伊丹緑道   花と緑に彩られた散策コース
                                              (写真52枚)


          阪急伊丹駅から北へおよそ500b、「伊丹緑道」は、猪名野神社の境内(奥)から始まる。
          社殿の西側に残る有岡城時代の土塁を越えると、その向こうは昔、外堀だった。

          外堀跡の散歩道。道の下は暗渠(あんきょ)となっており、ここから「伊丹緑道」は北へつづく。
          緑道および周辺の樹林帯は、伊丹市指定の「緑地保全地区」だ。   (右端の写真の上を
          クリックすると、画像が大きくなります)
            その散策コースは、伊丹段丘の東端をなす高さ10b余りの崖の中腹を北へ連なり、猪名野
          神社(宮ノ前3丁目)から幽霊坂(高台5丁目)付近まで。途中、旧「西国街道」の伊丹坂を
          横切る、全長およそ1.2`の道のりである。

          3月には淡紅色のカンザクラが咲き、春の訪れを告げる。左の写真の奥は、猪名野神社の
          森。右の写真は、逆方向から北方を望む。

          左の石段を上ると、崖の上に発音寺(ほつおんじ)がある。そのお寺(春日丘4丁目)の
          十一面観世音菩薩立像、大日如来坐像、三面大黒天立像は、伊丹市指定の文化財だ。


            「伊丹緑道」は現在、2〜3bほどの道幅であるが、昭和40年(1965)ごろまでは、そこに
          灌漑(かんがい)用の水路があった。山側(崖下)に幅1b余りのドブ川があったのだ。筆者は
          子供のころ、そのドブ川に素足で入り、ヒル(蛭)にかまれたイヤな思い出がある。
            水田が急激に姿を消しはじめた昭和40年代以降、その農業用水路がどんな様子であった
          のかは知らない。
            昭和57年(1982)、その用水路周辺の樹林帯が「緑地保全地区」に指定された。その後、
          ドブ川は地下水路に姿を変え、そこは散策コースとして整備されたのだった。
            なお、そこに農業用水路があった当時、猪名川から取水する加茂井(かもゆ)の水や、緑ケ丘
          公園の池の水がここを南流し、阪急伊丹駅の西や南にあった水田を潤したのだという。          

           竹林のある風景。散歩道の西側は伊丹段丘の崖、東側の斜面が竹林である。
           この竹林のつづく辺りは、「伊丹緑道」で最も風情の感じられる場所であろうか。木もれ
           日が美しく、小鳥のさえずりが聞こえるのもうれしい。平成18年(2006)は、3月22日に
           ウグイスの初音(はつね)を聞いた。

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               クスノキの大木が高さを競う。ほかに常緑樹のアラカシ、クロガネモチ、落葉樹の
               ムクノキ、ケヤキなどが、自然林を形成している。右側に、「ラスタ自然クラブ」に
               よって作成された「伊丹緑地の樹木観察地図」を引用させていただいた。

         見たこともないような、珍しい花も咲いた。5bほどの高さ、こずえの先だ。落ちていた花を
         手に取ると、ほんのりと良い香りがする。その正体は、キリ(桐)の花であった。

          ソメイヨシノが満開だ。伊丹市内ではあまり知られていない、絶好の“お花見スポット”と
          いえよう(春日丘4丁目)。サクラの木の下(「伊丹緑道」東側の低地)には、こぢんまりとした
          公園もある。

          自然のままの雰囲気を残した散歩道。伊丹には山がない。しかし、この辺りは原生林の
          面影をとどめ、ちょっとした「里山」のイメージだ。効果のほどはともかく、森林浴の気分が
          楽しめるのもうれしい。

          雨の「伊丹緑道」で樹木観察会。「ラスタ自然クラブ」によって催された。沿道の自然林に
          自生するケテイカカズラ、イヌビワなどが珍しいという。この日は、雨に洗われた新緑が
          美しかった。観察会は、春と秋に行われる。

          伊丹坂トンネルの上は、絶好の“展望台”。伊丹段丘が少し東へ張り出しており、そこに
          片側車線だけの小規模なトンネル(昭和57年竣工)がある。「伊丹緑道」がそのトンネルの
          上の部分(春日丘6丁目)にさしかかると、急に視界がひらけ、北方の右方向に五月山(さつき
          やま=池田市域)などが見えてくる。
            その見晴らしのよい場所に、ポツンと石碑が一つ。平安・鎌倉時代の代表的歌人で、『小倉
          百人一首』の選者としても知られる藤原定家(1162〜1241)の歌碑だ。「ゐなやまの山の
          しつくもいろつきて / しくれもまたすふくるあきかな」と、彫り刻まれている。この近辺から見た
          晩秋の風景を詠んだものであるが、「ゐなやま」は特定の山を指すのではなく、猪名川上流に
          ある山々のことと思われる。

           緑道ぞいには、ヤマブキやアジサイも咲く。東側に産業道路(尼崎池田線)が並行し、
           猪名川の向こうに伊丹空港があるにもかかわらず、「伊丹緑道」はおしなべて静寂その
           もの。俗世間を離れたような趣(おもむき)だ。

          沿道のサクランボが、鮮やかに彩りをそえる(左上)。ロウバイ、カリン、イヌビワも実を
          つけた(右上から順に)。花も実もある、その「生命力」がすばらしい。

          紅葉のころ、いとうつくし。モミジの織りなす綾錦(あやにしき)は言うに及ばず、サクラの葉が
          色づいて、鮮やかなグラデーションを描くのも風情がある。また、花の少ない季節にサザンカが
          咲き誇るのもうれしい。

          晩秋の「伊丹緑道」で樹木観察会。「ラスタ自然クラブ」により開催された。落葉した木々にも、
          次なる芽吹きの兆しがうかがえるようだ。好天に恵まれた、紅葉の美しい日だった。

          伊丹坂の周辺に、情熱歌人の墓碑や旧街道の道しるべも。急勾配の伊丹坂は、寛政
          10年(1798)の『摂津名所図会(ずえ)』にも描かれた、西国街道の難所であった。坂の上の
          南側(春日丘6丁目)には、「伝・和泉式部の墓」があり、坂の下の西国街道と多田街道が
          交差する地点(北伊丹1丁目=旧地名「辻村」)には、「辻の碑(いしぶみ)がある。どちらも
          伊丹市指定の文化財(史跡)だ。

           自然林の風情は、さらに北へ……。伊丹坂を横切って北へ進むと、「伊丹緑道」の
           東側に住宅がせまるが、西側の斜面には常緑高木や太い竹などが生い茂っている。
           この辺り、緑の風が感じられるのもうれしい。

           幽霊坂の上に、ひっそりと謎の墓碑。狭い急坂は昔のままだが、筆者が緑ケ丘の
           県立伊丹高校へ通学した昭和20年代、この坂道の周りは大木がうっそうと茂り、昼なお
           暗き不気味な感じであった。「幽霊坂」という奇妙な名称は、そうしたことに由来するのだ
           ろうか。
             その坂の上(高台5丁目)に、「自然居士之墓」(じねんこじのはか)と刻まれた石碑が
           建っている。しかし、この人物の正体はわからない。高台地区や春日丘地区には、昭和
           50年(1975)ごろまで、「自然」(じねん)の付く小字(こあざ)が幾つか点在したが、その
           地名とのかかわりもつまびらかではない。
             この幽霊坂の付近(高台5丁目・北園1丁目)が、「伊丹緑道」の終着点だ。すぐ近くを
           国道171号線が走っており、その向こう側が緑ケ丘公園である。  《平成18年(2006年)
           制作》

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