E伊丹の文化財  郷土の誇る歴史遺産

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             陸上自衛隊総監部(緑ケ丘)の前にある伊丹廃寺跡。写真は、金堂の基壇(復元)
             である。昭和33年(1958)に畑の土中から水煙(すいえん)が見つかり、本格的な発掘
             調査が行われた結果、法隆寺様式の伽藍(がらん)配置をもつ、大規模な古代寺院跡と
             判明。昭和41年(1966)、国の史跡に指定された(緑ケ丘4丁目)
               ちなみに、この伊丹廃寺跡付近の旧地名は、昭和44年(1969)まで「伊丹市北村
             字鋳物師(いもじ)南良蓮寺」であった。古い地名が物語ってきたように、このお寺の正式
             名称は、「良蓮寺」だったのではないだろうか。
               それにしても、緑ケ丘公園のすぐ北側にあった、うっそうとした雑木林の中に、国指定
             史跡となるほどの遺構が眠っていたのは、驚きであった。
               なお、伊丹廃寺跡で発見された水煙、九輪(くりん)、風鐸(ふうたく)、軒丸瓦(のきまる
             がわら)などの出土遺物は、昭和52年(1977)に県の有形文化財(考古)に指定されて
             おり、伊丹市立博物館(千僧1丁目)に展示されている。

         JR伊丹駅前にある有岡城跡。戦国武将・荒木村重(1535〜1586)の居城跡である。
         昭和51年(1976)の発掘調査で、戦国時代最古といわれる石垣が出土(写真は発掘当時に
         撮影)。その後、古絵図などの分析から、史上初の“総構え”の城と判明し、昭和54年(1979)、
         国の史跡に指定された(本丸跡は伊丹1・2丁目)
           《有岡城についての詳細は、この「伊丹の歴史グラビア」の、「@有岡城跡」「A国鉄伊丹駅」
         「G伊丹の発掘…有岡城跡」のページをご参照ください》

          伊丹郷町にある旧岡田家住宅(店舗・酒蔵)。昭和59年(1984)に店舗の屋根裏から
          棟札(むなふだ)が見つかり、延宝2年(1674)の築造と判明。平成4年(1992)、国の重要
          文化財(建造物)に指定された。写真は、阪神大震災(平成7年)で全壊する以前の建物
          である。現在、旧岡田家住宅は、古い部材をそのまま生かして昔の姿に復元され、「伊丹
          郷町館」として公開されている(宮ノ前2丁目)

          宮ノ前通りに面していた当時の石橋家。建物の向こう(北側)に伊丹アイフォニックホール
          (平成3年完成)の屋根が見える。その後、建物は旧岡田家住宅の東隣に移築され、平成
          13年(2001)、旧石橋家住宅として、県の有形文化財(建造物)に指定された(写真は、
          いずれも宮ノ前1丁目にあったときの石橋家)

          法巖寺(ほうがんじ)のクスノキ。阪急伊丹駅の東にある。樹齢は500年を超えており、
          幹囲6b、樹高28b。昭和40年(1965)、県の天然記念物に指定された。この巨木は、
          伊丹の戦国時代や江戸時代をつぶさに見つめてきたことだろう(中央2丁目)

          昆陽寺(こやでら)山門。行基が建立した古刹(こさつ)の山門で、戦国時代に焼失したが、
          江戸時代に再建。昭和44年(1969)、県の有形文化財(建造物)に指定された。この
          昆陽寺にある観音堂、広目天立像、多聞天立像も、県指定の文化財だ(寺本2丁目)

             左=御願塚古墳(ごがづかこふん)阪急稲野駅の西にある。周濠のある5世紀の
             帆立貝式前方後円墳で、ほぼ原形のまま残されている。昭和41年(1966)、県の
             史跡に指定された(御願塚4丁目)。右=辻の碑(いしぶみ)摂津国の中央を示す、
             西国街道の道しるべ。昭和40年(1965)、市の史跡に指定された。写真は、建て
             替えられる以前の祠(ほこら)である(北伊丹1丁目)

         左=「清酒発祥の地」に建つ鴻池稲荷祠碑(こうのいけいなりしひ)鴻池家の由来が記された
         石碑で、平成3年(1991)、市の史跡に指定された。右の写真は、同じ場所にある稲荷社(奥)
         と鳥居。鳥居は阪神大震災(平成7年)で倒壊し、今はもうない。その鳥居には、「大正十五年
         十月建之、大阪今橋鴻池」と彫り刻まれていた(鴻池字中北)

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