牧師・センター理事長 佐々木弘至

 
 救い主なるキリストの御名をほめたたえます。

ようこそ、静岡教会へ
 はじめまして、この度は、私どもの日本キリスト改革派静岡教会では、遅ればせながらホーム・ページを開設することが出来ますことをうれしく感謝を致します。私どもは、ホーム・ページを通して、聖書から現代人へのメッセージや、教会内外の情報や、現代社会の様々な問題に対する意見などを発信してまいりたいと願っております。又、皆様方からの、キリスト教や、信仰について、あるいは皆様方のご意見やご質問をお受けすることを通して、神の恵みと祝福をお分かちすることが出来るならば幸いと思っています。
 はじめに、私どもの教会をご紹介させていただきます。
 ようこそ、静岡教会へ
 まず、私どもの「改革派教会」という名称は教派名です。これは、ヨーロッパの歴史の中で、凡そ14〜16世紀に起った、文明の二大潮流に起源を持ちます。一つは、ルネッサンス(ギリシャ・ローマの古典文化を手本とする文芸復興運動)と呼ばれる大きな文化的な変革の潮流です。
  そして、これとおよそ期を一にして起った、リフォーメーションと呼ばれる宗教改革運動(聖書と原始教会を手本とする信仰復興運動)の潮流です。
  この二大潮流は、お互いに絡み合いながら、全ヨーロッパ世界の文化と宗教に大きな変革のうねりを起したのでした。

  1517年、ドイツのマルティン・ルーテルが、中世以来のローマ・カトリック教会の教義や礼拝、教会制度などのキリスト教全体が、その源泉であるはずの聖書の教えからそれていることに疑問を投げかけました。彼はそれ以後、宗教改革ののろしをあげました。改革はこのことに端を発し、全ヨーロッパに広がりました。 

                                  (マルティン・ルーテル像)

 やがて改革の志半ばにして没したルーテルの後を受け、フランスの人文主義者であったジョン・カルヴィンは、この改革をより徹底して、組織的にも推進することにより、いわゆるプロテスタント・キリスト教の源流となりました。それ以後、ルーテルの影響を強く受けた教会は「ルーテル教会」を名乗り、カルヴィンの影響を受けた教会は「改革派教会」や「長老教会」と呼ばれました。私どもの教会は、このプロテスタントの源流である「改革派」の流れを汲む教会として「日本キリスト改革派静岡教会」と言います。

(ジョン・カルヴィン像)
ようこそ、静岡教会へ
   次いで、私どもの教会が日本において誕生した経緯について簡単にご紹介します。
 1859年アメリカ長老教会の宣教医師J・ヘボン師(ヘボン式ローマ字の発明で知られています)、L・ブラウン師、B・シモンズ師、F・フルベッキ師及び1861年にジェームス・パラ師らが横浜に来日しました。そうして日本に「改革派教会」又は「長老教会」が創立されました。この流れを汲む教会が「日本キリスト教会」として組織され、明治、大正、昭和の時代を生き抜きました。
 ところが、第二次世界大戦前に国家政策によって他の教会とともに「日本キリスト教団」として統合されました。
 そして1946年(敗戦の翌年)に、もとのとおり、教団を離れ「日本キリスト改革派教会」として創立されるに至りました。

ようこそ、静岡教会へ
 私どもの「日本キリスト改革派静岡教会」は、1954年に青山輝徳牧師の宣教によって設立されました。今年で設立50周年を迎えることになった次第です。牧師は初代青山牧師に次いで、二代目が乾順牧師、三代目牧師として1998年に私が赴任して今日に至りました。

私は、1940年9月2日長野県佐久市の生まれです。26歳で受洗し、34歳まで商社の経理、小児科医院事務長を歴任しました。34歳で神戸改革派神学校に入り、38歳で牧師となり、岐阜県美濃加茂市の教会の牧師として12年、愛知県津島市の教会の牧師として8年の歴任ののち、現在、静岡教会の牧師として説教・牧会に励んでいます。又、教会の運営します「静岡改革派キリスト教盲人伝道センター」(点字図書館)の理事長をも兼務しております。
 どうぞ宜しくお願いいたします。