魚菜王国いわて

靖国神社あれこれ

「正論」2004年5月号からの話題です。

靖国神社なんて、私ははっきり言ってどうでもいいし、戦争は国家戦略の一つであり、そして、、戦没者を祀る靖国神社も国レベルの話。
ゆえ、個人的には、靖国神社なんて無関心でしたね。
で、まず靖国神社とはどういう方が祀られているか?ってことから、勉強しなくちゃいけないわけで、都合よくそのことを書いた論文が、「正論」誌上にありました。

そんなの常識で、みんな知っているって?

いやあ、それがそうでもないらしいです。

それでは、東京大学名誉教授の小堀桂一郎さんの「靖国・英霊『分祀』論の妄を弁ず」から、引用などをまじえて書いてみます。

靖国神社の前身は、明治2年に現在の九段の地に創建された招魂社で、明治12年、名称が、靖国神社に変わりました。
これは、名称の変更、別格官弊社の社格付与という行政上の措置にすぎなかったといいます。
そして、この神社に戦歿者が祀られた。
その数は、232万余柱といわれています。
ここで引用します。

戦争犯罪裁判での受刑者達の国内に於ける処遇上、劃期的な判断基準の定立となつた昭和27年4月の第16回特別国会に於ける法改正決議は、自由党、改進党、右派・左派社会党と、与野党挙げての全会一致の可決だつた。この決議があったが故に、それを受けて昭和殉難者達の靖国神社への合祀が実現した。東京裁判の被告だつた14柱の御祭神ももちろんこの国会決議に支へられて合祀されるに至ったのだ。
(「正論」2004年5月号p54)

その後、昭和28年8月に「戦傷病者戦歿者遺族等援護法」が改正され、戦歿者遺族年金と弔慰金の支給が、法務死亡者にまで対象となりました。
ここで少し、この法務死亡者について説明します。
法務死亡者とは、裁判において命を亡くした人のことであり、これは、「A級戦犯」などの犯罪人呼ばわりに対抗する形の呼び方です。
実際、東京裁判のような「不公正」な裁判で、明らかに無罪であるのに有罪にされた人を犯罪人扱いするというのは、それはおかしな話(これは南京での裁判でも同じことが言えます)で、日本の国会などで「戦犯」と呼ぶのは控えなければならない、という小堀教授の指摘は、正しいと言わざるをえません(彼は中曽根元首相の発言が不適当であることを指摘しています。全般に、この論文は、中曽根氏を非難したものです)。

そうですよね。
国からみたら、決して「戦争犯罪人」とは呼べません。
お国のために尽くしたんですから。
しかし、私たち個人にとっては、戦争は犬死でしかなく、その指導者層は、やはり「戦犯」です。
全ての戦争犯罪裁判で命をなくした殉難者は、1,068人とされていて、その後、東京裁判での法務死亡者の数も加えられ、昭和31年、正式に「靖国神社合祀事務に対する協力について」との通知を全都道府県に発しました。
ここで少し引用します。

靖国神社への英霊の合祀は、斯くして国家行政の一端として全国的規模に於いて実施されることになつた。この調査の結果、戦歿者の氏名が「祭神名票」といふ形をとつて厚生省から靖国神社に送られる。その期に及んで靖国神社が祭神の資格判定などを下すわけではない。神社は国の作成した祭神名票に基いて神社としての祭祀手続を取るまでのことである。
(前掲書p54)

ここまでが、靖国神社に祀られている戦歿者についてのあらましです。
以上の引用に関わることですが、途中で非難されている中曽根氏は、「戦犯」を「分祀」する、ということを、靖国神社側に交渉した経緯があるのだ、といいます。
すなわち、重度の「戦犯」を靖国神社から分けて祀れば、公式参拝も認められるのではないか、ということらしい。
それに対し、小堀教授は国会決議を経てただ事務的に合祀したものを、靖国神社を相手に「分祀」を要求するのは筋違いであり、また、どういう基準で「分祀」するのかについても非常に難しい問題だ、としています。
公正でない裁判において、「戦犯」とされた戦歿者をどのような基準を用いて分けるのか、そんなこと、確かに分かりませんよね。
この中曽根氏の主張の裏側には、昭和61年8月15日の北京政府の恫喝に屈服して靖国公式参拝を取りやめた経緯があり、その屈辱から脱却するため、靖国神社の公式参拝を目指すべく方策を練り、その成果を自らの力量として誇示したいのだ、と記述されています。
つまり、中曽根氏には、あからさまな名誉欲が垣間見られる、とのこと。。
以上のことが、「正論」誌上で、小堀教授の書いた論文の主旨です。

靖国のこと、少し勉強になりました。
祀ることは、国会審議を経て法律をもって行われましたが、首相などが公式参拝するという法律はないし、また、そんな法律なんて国会は通らないでしょう(今の状態なら通るかもしれませんが)。
戦争に行かなくたって戦死者はいますし、戦争に行って戦死した人も好きで行ったものではありません(中には好きで行った人もいるかもしれませんが)。
そもそも、靖国云々は、遺族会のご機嫌取り、票集めを目的とする自民党のパフォーマンスですから迷惑なものです。
また、公式参拝を望む遺族会側も、いつまでやったら気が済むんですかねえ。
遺族は、自分の家の仏壇や墓で、戦没者を拝んでいるんでしょうけれど、それにもかかわらず、靖国神社でみなさんに拝んでもらいたい、ということなのでしょうか。

オカルティックな話になりますが、私がもし戦争に強制的に行かされて死んでしまったら、召集令状を出した人を恨みますし、お化けででますよ。
また、総理大臣なんかに参拝されたくないし、家族、親族だけで結構です。
戦死した人が私の家族でも、総理大臣なんかに拝んでもらいたくない。
迷惑だ!って私なら言いますよ。

リバータリアニズムからいえば、「すべての人は、自分自身、自分の肉体、自分の精神を所有しているため、人には生きる権利がある。故に、不当に他人の生命を奪うこと、すなわち、人を殺すことは、人に起こりうる最大の権利の侵害である。」のですから、戦争反対なんです。
どっちみち、戦争というのは、国がするものであって、個人レベルでは、やはり戦争は反対なんです。
戦争を今後100年もしなければ、こんな靖国問題もなくなります。
まあ、積極的な提案とすれば、靖国参拝云々を、マスコミ側が一切無視して、まったく話題にならなければ、賛成反対の宣伝にもならない。
靖国参拝は、賛成側も反対側も国内外含めて、政治活動の材料にされているだけであり、何にも実がない(これは南京大虐殺の構図と同じ)。
つまらない「年中行事」の一つです。

次に、片岡鉄也さんが興味深い論文を、またまた同じ「正論」誌上に発表しています。
ブッシュは、靖国神社を参拝したいんだそうです。
その辺の記述を引用します。

ブッシュ大統領が小泉総理を靖国に誘ったのは2002年2月でしたが、殆ど同時に行った年頭教書では、北朝鮮、イラク、イランの三国を「悪の枢軸」と定義し、5月末にウエストポイント士官学校での卒業式では先制攻撃の理論を開陳することになります。ブッシュが総理を靖国に誘った時には、既に先制攻撃理論を考慮していたのです。
ブッシュが陸軍士官学校で述べたことは東条英機が東京裁判でした弁明と同じなのです。国家は自衛のための先制攻撃を放棄できないのです。大統領はそれを意識していたのです。これは共和党右派が共有する哲学です。彼らにとって戦争は世の常であり、永遠の平和は空想なのです。乱世に生きて、緊張を保つことが鍛錬するというのです。
ですから共和党右派の純正保守は、戦争犯罪と呼ばれるものの中で「人道に対する罪」の追求は是認しますが、「平和に対する罪」という概念を拒絶するのです。更に、ルーズベルト大統領が日本をこの罪で断罪してしまったことに良心の呵責を感じるのです。ブッシュはヒットラーの墓地があったとしても、絶対に参拝したりしません。だが靖国には東条がいるからこそ参拝した。彼なしでは行っても無意味なのです。
(前掲書p267)

ブッシュ自身が起こした戦争を正当化したいがために、そんな参拝するなんて。
日本の英霊がブッシュの参拝を喜ぶだろうか?
戦歿者の遺族は、こんな目的のブッシュの参拝を喜ぶだろうか?
共和党右派はそんなものかもしれない。
世界各国の右派どうしだけで戦争をやればいいんだ!
もう、最後にキレてしまいました。
(2004年4月13日)



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