朝の街の物音がざわざわと遠くから響いてくる。
んっと小さく呻いて、二度寝をしていた八戒は深い眠りから覚醒しようとしていた。
急速に意識が目覚めて行くのと同時に、彼は自分の身体に回された温かいものがあることに気づく。

重い。
そう呟いて目を開いた八戒の前に広がったのは、至極健やかに眠りこんでいる悟浄の顔のアップだった。
わ、と一声上げそうになるのを堪えると、八戒は何故自分の身体に悟浄の腕が回され、かつお互い何も身に纏わずに唇が触れあわんばかりの距離で眠っていたのか、瞬間的に思い出しぱっと耳まで赤く染め上げた。
昨夜の情景がフラッシュバックの様に脳裏に流れ、八戒は居たたまれないほどの羞恥に襲われる。
この状況からとりあえず逃れようとして、八戒は自分をがっしりと抱き寄せる腕を解きにかかった。
「 ─── ん、なんだ八戒。あ?目ぇ覚めたのか。」
起き上がろうとする八戒を押し留めると、悟浄はようやく自分のものにすることにできた大事な存在をぎゅっと横抱きにして、首筋に顔を埋めた。
「な、何するんです。悟浄。」
「硬くならなくてもいいだろ。昨夜、あんなに燃えたのにさ。」
くすりと笑う悟浄に、八戒は再びかっと頬を染め身を捩った。
「もう、何言って、あっ」
悟浄の舌がつっと耳に触れてくる感触に八戒は思わず声を上げた。目をつぶった八戒の様子を満足そうに悟浄は眺めると、今度は深く接吻けてそっと組み敷いた。
何度も何度も深く角度を変えて奥に侵入してくるそのくちづけに、いつしか八戒も悟浄の背に腕を回して応えていた。
熱く混じり合う吐息が意識を白熱させ、二人を追いあげていく。
八戒の細い腰をしなる程強く抱きしめた悟浄は、そのまま性急に自分のものを八戒に押しつけた。昨夜一晩かけて愛されたそこは、悲鳴を上げながらもしなやかに悟浄を飲みこんでいく。
「あっ、んっ。ご、悟浄。やっ、ああっ!」
「大丈夫だから、力抜けって。」
昨夜の情事の名残の燠火に火が点くように八戒は反応していく。自分を受け入れようとする八戒に悟浄は胸が熱くなるのを感じていた。
悟浄は八戒を傷つけないようにゆっくりと内部を侵蝕し始めた。ゆるやかな腰の律動が八戒の脊髄を直接刺激する。
突き上げられる度に、八戒の唇からは甘やかな吐息が零れていく。
「あぁっ、あっ、ご、じょ……」
「八戒っ、もっと呼んで。」
「ご、んっ。ああっ!」
「もっとっ、八戒っ!」
「あ、あああっ」
至近距離で交わされる互いの熱い喘ぎ声が、求め合う身体を更に燃え上がらせていく。 白く熔けていく意識のなかで、彼らは互いの熱情に飲まれていった。


もう朝とはいえない程高くなった太陽が部屋の中に濃い影を落とす。
肩で息を整えていた八戒はふと枕許においてあった時計を眺めやった。その時計の針が昼近くを示しているのに気がついて、愕然とした顔をする。
「悟浄!もう、こんな時間ですよ。」
「あ?ああ、そうだな。」
「呑気に構えていないでくださいよ。今日は色々用事を片付けようと思っていたのに。」
「別にいーじゃん、そんなこと。」
「よくないですよ。 ─── 僕、シャワー浴びてきます。」
八戒はガバッと跳ね起きると、落ちていたシャツを羽織りながら歩き出そうとした。が、その途端バランスを崩してふらっと倒れそうになったのを、悟浄が慌てて手を伸ばし後ろから支えてやる。
「おい、歩けるか?俺が風呂いれてやろうか?」
そう問いかけながらも、悟浄は八戒が返事をするより早くその腰を抱きかかえた。
「わ、一人で歩けますってば。」
じたばたし始めた八戒を愛しそうに目を細めて眺めると、悟浄はそっと腕をゆるめてやった。
「ムりすんなよ?」
からかうような口調にひそむ自分を心配しているその声色に、八戒はそっと頬を赤らめた。そんな自分を気づかせないように八戒は憮然とした声を作った。
「いいですか、僕が出るまでに悟浄も起きる用意をしといてくださいよ。」
悟浄は全て見通した顔でくっくっと肩を揺らして笑い出した。


まだ濡れている髪をタオルで乾かしながら、八戒は悟浄の前に現れた。
「八戒?」
驚いた声を出した悟浄に八戒は怪訝そうな顔を向けた。
「どうかしましたか?」
「い、いや、何でも。 ──── おまえ、その格好で今日出掛けるのか?」
「?そうですけど。変ですか?」
「いや、変じゃない。よく似合ってるぜ。」
「まったく、もう。くだらないことばっかり。」
腕を組んで呆れた声を出す八戒が着ていたのは、袖ぐりと襟元のたっぷりとした白い開襟シャツだった。それ自体は何の変哲もない。ただ悟浄の目を引いたのは、白い首筋や鎖骨や二の腕に点々と散らばる、昨夜自分がつけた情事の跡だった。
お世辞にも淡く、とはいえないそれは道いく人の目を引くには充分だと思われたのだ。変な顔をする悟浄に八戒は肩をすくめて問いかけた。
「おなか空きましたね。何か軽いものでも作りますね。」
「おう。 ──── そうだ、おまえ用事あるって言ってたろ、あれ何だ?」
「昨日買いに行けなかったものを見にいって、御近所に挨拶に行って、家の大掃除をして。色々ありますよ。」
「そんな一遍にやらなくてもいーじゃんか。 ─── 足りないものって何があったっけ?」
ちろっと呆れたような目を向けた八戒に、悟浄は心のなかで舌を出すと協力的な態度に出た。
「洗濯機と、あと鏡も。」
「鏡?そんなもんいるのか?」
「洗面所見ませんでしたか?あそこ鏡が外されてるんですよ。割れてたのかなぁ。」
その言葉を聞いて、悟浄は成程と内心で頷いた。このキスマークの数々はちょうど八戒からは死角になっていて見えていないのだ。
教えてやろうか、と口を開きかけた悟浄ははたと思い返した。
気づいていないのならそれもいいか。目の保養になるし。
口の端に浮かんでくる笑みを押し殺しながら、悟浄は昼兼用の朝食をかきこんだ。



市場へ向かう往来は、街の中心部に行くほどにすれ違う人々が増えていく。その人々が自分を見る度驚いた顔をして振り返っていく様な気がして、八戒は悟浄に問いかけた。
「僕、なんか注目されているような気がするんですが、気の所為でしょうか?」
「そりゃ、おまえが滅多にないくらい別嬪だからだろ。振り返ってくヤツらいるのも当然だろうさ。」
「何バカ言ってるんです。そんな訳あるはずないでしょう。」
「おまえ、自分を解ってねーな。誰かれ構わずついていくんじゃねぇよ。」
「もう。誰がついてくんですか。」
ふふっと笑いを漏らした八戒にそっと寄り添って歩く悟浄の姿は誰が見ても恋人同士と解る雰囲気に包まれていた。そのこと自体が目を引いていたのだが、八戒につけられたキスマークが艶かしくて、日中の往来には相応しくなかったのが更に注目される結果になっていたことを八戒はまだ知らなかった。

「これ、配達してもらえますか?」
八戒は硝子屋で人の良さそうな店主に声をかけた。大きさを説明しながら色々話していた八戒はふと店の中に立てかけられている鏡を覗いた。
その中に映る自分の姿に目を疑い、彼にしては珍しく話の途中でぶつりと黙りこんだ。
そこに映るのは、昨夜の情事の跡。それに気づいて八戒は全身がかっと熱くなるのを感じた。と、同時に悟浄への怒りもふつふつと湧きあがってくる。ぼんやりしていた悟浄の腕を掴んで、八戒は店の隅に連れていった。
「悟浄!知ってたんですね。」
「は?何のこと?」
とぼける悟浄に八戒は拳を握りしめた。どおりで道行く人々が僕を振り返って行くはずだ。全然気づかずに呑気に歩いていた自分の姿を想像して、八戒はくらりと目眩がするのを感じた。
「あ、すみません。やっぱり配達してもらわなくても結構です。連れが持って帰るそうですから。」
「おい、何言ってんだよ。こんなのどうやって運ぶのさ。」
「バカみたいに目立って、カッコいいですよ、きっと。何ならついでに洗濯機も運んで貰おうかな。」
冷たく言い放つ八戒に、悟浄は自分がヘマをしたことに気づかずにはいられなかった。


「なあ、まだ怒ってんのかよ。」
大量な荷物と大きな鏡の板をどうにかして運んで家まで帰りついた悟浄は、流れ落ちる汗を拭きながら、帰る間中生返事しかしなかった恋人の顔を覗き込んだ。
「別に怒ってなんかいませんよ。呆れてるだけです。」
その冷たい言い方が怒ってる証拠じゃねぇか、と思いつつも悟浄は懸命にもそれを口に出すことは堪えた。
「 ─── 第一、恥ずかしいと言う言葉、知らないんですか?」
「うわ、きっつー。そんくらい知ってっけど、ホラ、何、見せびらかしたいなーとか思ってさ。」
悪びれない悟浄の言い草に八戒は再び目眩がするのを感じた。別に男同士だとかそういうことにタブーがある訳ではないし、他人にどう思われようと本当は構わない。
しかし、こういうことは二人だけの秘密にしておくものではという、所謂慎みというものは自分にだってあるのだ。こんな調子ではこの先が不安だ、と八戒は溜め息を漏らした。
疲労感を覚え、八戒は机に手をついた。その手を悟浄はそっと握りしめた。訝しげな八戒を目で制して、悟浄はその手を掲げると愛しそうにくちづけた。
「何するんですか?」
「聞くなよ、バカ。」
そう言って悟浄は掴んだままの八戒の手を引き寄せながら腰に腕を回した。
「やめてくださいよ。今日は色々と予定があるって先刻言っておいたじゃないですか。寝過ごした時点でもう狂っちゃってるのに。」
悟浄の手から逃れようとする八戒の耳元に、悟浄はそっと囁いた。
「新婚さんにこれ以上大事な用なんてあるわけねぇだろ?」
「し、新婚?」
めったに見れない動揺して口ごもる八戒の姿に悟浄は相好を崩した。
「テレることねぇだろ、本当なんだから。」
八戒が抗議の声を上げるより早く、悟浄はその唇を自分の口で塞いだ。舌が差し込まれてくる、その感触に八戒の身体が応えようとした時だった。ダンダンというドアをノックする大きな音と、二人を呼ぶ悟空の声が聞こえてきて、彼らを我に帰らせた。
「八戒ー?悟浄ー?おーい。住所、あってんのかなぁ。」
苦虫を噛み潰したような悟浄の腕から八戒はするりと抜け出すと、悟空を笑顔で招き入れた。
「こんにちわ、悟空。よく場所が解りましたね。」
「うん。三蔵に行き方教えてもらってきた。」
「ちょっと落ち着いたら一度そちらへ行こうかとも思ってたんですけど。」
「まだ、片付いてないんだろ?何か手伝うことあるかなって思ってさ。」
「いいんですか?じゃ、頼んじゃおうかな。 ──── 悟浄もぼけっとしてないで働いてくださいよ。」
悟浄はがっくりとしていた。せっかく二人きりの生活を楽しめると思ったのに、初日から邪魔が入るだなんて。自分が住所を知らせにいったのを棚にあげて、悟浄は溜め息をついた。
この先が不安だ。先刻八戒が抱いた思いを、悟浄は違う意味で呟いた。釈然としない顔の悟浄を八戒は全てお見通しの顔でくすりと笑った。


結局、午後中草むしりやら何だので費やした彼らが一息付いたのはもう夕食の頃合だった。
「手伝ってくれたお礼に悟空の好きなもの用意しましたから。」
「このサルに味覚なんてある訳あるわけねぇじゃん。食いモンならなんでもいいやつに気ぃ使うことねーのに。」
「うまいかそうでないかぐらい俺にだって解るに決まってんだろ。八戒の作ってくれたモンは何でもうめぇよ。」
「 ─── バカ。」
にこにこしながらこのやりとりを聞いていた八戒は、そういえば、と悟空に切り出した。
「悟空、今日泊まっていきますか?もう暗いし、道解りにくいでしょう?」
え?と悟空と悟浄はそれぞれ同時に違う声を上げた。
「本当!じゃ、泊まってく。」
「 ──── マジかよ。」


さんざん飲み食いした夜も更けた頃、悟空の分の寝床の用意をしていた八戒に当の本人はもじもじしながら声をかけた。
「あ、あの。俺、三蔵に泊まってくるって言ってこなかったんだ。だから、やっぱり帰ろうかな、なんて思って。」
「そうですか。帰り方解りますか?」
「うん、たぶん大丈夫。また遊びにくるね。じゃ、おやすみ!」
そう言ってにかっと笑うと悟空はその足で走り出して行った。
シャワーを浴びて風呂場から出てきた悟浄は、バタンとドアが閉じた音に気づいて居間の中を覗き込んだ。
「サルどーした?今、出てったのか。」
「やっぱり帰るんですって。」
「へー、そう。」
にやっと笑った悟浄に八戒は、そうそうと問いかける。

「先刻御近所に挨拶しに行った時、いいもの貰ったんですけど飲みますか?」
戸棚から八戒は高そうな酒瓶を取り出して悟浄に見せた。
「おっ、飲む飲む。」
悟空がいなくなってふいに静かになった室内に金色の液体を注ぐ音だけが響く。
「こーゆーのサルに出すの勿体ねぇもんなぁ。」
「まぁ、そうですね。」
くすりと笑いながら肯定した八戒は悟浄にグラスを手渡すと、自分のグラスを傾けてチンと音をさせた。
ごくりと八戒の喉が動く。その自然な仕草にも悟浄の目は奪われた。
「 ──── 八戒、ちょっと。
そう言って手招きする悟浄の横に八戒は歩み寄る。
「座れよ。」
座れって一体どこに?と一瞬考えこんだ隙をついて、悟浄は八戒を自分の膝にかけさせた。
「 ──── 悟浄?」
呆れた声を出す八戒に、悟浄は黙って、と制した。そしてグラスから酒を一口、口に含むと、そのまま八戒にキスをしてそれを喉の奥へ流しこんだ。
かぐわしい液体と共に舌が差し込まれてきて、八戒の中を柔らかく侵していく。
静けさのなかで、ごくりと音がした。
八戒の腕が悟浄の背中に回される。体温が熱い。互いの熱が更に身体の奥を煽っていく。
「 ──── 酔ってしまいそうです。」
八戒が呟いた。
「このくらいでおまえが酔うわけねぇだろ。」
「お酒にはね。」
ふふ、と笑いながら自分を見上げてくる瞳が熱く濡れているのを悟浄は見逃さなかった。
もう一度、口移しで飲ませてやる。
どくどくと混じりあった鼓動が響き渡った。
「いいぜ。朝まで酔わせてやるから。」
額をつけて笑い合う。
二人はそっと目を閉じて、再び唇を近づけていった。




付記:グローリーディズを発行した時におまけで差し上げたものです。なので、ちょっとサービスv