久しぶりにうちの子供が鼻血(はなぢ)を出しました。鼻糞をほじったとも言ってましたが、この夏の猛暑のためかとも思います。朝起きたら枕やシーツに血が付いていましたが、幸い出たのは左の鼻からだけでしたし、起きた時にはすでに止まっていました。その後はもう出ていません。
鼻血は医学用語としては鼻出血(びしゅっけつ)といいます。大方の鼻出血の原因は鼻糞をほじったり強く鼻をかむことによって鼻の中を傷つけることであり、片側だけで数分以内に止まるような鼻出血や繰り返さない鼻出血は心配ありません。
最近の事情はよく知りませんが、私が子供のころは漫画やコントの中で鼻血は滑稽な場面でよく使われました。たとえば「美人を見て興奮した男性が鼻血を出す」、また、たとえば「叩かれたり殴られたピエロ役の人が鼻血を出しながら間抜けな顔をしておどける」という具合に。あるいは子供だった私も「高木ブー、鼻血ぶーっ」などと言って相当喜んでいた記憶があります。
しかし、鼻出血・・・それは私にとって若き日の苦しい思い出につながります。
医者になって2年目のこと、私は千葉大学第一内科から1次出張病院として千葉県立佐原病院へ出ました。佐原は「さわら」と呼びます。
佐原病院は当時千葉県佐原市、現在は市町村の合併で千葉県香取市佐原にある千葉県北東部の中核病院の一つです。今はどうか知りませんが、当時は病院の敷地の半分は田んぼに接していました。ですから今のような夏の季節、特に夜はカエルの大合唱が聞こえました。
カエルの大合唱といえば、佐原病院時代に治療の必要上絶食(ご飯を食べてはいけない)中のある患者さんが、夏の夜に行方不明になったことがあります。病院の外で無事発見されて事なきを得たのですが、無断外出した理由を尋ねたところ、空腹に耐えかねて「もうあんまり腹減ったからカエル捕まえて食っちゃおうかと思ったんだ!」とのことでした。
同じカエルの声を聞いて季節を感じる人もいれば、うるさいと思う人もいれば、人間は極限状態に置かれると食物と思う場合もあるわけです。
それはさておき、佐原病院に勤めて初めての当直、忘れもしない5月の連休直前の初当直の夜、当直室の電話が鳴ったわけです。
「鼻出血の人が来てまぁす」と救急室の看護婦さんから呼ばれました。はなぢか・・・と心の中で呟きながら私は救急室に向かいました。
60歳ぐらいだったでしょうか、そのおじさんはタオルで鼻を押さえながらうつむき加減に座っていました。そのタオルが鮮血で赤く染まり、患者さんの指や手にも生生しく血液が付着している姿を確認した時、予想外に出血しているなと私は思いました。しかしその時点ではまだことの重大さを理解していませんでした。
タオルを鼻から取るやいなや、患者さんの両方の鼻の穴からサラサラした鮮血が流れ出ます。患者さんは慌てて手に持ったタオルで再び鼻を押さえます。付き添いの奥さんが「もう1時間近くも止まらない」と言います。
出血は出血点を圧迫して止血する、つまり血は押さえて止める、のがまずやるべき基本です。患者さんの鼻の押さえ方が下手だったのだろう・・・
私は医療用のゴム手袋をはめて患者さんの鼻の付け根を親指と人差し指でつまんで鼻骨(びこつ)に向けて圧迫しました。鼻出血の出血点はたいてい鼻の付け根かそれより鼻の穴方向にあるからです。
しかし3分圧迫しても出血は止まらず、5分でもダメ、10分たっても手を離せば患者さんの鼻からは再び鮮血が出て来ます。
単純な圧迫法はあきらめて、次にボスミン生食(血管収縮作用のあるボスミンという薬剤を生理的食塩水で希釈した溶液)で濡らしたガーゼを、鑷子(せっし=ピンセット)を用いて患者さんの鼻腔(びくう)内に可能な限りたくさん詰め込みました。このへんになると通常は耳鼻科医に依頼する手技になりますが、夜間の当直医は私だけです。私は一所懸命でしたから、その時は不安とも孤独とも思わなかったし、鼻血だからこれぐらいのことはできるというヘンな自信がありました。つまり文字通りのただの怖いもの知らずでした。だから耳鼻科の先生を呼ぼうとも思わなかったし、そもそも当時佐原病院には耳鼻科が無かったのでした。
鼻が倍に膨らむほどガーゼを両方の鼻の穴に詰め込んだところでようやく鼻血はおさまりました。よし・・・
1時間以上相当量出血したと考えられるので、ヘモグロビンを確認すべきと思い、出血が一段落したところで血液検査を行いました。結果は目を疑うものでした。血小板数5000!? 0がひとつ足りないのではないか?・・・
しかしもう一度測定しても結果は同じでした。
健常人の血小板数は大体200000から300000です。血小板は出血部位で血液を固める作用があります。血小板5000では出血は容易には止まりません。出血は止まらなければ重篤な状態にに至ります。そして白血球数、赤血球数、ヘモグロビン等すべてが全くの異常値でした。これはただ事ではない!白血病か?・・・
私は一気に緊張しました。現在は医学部卒業後の研修医制度がかなり整備されているので研修医は必ず先輩医師と一緒に当直を行いますが、昭和63年に大学を卒業した2年目医者の私は一人で夜間の病院当直をしていました。2年目医者なんかに大した知識も技術も実は無かったのです。
患者さんの元に戻ると「口の中に血が出てきている」と青白い顔で力無げに患者さんは言います。私の不安は増幅しました。出血点は詰め込んだガーゼのさらに奥にあるのかもしれない・・・
口の中を見ると血だらけです。水で口をゆすいでもらってすぐに再び口の中をのぞくと、鼻の奥から鮮血がのどに垂れ流れて来ているのが確認できました。やはり私の不安のとおり、固まらない血液が、前方は鼻の穴のガーゼでせき止められたために、後方ののどの方に回って来ているのでした。出血は止まっていない!!・・・
ここに至って私は恐怖心を憶えました。私にとってただの鼻血「はなぢ」が恐るべき鼻出血「びしゅっけつ」に変わった瞬間でした。
取り急ぎ止血剤の点滴を開始して私は当直室に走りました。救急治療マニュアルを見るためです。
止血剤の点滴ぐらいでは血小板5000に太刀打ちできないことは私にもわかっていましたが、もはや私にはそれ以上の知識がありませんでした。
マニュアル本を大急ぎで開くと、鼻出血において次にやるべきことはベロックタンポンの挿入と書いてあります。ベロックタンポン(鼻の奥を塞ぐための俵状に丸めたガーゼ)の作り方・挿入の仕方を理解し、イメージトレイニングして、患者さんの元へ駆け戻りました。
ベロックタンポンなんて学生時代に習ったこともなく、私が行ったのも今日に至るまで後にも先にもこの時たった一回きりです。少しだけややこしいのですが書いておきます。
先ほど詰め込んだ鼻の穴のガーゼを片方だけ抜き取ります。鼻の穴から 30 cm ほどの長さのやわらかいネラトンチューブを挿入し、その先端がのどに達したところで、鑷子でチューブをつかんで口の外に引っ張り出します。チューブは鼻、のど、口を通って一方の端は鼻の穴から、一方の端は口から出ている状態になります。次に口側のチューブ先端に 30 cm ほどの太めの絹糸(けんし)の一端を結びつけ、俵状に丸めたガーゼ=ベロックタンポンの中央に絹糸のもう一方の端を縛りつけます。
そして鼻から出ているチューブを引き抜いてくるとベロックタンポンはチューブに結ばれた絹糸に引かれて口からのどに進み、さらにのどの上方に進んでついには鼻の奥(のどより狭い)に引っ掛かり固定される、その時にはチューブは鼻からすべて抜けて、チューブに結ばれた絹糸が鼻から出ている状態になる。最後に糸を切って出来上がりです。
もちろんベロックタンポンの大きさは、鼻の奥で引っ掛かり、かつ鼻の奥の空間とのどの上の空間をきっちり遮断する大きさでなければいけません。1回目の挿入はベロックタンポンが大きすぎて失敗、もう少し小さく作り直して2回目の挿入。うまくいってくれ・・・
すっぽりはまった感触を得ました。鼻から出ている絹糸をいくら引いても、それ以上糸はもう出てきません。ベロックタンポンは鼻の奥でイメ−ジどおりうまく固定されました。
鼻の穴のガーゼも新たなものをもう一度詰め直し、これにてボスミン生食を含んだガーゼによって鼻腔の前方と後方が完全に塞がれました。あとは「出血よ止まってくれ」と祈るばかりでした。
鼻の穴のガーゼはうっすら赤く染まりましたが、それ以上の血液は出てきません。何回か口の中をのぞきましたが血液は流れていません。ひとまずは窮地を脱したようでした。うまく出血点にガーゼが当たったか、ガーゼで密閉された鼻腔の中で血液が充満して固まってくれたか。そしてようやく病室の方へ移動できました。
私は大汗をかいていましたが、それ以上に患者さんは口から鼻からいろいろ突っこまれてたいへんでした。そして鼻が完全に塞がれているため、息は口でしかできないから、それだけでも大変な苦痛だったはずです。しかしその患者さんは苦しいとか痛いとか、何も一言も言われませんでした。
翌日骨髄穿刺という精密検査を行い、急性前骨髄球性白血病(APL)の診断を得ました。当時佐原病院には白血病(俗に言う血液の癌)の専門家はいなかったので千葉大学病院の血液内科の先生に相談し、電話で至急投与すべき薬剤を教えてもらい早速治療を開始しました。
そしてその翌日に患者さんは救急車で千葉大学病院に移りました。救急車にはもちろん私が同乗しましたが、約1時間のこの移動は不安と緊張のとてもとても長い道中でした。
患者さんは全身的に出血を起こしやすい状態にあります。つまり、いつどこの臓器で出血が起こっても不思議ではないのです。
最悪の場合、救急車の振動が引き金になって脳出血が起これば、救急車の中ではもはや止めるすべはないので、大学病院に辿り着く前に絶命してしまうかもしれません。私たちは1分1秒でも早く大学病院に到着したいのです。
ですから救急車に道を譲るために道路わきに止まってくれた車にはとても感謝しました。逆に止まらずに救急車の直前をチョロチョロ走る軽自動車を見たときには「こら止まれ!そこのケー!」と心の中でどやしつけました。ようやく止まるとその軽は図々しそうなオバさん(その時の私にはそう見えてしまった)が運転していました。
大学病院に着いた時にはほっとしました。実際には大したこともやっていないし病気が治ったわけでもないのですが、自分なりに職責を果たした思いでした。本格的な治療はこれからですし、患者さんやご家族にとってもこれからが本当の戦いです。
大学病院ではすでに人工透析の手筈も整えていてくれたのでありがたかったです。APLは出血症状が出るころになると急速に腎不全を合併します。白血病にもいろいろ種類がありまして、APLは当時最も悪い白血病でした。しかし今では偉い先生方の努力のおかげで、最も治りやすい白血病と言われています。
患者さんは1か月ほどで亡くなりました。塗炭の苦しみだったことと思います。後日奥さんが佐原病院に来られました。「元気になったらあの若い先生にお礼の挨拶に行きたいと主人も言ってたんですけど・・・」と奥さんは涙ぐまれました。
今でもあの患者さんの事を思い出すと胸が苦しくなります。弱音を吐かず、怒らず、一言の不平・不満も言わず、それどころか塗炭の苦しみの中、青二才の私に対する気遣いまでされていたとは・・・良い人に限って悪い病気に罹ってしまうのは何故だろう?理不尽と思える苦しみは何のためだろう?という答えの出ない問いに、今日も私は押し潰されそうになるのであります。(2010.08.23)
あのとっても痒いやつです。蚊に刺されたときにできる様な赤い膨らみが、1個のこともありますが、たいていはたくさん、場合によっては数 cm の大きさのものが大陸が浮かび上がるかのように、皮膚に出現します。あまり盛り上がらずにただ赤くなるだけのこともあります。
赤いボコボコは見た目も悪いが、そんなことはもうどうでもよくなるほど、気が変になりそうなほど痒くなることもあるのがこの病気の一番困るところです。だから夜間の救急外来では意外とポピュラーな疾患です。翌朝までなんかとても我慢できません。
私も勤務医時代の夜間当直では時々お目にかかりました。全身ボコボコになって泣きそうな顔で痒いと言われる姿は気の毒です。
そういう時は抗ヒスタミン薬の注射が速効性のある点で有効ですが、けっこう眠くなってしまうのが欠点です。私も抗ヒスタミン薬の注射をやられたことがありますが、その後猛烈な眠気に襲われました。抗ヒスタミン薬や抗アレルギー薬の内服薬で済ませられればそれに越した事はありませんが、症状がきつい時は注射の方が患者さんを早く楽にしてあげられます。
私の少ない経験の中で最も印象深かったのは、マグロの刺身を食べて蕁麻疹の出た60歳台の女性の例です。日中であればもちろん皮膚科の先生に診てもらうのですが、夜間ですから当直の私が拝見しました。
全身ボコボコです。髪の中までできています。
「この前もマグロの刺身を食べたら出たんですよ。今までマグロは大好きでよく食べていたんだけど、今日はこないだよりもっとひどい。」と言って泣きそうでした。
注射を打って、20分ほどでおさまってきたのでその晩はそれで帰っていただきました。帰り際にお願いしておいたとおりに、翌日皮膚科にかかっていただけたかどうかは確認しませんでしたが、彼女の今後のことは心配でした。
もうマグロの刺身は食べられないのだろうか? マグロに対するアレルギーが原因ならば原因物質を避けることが治療上の絶対原則ですから、マグロ好きの彼女にとって、寿司屋に行く楽しみも半減してしまいそうです。
もっともマグロと名のつく魚にもいろいろあるようなので、特定の○○まぐろだけが悪いのかもしれないし、ひょっとするとたまたまマグロの刺身と一緒に食べた何か他の食品が真犯人かもしれません。
彼女とは逆に、母の言うには、幼少の頃の私はサバを食べると蕁麻疹が出たそうです。それこそ見ていて気持ち悪いぐらいに全身にブワーっと出たそうです。「こっちが鳥肌出そうだったよ」と母は言います。今では味噌煮でも〆鯖でもいくらでも食べられます。人間の体の変化というものは不可思議です。
あるいはあの患者さんの場合、「今までさんざん食べてきたのだから、もう一生分以上のマグロを食べたのだから、ここらでもうマグロを殺生するのはやめなさい」という神様のお告げなのでしょうか。
ところが意外なことに、先日聞いた皮膚科の先生の話によると、蕁麻疹のうち食物アレルギーが原因となるものは5%そこそこだそうです。もっともっと多いようなイメージがありますが、蕁麻疹の大方は原因不明とのことです。汗をかくと出る蕁麻疹とか、引っ掻いたところに出る蕁麻疹とか、冷たい空気に当たると出る寒冷蕁麻疹のように変わったものもありますが、大半は原因不明とのことです。これでは防ぎようがありません。原因不明のものでも抗アレルギー薬が有効ですが、原因不明な分、長期間にわたってのみ続けなければならないこともあるようです。
痛い、苦しい、息苦しい、は肉体の避けるべき苦痛の最たるものですが、「痒い!」というのも大変な苦痛です。蕁麻疹でもアトピー性皮膚炎でも水虫でも、黄疸に伴う痒みでも、長期透析患者さんの覚える痒みでも、痒みとはまことにいやらしい苦痛です。アトピーの患者さんなどは血が出てもなお掻き続けています。痒みをスカッと取り除ける薬剤の開発が望まれます。(2008.09.30)
また最近たまに足がつるようになってきました。私の場合きっと運動不足、鍛え方が足りないせいだと思います。
夜布団に入ってから、急に膝を立てたり逆に伸ばした時に、突然太ももの裏やふくらはぎや足の裏がイタタタっとつってしまい、あれよあれよという間に筋肉が固まっていき痛みもどんどん増していきます。ゆっくりと、時には手も使いながら固まった筋肉を伸ばしていくとようやく痛みからも解放されます。これが筋肉の痙攣性疼痛です。こむら返りとも言います。こむらとはふくらはぎのことです。
私はなにしろ水泳が苦手でしたから子ども時代の夏のプールは、学校の授業でも遊びのプールでもいつも足がつっていました。
泳ごうとすればきっと手足の動きが滅茶苦茶なため無駄な力が入ってしまい足がつり、ああもうダメ息ができないと思って立とうとすれば慌てて余計な力が入ってしまい、またまたつって痛い思いをするわけです。
足がつるという訴えは年配者ほど多くなります。これは筋力の低下や運動不足の蓄積や筋組織の脆弱性と関係があるのでしょうか。
病気としては肝硬変に伴うものが有名です。肝硬変を患っている方では、ひどい場合、足と限らず、手でも体でもどこでも、またちょっとした動きですらつってしまうことがあります。全身こむら返り病と言ってもいいほどで、新聞を持って読んでいたら手がつったという患者さんもいました。泣きたくなるぐらい痛いと言った男性患者さんもいます。痛みが自然治癒せず持続する際にはボルタレンなどの消炎鎮痛剤の坐薬が有効ですが、痛みのために自分では坐薬を入れることさえ困難なこともあります。
こむら返りの予防薬としてはダントリウムと芍薬甘草湯がいいと思います。ことに芍薬甘草湯(シャクヤクカンゾウトウ)はよいです。
芍薬甘草湯は大変有名な漢方薬です。東洋医学の教育を大学では受けていない私でも知っていますし、患者さんにもよく処方しています。足のつりの他、椎間板ヘルニアの腰痛にも効果があるとヘルニア持ちの知り合いからも聞きました。
古来、芍薬の根は痛み止めとして用いられていたそうです。講談社刊の「園芸大百科事典」によると中国のみならず、古代ギリシャにおいても陣痛抑制剤や癲癇止めとして用いられていたそうです。そのような薬効を、しかも根っこにあることを誰が最初に、またどうやって見つけたのでしょうか。空腹に耐えかねたヘルニア持ちの古代人が食べたところ、腰痛が軽くなったのでしょうか。
私が芍薬を初めて知ったのは芍薬甘草湯のおかげでした。つまり私にとって芍薬とは、漢方薬の主要な生薬の一つであるという認識でした。それはそれでもちろん正しいのですが、しかしそれより何より、なんといっても芍薬の花は実に美しいのです。
そのことをようやく知ったのは2001年頃に、株式会社サカタのタネが発行している「園芸通信」という雑誌を見ていて、ボタンとシャクヤクの特集記事を読んだときです。「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」という美人をあらわす形容句もそのとき知りました。ちなみに一般に牡丹より芍薬の方が背が高いので、立てば芍薬座れば牡丹なのです。
芍薬の花は牡丹にそっくりです。植物分類学上も同属だそうです。芍薬といっても一重咲きの地味な原種系から八重咲きの園芸品種まで様々ですが、八重咲きのものは牡丹にそっくりで実に美しいのです。
悲しいかな、戦後高度経済成長期の東京に生まれ育ったからというわけでもないでしょうが、四十歳近くにもなって、芍薬のように基本的な日本の伝統美に初めて触れるというのも、悲しく、恥ずかしいことだと思いました。「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」とは花をめでる日本人の実に奥ゆかしい表現だと思います。誰が最初にそのような表現をしたのでしょうか。すごい美人に出会った良き日本人が思わず漏らした言葉でしょうか。
私の努力不足もあるでしょうが、核家族化し庭もほとんど無い住居に住む現代の都市生活社会では、微分や積分もいいですが、学校でもそういう基本はきちんと教えた方がいいと思います。また花屋さんもカタカナの名前の花ばかりでなく、もう少し日本伝統の園芸植物を店頭に並べるべきだと思います。先日あじさいの花をハイドランジアと札を付けて売っていた事には驚きました。
カタカナで名前を付ければおしゃれとか現代的とか優れているとかいうことはまったく無いと思います。だから当院では、筋肉の痙攣性疼痛には芍薬甘草湯が第一選択薬なのです。(2008.07.17)
自分の不勉強を告白するようなものですが、過活動膀胱という病気は昨年初めて知りました。
製薬会社のMRさん(Medical Representative; 医薬情報担当者)が過活動膀胱の薬を宣伝に来られたのが知るきっかけでした。内科医の私のところへ泌尿器科疾患の薬の宣伝に来られた事にまず私は驚きました。
私の知っている膀胱の病気といえば、膀胱炎、膀胱癌、膀胱結石、神経因性膀胱ぐらいでした。いつからそんな病気があったのか知りませんが、MRさんが内科クリニックに説明に来るぐらいですから、過活動膀胱とは決して新しい疾患でもなく、また珍しい病気でもないに違いありません。にもかかわらず、そのような病気のことを自分がまったく知らなかったとは恥ずかしい限りです。
そして何より驚いたのは過活動膀胱というそのネーミングです。カ・カツドー・ボーコーと読みます。overactive bladder の邦訳のようです。
過活動とは何でしょう? 過活動という言葉は国語辞典にはありません。字面から連想されるのは、過敏、過剰、過激、過激派、過激な活動家、過酸化水素水、等の一種怖い言葉ばかりで、膀胱が活動し過ぎる何やら過激で厄介な病気のようです。しかし過活動という言葉がつく疾患は他に聞いたことがありません。内科領域の過敏性腸症候群、過敏性肺炎、過喚起症候群、甲状腺機能亢進症、等に通ずるものがあるのでしょうか。「それにしてもカ・カツドーとはちょっとふざけていないか?造語するにもほどがある」と感じました。
詳しくは泌尿器科の先生に聞いてもらいたいのですが、私の理解では過活動膀胱とは、不随意に膀胱が収縮することによって生じる「さっきしたばかりなのにまた急にオシッコがしたくなって我慢できなくなる、時にはどうにも我慢しきれずに漏らしてしまうこともある」という病気です。
「最近オシッコが近い」「夜中に4回も5回もオシッコで目が覚める」などと患者さんが言えば、膀胱炎や前立腺肥大に加えて私は過活動膀胱も考えるようになりました。
男女を問わず、また年齢を問わず、失禁するとは恥ずかしくて人にはなかなか言えないことです。だから失禁の有無については、私も最大限の愛情を込めて「ちょっとオシッコ、チビっちゃうことありますか?」などと尋ねるようにしています。私も開業して1年以上経ちまして、患者さんたちとも大分顔馴染みになってきたのでそういう質問も多少はやりやすくなってきました。それでも患者さんが恥ずかしいと感じずに答えられるような雰囲気作りをしながら、慎重に問診しています。
「そんなこと無い」(しかしご家族からは失禁の事実を聞かされている)「ええ少し漏れることもあります」「よくあるよ」「お勝手で水見るとしたくなるの」「そうだよあんた、こないだ電車ん中でしたくなっちゃって、○○駅で降りたら間に合わなくてこのへん(股から足を指しながら)汚しちゃったよ、もう大変だったよ」などなどいろいろな答えが返ってきます。
告白しますが私だって小学生の息子と一緒に公衆便所に入って連れションした際「お父さん(オシッコ)すぐには出ないね」と言われた時は、ちょっと恥ずかしい気持ちがして「参ったな、俺も前立腺腫れてきたかな」と思いました(大概はすぐに出るんですよ!)。息子なんかオチンチンを出した瞬間に全開で放尿していますから、見ているだけで気持ち良いです。世の中では排尿に関する悩みは内科医が思っている以上にきっと広くて深いと思います。
患者さんたちの訴えを聞いていると、人前で我慢できずに粗相をしてしまうとなれば外出することもはばかられ、それどころか外出することが恐怖となりますから、それは十分過激で厄介な病気といえます。本当は「オシッコしたいしたい病」とか「オシッコ我慢できない症候群」とでも呼ぶのが最も解かりやすいと思うのですが、それでは医学用語らしくないと批判されそうです。したがって最近では、やはり泌尿器科の先生たちが命名した「過活動膀胱」が一番良い名称だと思うようになりました。(2008.05.08)