永山邸/カフェ明石屋
〒859−5103
長崎県平戸市田助町98−1
Tel 0950-22-3793
永山邸(明石屋)
江戸時代は明石屋という廻船問屋で、角屋(元鶴屋邸)が表の志士達の会合の場所だったが、この明石屋は、重大な密談の場所、不穏な事態の時の隠れ家として使用されたらしい。
西郷、高杉、桂、坂本龍馬がこの家で密議をしたのは、慶応2年の春以降と思われる。
その根拠として、西郷が、この家の離れからの景色が、下関の春帆楼に似ているといって、一階の階段の所に「春帆楼」と書いて掲げていたという話がある。
薩長同盟が成立したのは慶応2年1月21日であり、西郷が下関を訪れたのはその後である。
永山家は、明治36年の火災で当時の家は焼失したが、女将が先祖に申し訳ないと焼失前とそっくりに再現したといわれる。
現在も殆ど、西郷隆盛達が会談した当時の状態で残されており、離れは刀を差しては登れない狭い階段があり、階段前の2階は戸袋になった隠し通路があり、部屋から見ると押し入れに見える。
なぜ記録が残っていないか?もちろん火災で焼失したこともあるが。この会談は、まさに他人に知られてはならない秘密会談であり、女将は使用人には勿論、家人にも内緒にしていた。料理を運んだのも女将のみであり、いかに討幕の重要な会談だったと推測される。
女将が家人にその時の会談の人物を明かしたのは、明治維新から暫く過ぎた頃だったという。
幕末の田助の回船問屋、民家を伝える貴重な家屋で、末永く保存できるようにしたい歴史的文化財である。