魚菜王国いわて

三井環前大阪高検公安部長の公訴棄却の申立書

「噂の真相」には幼稚なところもありますが、検察批判については一流と言えるかもしれません。
というのも、他のメディアが全く検察批判をしないため、二流以下がないからです(笑)。
「噂の真相」の存在価値が、ここに大いに認められます。

4月22日、三井環前大阪高検公安部長が「不当逮捕」され、その初公判(7月30日)で、三井被告が次のような申立書を読み上げた、と「噂の真相」10月号が伝えています。
申立書の部分だけ、すべて転載します。
現在の検察の暗闇部分が読み取れます。

1、検察の裏金づくりの実態
検察庁には、調査活動費という予算があります。中小地検では年間約4?500万円、東京地検では約3,000万円、大阪地検では約2,000万円と、その庁の規模によって予算が示達されます。全国すべてが自動的に裏金に廻り、一円も本来の用途には使われていませんでした。全国すべて同じカラクリで、架空の情報提供者を作り上げ、虚偽の支出伺書や架空の領収書を作成して裏金をつくり、事務局長がこれを金庫に保管して裏金としてプールするのです。事務局長が検事正、検事長、検事総長らの高級料亭、高級クラブ、ゴルフ代等の遊興飲食について、すべてこの裏金で支払をするのです。
架空の情報提供者数名を作りあげて、1件の情報につき、原則3万円から5万円の謝礼を支払う形にして、それに見合う虚偽の支出伺書を作成し、架空人数名が3万円から5万円を受領した旨の領収書を偽装する方法で金を浮かせ、事務局長がこれを裏金としてプールするのです。公安事務課長が虚偽の支出伺書や架空人名義の領収書を作成する作業を担当し、仮に年間予算1,000万円であれば、1件5万円とすると、200枚の虚偽公文書と架空名義人の私文書である領収書を偽造することになるわけです。
事務局長は、裏帳簿を作成し、裏金を受領した年月日及び金額を収入欄に記入し、高級料亭から請求があれば現金で支払い、その請求書及び領収書は、裏帳簿に添付したうえで支払い日および金額を支出欄に記入します。
裏金の使途は、職員の餞別や冠婚葬祭に支払うことも若干はありますが、そのほとんどは、高級料亭、高級クラブでの遊興飲食代の支払いに充てられているのです。一晩で少ないときで10万円、多い時には30万円もの豪遊に、このお金は使われていたのです。
これは、虚偽公文書作成、同行使、詐欺、私文書偽造罪に該当し、明らかに犯罪です。これが犯罪でないなどという、どんな弁明が可能でしょうか。

2、検察の裏金づくりを実名で公表する決意をした経緯
平成13年3月末ころ、私の知人の川上道大氏は、加納駿亮ら3名を虚偽公文書作成、同行使、詐欺、私文書偽造罪により刑事告発しました。内閣は、加納の検事長人事につき、刑事告発をされていることを理由に先送りをしました。これを苦慮した原田検事総長、松尾事務次官、古田刑事局長は、長老の政治家を介して政治的決着を図り、その結果、加納の検事長人事が承認されました。これによって、原田検察は、内閣に大きな借りを作ったのです。これで政権に迎合する国策捜査しか出来なくなりました(加納らに対する上記刑事告発事件については、有罪を前提とする捜査ができなくなったのです)。
そして、刑事告発事件につき、大阪高検は11月5日ころに、高松高検は11月13日ころに、それぞれ「嫌疑なし」の裁定をしました。
裏金づくりは、検察内部では公知の事実です。優に事実の認定ができるのに、これを「嫌疑なし」としたのです。真黒を真白としたのです。これによって、検察首脳らは、過去の自らの裏金づくりの犯罪を隠ぺいするため、第2の犯罪となる犯人隠避罪を犯したと断ずる外ありません。(中略)
私は、検察首脳らが犯人隠避罪を犯した昨年11月の時点で、現職のまま、実名にてこの犯人隠避罪や検察の組織的裏金づくりの犯罪をマスコミ等に公表する決意をしました。
検察は、真実のみを追及するのをその使命とします。その検察の原点が崩壊したのです。これは許されません。
この決意のもと、私は、平成14年春ころを目途に検事を辞めて弁護士になるつもりでした。その公表の時期を模索していたのです。
本年3月上旬ころから、実名での公表のうわさがマスコミ等に流れ、私も積極的にマスコミ、政治家とも接触しました。4月3日には、高松検察審査会に、実名で証人申請をされました。
その情報がマスコミに流れ、朝日新聞東京本社、共同通信東京本社、産経新聞東京本社、MBS、NHK,週間朝日、週間新潮、「噂の真相」等からの取材がありました。4月22日逮捕当日の正午からは、テレビ朝日からのインタビュー収録、4月24日にはMBSのテレビ録画が予定されていました。5月の連休明けには朝日新聞が一面トップ報道することになっておりましたし、それを元に民主党の菅直人氏が法務委員会で質問し、私も参考人招致されて証言することになっていました。私は、それを成し遂げたうえで、検事をやめるつもりでありました。

3、本件逮捕は、検察首脳の第3の犯罪となる犯人隠避罪です。
検察首脳は、自らの犯罪や検察幹部の犯罪が発覚するのを恐れてこれを隠ぺいするために、4月22日、私を逮捕したのです。上記加納らに対する自らが犯した犯人隠避罪や、加納らと同様に、約60人に及ぶ検察幹部が虚偽公文書作成、同行使、詐欺等の犯罪を犯していること、これが現職検事の実名でマスコミ等に公表されることを何としても防ごうとしたのです。口封じ逮捕です。
この逮捕劇は、検察首脳や多くの検察幹部の犯罪の発覚を恐れ、これを隠ぺいするために逮捕したものです。逮捕そのものが犯人隠避罪にいう「隠避行為」に該当します。(中略)
そうだとしますと、本件逮捕が犯人隠避罪にいう「隠避行為」であるか否かが、本件審理において、まずもって判断されるべきことです。そのためには、その前提となる検察首脳らの犯人隠避罪や、検察の組織的な裏金づくりと口封じの実態とを、裁判所はまず審理しなければなりません。
確かに、本件逮捕は、登録免許税の軽減措置をめぐる減免事件についての逮捕とされています。しかし、口封じ目的がなければ、このような事案で、現職幹部検事を急遽逮捕することは絶対にありえません。私自身、このような事案で逮捕した経験はありません。恐らく検察史上初めてではないでしょうか。そもそも、この件は、検察官主張のとおりだとしても、脱税事案でしかありえず、本来、罰則もないのです。刑事罰の対象とはならないものを、強引にも、減免用紙1通の財物を騙取したとする刑法犯として構成したもので、違法逮捕であることはいうまでもありません。
真の目的は、口封じ、すなわち、犯人隠避罪にいう「隠避行為」であり、逮捕自体が犯罪行為なのです。
検察は嘘のリークを意図的に展開し、私に対する人格攻撃をし、「悪徳検事」に仕立て上げ、検察の裏金づくりの報道を封印しようとしました。この状況をみても、このことは明らかでしょう。(中略)
なお、再逮捕の収賄事件は、明らかな冤罪事件です。いずれにしましても、渡眞利の嘘の供述を、検察は意図的にリークしました。マスコミはその裏付けもとらないで、競って報道し、多くの名誉と人権が侵害されました。その人権侵害の程度は余りに重大で深刻なのです(中略)。

5、本件事件の背景事情
 渡眞利忠光は、本件マンションについて、六甲連合組長亀谷直人の代理人として、買戻し交渉に当たっていました。私は、平成13年7月上旬ころから、同組長が本件マンションを不法占拠していることを知って、再々退去要求しました。が、渡眞利・亀谷側は、これに応じず、暗に300万円の退去料を要求し、約6ヶ月にもわたり、居住の利益を得るとともに不法占拠を継続しました。それで私は、保全処分を申立て、本年2月5日ころ、同組長を強制退去させました。
本年1月上旬ころ、渡眞利は私に、「先生、週刊誌をみました。川上さんの裏は先生と違いますか。それなりのことをしないと、上にばらしますよ」と、私が検察の裏金問題を週刊誌にリークしていることを知り、暗に金銭を要求しました。さらに、渡眞利は本年2月7日ころ、公安部長室に押しかけ、私は「組長をおらしてやってくれ。長い付き合いでしょう。女も世話したでしょう。すべて上にばらしますよ」と、暗に金銭的解決等を図るよう言われました。
私はこれを断固拒否しました。渡眞利の立場からすると、組長は強制退去させられ組事務所(警察が暴力団山口組系六甲連合事務所と認定してます)を奪われた上、退去料等は一円も取れなかったのです。(中略)そのため渡眞利は、検察に対し、嘘の供述をまじえて「私の方から買戻しの請求があり、公安部長室に呼ばれて、3,000万円で買戻しをするように強談され、また、たかり接待等を要求された」などと情報提供したのだと思われます。
 他方、検察は、通常であれば、このような情報提供があっても絶対に動くことはありません。しかし、当時、私が原田検事総長ら7名による犯人隠避罪、すなわち、加納に対する虚偽公文書作成、同行使、詐欺等事件[裏金づくり]で犯罪として事実が認定できるのに、「嫌疑なし」と裁定した件や、検察の組織的な裏金づくりを、現職検事のまま実名でマスコミ等に公表するとの情報を得ており、渡眞利の情報に飛びついたのです。
検察は、4月15日ころから、最高検に危機管理チームを編成し、情報収集を行っていたようです。そして、逮捕当日の正午から私に対するテレビ朝日の鳥越氏からのインタビューを収録するとの情報をつかみ、4月20日、「法務省三田分室」にある料亭「かつら」において、原田検事総長をはじめ、法務、検察首脳部が集まり、いわゆる「御前会議」が開かれ、私に対する4月22日の口封じ逮捕が決まったのです。
翌21日、逮捕状を請求し、逮捕当日の22日に逮捕状がは発付されました。
このように、渡眞利の虚偽の情報提供と検察の口封じの利害とが一致した結果、私は、急遽逮捕されました。

7、収賄事件
検察官主張を前提にしてさえ、減免事件は、あまりに軽微事件であり、検察は、口封じであるとの批判をかわすことが出来ませんでした。現職幹部検事を減免事件だけで逮捕・起訴して捜査を終えることは出来なかったのです。また、減免事件のみの起訴であれば、すぐ保釈となって、検察の裏金づくりが公表されるということも検察は恐れたでしょう。(中略)その結果、なりふり構わず、何がなんでも、でっちあげてでも、収賄事件を逮捕・起訴しなければならなかったのです。検察は、そういう状況下にありました。
その意図の下に、私が渡眞利と飲食した事実と、7月16日に前科調書を入手した事実に目をつけ、これを巧みに利用し、でっちあげをしてでも、収賄事件で逮捕することは至上命題であったのです。(中略)
収賄事件は、渡眞利の供述のみが根拠で、渡眞利の極めて危険な供述をうのみにする他に道はなく、また、検察は、その供述をうのみにする以外、逮捕も起訴もなしえません。しかし、検察は、その供述をうのみにして、収賄事件も起訴するという暴挙に出たのです。(中略)
渡眞利は、平成13年6月29日、私が200万円を貸した直後、私から、様々なことを言われたなどと供述しています。「自分らが解決できんことや、警察沙汰になったときには、たいがいのことはわしが解決したる。警察の事件が発生しても、捕まる前に言うてこい。前科があろうが、戸籍であろうが、すぐに調べたる。保釈も一発でとる」などと、ものすごいことを言われたなどと言っています。たかり接待等を要求し続けられたなどの虚構のストーリーを供述し、私の悪質さをことさら強調する供述になっています。
ホテル「グランドカーム」における接待については、渡眞利供述が示唆するデート嬢は、昨年12月に殺害されているというのです。このように、裏付不可能な「死者」を持ち出すことは、暴力団関係者がいつも使う手です。しかも、その裏付証拠は皆無です。検察及び渡眞利双方が意図的に強引にも虚構の事実を作りあげるという、極めて悪質、特異な検察史上例を見ない最大のでっちあげ事件といわねばなりません。
本件の真相は、次のようなものです。すなわち、平成13年6月12日ころから同月15日ころまでの間、渡眞利自らの事業の資金繰りのため、再々執拗に金策方の要請を私にしていました。結局、6月19日、200万円を貸す予定となりました。しかし、私の母親が亡くなったため、これが延期され、6月29日に200万円貸したのです。同日、渡眞利は、私が大阪高検公安部長であることを知りました。
渡眞利は、200万円を借りたことに味を占め、7月13日まで、再々執拗に、時には恐喝的言辞を弄しても、金策方を依頼してきました。私が断りますと、松山市在住の私の知人方にも押しかけて金策方を頼むなどしました。しかし、その後、事業が破綻した結果、飲食を共にすることも、また、私に対する金策方の要請もなくなったのです。
結局、検察は渡眞利が私を検事と知った以降の飲食等の事実を捉えてこれを強引にも収賄事件としてでっちあげたのです。しかしながらその実態は、6月12日から7月13日までの約1ヶ月間にわたり、(中略)始終かわらない飲食を共にしたものなのです。いずれにしても渡眞利から誘われた個人的な飲食であり、そもそも収賄罪が成立する余地など全くない事案です。(中略)
検察首脳は、自らの犯罪の発覚を恐れ、これを隠ぺいするため、国民から与えられた捜査権を私物化し、内部告発者を封印しようとしたのです。この検察の卑劣な犯罪行為は、法治国家にあって、断じて許されべきではありません。私は、検察首脳のこの犯罪行為に対して、心底から怒りを覚えるものです。
(「噂の真相」2002年10月号p26)

この申立書を読み上げ、最後に三井被告は、こう発言したとされています。
「原田総長ら検察の犯罪は金銭も多額で重大だ。どうして私が被告席にいるのか。ここにいるべきは、原田検事総長、松尾元事務次官、古田元刑事局長、大塚大阪高検次席検事、加納福岡高検検事長、東條元大阪高検検事長、佐々木大阪高検検事正ら、検察首脳でなければならない」

初公判の行われた7月30日といえば、私は八戸にいた頃で、新聞はおろか、テレビさえも見ていません。
当時のメディアは、この初公判をどう伝えたのでしょうか?
知っている方は教えてください。

なお、詳細は「噂の真相」10月号を!
(2002年9月16日)



噂の真相関連へ

トップへ