思いを拭うべく、ショップのサポートもやめ、自分の好きなボードを購入。
やはり、好きな板だと調子が違う!

この年、岩手の「東八幡平スキー場」(現在の八幡平リゾートスキー場)でハーフパイプの大会が続々と開催される。

調子にのって平舘スキー場にもハーフパイプ造ってしまった!
1992年頃。
行政をまきこみ、平舘で本格的なスノーボードの大会が青森県で初めて開かれる。
種目はスラロームとハーフパイプ。

このあたりにかのyama1さんと電撃的に知り合う。

初の大会は雨で延期という結果になり、次の週かその次の週に無事開催されることになる。
青森に大きな歴史をひとつ残したような気がした。
そんな大会も10回目を迎えることもなく静かに幕を閉じた。

この年のボードは「H−ストリート」。スケートボードブランドだと記憶しています。
そして髪は金髪です。
1993年頃。
この年から各地で大会が開催され、我が平舘にもいろんな人たちが参加するようになりました。
西田 崇クン、布施 忠クン、太田寛介クン、ベルナールくん、吉田 温くん、坂本美和ちゃんなどきてくれました。
そして、JSBAの全国大会に出場できたのもこの年。まあ、結果は半分くらいだったんだけどね。

ボードは「シムス・ノア156?」。当時、ニュースクールなるものが流行りだし、ボードの前後を切り落としたり、幅の広いズボン?(バギーパンツと言った)を履き、スタンスをワイドにとり、エアーは「グラブなんかしね〜よ」みたいな事が横行していました。

この年から、長い付き合いとなるプロショップ「MAUI」の社長と出会う。
1994年頃。雲谷スキー場だったころの大会にて。

某ショップのイベントでの前走。今では考えられない全長80m位、幅約10mのハーフパイプ。
4回ヒットすれば終わりです。それでも楽しかったな。

ボードは「シムス・パーマー145」。この当時、前年からのニュースクール系がまだ色濃く残っており、ショートボードがかなり使用されていた時代である。(ノーズトテールを切らなくてもよくなった)
技もスピン系が流行り、グローブをしない、素手でエアーするといった行為が続出する。(ジェイミー・リンの影響)

新しい物好きな私はこの年、なにが良かったのか今でもわからない「ベースレス・バインディング」を使用。ブーツはインナーのない薄〜〜〜いヤツを履き、真冬に辛い思いをしてました。

このボードも大好きだったボードです。っていうかこの年が結構調子良かった。
1995年頃。笠松峠にて。

ボードは「シムス・CARBS155」。
何年か前からスキー場がクローズすると、ここの笠松峠でワンメイクとか、クォーターとか造って遊んでいました。
この当時から人も増え、デカいクォーターを造っての撮影です。軽くオーバーヘッドは飛べるリップです。

5月の末まで遊べたな〜・・・。今はいってないけど。
同じく笠松峠にて。

このコマ撮り写真、「写るんですヨ」の新バージョンだったヤツです。今じゃデジカメでナンボでも撮れるみたいですが・・・。画期的でしたね当時としては。

この技は「ノーズボーン」。「あれ?テールグラブじゃないの?」と思われますが、「テールグラブ」はテールエンドをグラブするんです。ノーズをボーン(突き出す?のばす?)してるでしょ?

こういう、人とは違う技をあえてやってたわけです。
1996年頃。
いや〜、空の色が違いますな〜。な〜んとSwissのキャンプでのショット。

初めて海外のキャンプに参加しました。東京から14時間のフライト、ここの村まで空港から約2時間、村からスキー場のゴンドラまで30分、断崖絶壁のゴンドラ3本乗り継いで1時間というところでのキャンプです。
しかも2週間。今ではとても無理ですね。滑る前に疲れてしまいます。

ボードは「シムス・アーロン・ビンセント158」。・・・が、この冬破損して、別のボードを使用。名前は忘れたが、同じシムスの人魚の絵がついている青いボード。
今回、青森からキャンプに参加した御一行。
女3人に男が1人。でも他の方たちもいるんです。プロの人たちやカメラマン、同じくトレーニングにきている方等、多くの人にめぐり合えました。みんなどうしているんだろうな・・・。

もう来れることもないと思っていたキャンプでした・・・・・が!
次の年、1997年頃。
またもや、同じキャンプへときてしまいました。某ショップの社長夫妻と今度はご一緒です。
彼等は新婚ホヤホヤで、旅行を兼ねてのキャンプでした。
ま、こっちも観光気分。下界の街へ遊びにいったり、買い物したりと練習に来てるって感じじゃあなかったですね。

ここには、ブライアン・イグチとか、アレクシー・リトバラとか、亡くなったジャミル・カーンとか来てました。

ボードはこの年から「ヨネックス」のサポートをうけて今までにいたってます。そのサポートも昨年から切れました。やはり、今の時代に無償提供は無理ってことで・・・。
1998年頃。鯵ヶ沢にて。

この年に鯵ヶ沢で第1回の「全日本スノーボード選手権」が開催されました。
ハーフパイプの前走をやったり、平舘では県内初のキャンプを主催したりと、多忙を極めた年でした。

バックサイドのインディグラブ。今じゃこんなに飛べません。怖くて。ホント。

ボードはヨネックス。この頃、スケートのシューズメーカーが大ブレーク。DCshoeなんて、カッコよかったな〜。
いいのか、こんな写真公開して?まあ、大丈・・・夫でしょう・・・。
91年頃、現八幡平リゾートで行われた「Look snowboards」のイベント。

後ろイエローのゴーグルが私、その隣が奈○さん、んでその隣がプロスノーボーダーの「スティーブ・グラハム」。その横にちょこっと見えてるのがたくぞう。その下が「ロードキル」などのカメラマンになった「デイブ・シオーネ」、真ん中のでかい人もなんかのカメラマンです。

この日、ハーフパイプのミニ大会があって、優勝してボード貰えるはずでした。後で送りますといって住所聞いていたんですが、未だにきません。

このときの優勝がスティーブ賞と銘打ってて、それから私スティーブなんですね。
スティーブ・グラハム、憧れましたねえ・・・。髪もロン毛の金髪にしてましたし・・・。
どうですか?今の人ほど飛んでないですけど、なかなかスタイリッシュでしょう?

スティールフィッシュっていう技。その他に流行ったのが「クレール」、「タイペン」、「バックフィリップ」とかね。

そうそうこの年に「20トリックス」っていうビデオがでたんですよ。確か。
92年頃のモヤでの大会。

向かって左が「yama1」さん、右は八戸の郵便局員(笑)、コバヤシクン。

しかし、なんでネルシャツの前はだけて滑ってるんだろ?
95年頃、ウチのヨメとたくぞう、某ショップの○葉さんがJSBA東北予選を勝ち抜いて全日本出場をはたす。

その応援に私と掛○さんと車で長野の「白馬」までいきました。車でそんなに遠くへ行ったのは初めてでした。
95年、大鰐にハーフパイプのスペシャリスト、トッド・リチャーズが来た!

海外のトッププロが青森にきたのは、90年のドン・ザボ、2000年(?)のクレイグ・ケリー・・・の3人が来青してます。

それにしても向かって左の人(後)は現在の半分くらいですね・・・体型が。


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