百名山72座

宮之浦岳(1935m)

登山日記

  2009.3/23〜25

泊3日(晴れ・曇り雨・晴れ)

 

          宮之浦岳                                                            縄文杉               
3/23(月)

27(金)
水戸自宅4:20−赤塚駅4:44-常磐線−山手線−浜松町−東京モノレール−羽田空港8:35−鹿児島空港10:35−12:20高速フェリー宮之浦港14:10−安房民宿16:00泊−タクシー5:00-淀川登山口6:00-淀川小屋−小花之江河−投石平−山頂11:00−平石-新高塚小屋−高塚小屋(泊)15:00−縄文杉7:00−ウィルソン株−楠川入口−辻峠−白谷山荘−白谷雲水峡13:20−バス−宮之浦港16:20−高速フェリー18:30−レンタカー−指宿(泊)−ふれあい公園P6:00-登山口6:20-開聞岳山頂9:30〜10:00-駐車場12:00-西大山駅−指宿(泊)−池田湖−長崎鼻−指宿駅−リムジンバス−鹿児島空港16:40−羽田空港18:15−東京駅−高速バス−水戸9:30    
山登りの費用 約8万円 
内訳 交通費  電車3,000・飛行機34,800・フェリー6,100・6,500・タクシー6,000・高速バス2,300・リムジンバス2,300
宿泊代等  宿泊2日18,000  レンタカー14,700 ガスボンベ480 黒豚とんかつ・しゃぶしゃぶ3,500 ビール1,000
 今回の山行は、世界遺産の屋久島にある宮之浦岳を選んだ。最初は、宮之浦岳以外の九州の百名山を全部登ろうと計画を立てたが、一部の山に降雪の心配があるので屋久島にした。
 
 それから、ネットで格安の航空運賃を探した。安いチケットは、現金払いで販売している会社が多い。旅券についてはわからないことばかりだったのでなかなか決めることが出来なかった。結局、カード決済が出来、安心できる楽天のANAパックにした。しかし、20日前からキャンセル料が発生し日程の変更が出来なかった。
 
 それから、2週間近くかけて屋久島の情報を集めた。屋久島でも、3月に降雪の心配があるとわかった。それからは、中期天気予報を毎日のように調べた。どっちにしても航空券はキャンセルできないので、天気が悪い時は、屋久島観光に切り替えようと思った。結果的には、登山初日にみぞれ交じりの雨に見舞われたが、宮之浦岳・縄文杉・白谷雲水峡を回ることができ、ほぼ満足のいく山行だった。

 白谷雲水峡への下山途中、右ひざ側面を痛め足を引きずりながらの下山になった。天候の回復を待って新高塚小屋で連泊していたら下山できただろうかと考えるとぞっとした。

 山で会った広島から来ていたA氏と同じコースを回ることになり、話をしながら楽しく山歩きが出来たことに感謝しなければならない。また、高塚小屋に宿泊した時、小屋に泊まっていた3人組にはびっくりさせられた。夜の9:00まで酒盛りをして騒いでいたからだ。一人は大阪から来ていて90日間世界を回って来たというフリーカメラマンの卵・二人目は埼玉から来ていた旅行好きな一級建築士・最後の1人は埼玉から来ていた大学生。この小屋には横浜から来ていた中高年夫婦を含めて全部で7人が泊まっていた。3人を注意する人は私を含め誰もいなかった。

 このフリーカメラマンの旅行話は興味を引くものだった。イスラム圏の国を旅行している時、待合室?で食事をしていたら警察に突き出されそうになったことや
(ラマダーンの時間帯は食事が出来ない。断食をする時間は、夜明け前(太陽の昇る約二時間前)から日没までの間。)、標高5,000mのネパールの高地でバレーボールをさせられたことなど話題にことかかなかった。建築士の話は、イギリスと日本の建築に関する価値観の違いだった。イギリスの建物はひとつの財産として認められるが、日本の場合は土地に価値があり、その付属品として建物が評価されていると言うことだった。聞いていてなるほどと思った。

 天気予報では、旅行初日までは九州全体を覆う移動性高気圧が張り出して天気が安定していたが、その後日本海に高気圧が発生し冬型になるという予報だった。その結果、登山初日みぞれに遭遇することになった。
淀川登山口                 淀川小屋
 羽田発鹿児島空港行き8:35分に乗るには、常磐線上りの始発電車に乗らなければならない。赤塚4:44分の電車に乗り、日暮里で山手線に乗り換えた。浜松町駅で航空券の予約番号を入力して購入できた時には少し感動した。ANAのカードなら切符も要らない。

天気は快晴。飛行機から見える日本列島は素晴らしかった。鹿児島空港でガスボンベを探したが、購入できなかった。空港からリムジンバスに乗り、フェリー乗り場に向かう。金生町から乗り場まで20分歩くことになった。バスから降りた鹿児島の町は初夏の陽気だった。汗をかきながら13kgのリックを背負い乗り場に向かう。桜が満開だった。フェリー乗り場に着き12:20高速フェリーのチケットを買い宮之浦に向かう。

14:10分に宮之浦港に到着。ボンベ購入のためスポーツ店に向かう。民宿に入るまでには時間があるので土産店に入り焼酎・お菓子などを宅急便で自宅に送る。3日後に自宅に配達されると聞きびっくり。

 宮之浦からバスに乗り安房に向かう。車窓から見える海岸線は南国の風景だ。1時間ほどバスに乗り民宿に到着。この民宿は4部屋しかない小さな宿だ。民宿のおじさんに山の行程を相談する。3日後から冬型の気圧配置になり明日の天気は曇り雨だ。逆コースから回れば2日目の天気は回復する見込みだが、淀川口からは携帯電話が繋がらない。そして、下山した時タクシーが呼べない。結局、淀川口から入山し白谷雲水峡へ下山するコースにした。

朝5:00にタクシーを呼んでもらい淀川口に向かう。タクシーの運転手は横浜から屋久島に移住した人だった。民宿の夕飯が甘くて食べているうちに気持ちが悪くなったと言ったら、「ここの料理や醤油には黒糖が入ってるんですよ。」と話してくれた。この運転手は親父バンドも結成していて,音楽活動もしているプロのミュージシャンでもあった。NHKのみんなの歌や朝のテレビ小説の中でも流された曲があることが家に帰ってからわかった。それは、降りる時、親父バンドのCDをもらったからだ。地元の人がよく飲む焼酎「三岳」は私の口には合わなかった。味は沖縄の泡盛に似ていた。

登山口には、すでに4台の車が駐車してあった。10人くらいの登山者が出発の準備をしていた。6:00頃には明るくなりそうだ。小雨が降っていたがこの状態なら何とかなりそうだ。登山口から淀川小屋まで、整備された木道を通り40分で到着。小屋はログハウス調の綺麗な小屋だ。大学のワンゲル部の学生6人が朝食を食べていた。私は淀川の清流で水を飲んだ。なんともやさしい甘い感じの水だった。
 
淀川 高盤岳(頂上トーフ岩)

小屋から淀川の清流に架かる橋を渡り急峻な登りになった。この清流はエメラルドグリーンの色をしていた。1時間ほど歩くと高盤台展望台に着いた。ここから見える高盤岳はトーフ岩がシンボルだ。

木道階段 山並み

木道の階段が続く。尾根上のピークを越え下りに入る。ほどなくすると小花之江河に到着。

小花之江河 某大ワンゲル部

小花之江河は泥炭層の湿原だ。日本庭園のような雰囲気をかもし出している。ここで一服していると、後から来た登山者数人に追い越される。

花之江河 黒味岳方面

 ここからは岩の岩盤を流れる沢道を歩く。黒味岳はパスした。ここからは、視界が開け屋久島の樹海を思わせる雰囲気になった。何度かロープが架かる岩場の登りが続く。ここに流れる水はどこでも飲めそうな水だ。

投石平 永田岳と宮之浦岳

投石平に着くと回りはイースター島のモアイ像を思わせるなんとも不思議な景観になった。ここから投石岳への登りが始まる。空を見上げると薄明かりの太陽が見えた。予報が外れて天気が回復するかもしれないと内心ワクワクした。頂上で晴れてくれと願った。永田岳と宮之浦岳が見えた時は「やった!」と叫んだ。

栗生岳 みぞれ

ここから宮之浦岳までの景観は、山並みのところどころに奇岩が飛び出し、なんともいえない屋久島ならではの素晴らしい山岳風景だ。しかし、雨足が強くなってきたのが気がかりだ。いつの間にか雨がみぞれに変わっていた。

宮之浦岳山頂 平石

最後の急斜面を登ると頂上へ到着した。時間を見ると11:00だ。某大学ワンゲル部の学生が記念写真を撮っていた。今日どこまで行くのか聞くと新高塚小屋ということだった。鹿之沢小屋に泊まると聞いたら私も後を追ったかもしれない。天候がよければ永田岳へも行きたかったからだ。

頂上で傘を差し霧が晴れるのを待ったが、いっこうによくならない。逆に雨足が強くなってきた。しばらくして同年代の男性が登ってきたので、少し話をした。彼は広島から来ていてリフレッシュ休暇の5日間で屋久島へ来たそうだ。(私は3月には仕事の関係で休暇は取れないだろうと考え1月に取っていたのだが、今回は実質的なリフレッシュ休暇だ。)彼は、昨夜、ワンゲル部の学生と小屋が一緒になったので新高塚小屋ではなく高塚小屋まで行くといって先に出発した。ここからは山並みは全く見えなくなった。晴れていればここからの山岳風景は素晴らしいはずだった。

やくしか 新高塚小屋

ここから木道階段での下山が始まる。登りの女性二人組みに道をゆずった時、木道から足を踏み外し片足を溝に落としてしまった。かっこ悪い姿を見せてしまった。小屋まではひたすら森の中を歩く。新高塚小屋に14:00に到着。

小屋の中をのぞくと大学のワンゲルの2グループがすでに到着し休んでいた。騒がしいのも嫌なので高塚小屋まで行くことにした。何度か屋久しかに遭遇した。ここの鹿は体が小さくアニメに出てくるバンビそのものだった。人馴れしているせいか人が来ても逃げない。

高塚小屋 小屋での夕食

15:00に高塚小屋に到着。新高塚小屋の半分の大きさだ。中には3人の登山者が休んでいた。丁度広島から来ていた彼が、水を汲みに行くと言うのでちょっと待ってもらい寝床を確保し二人で水場へ向かった。10分くらい歩くとなんとそこには縄文杉が・・・・。

縄文杉 朝の縄文杉

 これが縄文杉かとその大きさにびっくり。出発前に縄文杉を調べてきたが、科学的に調査した結果この縄文杉は、約2000年の杉と約1000年の杉が合体したのもで一番古い杉ではないと書いてあった。ここに来る前から感動が半減していたわけで知らないほうがロマンがあったのかもしれない。

小屋(定員20人)には7人が泊まった。12名までならゆっくり泊まれるが、この日に泊まっていた登山者は、後から小屋に来た登山者を結果的に締め出した。後から来た登山者は近くの木道の休憩所にテントを張っていた。山での常識を知らない観光登山者が多いのはとても残念だ。

夜トイレに行くために外に出ると、樹林帯の隙間から満天の星が輝いていた。久々に見る完璧な星だ。空気が澄んでいるんだろうと思った。明日の天気はよさそうだ。新高塚小屋に泊まっていれば、もう一度第一か第二展望台まで戻って屋久島の山岳風景を見たかった。残念だ。

朝6:00に小屋を出発。縄文杉には朝の太陽がわずかに差込み、どっしりとした風格を見せてくれた。私は感慨無量だった。広島から来た彼に携帯とカメラで写真を撮ってもらった。そして、ここで記念に持ち帰る縄文水をペットボトルに詰めた。

木道階段 夫婦杉

整備の行き届いた階段を下る。足には大きな負担がかかっていた。登山を知らない人には理解できないだろうが、木道の階段のほうが足には大きな負担がかかる。昇り降りのときにすり足が使えず、片足に全過重がかかるからだ。

大王杉 ウィルソン株

ここからは、縄文杉ツアーだ。翁杉・夫婦杉・大王杉・ウイルソン杉どの杉にも風格がある。

ウィルソン株からの青空 大株歩道入口

ウイルソン株に来ると荒川登山口からの日帰りの登山者の多くが登ってきていた。ウイルソン株の内部は10畳ほどの広さがあり天井を見上げると青空が見えた。

30分ほど下ると大株歩道入口に到着。多くの登山者が休憩していた。ここからはトロッコ電車の軌道を歩く。日帰り登山は往復8時間ほどかかる。荷物は昼食くらい持てばいいので健康ならば誰でも縄文杉を見ることが出来る。春休みなので、小中高生が多い。

軌道 楠川分かれ

1時間ほど歩くと楠川別れに到着。ここからは縄文杉ツアー登山者との分かれ道だ。この時間に荒川口から登ってくる人はいない。荒川口16:00の最終バスに乗れないからだ。

奇岩 くぐり杉

ここからは、標識が全くない屋久島の原生林の山道だ。彼は先に行ってしまい歩いているのは私1人だ。屋久しかが私を迎えてくれた。

辻峠までに出会ったのは三人だった。1人は外国人だった。辻峠に来ると白谷雲水峡の観光客の姿が見られた。白谷山荘に到着するころになるとベンチには多くの観光客が弁当を食べていた。

ここに来て右足の異変に気が付いた。右足を上げると痛みが走った。ここからは、原生林コースと楠川コースに分かれる。原生林コースは2時間で楠川コースの倍かかる。最初は原生林コースを歩くつもりだったが、この右足では無理だ。

白谷雲水峡の滝 白谷雲水峡観光案内所

ここから駐車場までこの荷物を背負って下山しなければならない。右足を引きずりながらやっとのことで下山。13:20に到着した。観光案内所で300円の寄付金を払う。

晴れていた天気は一変し山には雲がかかり肌寒くなった。宮之浦港行きバスは14:20分だ。1時間ほど休憩し、広島から来たA氏と時間をつぶした。彼は、屋久島でもう一泊し明日帰るそうだ。

バスで宮之浦港に向かい16:20分発の高速フェリーに乗った。鹿児島港より手前にある指宿港までの方が料金が高いのにはびっくりした。立ち寄るための余計な燃料代を運賃に載せているのだろう。山小屋に2泊だった予定を変更していたので指宿の宿とレンタカー会社に連絡し予約の変更をした。宿は特別しか空いていなかったが、値段が高くても宿泊をお願いした。

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