聖バレンタイン

Saint Valentine

みんなバレンタインって知ってるかな?
そう、赤道上空を中心に地球をドーナツ状にとりまく高エネルギーの粒子が多量に存在している領域で放射線帯ともいい、自転によって生じる磁気によってできます。

お約束のボケはこれぐらいにして・・・

バレンタインデーのもとになったローマにいた聖人さんです。

キリスト教史においては、聖バレンタインを名乗る殉教者の数は20人以上にのぼります。
またキリスト教教会は、聖バレンタインという名の3人の司祭の存在を認めており、偶然にも3人は同じ日に亡くなっています。そう2月14日です。
とはいえたいていは同一人物とされます。

では一番代表的な2人を紹介します。

皇帝クラウディウス二世(在位268−270)は、強兵策の一つとして結婚を禁止します。

ところが、インテラムナ(イタリア中部にある町、現在のテラモ)のキリスト教司祭で医師であるバレンティーノ(バレンタインは英語読み)は、それに反発し内緒で結婚をさせていました。
しかしそれが皇帝の耳に入ってさあたいへん、こんにちはなんて言ってくれません。

さらに、当時のローマではキリスト教は迫害されていました。
ローマ宗教に改宗を迫られましたが、これを拒否。
投獄され、270年(269年とも)2月14日に、処刑されてしまいました。

ちなみに打ち首になった、撲殺されたと処刑方もいくつか説があります。

ちなみにこの人はあんまり経歴が分かってません。生誕も175年位とか言われてるくらいで正確には・・・

またバレンタインは、獄中でも看守たちにまで神の愛を語り、伝説ではある看守に目の不自由な娘がおり、その娘と親しくなりました。たんなる友人だとも恋人になったとも、片思いだったともいわれます。
そしてバレンタインの祈りが、彼女の目を治したそうで。

これがきっかけとなり、バレンタインは処刑されてしまうのですが、死ぬ前に「あなたのバレンタインより」と署名した手紙を彼女に残したそうです。

まあ、その彼女は家族ぐるみでキリスト教に改宗し、そのために処刑されてしまったという話もありますが・・・

これがバレンタインデーに若い男性が自分の好きな女性に、愛の気持ちをつづった手紙を出すようになった由来だそうです。ちなみに現存する最古のものは、1400年代初頭ロンドン塔に幽閉されていたフランスの詩人が妻に書いたものだそうで、大英博物館に保存されているそうです。

で、その後カードがよく使われるようになり、現在は男女ともお互いにバレンタイン・カードを出すようになりました。

「あなたのバレンタインより」(From Your Valentine)と書いたり、「わたしのバレンタインになって」(Be My Valentine)と書いたりすることもあり、アメリカでは、クリスマス・カードの次に多く交換されているとか。

イタリアのテルニという場所にも同名の人物がおり、この人物こそがバレンタインデーの起源だという説もある。
しかし、エピソードの内容が非常に似ていることから、本来同一人物だったが、伝えられていくうちに別々の人物のようになっていったのではないかともみられている。
ちなみにこの人が処刑されたのは273年だとか・・・さらに埋葬された場所も近い。

・・・ちなみにこの人達は司祭、司教と立場が違ったとも言われて、絵画で描かれる際に混乱が起きてたりする。

また古代ローマのルペルカリア(Lupercalia)祭という豊穣と多産を祈る春の祭典があり、祭りの前日2月14日に、女子の名前を書いたくじを男子が引き、当たった娘を祭りの間のパートナーにするという風習があったのだが、469年にローマ法王は、この祭りを禁止。
女性の名前の代わりに聖人の名前を引かせて、1年間その聖人にならった生き方をするようにと勧め、そしてちょうど都合よく2月14日に殉教した聖バレンタインがいたので、この行事の守護聖人すえたわけである。

聖バレンタインデーは死を悼む宗教的行事でしたが、14世紀頃から若い人たちが愛の告白をしたり、プロポーズの贈り物をする日に変わってきたといわれます。

その後、教皇アレクサンダー6世により1496年に公式に恋人の守護聖人になりました。

ちなみに現在バレンタインという英単語は人名以外に「愛する人のこと。つきあいたいと思っている相手」と辞書の定義にも出ている。

ぶっちゃけた話、命日にハッピーバレンタインだとかいってるわけですね・・・

さらに言うと、女性がチョコを贈るというのは日本の企業が勝手にでっち上げたもので、本場では男女の区別なく好きな人に贈り物をする行事になってます。
ホワイトデーなんてのがあるのも当然、日本だけ。