占事略决せんじりゃっけつ

占事略決とも。
原書は毛筆なので、決なのかそれとも决なのか判別できないので意見が分かれている。
取り敢えず翻訳者任せになっているようで、現在は决の方が多数派のようだ。
ただ創作作品で使われる際は決の方が多いように思われる。
統計取ったわけじゃないから断言は出来んが・・・

安倍晴明が書いたとされる物は数多くあるが、そのほとんどが晴明に肖った物である。
そんな中の数少ない、あるいは唯一本人が書いた可能性が高いとされるのがこの占事略决である。

天元2年(979年)に書かれたとみられる。
自筆の物はかなり早くに失われたようだが、写本は何冊か完全な形で残っており、当時の事を知る貴重な資料となっている。
また現代語訳もされており、現在でも入手可能である。

さてどんな物かというと・・・の前に、予備知識として陰陽術というのは当時の最先端の学問であり、今で言う国家公務員の仕事であった。
つまり一子相伝とかやってられないのである。

後進を育てないといけないのである。
人材育成万歳なのである。

さてさて安倍晴明が書いた可能性が高いというと、なにやら陰陽道の超絶な秘技でも記されているのかと思われるかもしれないが、別にそんなことはなかったぜ。

当時の陰陽道において必須とされた占いに六壬式という占いがある。

六壬式は漢代に発生して発展したものとみられるが、日本に入って独自のアレンジが加わっている。
とはいえその部分を覚える前に、オリジナルの方も勉強する必要があったようで、その教科書として黄帝金匱経こうていきんききょう神枢霊轄経しんすうりょうかちきょうというものを使っていたようだ。

占事略决はこの2冊を簡略に纏めたもので、陰陽寮の学生向きの初歩的な教科書だったのだ。

内容は36章からなり、前半部分は課式の作成、解読、用いるシンボルの象意などの総論的なもの。
後半は生死を占う法、生まれる子供の性別を占う法、天気や崇りの正体などの具体的な占例の記述からなる。

因みに六壬式自体は現代にも伝わっているが、現代のものと当時のものとでもかなり違いがあるようだ。