以津真天

いつまで、いつまでんと読む。

太平記に記された怪鳥で建武元年秋、紫宸殿の屋根に夜な夜な現れ、稲光を従え、炎を吐きながらイツマデ、イツマデと不吉な声で鳴く。

頼政や義家の故事にならって弓の名手である隠岐次郎左衛門広有を呼び、鏑矢だけで狙い定めて射ると大音響と共に怪鳥が落ちてきた。
頭は人間のようで、体は蛇、曲がった嘴に食い違って生えた歯、剣のように鋭い足の爪を持ち、翼長は5m程の醜悪な巨鳥。

正体は非業の死を遂げた人々の怨霊が結集したモノ、死者の肉を食んだ鳥に怨念が取り憑いた化生とされ、死肉を貪るという。

いつまでとはいったいいつまで屍体を野晒しにするつもりだという意味だとされる・・・いや死体を食うなら別に最後まで処理してもらいたいのだが。
鳥葬と思えば別にねえ・・・
また戦乱などで自分が見捨てた仲間を思って心を痛めたとき、その心の隙間を狙って現れ責め苛むともいう。

ちなみに特に名を持ってはいなかったが、妖怪絵師であった鳥山石燕が描いた際に以津真天という名を付けたのが最初とされる。

太平記の話は場所柄、死体が放置されてるとは考えにくいので発生源は謎である。発生源は後世の後付の可能性も高い。
鵺に酷似しているので単に正体不明の怪物という位置づけと思われるが・・・
太平記では稲光を従えるなど天候操作に火のブレスまで吐くが、後のはより不気味で恐ろしくなったもののこの能力は語られていない。

ちなみに特に人を襲ったという話はない。

しかし死体を野晒しにすると現れるということは・・・人類発生以前は埋葬なんてありえないから皆野晒しのはず・・・さぞ大量に発生していただろう。
ん・・・?体が蛇のよう?爬虫類的・・・始祖鳥!?

なんてこった以津真天ってのは始祖鳥だったのか!?
ああ隠岐次郎左衛門広有によって生き残った始祖鳥は狩られてしまったのであるなあ・・・