片輪車

寛文(西暦1661〜1673年)の頃、近江国甲賀郡(滋賀県南部)に現れたという妖怪。

夜中に車の軋む音をさせて現れ、どこから来てどこへ行くのか誰も知らず、姿をはっきりと見たものもない。
その姿を見ると祟りがあるという噂も流れ、夜になると人々は雨戸を閉めきり家に閉じこもっていた。

ところがある家の女房がこれを一目見ようと思い、戸を少し開けて見ていると車輪が片方しかなく、牽く者もいないのに勝手に動く車の上に女が一人乗っていた。
女は覗いている女房の家の前に止まると、私を見る暇があるなら、お前の子供を見ろと言った。
慌てて女房が子供の寝室に行ってみると幼い我が子の姿がない。
女房は嘆き悲しんだが後の祭り。
どうすることもできず、歌を書き戸に貼り付けておいた。

罪科は われにこそあれ 小車の やるかたわからぬ 子をばかくして
訳すと、悪いのは私なのに何故子を隠すんだ。
ちなみに、やるかたわからぬは片輪とやることわからぬ、をかけてると見られる。

その夜、片輪車その家の前に止まりこの歌を読んで、優しい人だ子供は返そうと言って子供を家に投げ入れ、去っていった。

以後二度と片輪車を見ようとする者はいなかったという。

鳥山石燕などは炎に包まれた姿で描いている。

別の話では子供は無残に殺されてしまう。
本来は同じルーツの存在と思われるが鳥山石燕などは後者を輪入道として別物として描いているため、別存在として扱われることも多い。

また火に包まれているのは、火車などを連想したからかもしれない。

近年発行される文献では、片輪が足が片方無い身体障害者に対する差別用語だとして、片車輪と名称変更されていたりもする。