小狐丸

実在したともいわれるが、詳しいことがわかっていない伝説の刀である。
史科に名が出るのはほんの僅かで、いつの間にか行方不明になっている。
そのため形状などは伝わっていない。

いくつか伝説があるが、その一つが謡曲「小鍛冶」にて語られている。

小鍛冶

平安中期の一条天皇の時代。
縁起のよい夢をみた帝が、京の三条に住む宗近という名刀鍛冶に刀を打たせよという勅命を出した。
そこで使者の橘道長がその勅命を伝えにいった。
しかし宗近はそのような重大な仕事は相槌をつとめる者も自分と同等以上の技量がいる、そのようなものは弟子にいないと言って辞退する(自慢か?)
だが帝の勅命ということで結局承諾してしまう。
困った宗近は氏神の稲荷明神(京都伏見の稲荷神社)に文字通り神頼みに・・・。
その途中稲荷のそばで不思議な童子に出会う。
この童子は宗近の名やその事情を知っており、刀を鍛えるとき必ず力を貸そうと言って去っていった。
そして刀を打つとき、約束どうり童子がいずこともなく現れ宗近とともに刀を鍛えた。
このときには宗近は童子が稲荷明神の氏神だということがわかっていた。
そうして出来上がった刀は、表に小鍛冶宗近、裏に稲荷明神の氏神が鍛えた刀だから小狐の銘が刻まれた。
童子はこの刀を叢雲に例えて賞賛し、私こそ稲荷明神の氏神だと言い残して雲に乗って去っていったという。

謡曲「小鍛冶」のため、この伝説が一番有名な説になっている。
とはいえこの話はあくまで作り話である。(宗近自体は実在した人物)

白狐

909年菅原道真の祟りで雷が多かったとされる、宮中に現れた白狐がもたらしたという話もある。
さらに1370年8月15日、前関白 九条経教の頭上に雷が落ちたが小狐で打ち払ったという話が残っている。

その後また行方不明になり、建仁寺の大統院に一端はあったが紛失された、越前国に流れたなど色々噂される。
徳川八代将軍吉宗の時代に越前の春日明神社にて二尺二分余りの鞘に宗近銘「小狐丸影」と銘打たれたものが見つかったという。
ところが、影というのは影打ちを意味しているらしい。

影打ちとは、るろうに剣心でも出てた・・・依頼された刀を打つとき二本鍛えて出来の良いほうを渡すってやつです。
つまり本物の小狐丸じゃないんですね。

さらに普通は影打ちに銘を打つことはないので、まったく関係のない刀かもしれません。

他にもあちこちで小狐丸と称される刀があるそうだが、どれが本物かはわかっていない。
大和の石上神宮にも小狐丸と呼ばれる刀があるらしいがこちらは櫃に入れた上で神符によって封印され拝見することは出来ない。
武田信玄が川中島の合戦の際に甲府市八幡宮に奉納した刀も小狐丸と称されているようだが、さすがに関係ないだろう。
ちなみにこれは三尺の大太刀である。

他にも未だに九条家に秘蔵されているとの説もある。

稲荷は稲を司る穀物神であり、雷は稲妻とも呼ばれるように密接な関係がある。

小狐丸は稲荷の力を宿した刀のようなので、雷の力を有していてもおかしくはない・・・かな?