目一つの鬼

本来はまひとつと読むのだが、ここでは現代的にめひとつと読ませていただく。

現在判明している中で、日本の文献に鬼という字が初めて使われたのは、出雲国風土記である。
これは大原郡阿用郷おおはらのこおりあよのさとの名称起源を説いた文である。

昔或人、此処に山田をつくりてりき。
その時、目一つの鬼来りて、佃る人のをのこを食ひき。
その時、男の父母、竹原の中に隠りて居りし時に、竹の葉あよげり。
その時、食はるる男、動動あよあよといひき。
故、阿欲といふ。

訳すと、昔この地で山畑を開墾していた人がいたが、目一つの鬼が来てその人の子を喰らった。
両親は竹薮に身を潜める中、竹の葉が揺れ、子は呻き声を上げる。
その音があよであり、この地は阿欲と呼ばれるようになった。

ちなみに現在の島根県大原郡大東町阿用だとされる。

ほとんど詳しい経緯が語られていない、目一つの鬼が何者かその姿すらも記述がないのだ。
目一つの鬼というのだから一つ目の鬼なのだろうが、ギリシャ神話のサイクロプスのようにもとより一つ目なのか、片目が潰れていたのかも定かではない。

またこの地はたたら製鉄で有名であり、目一つの鬼は鍛冶師のことで農民との諍いを書いたものだという説もある。