H阪神大震災 平成7年(1995)兵庫県南部地震
阪急伊丹駅が崩壊。平成7年(1995)1月17日(火曜日)、午前5時46分、真っ暗がりの
中で、マグニチュード7.2の“都市直下型”大地震が発生(最近のメディアはM7.3と報道)。
信じられぬような阪急伊丹駅の崩壊だった。
震源は明石海峡付近で、知られざる「活断層」が猛烈な勢いで地殻破壊を引き起こした
らしい。地震の揺れは、神戸市と北淡町(淡路島)で、観測史上初の「震度7(激震)」。伊丹に
近い所でも、阪急西宮北口付近やJR中山寺付近が「震度7」だったという。
この阪神大震災では、伊丹市内における被害も甚大で、23人の方々が亡くなられた。この
ほか、市内の重傷者は226人、家屋の全壊が1,395棟(2,434世帯)、半壊が7,499棟
(14,371世帯)。阪急伊丹駅が復旧したのは、3年10ヵ月後の、平成10年(1998)11月で
あった。
1階が崩れ、2・3階が落下した阪急伊丹駅。目をそむけたくなるような光景だ。高架の上で
脱線した8両の電車(4両編成×2連)は、翌18日、大型クレーンで吊り下ろされた。
そのとき、時計は止まった。電車もろともに、阪急伊丹駅は大きくゆがみ、駅の西側にある
ビルの大時計は、5時46分で止まっていた。 (以上いずれも西台1丁目・中央1丁目)
左=天神川緑道も陥没した(中野東1丁目)。中・右=水門が壊れ、水が抜けてしまった
緑ケ丘公園の下池(緑ケ丘1丁目)
左=酒蔵(大手柄酒造)の煙突が傾いている(中央3丁目)。右=猪名野神社の本殿や
築地塀(ついじべい)なども、大きく壊れた(宮ノ前3丁目)
左=有岡城の古い石垣も、崩れ落ちた。中=その後、城郭専門の石工集団によって
修復された。しかし、石垣は発掘当時の“野面(のづら)積み”の風情が失われたように思え
る。右=昭和51年(1976)の発掘当時の石垣。阪神大震災の前までは、このような様子
だった(伊丹1丁目)
鎮魂―――阪神大震災から10年 《平成17年(2005年)1月16日、午後6時10分撮影》
震災の翌年から毎年、ボランティア団体「ユー・アイ・アソシエーション」(伊丹市瑞ケ丘4丁目、代表・
赤松弘揮氏)によって、伊丹の昆陽池(こやいけ)公園で追悼行事(阪神・淡路大震災犠牲者追悼の
つどい)が催される。
阪神大震災から10周年にあたるこの日は、犠牲者と同じ数のろうそく6,433本に灯がともされ、
集まった市民など約800人が黙祷して、鎮魂の祈りをささげた。ろうそくは17日の午前5時46分まで、
夜通しともされる(昆陽池3丁目)
なお、震災から11年目の平成18年(2006)は、冷たい雨が降ったことも影響して、16日午後5時
46分の開始時点で参加者は約300人と報道された。阪神大震災の記憶を風化させないためにも、
この追悼行事が継続されることを念願してやまない。