C伊丹の酒蔵 酒造史を伝える江戸時代の遺構
清酒「白雪」醸造元・小西酒造の万歳1号蔵(ばんざいいちごうぐら)。
産業道路に面し、威風堂々たる構えだ(伊丹2丁目)
『伊丹市史』によると、寛文6年(1666)に36軒であった伊丹の造り酒屋(清酒メーカー)は、
正徳5年(1715)には72軒と倍増。さらに、天保12年(1841)には86軒にも及んだ。それらの
酒造蔵が、「本町通り」(産業道路)ぞいに、ズラリと建ち並んだという。
その光景を、井原西鶴は「軒を並べて今のはんじやう(繁盛)」と描写したほどだ。灘や伏見が
台頭する以前、伊丹は日本一の“酒造産業都市”で、巨大な酒蔵の中を丹波杜氏(たんばとうじ)が
せわしく行き交い、町全体が活気に満ちていたようだった。
当時、伊丹で醸造される極上の清酒は、「丹醸(たんじょう)」もしくは「伊丹諸白(いたみもろはく)」と
呼ばれ、花のお江戸で大フィーバー。「イタミノサケケサノミタイ」との回文が生まれるほどの、もて
はやされようであった。
そのころ、伊丹酒の造石高(生産量)は、年間およそ10万石。そのうち80パーセントが江戸へ
積み出された。酒は4斗樽(72g入り)に詰められるのであるが、毎年コンスタントに20万個もの
酒樽が伊丹郷から江戸へ旅立って行く光景は、さぞかし圧巻だったことだろう。酒樽は高瀬舟で
猪名川を下り、樽回船に乗り換えて、海上ルートで江戸へ向かったのだという。
小西酒造の万歳1号蔵。天文19年(1550)創業の同社は、450年以上の歴史を誇る、
業界きっての老舗である。この酒蔵は築400年とも伝えられるが、平成7年(1995)の
阪神大震災で、惜しくも屋根瓦が全部ずり落ちてしまった(伊丹2丁目)
小西酒造の南蔵。伊丹郷町の南部にあたる旧「大坂道」に面し、
昭和50年代まで存続した(伊丹4丁目)
小西酒造の富士山蔵(ふじやまぐら)。有岡城跡に近い場所にあったが、平成7年(1995)
の阪神大震災で全壊し、惜しくも姿を消した(伊丹1丁目)
小西酒造の長寿蔵。築200年超で、現在は地ビールの味わえる「白雪ブルワリー
ビレッジ長寿蔵」として、有数の人気スポットとなっている(中央3丁目)
左=酒蔵などを背景に、伊丹歴史まつりでチンドン屋が行く(中央2・3丁目)
右=画面の右上は、小西酒造の長寿蔵。左側は、清酒「大手柄」醸造元・
大手柄酒造の旧本社(中央3丁目)
大手柄酒造・北蔵の前庭。古典的な酒造用具が干してある風景が印象的で、
懐かしい。昭和50年代まで、工芸センターなどの場所に存続した(宮ノ前2丁目)
左=“酒蔵のある風景”を写生する人たち(中央2・3丁目)。右=大手柄酒造の南蔵。
この酒蔵は三軒寺前プラザの用地となり、近年、惜しくも取り壊された(中央3丁目)
大手柄酒造の南蔵。小西酒造本社のすぐ西側にあった。レンガ造りの角煙突が、
古い酒蔵のシンボルだ(中央3丁目)
左=「宮ノ前通り」と「昆陽口(こやぐち)通り」が交差する、「米屋町」の角(宮前商店街の
入口)にも、古い酒蔵があった。レンガ造りの角煙突が、酒蔵だったことを物語っている
(宮ノ前2丁目)
右=どの酒蔵でも、昔は、写真のような伝統的な酒造用具が使われていた(千僧1丁目
の伊丹市立博物館で撮影。ただし、現在、博物館に酒造用具は展示されていない)
なお、中央3丁目にある前記の「白雪ブルワリービレッジ長寿蔵」の2階は、ミュージアムと
して公開されており、そこに江戸時代の酒造用具一式が展示されている。酒造工程の順に
並べられた古式ゆかしい用具類は、過ぎし日の酒蔵の様子を彷彿(ほうふつ)とさせる、貴重な
歴史遺産といえよう。
長寿蔵の2階へ上がると、「江戸時代」を体感できるのがうれしい。