鬱蒼とした森の中を、ジープが疾走していく。
深い深い森の中、以前は行きかう隊商で賑わっていたであろう街道にも、このところの治安の悪さから動くものはそのジープ一台しか存在していない。
気怠るい惰眠を貪っていた街道は、いまはその一台がもたらす騒音で満ちていた。
「おかしいですねぇ。この辺りだと思うんですけど……。迷いましたかねぇ。」
「迷うって、お前……。一本道じゃねーか。」
のんびりとした口調には似合わないスピードで飛ばす八戒に、悟浄は溜め息を付きながら突っ込んだ。
「三蔵、もっかい地図見てもらえます?」
「何度見ても変わらん。この辺だ。」

しばらく前から何度か交わされた会話に飽き飽きした様子で、膝の上の地図に目も向けずに三蔵は素っ気なく返事をした。
「ねぇ。街、まだつかねーの?俺もう腹減って死にそー。」
「だから、今捜してんだろ!それに日が暮れるにはまだかなりあるぜ?お前の腹時計も当てになんねーな。あ、そっか!サルだから時計読めないんだな?」
力の抜けた不満の声を上げる悟空に、悟浄はにやにや笑いながらちょっかいを仕掛けた。
案の定、悟空はぷぅっとむくれて反撃に出る。ちょうど退屈してたのだろう、後部座席では今日何度目かの口喧嘩が起こり始めていた。

「おーまーえーらー。一体一日に何回喧嘩すりゃあ気がすむんだ!いーかげんにおとなしくしろ!」
三蔵に怒鳴られて肩をすくめた悟空がふっと真顔になって宙を振り仰いだ。
「八戒!ジープ止めて!」
キィーッとブレーキの音が森の中に響く。
「どうしました、悟空?」
「なんか遠くのほうで、ざわざわする音が聞こえる。」
「どっちだ?」
「ん ── っと、あ、あっち!」
と、悟空が指差した方向は一段と森が深くなっていて、街があるようにはとても思えなかっ
た。
「だあ!あんなほうに街があるわけねーじゃん。いい加減なことぬかすな、サル。」
悟浄は悟空の頭に肘を掛けて落胆するフリをする。
「でも、ここにいても仕方無いですし。行ってみましょう。」
八戒は助手席の三蔵に同意を求めるかのようにちらりと横を向くと、ジープの方向を変えた。


「 ─── 盆地か。」
しばらくジープを走らせると、急に視界が明るくなった。森がきれたのだ。
「こんな所に街があったとはな。」
俺の勝ち!と叫ぶ悟空の頭を押さえながら、悟浄はしぶしぶ言った。
「昼頃街道が分かれていたところで間違えたんですね。すみません。でも夕食には充分間に合いそうでよかったですね、悟空。」
悪びれた素振りもなく、八戒は悟空に笑いかけると、街に向かって強くアクセルを踏みつけた。


「おい、二人部屋なら空いてるってさ。どーする?」
カウンターに肘をつき宿屋の親爺と交渉していた悟浄が振り返って、そう尋ねた。
「どーもこーも、それしかないんだったらそれでいーじゃん。」
悟空はあっけらかんと無造作に答えて、三蔵にまとわりついた。
「三蔵。一緒の部屋な?いいだろ?」
「いやだ。お前この前すっげー寝言言ってただろ。それも喰いモンのことばっかり。俺の安眠妨害するヤツなんかとは一緒の部屋に寝ない。」
三蔵はすげなく拒否すると、悟空に背を向けた。
「だってさ。」
と、にやにや笑いながら、悟浄は悟空と三蔵の間に割りこんできて、その広い背中で三蔵を悟空の視界から遮った。
「俺も悟空と一緒の部屋は御免だな。はい、部屋割り決まり。」
三蔵は振り返りもせずに、すたすた歩いていく。
「いーだろ?」
三蔵の肩に肘を掛けて顔を覗き込むと、 悟浄はまたにやりと笑った。
「 ─── ふん、勝手にしろ。」
馴れ馴れしく触れてくる悟浄の腕をさりげなく振り払うと、三蔵は無表情を保ったままそう吐き捨てた。


「あれ?八戒は?」
煙草に火をつけながら、悟浄はきょろきょろ見回して言った。
「ちょっとジープ見て来るって、外に戻ってったけど?」
拗ねた響きをあからさまに匂わせて、悟空は答えた。
一体いつの間に?と悟浄はほんの少しいぶかしんで後ろを振り返ったが、もちろんそこに求める人影は見当たらなかった。




誰もいない廊下の陰で、八戒は壁に寄りかかって片手で顔を覆っていた。
三蔵の肩に肘を掛けて笑いかけた悟浄と三蔵の姿を見て、八戒はずきりと胸が痛むのを感じた。彼らの間にある暗黙の了解さえ見つけてしまう、自分の目聡さがこんな時はただ呪わしく思われる。
気がつきたくはなかったのに。八戒は止めていた息を無理やり吐き出した。


「お前さんたち、まつりを見にきたのかね?」
鍵を渡しながら、宿の親爺はこの目立つ四人組に興味深々の様子で声を掛けてきた。
「まつり?いや、初耳だけど。」
「夜のまつりだよ、知らないのかね?明日の夜やるんだよ、すごい賑わいだから見てっておくれよ。」
親爺は自慢気に語り始めたが、悟浄は途中でさえぎった。
「あ ───。俺ら先を急ぐんだわ。見て行きたいのは、やまやまなんだけど。」
カン高い歓声が通りから響く。窓の外を子供たちが、気の早い仮装をして駆けていくのだ。
それをぼんやりと見ていた三蔵は、ハッとして窓に駆け寄った。
「おい、親爺。今子供たち変な格好をしていなかったか?」
「変な?ああ、そりゃまつりに出る見世物小屋で流行っている格好さ。ありゃあ一番人気
の小屋のマネかね?」
えんえんと続いていく宿の親爺の言葉を、三蔵はもはや聞いていなかった。通りの向こうに駆けていく子供たちの後ろ姿を、窓から乗り出して三蔵は見つめる。
「どーかしたのか?」
声を掛ける悟浄に三蔵は呟いた。
「 ─── 今のガキども、聖天教文の模様の旗を持っていた。
おい、親爺やっぱり明日の晩も厄介になることにした。いいな?」


日が落ちる頃、その見世物小屋の一座は派手な仮装行列で練り歩きながら街へやってきた。既にごったがえし始めている通りを、色とりどりの格好をした芸人達が更に賑やかに浮かれさせていく。
その目の覚めるような奇抜な衣装や、物珍しい動物達もさることながら、人々の一番の注目を集めたのは、変わった笛で妙に心に残る物悲しいような楽しいような不思議なメロディを奏でている、一人の青年だった。
いや、それは青年と呼ぶにはふさわしくなかったかも知れない。なぜならその人物は、きらきらした黒い髪と黒い瞳の類いまれな美貌の持ち主であるにも関わらず、男であるのか、女であるのかそれすらはっきりとしない、謎めいた微笑みと妖しい雰囲気をまとっていたからだ。

「男かねぇ」「女のひとかもよ」と、呆気に取られて見送る街の人々がそう声高に噂するのを見て、その青年は深く微笑った。
「皆様。御丁寧なお迎えまことにありがたく存じます。私どもは宵待からくり座と申します。どうぞお見知おりおきを。この街の栄えある夜のまつりに今年も参加させていただくことができ、一同心より感謝しております。明日の夜、まつりの始まりとともに中央広場にて、興行を行います。皆様お誘い合わせの上、是非お出でくださいますようお願い申し上げます。
── ああ。申し遅れました。私はこの一座の案内人を務めております、一永と申します。
では明日お会いできることを楽しみにして。」

鈴のような声で歌うように述べる一永という人物は、仰々しく時代がかったお辞儀をぐるりと四方にしてまた笛を吹き始める。
いや、笛を吹き始める前からそのメロディは聞こえていた。しかしそのことに気がついたものは、その通りの中には誰一人いないようだった。
高く、低くその旋律が鳴り響く。まるで街中から音楽が沸き立ってくるかのように。


「悟浄、聞きました?例の一座がやってきましたよ。」
「ああ、聞いた、聞いた。直接見たかったとかなんとか、今先刻宿の親爺がべらべらしゃべりにきてよー。」
買い出しに街に出ていた八戒は悟浄に宵待座の到着の様子を事細かに説明した。
「大通りで僕、偶然行き合ったんですよ。まあ、店から出たときにはもう既に人だかりがしてて、案内人と名乗った人物しか見えなかったですけど。」
一呼吸おいて、八戒は続けた。
「 ── なんか、かなり妖しい感じがしましたよ。」
「へぇ。妖しいってどんなふうに?」
興味を持ったらしい悟浄が八戒の方に身を乗り出して続きを促した。
「どんなって言われても、うまく説明できないですけど……。なんか人間らしくない雰囲気を持っているというか。」
「妖怪ってことか?」
「いえ、そういうふうでもないです。もちろん、紅孩児の刺客って感じでもなかったですし。 ─── ただ言うなれば、この世ならぬものって感じですか。」
「うへぇ。止めろよ、そーゆー怖い話。おまえがいうとマジ洒落になんねーって。」
本気でイヤそうな顔をする悟浄に八戒はくすくす笑った。
「別に洒落なんて言ってませんよ。ただの僕の感想に過ぎませんし。それに怖い感じはなかったですよ。怖いくらいに綺麗なひとだとは思いましたけど。」
「そっか。おもしろそーだな。そーゆーことなら会ってみたいぜ、俺も。」
何がそういうことなのか、悟浄は目を輝かせて言った。
「見境ないですねぇ、悟浄。」
八戒の呆れた口調を悟浄は聞こえないフリをして続けた。
「興行は明日の夜って言ったよな。じゃあ今日中にちょっと様子を見に行ってみないか?」
「そうですね。経文のこともあるし、敵かも知れないのにいきなり相手の手の内に入るのもなんですしね。いいですよ、行きましょう。」
「悟空には秘密にしとこーぜ。あいつがついてくるとうるせーし、まつりに目が眩んで、偵察どころじゃなくなるだろーしな。三蔵にうまいこと言って見張っててもらおうぜ。」 悟浄は自分こそまつりに心が飛んでいるようだ。
「悟浄こそ浮かれてるの、まるバレですよ。」
そういって、八戒はまた楽しそうに笑った。




悟浄と八戒は黄昏に包まれた街の中を、人の波をかきわけながら進んでいた。
空は既に夜を迎えようとしているのに、地上はまるで昼のような明るさと賑わいで満ちており、人々は頭上に降りてくる闇に気づく素振りもなく笑いさざめいていた。
「すっげぇ人だな。まつりは明日からなんだろ?今日でこんなじゃあ明日が思いやられるぜ。」
ブツブツ文句を言いながら広場へ向かう悟浄の顔には、その口調とは裏腹にかなり楽しんでいる表情が浮かんでいた。
「本当にすごいですね。先刻はまだ人にぶつからずに真っ直ぐ歩けたんですけどねぇ。」 のんびり答える八戒の目の前を仮装に身を包んだ子供達の集団が駆け抜けていく。八戒がそれに気を取られた一瞬で、悟浄との間に人の群れがどっとなだれ込んできた。
「うわっ!八戒どこだ?」
「悟浄!ここです。」

そう答えて差し出された八戒の手を、悟浄はぎゅっと掴んだ。
「これ、一回離れると、絶対ぇはぐれちまうな。」
そう言って雑踏を振り仰ぐ悟浄の横顔を八戒はちらりと窺うと、握られた自分の手に瞳を落とした。

気づかれないように、そっと息をつく。
これだけ人込みにまぎれていれば、僕の鼓動の音は悟浄に聞かれなくて済む。
いや、聞かれたとしても、それが何を意味するかなんてこと、あなたはこれっぽっちも気づきはしないのだろうけど。
「さあ、行きましょう。」
何も知らない隣の男ににこりと笑うと、八戒はつながれた手を握り返して歩き出した。


「中央広場ってのはここか?」
「そのようですね。しかし大通りには人が溢れているのに、なんか閑散としていますね。」
どこから湧いてきたのかと思うほどの人込みの中をようやくの思いで抜けて辿りついたそこは、かなり広い場所であるにもかかわらず、人影はほとんど見当たらなかった。
悟浄は足を止めると、狐につままれたように怪訝そうな顔をした。
「 ── まあ、ひとっこひとりいないわけじゃないし、立入禁止ってわけでもなさそうだ
し。まあ、いいか。」
何か釈然としない気配を悟浄は感じながらも、それには気づかないフリをして足を進めようとした。
「そうですか?僕にはこの取り繕った感じがなんかとても……。悟浄はイヤな感じがしませんか?」
イヤといいつつ八戒は平然とした顔のまま、隣に立つ悟浄の顔を覗き込んだ。
「 ─── じゃあ、どうする?行くのヤメるか?」
「まさか。ここまできてただ帰るなんて、それこそイヤですよ。ああ、あそこの裏手から入れそうですね。さあ、行きましょうか。」
ナンか振り回されてる気がする。そう悟浄は内心で呟いた。が、それは懸命にも口に出さずに、胸のうちだけに留めて置くだけにしておいた。


「あのー、すみません。誰かいませんか?」
ビロードのような肌触りの天幕の入口を持ち上げて、八戒は気が抜けるほどさわやかな声で、暗闇に向けて声を上げた。
「ちょっ、八戒!何言ってんだよ。誰かに見咎められたら困るだろ。」
「え?でも、この暗闇の中に無防備に入っていくほうのが、よっぽど困ることになりませんか?」
「いや、そうだけどさ。」
八戒が指摘した通り、その天幕の中は明かり一つない完全な闇の世界であった。それは明日から興行を始める見世物小屋の設営としてはかなり異常な事態であるように思われた。
天幕が何重かになっていて、自分達のように物見高い客に見られないために用心しているのかと悟浄は考えたが、その闇はあまりに深く何かに遮られている様子はまるで感じられなかった。
「 ─── 返事がありませんね。さて、どうしますか悟浄?」
「どうって言われても……。」
肩をすくめる八戒に悟浄は曖昧な返事をした。そして何気なく後ろを振り返って、ギョッ
とした。掲げたままの天幕の向こうに見えていたはずの明るい街並が消え、そこには自分達の前に広がるのと同じ深い闇が広がっていたのだ。
「八戒!」
低く叫ぶと、悟浄は隣に立っていた八戒の腕を強く掴んで引き寄せた。
「バラバラになったらヤベェな。離れるなよ。」
八戒の耳元に、そうこっそりと悟浄は囁いて顔を上げると、再び息を呑んだ。
闇しかなかったそこには、いつのまにかぼんやりと薄明るい光がふわふわと浮かび、耳慣れない、しかしどこか胸をざわめかせる旋律が幽かに響いていた。
「この音楽、先刻の行列で聞いたのと同じのですよ。」
八戒も声をひそめて悟浄の耳に囁く。

「困りますねぇ、お客様方。」
ふいに光の中に人影が現れて、笑いを含んだ澄んだ声で八戒と悟浄を咎めた。
闇に溶けこむ黒い服の所為か、それは白い顔と白い手しかないように見えた。しかし悟浄も八戒も既に何か起こる予感に身構えていたので、さして驚きもせず次の事態に備えていた。
「おや、あなたは先程の口上のときもお見掛けしましたよね。」
八戒の顔を見咎めて、その白い顔はふわりと笑った。
「おまえが言ってたヤツってこれか?」
と、小さく尋ねる悟浄に八戒が頷くと同時に、その人物は片手を胸に当てて優雅に一礼した。それが身体を動かす度に、どこからか鈴のようなちりんという音が聞こえる。
「これは、これは。御挨拶が遅れました。私はこの一座の案内人を務めまする一永と申します。以後、お身知りおきを。
── しかし、興行は明日からでございます。本日はお見せ出来るようなものは何もござ
いませぬ。どうか、お引き取りくださいませ。」

妖艶な笑みを浮かべて言い募る一永の深い深い黒い瞳に、何故か悟浄は背中がゾクリとするものを感じ、目を見開いた。
「それはそうと、街に入ってからそんなに時間が経っていないのに、こんな大きな天幕を張ることができるなんてすごいですねぇ。」
八戒はその場に立ちこめる妖しい雰囲気に気がつかない顔をして、そう尋ねた。
「ええ。私どもの見世物はからくりが主でしてね。こんなことは朝飯前なんですよ。」
その言葉が終わる前に、一永の身体がふわりと宙に舞い上がった。
「さあ、お引き取りくださいませ。その代わりに明日の特等席に御招待いたしますから。」
柔らかな、しかし有無を言わせぬその口調に悟浄と八戒は目を見合わせて、とりあえず今日のところはいったん引き上げようと示し合わせた。
「わかった。すまなかったな、邪魔をして。明日は楽しみにしてるからよ。」
くるりと一永に背を向けて悟浄は手をひらひらさせた。先程は闇が深く広がっていたように見えたのに、今はビロードの天幕が床まで下がっていて、目の前を塞いでいるのがはっ
きり見て取れた。
「あの。」
一永は二人の背中に声をかけた。振り返る二人に笑顔のまま更に続けた。
「あなた、八戒さんとおっしゃるので? ─── とても美しい魂の形をしていますね、あなた。
久しぶりに見ましたよ、そんなひと。」
うすぼんやりとした光はいつのまにか消えていて、そこは真っ暗な世界となっていた。 そのなかで、一永の声が陰々と響いく。
「では、またお会いしましょう。」

天幕に入った最初から続いていたあの旋律が急に高まり、耳をつんざくような音に変わっ
た。たまらず二人は耳を塞いだが、それが突然聞こえなくなったと思う間もなく、自分達が天幕の外に出されていることに気がついた。
「なんだよ、あれ!」
悟浄は内心の動揺を押し隠すように、乱暴に吐き捨てた。そして、そのままぶつぶつ文句をつけ始める。
しかし八戒はそんな悟浄の言葉も耳に入らない様子で、今まで自分達が中にいた天幕をじっと見つめていた。
──── 美しい魂の形。僕のことをそう言うのなら、あれは闇の住人だ。
八戒は悟浄に気がつかれないように、そっと唇を噛んだ。







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