魚菜王国いわて

「宮古島市」誕生で考えること

宮古市は悪者?
「宮古市」という市名重複が回避されたことで、宮古市関係者は、ホッと胸をなでおろしていると思います。
実は私もその一人で、「宮古島市」誕生で、悪くはない気持ちです。
ところが、世の中はなかなかそうもいかないもので、宮古市に対して、悪感情をもっている人も少なからずいるようで、宮古市関係者としては、心外なことです。

代表的なものが、「Jingさんのひとりごと」の「らくがき横町」で紹介されていたhina氏の「So-net blog:ひな私語録 ブログ版」で、宮古市の市名干渉を非難している記事が全部で4つあります。

本日のニュースその2 http://blog.so-net.ne.jp/hina/2004-12-19
【本日のバカニュースその1】 http://blog.so-net.ne.jp/hina/2005-03-08-1
熊坂義裕糾弾キャンペーンその3 http://blog.so-net.ne.jp/hina/2005-03-09
熊坂義裕追撃キャンペーン番外編(おまけ) http://blog.so-net.ne.jp/hina/2005-03-10-1

3月8日からは3日連続で、その情熱には驚かされます。

最初にダボについて。
本当のところ、私は「ダボ」という言葉の意味を、よく捉えていません。
ダボハゼは、「何にでも食らい付く」ということから、マスコミなんかがよく例えられます。
hina氏は、どういう意味でダボと使ったのか?
こちらとしては、「最もけしからんヤツ」とでも解釈しておきます。

宮古市民の感情
「二つ目の宮古市ができる」と聞いて、宮古市関係者はどういう感情を持ったでしょう?
「嫌だ」という人がほとんどだと思います。
宮古市以外の他の市で、もし、同様のケースが生じた場合、その市の関係者にも同じ感情が生じると思うんです。
人に感情が沸き起こる時、その理由を考えても、なかなか思いつきません。
「面白い」から「面白い」。
「面白くない」から「面白くない」。
「嫌だ」から「嫌だ」。
「面白い」や「嫌だ」の根拠を問われても、それにスパッと答えられる人は、そういないと思います。
しかし、今回の市名重複で、宮古市関係者が「嫌だ」という感情の理由を強いて考えれば、それは「Only One」です。
人はそれぞれ、「自分は自分でありたい」という感情を持っているものですから。

宮古市は、昭和16年に、宮古町、山口村、千徳村、磯鶏村が合併して、「宮古市」と名乗りました。(「末広町の歩み 1」)
平良市は、どうして平良市だったのでしょう。
もし「宮古市」という地名が最も良いのならば、最初から「宮古市」であったはずです。
ところが、現実には、平良市だった。
今になって、どうして平良市じゃダメで、宮古市なのでしょう?
平良市であっても、宮古島という名称は消えていませんし、宮古列島や「熊坂義裕追撃キャンペーン番外編(おまけ)」に書いてある「宮古テレビ」「宮古毎日新聞社」「宮古新報社」「 FMみやこ」「 宮古観光協会・同青年部」「 宮古地区婦人連合会」という名称も消えていません。
再度書きます。
どうして平良市じゃ、ダメだったのでしょう。
平良市には、歴史的に重みがないとでもいうのでしょうか?
結局は、合併で、市名を“作る”という行為を、当事者が選択したのです。
その際、こちら側が、「わざわざ岩手県宮古市と同じ市名にしなくたって・・・」という感情を持つことは、ごく自然のことです。
以上のことから、宮古市が、重複市名に対し、いろいろと干渉しようとするのは、ごく当たり前のことだと思います。

しかし、そんな感情が渦巻く中でも、明確な反対理由というのを、私はなかなか見出せませんでした(私以外にもたくさんいると思います)。
それでも、私やその他の人たちも、心の中では「何とかならないかなあ」と思って静観していたのです。
感情の持ち方も個人差があり、行動にも個人差があります。
強硬に書き込む人、静観する人、さまざまです。

「お互いうまくやっていく」
【本日のバカニュースその1】では、宮古市長の発言を恫喝としています。
宮古島市の市民が、hina氏の書いたとおり、「恫喝」と捉えるならば、宮古市を恨む事になるでしょう。
そして、岩手県宮古市は、全国から悪者にされます
しかし、逆の立場、例えば、宮古島市が先に「宮古市」と名乗っていて、こちら側が後から「宮古市と名乗りたい」と言い、同様に拒否されたとしても、当方が先輩を恨むことはありませんし、先輩「宮古市」を悪いとも言いません。
岩手県宮古市の人たちは、一般に“のほほん”として生きていますから。
行ったことがないのでわかりませんが、閉鎖された掲示板の“新市協定”さんの話から想像して、宮古島の人たちも、あまり変わらないんじゃないかと思っています。
「恫喝」という言葉をhina氏が使うのは勝手ですが、当事者でない方が、要らぬ遺恨を生み出すような形で書き込むことは、おかしなことだと私は思います。

何かで対立しそうな時、「お互いうまくやっていけないかなあ」と誰しも思うものです。
最終的に市名が二つになってしまった場合、これはしかたがないことで、それはそれで尊重しなければなりません。
しかし、そうなるまでに、“当事者”同士が「あ〜だ、こ〜だ」というのは、何も悪いことではありません。
「あ〜だ、こ〜だ」と言い合うのは、将来「お互いうまくやっていく」ための“手段”の一つなのではないでしょうか。

合併による市名決定では、あちこちでスッタモンダが展開されていますよね。
身近には、隣県の「白神市」を競う2新市や、幻の岩手県「平泉市」、それに関わった一関市などなど。
裏返せば、みんな宮古市の“ダボ”たちと同じように、「Only One」という感情を伴って、当事者同士で言いあっているのです。
みんなダボの仲間です。
ダボ同士うまくやっていきましょう。

それにしても【本日のバカニュースその1】の中の「市名もろとも津波で沈んじまえ、このダボが。」とは、たいそうな捨て言葉ですよね。
Web上の言説って、こんなものでしょうか。
落胆の色濃し。
(2005年3月25日)



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