パラケルスス

Paracelsusu

パラケルススとは有名な錬金術師であり医者であり哲学者であった。
錬金術師で思い浮かぶのはというアンケートをとれば五指に入るのは確実なくらいに有名。錬金術師の代名詞ともいえる人物。

パラケルススは古代ローマの高名な医者であったケルススをしのぐという意味で本名ではない。
本名はフィリップス・アウレオールス・テオフラストゥス・ボンバストゥス・フォン・ホーエンハイムPhilippus Aureolus Theophrastus Bombastus Von Hohenheim。
長い・・・通称がパラケルススなのも納得。

ちなみにドイツ語で高い家を意味するホーエンハイムのラテン語という説もある。

1493年(1494年とも)にスイスの巡礼地で有名なアインジーデルンで生まれたとされる。
父はウィルヘルムという騎士家系の医者、母は教会関係者であったという。

母は早くに亡くなり、本人はくる病(骨軟化症)を患っていたが家庭は裕福で不自由なく幼年期を過ごす。
父が教鞭をとる大富豪フッガー家の設立した鉱山学校で学問を修める。
同時期にシュポンハイム修道院の長トリテミウスに師事し、錬金術などを学んだと見られる。

1515年にイタリアのフェラーラ大学とスイスのバーゼル大学の医学部を卒業。
その後、ヨーロッパ各地を放浪し、知識と技術を磨いたようだ。
1525年には母校バーゼル大学の医学教授に就任。

しかし性格は強気で傲岸不遜、大言壮語が強く(後世にボンバストゥウスに誇大妄想狂の意味が付加されるほど)で歯に衣着せぬ物言いや教会の旧弊した考えに縛られた当時の医学を批判したために反感を買い追放。
その後、著作と医療をしながら放浪を続け、1541年にザルツブルクで没し聖セバスチアン墓地に埋葬されたという。

死因は不明で、酔っ払いと喧嘩して死んだ、恨みを買った者に殺されたなど諸説ありはっきりとは判っていない。

彼が錬金術を学んだのは、医学の一端だったようで教会のタブーも必要とあれば考慮せずに様々な事を行ったようです。とはいえ、彼は神を否定していたわけではなく、忠節なカトリック教徒だったそうです。

病気を治すのには原因を知らなければならない。だから自然科学である錬金術を学ばなければならない。医師は錬金術師でなければならないと考えたようで。
難病を簡単に治療し、治療費を渋られるというエピソードがありますが、これは当時の知識では原因不明な病気を、錬金術で得た科学知識で直したと考えることも出来ます。

というか当時のは医療行為と呼べる代物ではなかったようで、医者にかかるほうが死亡率が高くなるといわれる惨状だったそうで・・・そのご時世に効果的な治療を行ったのなら魔術師とか呼ばれても不思議ではないですね。

錬金術師としては、文字通り黄金を作り出すことに躍起となっていた当時の錬金術を、精神的高みを目指す学問としたのはパラケルススの功績が大きく、以後の錬金術の概念のいくつかはパラケルススの考案によるところも少なくありません。
完全な生命を生み出すのが目的であったともされ、ホムンクルスを造ったというエピソードもあり、賢者の石の創造にも成功したとも言われます。敵が多くいつも帯剣していたといい、その柄に賢者の石を入れていたと伝えらています。

タロットの大アルカナの魔術師の絵柄は彼がモデルになったとか。

彼名義の書物はいくつかありますが、その名声に便乗して書かれた魔術書も少なくないそうで、死後に魔術師としても名を馳せる事になったようだ。