百名山9座

常念岳(2132m)
燕岳(2763m)

登山日記

  2001.8月上旬

3泊4日

常念岳3回目  燕岳
         
8月 水戸−上野−新宿−急行アルプス−穂高(タクシー)−一の沢登山口−胸突八丁−常念小屋(泊)−横通岳−大天井岳−大天荘(泊)−燕岳−燕山荘−合戦尾根−中房温泉−タクシー−穂高駅−新宿−上野−水戸

   今回は北アルプスの入門編である常念岳から燕岳への縦走コースに娘と一緒に挑戦した。天候には恵まれ素晴らしい山行だった。夜行で電車泊、山小屋2泊小6の娘には少し厳しかったかもしれない。  

一ノ沢登山口(ヒエ平)

 新宿で急行アルプスに乗り、松本から大糸線へ。朝、穂高駅に到着した。穂高駅は学生の時、安曇野ユースホステルでボランティアをしたことのある町にあった懐かしい駅である。駅前は昔とほとんど変わっていないが、穂高町は、人気のある観光地へ変貌していた。

 駅で降りた登山者は8人くらいだった。タクシー代をうかせるために「一ノ沢登山口に行く人はいませんか?」と声をかけたが誰も返事をしてくれなかった。娘と二人でタクシーに乗り、登山口に向かった。

 今回、お金を節約するため山小屋は素泊まりと決め、私は2日分の食料を背負っていた。一ノ沢の登りは、沢沿いにあり、水場が多いところだ。小屋までは4時間30分だ。今日は小屋泊まりなのでゆっくりしたペースで歩いた。娘は先に行っては休憩し、私が来るのをジュースを冷やして待っているという状態が続いた。 

笠原沢

常念小屋

 やっとのことで常念乗越へ到着。ベンチで休憩した。山小屋で朝食だけ予約し、夕飯は自炊にした。小屋で休憩してから頂上へ行くつもりだったが、夕立が来たためあきらめた。部屋は10畳に8人だった。

山鳩

常念小屋からの日の出

 ご来光を見るため子供を起こし外へ出た。雲海から太陽が顔を出し感動のご来光を見ることができた。

雲海

常念頂上

 その足で頂上へ向かった。頂上で写真を撮り、小屋に戻り朝食を食べた。他の宿泊者は朝食を食べ出発していた。
 

頂上からの槍

山小屋

 娘が食事中気分が悪くなり食べたものをトイレで吐いてしまった。
今日の日程は、燕山荘までの6時間、この状態では無理だ。頂上も行ったし下山することにした。下山するだけなのでゆっくり部屋で休むことにした。
 30分くらして娘の体調が戻り大丈夫だということなので、荷物を持って外のベンチへ移動した。すると、娘が「お腹がすいた。」と言ってカロリーメイトをパクパク食べ始めた。もしかすると予定どおり山行を続けられるかもしれないと思った。「次の山に行けるかと。」と聞くと「大丈夫だ。」と答えたので予定通り大天井岳へ出発した。

コマクサ

東大天井岳へ

 私は、昨日水を飲み過ぎ腹の調子が悪かった。横通岳を通る頃に我慢ができなくなり、岩陰で●をした。●は泡を吹いていた。この附近は、砂地に近い細かい岩石が集まった山道だったので簡単に穴が掘れた。排泄物はしっかり穴に埋めた。(高度が高いところでは●はバクテリアでの分解はしない。)

 中大天井岳附近で、大人3人と子供1人の登山者とすれ違った。その中の男の子(小学低学年?)が鼻血を出して横になっていた。子供の親は、同行の夫婦に「先に行ってくれ後で追いつくから。」と申し訳なさそうに言っていた。この時、私の娘も同じような状況になっていたらと不安になった。

 私が山のプロだったら子供の状態を見てアドバイスをしていたかもしれない。私にはそれだけの技量がなかった。4人の服装を見たがハイキングの格好だ。北アルプスに子供を連れて来るにはあまりにも軽装ではないか。
 余りの光景に挨拶もしないでその場を通り過ぎた。

 大天壮小屋まで、5分で到着した。ここから燕山荘までは2時間30分だ。
 ここからすぐ先に切通岩の鎖場がある今回のコースで一番の難所だ。ここで宿泊するか燕山荘まで行くか迷った。山小屋の管理人に今からでも大丈夫でしょうか?と相談した。結局、ここに宿泊することに決めた。
 
 先ほど、体調を崩していた親子が小屋に来ていた。「子供のことを一番に考えたい。子供が心配だ。何とかしてください。」と小屋の主人に何度も言っていた。小屋の主人が言うには、小さい子供の場合、よくあることで、急な環境の変化に体が対応できないからということだった。たぶん軽い高山病にかかっているということなのかもしれない。

大天井岳頂上

大天壮小屋

 小屋から頂上までは3分。頂上で写真を撮ったが、ガスに覆われ展望を見ることはできなかった。今回は夕食を頼み、朝食はパンとスープにすることにした。
 夕食はとても美味しかった。びっくりしたのはデザートにババロアが付いていたことだ。とても美味しかった。娘が私の分まで頂戴といって食べたほどだ。

 学生の時に山小屋で出ていた食事と今の食事は大きく違っていた。百名山ブームになってから小屋の食事内容もずいぶん変わってきたと思った。

 朝起きて、小屋の前で記念写真を撮り、切通岩の難所に向かった。娘と無事通過しホッとした。途中、犬を連れた3人組の登山者とすれ違った。以前、山の本で自然環境を壊す可能性があるので動物は山に持ち込んではいけないと書いてあったことを思い出した。どうして3000m級の山にまで犬を連れてくる必要があるのか私には理解できなかった。
 難所を越えて安心したのか・・昨日鼻血を出して具合の悪くなった男の子は大丈夫かなと思った。

燕岳山頂

燕山荘

 燕山荘までの中間地点の大下り附近で多くの登山者とすれ違った。この人たちは昨日燕山荘に宿泊した登山者だ。
 私の娘を見て「小さいのに偉いね。頑張ってるね。」とたくさんの人に声をかけられた。娘は調子に乗り疲れも見せないでどんどん先に行った。
 約2時間で燕山荘に到着。荷物を小屋の前のベンチに置いて燕岳を往復した。

  頂上で、中年のおじさんに写真を取って下さいと言われた。その時のおじさんのポーズには思わず噴出してしまった。頭の上にリンゴを置いたからだ。変わった人もいるのもだと思った。これからおじさんは槍ヶ岳方面へ行く予定でこの先危険なところはないかという質問だった。ここから槍へは一度歩いているため、覚えている範囲で危ないところを教えてあげた。このおじさんは山の初心者だった。北アルプスの表銀座縦走路あたりは、ハイキングと勘違いしている登山者が多いのも事実だ。

  合戦尾根から中房温泉までは、約3時間だ。下山途中、多くの登山者が、行列で登ってきた。ここの登りは北アルプス三大急登で有名なところだ。学生の時、この尾根を登ったとき、寝不足で体がふらふらになり死ぬ思いだったことを思い出した。

 合戦小屋では、有名なスイカが売られていた。娘と食べるつもりだったが値段が高かったため買うのをやめた。

 第二ベンチでは、ツアーの団体とすれ違った。午後1時ごろだった気がする。ここから燕山荘までは、約3時間かかる到着は4時頃になるだろうずいぶん遅い時間だなと思った。

 下山口には中房温泉がある。宿泊者以外の登山者にも温泉を提供しているとHPに書いてあったので、娘と温泉宿に立ち寄った。
 旅館のおじさんはそっけない返事で入浴料を取り、「荷物は外のベンチに置いてください。」と言って奥に入ってしまった。
 心の中で「客に対する態度か!この親父め!」と叫んだ。風呂は泊り客が入らないような半地下の暗くて狭い風呂だった。取りあえず3日間の汗と汚れを洗い落とし、帰りの服に着替えた。
 
 風呂から出て、タクシーを呼んで下さいとお願いすると「自分で電話しな。」と冷たい返事。「電話がないんです。」と言葉を返すとしぶしぶ電話をしてくれた。この宿の親父の態度は許せなかった。

 その時、山から下りて来たカップルが温泉に入るため宿に立ち寄った。

 私はすぐに「駅までタクシーで一緒に行きませんか?」と声をかけた。「いいですよ。」と返事が返ってきた。これで、タクシー代が半分浮いたので助かった。

 中房温泉から穂高駅までの間に娘が気持ち悪くなり、吐きそうになったが車を止めることなく無事に駅に到着した。
帰りのタクシーの運転手は、来る時に使ったタクシーの運転手と同じだった。「帰りも使ってください。」と名詞を渡されたことを忘れていた。運転手は、「縁があるね。」と言ってくれた。

 駅に着き、新宿までの指定席と水戸までの切符を購入した。40分近く待ち時間があったため、以前入ったことのある蕎麦屋で遅い昼食を食べた。上野駅からは、最終電車に乗り水戸に着いたのは夜12時を過ぎていた。

 

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