水虎すいこ

中国伝承の妖怪。向こうの発音ならシュイ・フーかな。

本草綱目に記されており、湖北省に出没したという。

江戸時代の妖怪絵師、鳥山石燕も本草綱目から引用された江戸時代の百科事典『和漢三才図会』からの記述を水虎の絵に記載している。
以下のものである。

水虎はかたち小児のごとし。甲は鯪鯉のごとく、膝頭虎の爪に似たり。もろこし涑水の辺にすみて、つねに沙の上に甲を曝すといへり。

体格は3〜4歳の子供のようで、鯪鯉せんざんこう*の 様に硬い鱗に覆われ矢も通さない。
普段は水中に潜み、虎の爪に似た膝頭だけを水上に浮かべている。

だから水虎か!!

性質はおとなしいが、ちょっかいを出すと噛みついてくる。
生け捕りにすることができれば、鼻を摘む事で使い走りにすることができるという。

何らかの水棲生物を妖怪視していたのかもしれない。

さてこれが日本に入ると随分と違った存在になります。

河童に似た妖怪として、あるいは河童そのものとされます。

河太郎、河郎かわろうとも呼ばれる水虎は河童と同一視されますが、一般に知られる河童よりも大柄でその性質 も凶暴で人を襲います。

中国では幼児サイズが日本に来ると大柄になりました・・・水が合ったということでしょうか?
随分と成長を遂げております。さらに凶暴になっています。

伝承としては河童の呼び名の一つとして、河童も水虎もほとんど区別されていないようですが、もうここでは大柄で凶暴な河童の上位種として位置付けてしまいましょう。

凶暴で人を襲う河童=水虎・・・もうこの認識でいいや!!

さてこの水虎、人を襲って命を奪う、誘拐する、深夜に人家に来て戸を叩いたり人を呼ぶなどの悪戯までします。
水虎除けとしては大角豆ささげを嫌うのでこれを持っている人には近づかない等の他に、麻殻を置く、舟に鎌を掛ける というものが伝わっている。

各地に伝わる伝承によって微妙にやらかすことが違うが、長崎県では年に一度、肥前島原では二度は人間を水中に引き込んで精血を吸って殺すのだとされている。

血を吸い霊魂を喰らった亡骸のみを返すのだ。

青森では子供を好んで襲い、水遊びをしている子供を水中に引き込み命を奪うという。

水虎に殺された場合、屍体は棺におさめたり葬ったりしてはいけない。
畑の中に草庵を作り、そのまま板に載せ、香花を供えないで腐るまで放置しておく。

こうすると亡骸が腐乱すると同時に、その人を襲った水虎の身体も腐乱して死に到るのだという。

この方法を発見できたのは、きっと死んだ人が嫌われ者か身寄りがない者だったのだろう。
じゃなきゃ弔うよね。

水虎は我が身が爛壊していく間ずっと屍体を置く草庵の周りを泣き巡る。
人にはその姿が見えない。ただ声だけが聞こえる。

声はすれども姿は見えずを地で行きます。
水虎は隠形の達人のようで、決してその姿を見ることは出来ないといいます。

水虎が姿を現すとき・・・それは水虎が死んだとき以外ありえないのです。

水虎を倒す方法は上記の方法しかないわけです・・・犠牲が出なければ倒せないわけですね。なかなか厄介な存在です。

さて・・・では途中で香花を供えたり棺に入れたりするとどうなるのでしょう?

香花を供えるとそれを持ち帰って食べ、水虎の身体は爛壊しなくなるそうです。途中で亡骸を棺に入れて葬った場合も、水虎は死に至らないのだと。

一説では水虎が人を襲う理由は、水虎が龍宮の眷属であり、自分の名誉を上げるためとされる。
また水虎は48匹の河童の親分であり、河童が人間に悪事を働くのも自分の地位を水虎に上げてもらうためとされる。

・・・おおっと!?すでに河童の上位種として設定されています。考えることは同じかーー!!

また近年では明治初期に北津軽郡木造町の実相寺の住職が、頻繁に川で起こる水難事故を河童の仕業として、河童に大明神としての神格を与え、男女の河童像を祀ることで祟りを鎮めるようにした。

水虎ではなく河童を神格化したものだが、すでに伝承にあった水虎の名を拝借して水虎様(しっこさま、せっこーさまとも)として祀った。

龍宮神の眷属の水の神で河童、もしくは河童の上役とされ、祀られている神像も河童の姿をしてお供え物も胡瓜を供える。

 

水難除けの神として地域住民の信仰を集め、旧暦の5、6月に子供たちが水難事故に遭わぬよう、胡瓜などを供え物として川へ流すのだ。