(2)伊丹郷町遺跡 ―――水琴窟、カマド、男柱などが出土

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             伊丹第一ホテル(当時)建設予定地での発掘調査。手前は、江戸時代の窯業に
             用いられた窯(かま)の跡(中央6丁目)。後方は、伊丹市役所の旧庁舎で、屋上には
             消防署員が監視にあたる望楼がそびえていた。市役所は昭和47年(1972)まで、
             この旧伊丹郷町の真ん中にあった。なお、伊丹第一ホテル(現伊丹シティホテル)が
             開業したのは、昭和62年(1987)だった。

           伊丹郷町遺跡というのは、有岡城の落城後、その旧城下町に興隆した酒造産業に関連する
         遺跡である。つまり、全く同じ場所(JR伊丹駅と阪急伊丹駅との間に位置する一帯)が、「城跡」
         (戦国時代)であり、また「郷町跡」(江戸時代)であるわけだ。
           しかも、前者は史上初の“総構え”(町ぐるみの城塞)、後者は日本一の“酒造産業都市”で
         あった。こうした超弩級(ちょうどきゅう)の、異なった経歴をもつ“まち”は、社会経済史的にみても
         きわめてユニークなのではないだろうか。
           この遺跡は一つにまとめて「有岡城跡・伊丹郷町遺跡」とも呼ばれるのであるが、その場所
         から発掘される遺構や遺物もまた、他に類例を見ぬほどユニークであった。

      左=三軒寺前プラザ用地の発掘現場。町の真ん中も、埋蔵文化財の“宝庫”だった(中央2丁目)。
      右=宮ノ前地区の発掘現場。酒蔵のカマド、井戸などが出土した。画面の奥に、伊丹アイフォニック
      ホールや、宮ノ前通りにあった当時の石橋家が見える(宮ノ前2丁目)

       宮ノ前地区で見つかった水琴窟(すいきんくつ)庭の土中に大きな甕(かめ)をうつぶせにして埋め、
       底にあけた小さな穴から水滴を落とすと、妙(たえ)なる音色が響きわたるという仕掛けだ。伊丹郷町
       は江戸時代に酒造業で栄えたのであるが、この水琴窟は、裕福だった町から出土する、優雅な埋蔵
       文化財といえよう。水琴窟に用いられる甕は、丹波焼や大谷焼(阿波)だという(宮ノ前2丁目)

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             酒造用のカマドは“超”巨大だった。伊丹アイフォニックホールの東側、宮ノ前通りに
             面した場所で見つかった。二つ並んだ半地下式で、釜を据える部分の直径は1.5b
             を超えていただろうか。伊丹郷町遺跡では、酒造用のカマドが幾つも出土しているが、
             この写真のカマドが最大だったように思う(宮ノ前1丁目)

       宮ノ前地区の発掘調査現場。左=現在、工芸センターなどのあるこの場所には、昭和50年代
       の半ば(1980年ごろ)まで、大手柄酒造の北蔵があった。後ろに、旧岡田家住宅の酒蔵が見える。
       右=再開発に伴う幹線道路(“新”飛行場線)の新設用地。後ろに、光明寺、柿衞(かきもり)文庫
       などが見える(宮ノ前2丁目)

         “新”飛行場線用地にも、昔、大きな酒蔵があった。柿衞文庫の北側にあたる、産業道路
         ぞいのこの発掘現場(空港線用地)でも、酒造用の大規模なカマドや井戸、搾(しぼ)り場の
         遺構などが出土。巨大な酒蔵があったことが実証された(宮ノ前2丁目)

         旧岡田家の酒蔵で、男柱(おとこばしら)の地下遺構が出土。平成10年(1998)、旧岡田家
         住宅(国指定重要文化財)の酒蔵が発掘され、見つかった。男柱というのは搾り場の中心をなす
         太い柱で、地下に埋設された部分が姿を現すのは珍しい。
           現在は、同酒蔵の発掘された場所で、男柱の上部やハネ棒、酒槽などを復元して、そのまま
         保存されている。伊丹郷町遺跡では特筆さるべき出土品といえよう(宮ノ前2丁目)

      小西酒造の南蔵跡も発掘された。伊丹郷町の南部、旧大坂道に面した所に位置する。井戸、カマド、
      男柱の穴、垂壷(たれつぼ)の跡などが並ぶ、酒蔵特有の発掘風景だった(伊丹4丁目)

       長寿蔵の東側一帯にも、3軒の酒蔵跡。城下町の巨大な「中堀」が見つかったのと同じ、前掲の
       産業道路ぞい。現在、ニトリ(大型店舗)のある場所だ。有岡城の堀跡と一世を風靡した酒蔵跡が
       “同居”する、伊丹を象徴する遺跡といえよう。この調査地点には、昔、3軒の酒蔵が建っていたと
       いう。出土したレンガ造りのカマドに、明治の息吹が感じられる(伊丹1丁目)
         「軒を並べて今のはんじやう(繁盛)………」。井原西鶴は、酒づくりで栄える伊丹郷町の様子を、
       こう描写している。発掘調査の結果でも、そのとおりであった。この章でみてきたように、産業道路の
       近辺には、江戸時代、多くの酒蔵が軒を並べていたことが判明したからだ。発掘調査は、古絵図や
       古文書などの文献史料が伝えるさまざまの事柄を、「史実」として明確に実証してくれるのだから、
       誠に興味ぶかい。

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