| 100へー連発の塾の秘密。知る人は知っているナガイヒデカズ。彼にならっていい加減な事でも断言してしまおう。間違いない!! はじめに ●どうすれば学習成績があがるか? 殆どの場合、どうすれば、という学習方法がもんだいではありません。 内容や方法がわかっていてもやる気がない、というところが最大の問題点です。学習方法を知りたがる人ほどこの点が問題です。何故なら、こういう人はやる気がおきない原因を自分自身でなく外部に押しつけたがっているからです。やる気は本人の問題なのに外に原因を求めようとする姿勢ではなかなか問題の解決には向かいません。 俺はやればいつでもできるんだ、と思いつつもそのいざやる気がおきない点が問題です。そしてそのやる気を目標を完遂するまで持続できる力が必要です。間違いない! それが出ないからこんなページを見てるんだ、とおっしゃる貴方。以下を御覧ください。 ●学習するのは本人 毎年有名校への進学成績が塾の実績を誇る様に宣伝されます。 しかし大部分の合格生徒はもともと成績の良かった生徒です。 塾に通って伸びる少数の子は家庭学習をきちんとやる生徒です。誰も監督をしていない時に自主的に学習を続けられる生徒です。間違いない! 人間には生来好奇心があるのだからそれを上手く引き出してあげれば意欲は自然に生まれる、という説がありますがそれも小学校低学年までです。 世の中の事全てに生まれたての赤ん坊のような好奇心を持ち続けている人などほとんどありません。小学校も高学年になる頃になれば興味の対象も人様々分かれてきます。 もともと好奇心は人が生きる為に食べられるか食べられないか暖かいものか冷たいものかと言う情報を得る為に備わっているものでしょう。それがその人間が生きる為に役に立たない事がわかってしまえば、自然と興味を失うでしょう。間違いない! その知識が得られたからと言ってすぐに役に立つとも思えない、その価値を説かれても日常的に実感できない知識の習得に、生まれたままの素朴な好奇心をあてにするのは無理な相談です。 開発途上国の子供達が授業に集中する姿をニュースなどで見ることがありますが、荒れる教室が日常的な話題となっている昨今日本では奇跡のようにすら見えてしまいます。 物資の乏しい途上国の子供達にとっては、学校や教科書が日本の子供達が普通に与えられているTV、ゲーム、漫画雑誌のように刺激的なのかもしれません。 しかし、それ以上に教育によって与えられる知識が、彼等が生きる上で、また少しでもその生活を向上させる上で必須のものである事を痛切に実感しているのではないでしょうか? 生活や遊びの糧を浴びるほど与えられている日本の子供たちに生きる不安を感じろと言っても無理でしょう。知識の習得が生きる為に必要なのだ、といっても実感できるわけがありません。 それではどうするか? 全ての生徒が自発的に学習できないわけではないように、全ての人が同じ方法でやる気が出るわけでもありません。しかし子供の発達段階からこの頃極めて関心を持つようになる方向があります。友達と助け合う、というのはこの段階の子供達にとって大きなキーワードです。友達と助け合い、競い合う事が多くの子供達にとってやる気を引き出す鍵になります。間違いない! ●英塾のシステム ・クラス編成:協同学習グループを3人〜5人で編成します。友達誘い合わせて参加して 下さい。最小クラス人員は3名ですので定員に満たない場合はクラス開講いたしません。 ・週1回〜週3回、1時間/科目、原則英数国3科目構成とします。 ・入学金3,000円他に教材費(新年度初のみワーク代+模擬テスト代) ・月4週授業3科目の場合授業料12,000円/月、5科目の場合の授業料22,000円/月 |
| 講師の繰り言 ●2種の知識 学習とは知識の習得ですが、これを事項知識と方法知識にわけてみます。 事項知識とは事件と年号のようにA→Bと対応する知識です。この場合A、Bは特定のA、Bです。 方法知識とは方程式の解き方のような知識で、A→Bだが共通する性質を持つA'、A''、・・・があれば→B'、B''、・・・である、というようにA、Bは特定されません。 事項知識も一つ覚えるだけなら簡単ですが、江戸時代の歴史的事件の年号を覚えるとなると、かなりな困難が伴います。間違いない! 事項知識を記憶する(習得する)方法は @暗唱したり反復書き取り A記憶術の利用 B記憶すべき事項知識を互いに関連付ける(ネットワーク化する) と3っつあります。 殆どの人が@で済ませています。 しかし、もっとも効果的な記憶法はBです。江戸時代の事件の年号などはもともとお互いに時系列と因果関係で連鎖しているのですから関連付けるのは簡単ですし、記憶した事がそのまま歴史となります。具体的な方法は自分で解説入りの立体的な年表をつくり人と事件と時間を1枚の紙に書き表すのです。 語呂合せなどの記憶術も補助的に利用すると良いでしょう。 こうして事項をネットワーク化すると・覚えやすく・忘れにくく・思い出しやすい利点があります。 ネットワーク化すると一つの事項に沢山のタグをつけるのと同様な効果があるわけです。タグは多いほど事項を思い出す手がかりが多くなるわけです。タグが多いと肝心の事項がすぐに出て来ないときでも周辺の事項がグルグルと頭をめぐってそのうち求める事項がひらめきます。間違いない! こんなに良い事尽くめの関連付け法なのですが、近頃の中学生はやりたがりません。 面倒だというのです。 「先生そんなに沢山の事試験にでるの?試験に出る事だけ教えて、それだけ覚えるから」というわけです。 面白い物でこういう生徒は一番社会の出来が良くありません。というのもこういう生徒は言われた事項に1回下線を引くかそれすらやらずに聞いただけでお終いにするからです。 保護者の方はまさか!と思われるか、自分もそうだった、と思われるかわかりませんが大多数の生徒がそうなのです。 方法知識を習得するとはどういう事でしょうか? 最も単純(と思われる)足し算を例に考えてみましょう。 A+B=Cである。 これで足し算の方法知識を定義はできません。単に計算記号の表示をしているだけです。 足し算の前提は数を1,2,3,4,…と数えられる事、数を数えるとき5の次は6,72の次は73が来る事がわかっていること、すなわち序数の知識が前提となります。 そうすると足し算はこう定義できます。 CをAからB番目の数とするとき、A+B=Cである。 ですから子供達は最初の足し算を指で数えます。その次の段階では0〜9までの55通りの足し算の答えを反復学習の結果暗記してしまう事です。この55通りに九九のような伝統的暗記法はありませんが沢山の問題をこなす中で自然に身につきます。これを習熟といいます。この習熟なしに最初の足し算の「定義」だけ暗記しても物の役に立ちません。より複雑な方法知識も公式の暗記だけでは役に立ちません。よく「数学は暗記だ」といわれるのを逆説、と思っている人が多いのですが逆説でなく当たり前の話です。間違いない! 少し習熟の重要性を誇張しましたが、少なくも足し算と掛け算についてはこの習熟が絶対必要です。掛け算を簡単な足し算に置き変える方法を見つけた人がいますが少なくも足し算の習熟はその場合でも不可欠です。数学の計算はどんな複雑な計算でも煎じ詰めれば足し算と掛け算です。 100マス計算や公文式の計算練習を批判する人がいますが、問題のたびに「A+BはAからB番目だから・・・」等と「計算の原理」を思考しながら指を折る姿を想像して下さい。それを頭の中でやったとしてもとても時間が足りません。数学が出来ないと考えている中学生のうち簡単な四則計算の計算間違いと分数計算の習熟が十分でない生徒の割合はとても高いのです。十分な計算能力が出来ているのに単調な計算練習を強いるのは時間の無駄遣いですが習熟するまでの練習反復は不可欠です。間違いない! 高度な問題なら高度な部分で思考すれば良いのであって、基礎的な構成部分の四則計算に時間を取られてはその思考に追いつきません。 勿論最初に計算原理の理解に十分時間を取る事は当然です。それなしにいきなり習熟練習は出来ません。 子供達自身最初は指を折るではありませんか。 ●数学 数学がわからない、数学ができない原因はなんでしょう。よく国語の力が問題である、といいますがかなりのケースがその通りです。 問題の意味がわからない、というのがありますが先生達からすると常識的な水準なので盲点になってしまう極めて基礎的な言葉(数学用語)を理解していない、あるいは意味を忘れてしまっている事がとても多い。 この場合生徒に一つ一つどの言葉がわからないの、と問いただしていかないと自分でも何がわからず意味が通じないのかを表現できない事が多く、そうなるとわからないまま授業が進んでしまいます。 例えば「和」という用語がありますが、3年生でも忘れている人が結構多い。「・・・の和が・・・のとき・・・」とか「…の和を求めよ」など日常的な数学用語として頻発するこの用語の意味を理解していないとこのような問題は全くお手上げとなります。 またわかっているようで、正確に理解していないため問題が解けない、という場合もあります。 「平行四辺形」といえばその形をイメージする事は出来ますが、「向かい合った2組の辺が平行である」と、正確に記憶していないため問題が解けない事があります。 数学が解けない、苦手と誤解している人は一度教科書の後ろの索引を調べてどれだけの数学用語を正確に知っているかチェックしてみると良いでしょう。数学の問題が解けない原因の1/3くらいはこれで解消するように思われます。 その次には計算法則や定理の理解と記憶です。計算法則や定理の理解と記憶は、公式を暗記しているだけでは不充分です。反復演習でその運用習熟の必要があります。間違いない! ●英語 講師が全員ネイティヴスピーカーで日本語を使ってはいけない、という教育を売り物としている英会話学校があります。英語の知識が十分ある人の英語環境への馴化訓練としては意味があるでしょう。しかし初級段階の人には遠回りで無意味な学習方法だと思います。 それには明確な理由があります。 私はかねて日本人は英語を第二日本語として学習しているのではないか、という仮説を持っていました。この仮説を実証するような最近の脳研究の成果があります。 その、脳研究の成果とは、「日本語のネイティヴスピーカーと英語のネイティヴスピーカーとは脳の中の言語使用時の活動部位が異なっており、日本語ネイティヴのバイリンガルは英語を使用する時も日本語部位を使用し、英語ネイティヴのバイリンガルは日本語使用時に英語部位を働かせている」と言う事です。 つまり日本人が英語を勉強すればそれは日本語の一部として勉強しているのであり、米国人が日本語を勉強するのは英語の一部としてやっていることになります。 ここでも国語の力は英語習得にアドバンテージがあることになります。実際日本語ネイティヴで、国語は出来るけど英語は苦手と言う人はいても英語は出来るが国語はダメと言う人はいません。日本語ネイティヴと英語ネイティヴで使用部位の異なるのは恐らく幼時の生活環境の違いに起因するものでしょうから、小・中学校以上で国語が苦手だから国語を遮断して英語でエキスパートを目指そう、というのは無理な相談です。日本人の英語の基礎は国語なのです。間違いない! 英語の早期教育も同じ問題点があります。学習できる英語のレベルはその時期の国語のレベルで限界となるわけです。御粗末な日本語レベルの幼児に高度な英語を教えるのは骨折り損のくたびれ儲けです。言語の理解基盤は恐らく母親の胎内からの言語体験に根ざしています。日本語を手がかりとせずに英語を学習するということは、このような言語体験全てをご破算にして零から始める事になるので英語学習能率は実は悪いと思われます。また学習した範囲での英語の応答性は良くなるかもしれませんが、頭脳の中は英語と日本語の雑居状態で遅く学習を始めた人と脳の働き方まで変わるわけではないでしょう。 日本人が英語下手で中学〜高校・大学と10年間学習しても日常会話すら満足に出来ない、とよく言われます。これは全くの誤解です。 少なくも大学を出たくらいの人は英語の読み・書きの能力の平均点は世界的に見ても決して低くないはずです。 ただ日本語と英語の構造的な相違があるのに、言語脳は英語と日本語の共存環境なので英語を使用中に日本語思考が介在して英語の応答性(レスポンス)が一般的にはどうしても落ちると言う事なのです。そして英語の使用に日本語が介在するわずらわしさや母国語の日本語に比較して応答性が落ちることへのひるみ、から苦手意識を持ってしまうのです。間違いない! このレスポンスも「英会話」の習熟練習で十分実用的なレベルに到達できます。日本の従来の英語教育は読み・書き中心で英会話の習熟は殆ど配慮されてきませんでした。これに十分な配慮を施すとすると現在の30人以上の学級編成では一人一人に十分なチャンスを与えられないでしょうし、一方読み・書きの能力を現在の英語の専門書も読解可能な能力をつけさせるレベルで維持しようとすれば両者の学習時間が競合してしまいます。 日本人の英会話能力を上げようとすれば、英語学習をいたずらに低年齢化するのでなく、現在の英語の時間を会話中心にふりかえると同時に他科目の教師の英語能力も高めてテキストを英語併記にするとか英語混用するとか日英共存環境を拡大してゆくような工夫が必要でしょう。 英語能力を上げるため日本語を遮断して英語だけの学習環境にする、という試みが既にスタートしていますが、これには全く賛成できません。なにしろ頭の中は日英同居状態なのですから、日本語を使うな英語で考えろと強制されれば思考停止状態になりかねません。優越した知識基盤を持つほど高度な知識の理解と習得は容易です。日本語の方が優越しているのですから蓄積された日本語の高度な知識はどんどん駆使し、より高度な英語の理解の助けとすべきなのです。その方がより高度な英語の習得にもその他の科目の学習にもはるかに能率的なはずです。間違いない! さて英語の上達法ですが、英語の知識要素は単語の知識と文法です。文法は簡単に言えば単語の並べ方です。要は沢山の単語を知り、その並べ方に習熟すれば良い訳です。 単語の知識を増やす上で重要な事は、アルファベットの発音を正確に記憶習熟する事です。アルファベットは発音記号です。単語(一定のつづり)はまとまった意味内容を表すと同時に発音をあらわしています。正確な発音に習熟すると発音と意味の対応を新たに記憶するだけで、つづりは発音と対応していますから特段練習の必要がないのです。また耳からはいった新しい単語を辞書で調べる事ができるので、語彙を増やすのに飛躍的な進歩があります。間違いない! つづりと発音ルールは実際かなり複雑で中学では発音ルールとして十分教授されません。しかしルールに例外はつきものです。アルファベット26文字の単語に使用されたときの発音原則や中学単語のつづりの発音原則は教授すべきです。 文法は知識の理解習得の為には日本語の文法知識を正確に習得する事が早道です。文法を理解習得したら、その使い方の習熟練習です。習熟練習は学校でやるだけでは時間が不足です。家庭での反復練習が不可欠です。 ここで発音ルールとつづりの習熟、文法と使い方の習熟と対応させた事について昔から「習うより慣れろ」ということわざもあり、習熟練習を嫌う生徒には私もこのことわざを語ります。またそれを実践する会話学校も多いです。 江戸時代末期、剣術指南に非常な成果をあげて有名な千葉周作という剣豪がいます。かの坂本竜馬もこの門下です。この人は自身大変な剣豪であったと同時にそれ以上に剣術指南を極めて合理的な方法論として体系化し短期間に多数の弟子の剣術レベルを高くすることに成功した人です。 この人が「剣術の上達には二つの道がある。一つは始めに頭でどうすれば良いかと言う方法を十分考えてからそれを練習する道、もう一つは闇雲に練習を重ねる中から極意を掴むという道だが、前者の方がはるかに上達が早い。」と唱えて、それまで長い修行の中から極意を無意識に習得すると言う方法が当たり前であったのに、最初にわざの目的や打ち勝つ為の方法などを懇切に教え、その後習熟の反復練習をさせるという方法で圧倒的人気を博しました。つまり極意を最初に教え、後はそれを練習させる、という方法です。 この方法は極めて合理的です。日本人なら日本語の文法を特別な文法用語で解説されずとも、「本能的」に正しい日本語を使う事ができます。しかし外国語である英語を習得するにはその文法を「意識」的に学習することが上達の早道なのです。そして英文法を正確にすばやく理解する為には日本語文法の正確な知識がきわめて役立つのです。 文法を理解したら、次は多数の例文を使って習熟の為の反復練習をします。英作文などでは英文を創出する過程で最初は英単語を思い出す事と文法の約束事が頭を占めるため時間がかかります。この最初の「タイムラグ」を日本語を通して英語学習したり、文法を意識的学習する事の弊害のように主張する人もいます。 この「タイムラグ」は習熟練習を重ねて行く中で意識下に姿を消します。つまり多くの日本人がこの「タイムラグ」に悩まされて英語が体質的に不得意と思いこんでしまっているのは、「英語の知識はあるが習熟不足」なためなのです。多くの日本人がある程度覚えこむと十分習熟する以前に練習をやめてしまうからです。 受験や文献解読なら、その程度で十分ですが、外国人と入り交じってタフな交渉も可能なほど英語に堪能になるには、最初に習得した英語知識が意識下に潜んでしまうくらいの習熟練習が必要です。 このように高度な英語の習熟には高度な日本語を前提とすべきである、という一般論に対して脳の発達段階で学習適期という問題があります。幼少年期は単純な習熟練習の効率が良いといわれます。しかし抽象的な文法用語が理解できないため文法学習は無理であった、と言う事があります。 このページは中学生以上の人が対象ですので現在の日本語の知識を活用して習得に励んでもらいたいと思いますが、今後の幼少年への文法教授の方法として、形容詞を「帽子ことば」名詞を「あたまことば」、動詞を「手足ことば」などと言い換えるのも一法だと思います。間違いない! ●国語 前の方で数学も英語も国語が基礎だ、と散々書きました。国語がだめと言う生徒の中には希に他に出来る科目が沢山あるのに国語が出来ない、というケースがあります。これは国語で要求される国語のレベルと教科の基礎的要素として必要な国語のレベルの差によるものと思われます。 理科・社会についてはまだ書いていませんが数・英と事情は同じです。殊に社会は用語の数が極めて多く漢字の正確な知識の有無は理解力にも記憶力にも大きな影響があります。 他の科目の基礎に国語があるとすると国語の学習を完璧に終えないと他の科目が学習出来ない事になります。実際はそんな事は不可能でまた国語と他の科目も平行して高校まで学習を続けます。 つまり他の学科で必要としている国語力は学校で習うばかりでなく日常的に積み重ねられた言語体験という背景の力が大きいのです。中でも読書体験の多少は他の科目のみならず国語自体の成績を左右します。ですから今の子供達の幼時からの旺盛な好奇心や関心を読書から奪ってきたテレビの影響は甚大と言わざるを得ません。間違いない! ここまでの国語の評価を過大と批判する人がいるかもしれません。20世紀以来、人は映像音声という文字にかわる情報手段を得たので文字言語の役割は低下して行くし映像というメディアが様々な専門知識の情報伝達に言語以上に機能するのではないか?現時点での映像メディアの問題点は映像という様式でなくコンテンツ(内容)にあるのではないか?という反論です。 確かに情報の種類によっては映像メディアの方が言語自体より優越する場合があります。専門知識も沢山の写真や図版で表現され文字より雄弁である部分もあります。しかし映像情報で不可能なのは言語の抽象力です。抽象的な情報を映像化しようとすると大変手がかかりもどかしく、全ての人に同じ内容を伝達できません。全ての人に誤りなく同一の内容を伝達しようとすれば特定の映像の意味を定義しなくてはならず、映像のの定義はまさに映像を言語化することに他なりません。映像の意味を定義し国民全てが誤りなく理解できるために約束事を作り(文法)学校で教育せねばなりません。 これは言語というメディアで蓄積された殆ど無限の過去の人類の業績を無にするもので意味がありません。そもそも教育自体、言語メディアで蓄積された知識(知恵)を後世に伝達する事といえますから国語の重要性は強調しすぎる事はありません。間違いない! さて国語の上達法です。国語も単語(語彙)と文法の二つの要素に単純化して考えます。日本人であれば特に学校で習わなくとも日常的な家族や友達との会話に必要な単語と文法は「肉体的」に了解しています。問題はそれ以上の語彙の知識がピンからキリと言う事です。自分の家族や友達とは使わないがごくふつうの語彙、たとえば「たわら」だとか「かしこまりました」などと言うことばとか少し入り組んだ文法、敬語表現などの知識に乏しく習熟していない生徒がとても多いのです。 そうすると、対策は語彙を増やす事、文法に習熟する事、に尽きるわけです。 語彙を増やすには文章を読んで理解していない言葉は全て先生に聞くか自分で辞書を調べて正確な意味を確認する。単語帳をつくり見返す事が最も良いですが少なくもその言葉に傍線を引いて何度か見なおして覚えているか確認することが必要です。自分で何となくわかっているような気がする言葉(これが最も多い)でもちょっとおかしいなと思ったら必ず調べなおす必要があります。私の経験では全く誤解しているのに自分ではわかっていると思いこんでいる例がとても多いのです。先生も「まさかこんな常識的な言葉はみんな知らないはずがない」と思って注意を喚起もしない言葉の意味を知らないか誤解しているかしていて迷ってしまう生徒が沢山います。 これは先にも述べました様に、小さい頃からの言語体験の積み重ねの差が招来した結果ですから、取り返すには相当覚悟をして下さい。その他の科目の用語はとりあえず教科書に出ているものだけを完全に理解すればそれなりの結果が伴いますが、国語の語彙不足は教科書に一覧で出ているほど便利ではないのです。あらゆる機会をとらえて語彙を増やす事に努力して下さい。 第二は文法の習熟です。用語を正確に習得し、理論を理解し、用法に習熟する必要があります。語彙に比べれば薄い文法ワークを繰り返し練習すればはるかに容易な作業です。 そして、最も強調したいのは、本を沢山読書して欲しい、と言う事です。間違いない! ●社会 社会は国語以上に専門的な語彙が多いかもしれません。パソコンワープロで変換できない漢字熟語もたくさんあります。蛮社の獄だとか廃藩置県だとかを本来の漢字の意味を知らずに覚えようとすると事件の内容と何の関わりもないバンシャノゴク、ハイハンチケンという複雑怪奇な音列を覚える事になり覚えにくくまた忘れやすい。 しかし漢字の苦手な最近の中学生は始めから漢字を敬遠して、その意味と事件内容と関連させて考えたり、と言う事を面倒がってやりたがりません。バンシャノゴクというカタカナの方が覚えやすい、という生徒すらいます。私の推理するに覚えやすいのではなく取りつき易いだけなのだと思います。その証拠に後でテストすると、漢字で覚えている生徒の方がはるかに出来がよい。間違いない! もっとも漢字の出来と国語の出来は必ずしも平行ではありません。今の中学生は漢字の書きの出来は極めて悪いですが読みはそこそこできます。昔の中学生より出来る、という意味ではありません。書きは全く出来ない割に読める、ということです。すると、国語の問題の中核である読解問題はなんとかこなせるので、漢字が出来なく(書けない)とも国語の点は良いわけです。 社会は事項知識の数量が最も多い言葉への依存度が最も高い科目といえます。なかでも漢字熟語はとても多いですから、国語は出来ても社会が苦手、という生徒が多いのはうなずけます。外国との関わりからカタカナ用語も出てきますが中学の社会、特に歴史はやはり漢字用語が圧倒的に多いのです。 ですから、社会の深い理解の基礎は国語、ことに漢字の習熟が重要であるといえます。間違いない! 社会の上達法は?英語・数学はともかく社会で「上達」というのはちょっとおかしいかも知れません。一応全部これで通します。 さて社会の学習はともかく事項知識の多いこと、これの暗記をしないことには話になりません。事項知識の記憶方法については前の説明を読み返してください。それに付け加える事があります。ネットワーク化した事項知識を覚えるときに一つ一つの事項のイメージを思い描く事です。 例えば1192年鎌倉幕府、と念仏を唱えるのでなくて鎌倉の馬蹄状に山に取り囲まれ海に開いた地形や谷津のわずかな低地に細々と開かれた耕地を思い浮かべ、その細長く狭い谷にきらびやかな鎧をまとった白面の頼朝が長刀・弓などを携えた郎等を従えて本営を置くべき地を物色しながら馬を進めて行く姿をイメージするのです。 このようなイメージを編年的に(ストーリー展開にそって)つなげて行きますと記憶が容易で忘れにくくなり、また引き出すのも容易です。 しかしこれには「イメージが湧かない」「イメージがない」という困難を訴える人が多い。それには@日頃視覚的な資料を沢山見聞してイメージを溜める。A事項知識についての資料特に図版や画像を見ること。が大切です。 この時イメージを簡単に湧かせるトレーニングとして、見た後でそれをスケッチしてみたり、本をとじて目をつぶり頭の中で再現する事を必ずやってみてください。何度かやるといちいち再現しなくても後日イメージとして思い出す能力がつきます。間違いない! ●理科 理科は高等教育になれば、物理学、化学、生物学、地学などの専門分野に分かれる広範な学習範囲をもちます。どの分野かで事情は異なりますが、事項知識の多さとか方法知識の比率などは数学と社会の中間的な科目と言えます。それだけに好き嫌いもまちまちで力学や電気は苦手だけど生物は得意とかその逆とか一筋縄では行きません。しかしながら分野毎の専門領域も拡大される一方、領域をまたがる広範な知識も必要とされるのが現在の科学の状態ですから、将来理科系を目指す人は苦手分野を軽視せずに勉強する必要があります。 理科の上達法は社会の学習法と数学の学習法を合わせた方法になります。すなわち事項知識の記憶が主体になる生物や地学の分野では社会の事項知識の記憶法が応用できます。しかし理科では実験とか標本とか視覚的な教材を提供されているのに何故できない? それは社会の学習法で書いた、イメージの再現を試みていないからです。授業が終って家に帰ったら今日習ったことの意味=理論を考えながら実験や標本をイメージしてみてください。はっきりイメージできない場合は補足の図版資料などを参照します。試験の前だけでなく日常的にこれを繰り返していますと意識的な努力をしなくてもイメージを蓄積する習慣が身につきます。 物理学分野では様々な計算法則が出てきますから、数学と同様問題演習反復による習熟が必要です。間違いない! 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