40年目の田能遺跡
                              田能の「今」を訪ねるカメラ・ルポ
                          
           (写真23枚+7枚)

          発見・発掘から40年の歳月が流れた現在、猪名川左岸(東岸)にある田能遺跡(尼崎市
        田能6丁目)は、いったい、どんな様相を呈しているのでしょうか――。久しぶりに現地を訪れ、
        カメラ・ルポしてみました。
        なお、この項目の最後に、「40年前」に撮影した田能遺跡のモノクロ写真を掲載しています。

          左=猪名川にかかる神津大橋の向こう(東南)に、田能遺跡はある。橋の東詰めから
          川ぞいに南へ1`余り、人里離れた荒野で弥生時代(約2300〜1700年前)の大規模な集落跡
          が見つかったのは、昭和40年(1965)9月であった。尼崎・伊丹・西宮の3市による園田配水場
          の建設現場だ。
          右=猪名川の堤防から見た「田能資料館」。田能遺跡は1年間にわたる発掘調査のあと、
          保存運動が高まり、昭和44年(1969)、国の史跡に指定された。現在、遺跡は史跡公園として
          整備され、出土品を収蔵・展示する資料館が併設されている。

          田能遺跡・資料館の正門付近(左)。その右側に、遺跡の説明パネルが掲げられている。
          40年前の発掘調査では、おびただしい弥生式土器とともに、葬制を明らかにする方形周溝墓、
          木棺墓、土器棺墓、きらびやかな副葬品(装身具)などが出土した。田能遺跡の場所は、猪名川
          橋の近く。口酒井遺跡(伊丹市域)の300bばかり南である。

          埋め戻され、史跡公園となっている田能遺跡。さわやかな秋晴れのこの日は、社会教育で
          訪れた小学生たちでにぎわっていた。場内には、復元された住居の建物や解説パネルなど
          が点在している。40年前の発掘現場は約3bの盛土をして保護され、そのまま地下に眠って
          いるのだという。

          復元された方形竪穴式住居(左)の手前で、古代米(黒米)が栽培されている(右)。
          田能資料館では、「古代のくらし体験学習会」が定期的に催されているようだ。

          左=円形平地式住居(復元)。建物の中へ入ると、ひんやりとしており、「古代」の空気が
          感じられた。右=高床式倉庫(復元)。この中に、大切な食糧が備蓄されたのであろう。

          左=常設展示室などのある田能資料館。昭和45年(1970)、史跡公園の一画に開設され
          た。右=資料館の入口に貼られていたポスター。「また、発掘?」と早トチリしてしまいそうだ
          が、「再発掘」とは、再度、遺跡の意義を見直そうという比喩的表現であるらしい。

           発掘調査で見つかった碧玉製管玉(へきぎょくせい・くだたま=首飾り)。超豪華版の
           副葬品だ。平成3年(1991)、県の文化財に指定された。この管玉は、後ろの写真
           (展示物の後方のパネル)のように、632個が被葬者の首から胸の部分に散らばって
           いたのだそうだ。それにしても、2000年前の弥生時代に、これほど精巧なネックレスが
           あったとは、驚きである。 (右端の写真の上をクリックすると、画像が大きくなります)

          左=白銅製釧(はくどうせい・くしろ=腕輪)。これも副葬品で、ブレスレットである。県の
          文化財に指定されている。右=銅剣鋳型(どうけん・いがた)この鋳型を用いて、長さ40a
          超の銅剣(青銅製)がつくられたという。県の文化財に指定されている。
            上記の管玉も、この釧や鋳型も、レプリカではなく、本物である。田能遺跡から出土した
          超一流の埋蔵文化財が、発掘されたその現地にある資料館で、いつでもナマで見ることが
          できるのは、最高にすばらしい。

             弥生時代の土器(左)、甕棺墓(かめかんぼ=右)。ほかにも勾玉(まがたま)
             石器、金属器など、多くの出土遺物が展示され、パネルや模型を使って、
             在りし日の“田能ムラ”の様子がくわしく紹介されている。

          田能資料館の常設展示室。音声による解説もある。ほかに、展示・学習室では年1回、
          弥生時代に焦点をしぼった特別展を開催。さらに、尼崎市教育委員会、尼崎市立田能資料館
          発行の『田能資料館図録』(有料)は、田能遺跡のすべてがわかる貴重な資料だ。

      ▼発掘当時(40年前)の田能遺跡《昭和40年(1965年)ごろに撮影》

           人里離れた荒野の地下深くに、2000年前の“田能ムラ”は眠っていた。
             猪名川左岸(東岸)で田能遺跡が発見され、初めてその発掘現場を訪れた昭和40年
           (1965)、筆者は30歳だった。伊丹から園田行きの阪急バスに乗り、「南清水」で降りて、
           東へ東へと歩いた。藻川(もがわ)にかかる上園橋、猪名川にかかる猪名川橋を渡ったの
           であろう。どちらもまだ、木の橋だったように思う。生い茂るヨシやアシなどの枯れ枝をかき
           分け、道なき道を進んだのだった。
             もう40年以上も前のことだから、かなり記憶も薄れつつあるのだが、初めて見る世紀の
           大発見現場にはド肝を抜かれた。上に掲げた稚拙なモノクロ写真7枚が、そのとき撮影した
           「撮っておきの写真」である。それにしても、「40年後」にまた元気で田能遺跡を訪れ、この
           ようなページを制作することができたのはうれしい。    《平成18年(2006年)制作》

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