翌朝、起き出そうとする八戒を悟浄は止めた。
「まだ本調子じゃねぇったの、おまえだぜ?寝てろよ。」
「でも……。塾もあるし、悟浄だって昨日仕事途中で帰ってきちゃったじゃないですか。今日はもう、起きないと。」
「いーから。ガキどものとこには、しばらく休みだって言ってあるから安心して寝てろ」
なおも食い下がろうとする八戒の額をピシっと指で弾くと、手をひらひらさせて部屋を出て行きがてら言った。
「朝メシ、昨日とおんなじヤツでいい?」
いやだなんて言えるはずもなく、八戒は抵抗するのを諦めて再び床についた。

あの、よくわからないものを二人でつつきながら、悟浄は
「後で買い出しに行ってくる」
と言って、また八戒を驚かせた。
「買い出しって、料理の材料ですか?」
「おう。少しは元気の出るもん喰ってもらわねぇとな。」
「悟浄にはムリですって。料理はおろか、買い物すらアヤしいですよ。まず、どこにお店があるかわかってるんですか?」
根本的なことを突っ込まれて、悟浄は言葉に詰まる。
「 ── なんとかなるって。」
「 ── わかりました。メモしますから、書くものとってください。」
一抹の不安を覚えながらも、懇切丁寧にメモしながら、八戒はいろいろ説明し始めた。
「よしっ。じゃ、ちょっと行ってくらあ。いいか、俺が戻るまでおとなしく寝てろよ。」 にやりと笑って出かける悟浄を笑顔で送り出した後、八戒はふと真顔に戻って、その姿が消えて行った先をぼんやりと見ていた。


悟浄は買い出しの前に、まず寺院の裏の仕事場へ向かった。まだ天気は一向に回復する気配すら見せておらず、いつまでも続くぐずぐずした空模様をいまいましそうに悟浄は眺めた。
天気が良けりゃあ、もう少しあいつの気も晴れるのに。
八戒の不調の原因にさっぱり心当たりのない悟浄は、そんな自分の不甲斐なさにかなり腹を立てており、事務所の扉を開けるのも足で乱暴に蹴り開けるほどだった。

「静かに入ってこれんのか。」
と、三蔵が冷たく言い放つ。
「朝から珍しいじゃん。お勤めはどーしたんだ?」
「ばかか。もうそんな時刻じゃないことぐらい分からんのか。」
無言で肩をすくめる悟浄に、三蔵は少し声の調子を変えて尋ねた。
「八戒の様子は?」

少し口ごもりながら悟浄は答える。
「ああ、まあ、原因はよくわからねぇけど、あんまりよくない。
── つーワケで、ワリィけど俺、しばらく休むわ。」
あまり悪いとは思っていないこと丸見えの態度で悟浄はそう宣言した。
「何かあったら悟空に一人でやらせろよ。いつもウチでタダ飯喰らってんだ。そのくらいしてもバチ当たらんだろうって伝えといて。」
「ふん、勝手にしろ。」
そう言い捨てて、三蔵は奥へと消えた。



その日の夕方、ばたばたとけたたましい足音と共に、呼び鈴も鳴らさず悟空は駆けこんできた。そのあまりの様子に悟浄と八戒が呆気にとられているのにも関わらず、悟空は八戒の枕許でハアハア息をつぎながら叫んだ。
「八戒が倒れたって聞いて、俺びっくりして ── 。なぁ大丈夫なのか?」
「ええ。まあ、そんな大袈裟にするほどのことじゃあないんですけどね。」
本気で心配している悟空ににこにこ笑いかけて八戒は安心させようとした。が、悟空は納得いかなかったらしい。

「だって、この前はあんなに元気そうだったのにって、俺騙されてんのかと思ったよ。
全然誰も教えてくれなくって、俺だけ知らなくってさあ ── 。」
思い出して、また腹が立ってきたらしく、ぷーっとむくれ始めた悟空の頭を、悟浄は後ろから殴りつけた。

「おいサル。うるせぇんだよ。見舞いの仕方ぐらい勉強してから出直してこい!」
「痛ってぇよ!ブツことないじゃんか!」
例によって例の如くいつもの口げんかが始まる。毎度のことではあったが、今のこの体調で耳元で掴みあいをやられることを考え、八戒は少し辟易とした。

目配せして悟浄にうるさいと訴えると、それに気がついて、悟浄は悟空の首根っこを掴んでずるずると部屋の外へ連れ出して行く。
せっかく心配して来てくれたのに、悟空を連れて行けなんて言ってないのに。そう考えながらも、遠ざかって行く罵り合いに八戒は苦笑を漏らした。


悟空の首根っこを掴んだまま、悟浄は離れの教場まで力任せに引っ張っていった。
「痛ぇ。痛ぇよ、離せってば!」
わめく悟空をまるきり無視したまま、悟浄は後ろ手で扉を閉め
「聞きてぇことがあるんだけどよぅ。」
と、切り出した。

「それ、人にものを聞く態度じゃない、絶対!」
「おまえ、おとついの夕方、ウチ来たんだって?」
「 ── それが?」
まだ虫の居所が納まらないような口ぶりで、悟空はそっけなく答えた。
「八戒さぁ、おとついの夜からどうも変なんだよな。 ── っつうか、夕方俺が帰ってき
た頃から」
その含みのある言い方を理解できずに、きょとんと悟空が見つめてくる。
もってまわったような言い方じゃあ、こいつには通じねぇ。そんな今更なことを考えて悟浄は溜め息をついた。

「だーかーらー、お前が来てた時様子はどうだったって、聞いてるんだけど。」
ああ!と手をポンっと叩いて悟空は勇んで話し出そうとした。が、その途端、その時の話題が自分と三蔵のことに繋がっていることを思い出して、口を開けたままピタっと止まってしまう。
「おいサル。なにバカづらさげてんだよ。何だよ、おまえが八戒に何か言ったのか?」
強く詰問されて、渋々ながらとりあえず自分のことは棚にあげて悟空は話し始めた。
「だからさぁ、ちょっと聞きたいことがあって。……悟浄って八戒にどうやって結婚してもらったのかを聞こうとおもっ…。」

悟空の言葉に、悟浄はあんぐりと口を開け、くわえていた煙草を落としかけて慌てふためいた。悟空は言いかけのまま、相手の動揺した様子をビックリした顔で眺めた。
「ちょっ、ちょっと待て。なんだそりゃあ、お前っ」
知ってたのか?という言葉は口のなかに消える。
それが聞こえたかのように、悟空は
「知ってるよっ。」
と、さらりと答えた。
「ヒミツにすることないと思うんだけどな。おとついも八戒も慌ててたけどさあ。」
お前のお子様さ加減に合わせてやってただけだろう、と言いかけて、悟浄はふとその時の話題の核心に気がついた。
─── 三蔵、か。

昔、この手に抱いた男が、その還るべきところに還っていく。

─── ようやく。

押し黙ってしまった悟浄に怪訝そうな顔をしながら、悟空は更に言い募る。
「でさ、最初八戒も慌ててたんだけど、結局いろいろ教えてくれてさ。」
「いろいろってなんだよ。」
「別にいいじゃん、それは。けど、一緒に暮らそうっていうのが、なんでプロポーズになるのかわかんないって言ったら八戒笑ってさあ。」
いきなり口ごもる悟空に、悟浄は、で?と続きを促した。
「んー、うまく言えないんだけど、八戒ってたまに笑ってんだけどナンかコワい時ってあるじゃん。そんな顔で笑ってたような気が、する。」

八戒の側に行くと言ってきかない悟空に、少し眠らせた方がいいからと無理やり帰らせた後、悟浄は一人、夜の気配が漂ってきはじめた教場で、長い間考えこんでいた。
八戒の調子がおかしくなったのは、悟空のばかがいろいろほじくりかえしたからだ。
そう考えて、悟浄は気がついた。


── でも、何故だ?







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