ロンギヌス

Longinus

ロンギウスとも。

一般的には十字架にかけられ死んだイエス・キリストの死を確認するために、あるローマ兵がイエスの脇腹を刺した槍。

ロンギヌスはその脇腹を刺した人物の名で、盲目であったが刺したとき天変地異が起こり、さらにイエスの流した血(水も一緒に流れたという)で視力を取り戻し敬虔なキリスト教徒になったという話があるが、これは後世の後付だというのが有力説。
またイエスが死んだのを確認するために槍で刺したというのが正しく、この槍で処刑されたというのは間違いだといわれる。

ロンギヌスという名前だが諸説あり、前述の人名の他に槍を手にする者、槍を意味するギリシア語のロンケーに由来するという説、英語のLongと同源のラテン語Longusより来ているという説があり、元はただの長い槍という表記を誤訳したものだという説がある。
他にも古代ローマで暗殺者を意味する言葉だという説もある。
ロンギヌスが槍の名前の場合は、刺したのはガイウス・カシウスというローマ人だという。

後にアーサー王の物語にも取り込まれ、聖杯とセットになった。
様々な伝説があり、所有者は世界を手に入れるという荒唐無稽な話が存在し、ヒトラーの野望はこの槍のせいだという話もある。

イエスの血に触れたものとして聖遺物になっている。

不思議なことにこの槍の穂先があちこちに保管されていたりする・・・あきらかな捏造である。
全部本物だとするとイエスは何本もの槍で刺されたことになるな・・・
まあ、イエスが磔にされた十字架の欠片といわれるものを全部集めるととんでもなく巨大な十字架になるそうだし・・・

ではその槍の逸話をいくつか・・・

伝説では4世紀に初代ローマ皇帝コンスタンティヌス1世の母親ヘレナがエルサレムへの巡礼の旅の途中、キリストを磔にした聖十字架や聖釘と共に、ロンギヌスの槍を発見したという逸話が残されている。
その後、テオドシウス(ローマ帝国最後の皇帝)、アラリック(ローマを征服した西ゴートの王)、テオドリック(東ゴートの王)、ユスティニアヌス(東ローマ帝国皇帝)、カール・マルテル(ポワチエの戦いでムスリムを撃破した)らの手を転々とし、最後にはシャルルマーニュ(8世紀、西ローマ帝国皇帝として即位)の手に渡ったと言われている。

シャルルマーニュは槍を手にして47回に及ぶ戦いで勝利を収めたが、ある時槍を落とすとその直後に死亡したと言われている。
さらに槍はカロリング王朝に渡り、サクソン家皇帝5代の手を経た後、ホーエンシュタウフェン家の皇帝7代の手を受け継がれたとされている(皇帝フリードリヒ・バルバロッサも小川を渡っている最中に槍を落とし、その直後に死亡したという話がある)。

19世紀になると今度はナポレオンが槍に興味を示し、アウステルリッツの戦いに勝利するなり、槍を探し求めたという。
しかし槍は略奪を恐れた王家によってニューンベルクからウィーンに運ばれていた為、ナポレオンはとうとう槍を手にすることはなかったという。そしてウィーンに運ばれた槍はその後、様々な人の手を渡り、ハプスブルク家にたどり着りついたという。

その後ヒトラーの手に渡り、後に米軍が奪還ハプスブルク家に戻ったとされるがこれはレプリカで、本物は南米もしくは南極に移送されていたという説もある。
この槍は現在ウィーンのホーフブルグ宮殿内に展示されている。

他にも第一次十字軍の遠征の際、戦争の真っ只中にあったアンティオキアにて十字軍のある賢者が突然ヴィジョンに導かれ、地中から槍し十字軍は形勢を一気に逆転し、アラビア軍に対して劇的な勝利を収めたというのである。

一説にはこれはコンスタンティヌスがかつて手にした槍で、その後サラセン人の略奪から逃れるために再び埋められたものであると言われている。また一説には、コンスタンティヌスの槍はその後アリマタヤのヨセフとその子孫がイングランドのグランストンベリーに運んで埋めたとも言われ、後のアーサー王伝説のモチーフになったとも言われている。
こちらの槍は士気向上のために捏造されたものだというのが有力な説である。

どうも持ち主に破滅をもたらしているような気がしないでもないですが・・・
まさか行方不明のティルフィングが・・・まさかね。

自分のシナリオではリヴァイアサンが使ってたりしますが・・・実は最後に・・・