九尾の狐

文献によって金毛白面九尾の狐、白面金毛九尾の狐、金毛九尾の狐、三国伝来金毛玉面九尾などともされる。

尾裂狐の一種、単に九尾、九尾の妖狐とも。
つまり・・・もなにも読んで字の如く、狐の妖怪である。
数多の狐の妖怪の中でもトップに位置する大妖怪、それが九尾である。

九尾の狐についての最初の記述は、中国の地理書『山海経』と見られている。

有獣焉、其状如狐而九尾、其音如嬰児、能食人。食者不蠱。

訳すと、獣あり、その姿は狐の如く尾は九本、その音は赤子の如し。
よく 人を食う。これを食った者は邪気を寄せ付けない。

なんで九尾の狐を食べたときの効能まで載ってるんでしょうか?
あの国は本当に何でも喰うな・・・

基本的に邪悪なものとして扱われているが、周書や太平広記などの一部では瑞獣として扱われることもあり、中国の史書で瑞獣として現れたという伝承がしばしば出てくる。
天界より遣わされた神獣であり、天下泰平の吉兆であり、幸福をもたらす象徴として描かれる。
一説では、万単位の年月を経た狐が変化するともいわれる。

主な伝承

妲己

紀元前11世紀頃、中国古代王朝殷の最後の王である帝辛(紂王)の后、妲己の魂魄を滅ぼし彼女に成りすまし、帝辛を篭絡して炮烙ほうらくなどの処刑方法を 考え、妊婦の腹を裂いて胎児の性別を当てる遊び、酒池肉林など享楽と暴虐の限りを尽くし暴政を敷いた。

その後、周の武王率いる軍勢により捕らえられ斬首に処されたが、どうやっても首を斬ることができなかった。
このとき太公望が照魔鏡を取り出して妲己にかざすと、正体を現して逃亡しようとしたが、太公望が宝剣を投げつけると、その体は三つに飛散したといわれている。

以上が大筋ではあるが、本来は悪政を敷いた権力者が打倒されたというだけの話なのだが、全相平話の一節「武王伐紂平話」の中で妲己が妖狐伝説と結び付けられ、狐の妖怪とされた。

その後、中国の小説である封神演義で千年狐狸精として扱われ、前述のおおよそのイメージが出来上がった。

なお、この時点では九尾とはされていない。
妲己が九尾の狐になったのは日本に入ってからである。

華陽

時が流れ天竺の摩伽多国で、斑足太子は華陽夫人なる美女を愛し、女の言うままに乱行、非道を行った。

時には千人の首を刎ねさせたりもしたという。

ある日、太子が一匹の狐が庭園で寝ているのを見て弓を射た。
すると翌日から華陽夫人が、頭の怪我がもとで寝込んでしまった。
そして診察した医者が、夫人が正体を見破り、杖で夫人を打ち据えたところ、たちまち夫人は正体を現わして、北の空へ飛び去ったという。

この話は後世の物のようで、最初は斑足太子が塚の神に千の首を捧げ大王になろうとし、結局改心するという話である。
芝居で玉藻前が以前は塚の神として千の首を捧げさせようとしたという逸話が出る、日本に入っての後付けである。

褒姒

紀元前770年頃に、周(西周)の幽王の后に褒姒ほうじという美女がいた。
まったく笑わない褒姒の笑顔を見たいがために、高級な絹を集め裂いたり、有事でもないのに烽火を上げ諸侯を集めるなどを繰り返した。

そのうち幽王は見限られ、いよいよ有事が起きた際に諸侯は集まらず、幽王はその命を落とすことになった。

褒姒に関しては、捕虜になったとも殺されたともされるが、はっきりとはしていない。
一説では狐に化けて逃げたとされる。

なおこの後、周は国力が弱まり他国の侵攻を受け、遷都を行っている。遷都前を西周、遷都後を東周と呼んで区別することもある。

実際は無能な王の逸話だったのだが、日本に入った際に褒姒は九尾の狐の化身とされるようになった。

玉藻前

753年、若藻という16、7歳の少女に化け、10回目の遣唐使船にいつのまにか乗り込んでいた。(9回目の遣唐使という説も)。
司馬元修の娘、若藻と名乗り、日本見物のため忍びこんだという。博多に上陸すると、たちまちにして姿が消えていた。

1113年頃、坂部行綱という禁裏北面の武士が藻女みずくめという捨て子を拾い、大切に育てた。
それから17年後、坂部夫婦に大切に育てられた藻女は宮中に仕えた。

ある日、皇后に皇子誕生という祝宴の夜のこと、風によって灯火が消えてしまった。
暗闇の中で、藻女の体から光が発せられ周囲を明るく照らしたという。

これが帝の耳に入り、玉の一字を賜り玉藻前と改名。

次第に鳥羽上皇に寵愛され、関係を持つようになる。

それからしばらくして鳥羽上皇は病気にかかり、陰陽師安倍泰親(安倍泰成とも)により その原因が玉藻前であると発覚し、玉藻前は九尾の狐の正体を現し逃亡した。

 それから何年か経ち、下野国・那須に現れ女子供や旅人を喰い殺すという報告が入り、鳥羽上皇は九尾の狐の討伐を命令。

軍が派遣され、三浦介義明と上総介広常の2人が九尾を射抜き仕留めることに成功するが、九尾は石と化し邪気を発し害をなした。
これが殺生石である。

その後、僧侶たちが殺生石を静め様と挑んだが、みな失敗に終わり。
1385年8月13日玄翁和尚によって、ようやく殺生石は破壊され各地へと飛散したという。

石を砕く金槌を玄翁と呼ぶのはこれに由来する。

 

以上が主だった伝承である。
中国ではたまに出る妖怪や瑞獣で、現在のイメージは・・・ほとんど日本の創作であった。

日本に入り玉藻前の伝承と結びつき、歌舞伎や人形浄瑠璃の題材として取り上げられ一般に広まったようだ。

その後も、前述の中国やインドでの逸話も九尾の仕業とされ、時に全て同一の個体という考えも生まれた。

つまり妲己に成り済まし、殷を滅ぼし、摩伽多国、周を傾け、日本にて討たれた大妖怪とされたのだ。

なおこの際に渡り歩いたのは、殷→摩伽多国→周→日本とされることもあるが、周の幽王の時代は前770年、摩伽多国が興ったのは前6世紀頃で、時期が合わない。

なのでか、中国が重なるためなのか芝居では周の部分は飛ばされることも多い。

まあ玉藻前と対峙する陰陽師が子孫の安倍泰成ではなく、時期的に死んでるはずの安倍晴明だったりすることもあるから気にするほどでもないか。

やってることは権力者に取り入り、国を滅ぼすのが主で直接的な能力は語られていないが、創作作品ではかなり好き勝手に設定されている。

コミック「うしおととら」:ラスボス。原初の混沌から陰と陽の気が分離して世界が形成されたとき、わだかまった陰の気より生まれた邪悪の化身。
邪知暴虐を好む巨大な白き大狐、白面の者である。中国やインドで破壊の限りを尽くした末に、家族の仇と、ある刀匠が妹が身を投げた炉からとれた鉄を鍛え、自身は柄に変化した妖槍に追われ日本に逃れ、日本の妖怪と人間を相手取り戦争を行い、ようやく封じられる。

口からは全てを焼き尽くす火炎を吐き出し、巨大な尾は一振りで無数の妖を塵芥のように粉砕する。

その九本の尾は一本一本が違った能力や特性を持ち、炎や嵐に変えたり、自立行動可能な妖怪として本体から離れて行動する事も可能。
妖怪や人間が抱く恐怖を取り込み力に変えることで、無限に強くなっていく。

その他、ゲゲゲの鬼太郎、結界師、GS美神、地獄先生ぬ〜べ〜、上海妖魔鬼怪、NARUTO -ナルト-など近代の作品だけでも枚挙に暇がない。

調べてたときに見つけた作品に、あやかしびと。

ヒロインとその母が九尾の狐。またその敵も九尾の狐である。

最終決戦ではただの人間だった主人公の師、九鬼に取り込まれ九尾の鬼と化し、主人公は妖怪を殺すための武器から発生した付喪神の集合体という先祖の力を解放し、周囲の金属や武器、霊刀や兵器を集結させ相手と同じ姿・・・メカ九尾と化して戦うというもの・・・しかも動画で展開される。
動画は流れてたので、興味があるなら捜せ。

しかしなんという設定であろうか・・・

九尾の狐・・・下手なドラゴンより強力に設定される大妖怪であった。