魚菜王国いわて

レントゲン・CTスキャン画像の限界

がん患者の物語
今年(2005年)5月に、私の叔父が倒れてしまい、生死の境界線をさまよった。
突然具合が悪くなり、県立宮古病院へ診てもらいに行ったら、ただの風邪ということで帰ってきたのだが、次の日になっても症状は改善されず、どういうわけか翌日病院から呼び出され、そのまま内科へ入院。
前日、当直の医師が内科医ではなくて、誤診だったらしい(その後の話では内科長に叱られたとか)。
この内科長の判断は“この時”は正しく、その夜、一度目の危機が訪れたが、そこは何とか脱した。
ところが、困ったことに、異常な発熱、乱高下する血圧の原因が、何なのか全くわからない。
ゆえ、食事はおろか、水さえも与えられない。
血圧が20まで下がった時は、もう終わりかとさえ、思った。
血圧を上げる薬というのがあって、それを使用したら、一応安定。
問題は発熱で、体中に氷枕を当てて、発熱を抑えなければならないほどの高熱が収まらず、病状も悪化する一方。
医師の側も何が何だかわからない。
この辺に医学という学問の脆弱性が見えてくる。
こうなると、担当医師の判断力に医師の力量が問われるのだろう。
医学という学問を超える(医学という学問で未解決な)領域を、うまくこなせるかどうかで、良い医者かダメな医者かが判断できるのではないか。
学問すら身につけていない医師など、ヤブ医者で論外。
そんな医師は即刻やめるべきだ。

担当医師は内科長で、家族の同意を得て、ある治療法を選択し、それで何とか、病状の悪化を食い止めた。
ここで病状と書いたが、まだ、病名も原因も何も特定できていなかったのだ。
しかし、“この時”の内科長の判断も正しかったのだろう。
一応、病状が比較的安定し、CTスキャンを撮ることに。
この後の診断が何と悲惨なものだったか!

がん。
末期がん。
それもあちこちに転移しまくっての、末期ガン。
大腸がん、肝臓がん、胃がん、最後の転移先が肺がん。
あちこちの担当医、すなわち消化器科、呼吸器科などの医師を集め、意見を聞いても、ほぼ間違いない。
もって、2、3日。
もしかして今夜で終わりかも。
絶望。

こんなことがあるのだろうか。
つい数日前までいっしょに仕事をしていた人が、具合が悪くなり、診断結果が絶望。
聞いた瞬間に私は涙をこらえることができず、しばらくはうずくまっていた。
この叔父さんからは、いろいろなことを学んだ。
船の機械関係、無線関係の知識は、ほとんど叔父からのものだった。
また、あらゆる漁の手さばきの手本にもなった。
絶望的な診断が下ってから、5日ぐらいは何もできず、ただ病院へ行って、看病するだけ。
家族、近い親族は、ただ右往左往の毎日だった。
あらゆる数値は悪くなる一方で、酸素マスクをはずすと、途端に、酸欠の警報が鳴り出し、足はむくみ、色も変色して、痰には血が混じる。
がんの痛みを和らげるため、モルヒネの点滴。

ところが、2、3日のはずが5日もって、1週間もった。
これは奇跡が起きるかも?

ほんの少しの希望から、イカ釣りの艤装を、私はやりはじめた。
父とも相談し、もし1ヶ月も生きたら、それだけでも奇跡だから、その間、日本海へ行ってくる事に。
5月という時期はいつも日本海へイカ釣りに行くときで、私一人で、準備しはじめ、ある程度の下準備をしてから、他の人たちに手伝ってもらい、日本海へ回航したのが、6月中旬。
一人の仕事なんて、そんなもの。
しかもエンジンの整備など、ほとんど倒れた叔父がしていたものだから、私は何もわからず、機械屋さんに聞きながらの仕事。
これじゃ、仕事が進むわけがない。

出港時には、絶望的な末期がん患者は、なぜか、水も飲めるようになり、ヨーグルトぐらいは食べられるようになっていた。
血圧を上げる薬は要らなくなり、モルヒネも減らしている。
奇跡は起きるのか!
しかし「がんは治るのだろうか?」という疑いは、依然として晴れない。

日本海での漁は、遅く行ったにもかかわらず順調で、気がかりなのは、叔父の病状だけ。
しかし、毎度の電話では、どんどん回復しているという。
医師団もびっくりで、本人の希望(これがものすごかったらしい。とにかく医師が来るたびに食わなければ死ぬだろうと説き伏せたとか)により、どんどん食事を普通に戻していき、何でも食べていいことになったそうだ。
悲惨な診断が下った頃は、水もほとんど飲ませることができなかったくらいだったのに。

肺のレントゲン画像からは、曇りが消える。
胃カメラ検査、異常なし。
大腸がん検診、異常なし。
肝臓に少しできものらしいものがあるだけになり、めでたく8月に退院。
「末期がんの患者がめでたく退院?」
これは本当の話である。
現在は肝臓も異常なしで、落ちた体力を回復するために、毎日あちこち歩いたり、イカの水揚を手伝ったりしている。



画像診断とは予測と同じ類のもの?
以上が今年の初夏に起こった私的事件であり、サイト更新をしなくなったきっかけでもあります。
途中“この時”と書いたわざわざ“”で囲んだことには理由があります。
後の非情な診断は、誤診だったのではないかと考えざるを得ないからです。
末期がんが本当に治るのだろうか?

私は日本海から帰ってくると、八戸沖で、昼イカ漁をしていました。
タイミングよく?休日にひどい下痢を起こしてしまい、仕方なく八戸市民病院へ深夜急患でお世話になりました(下痢で病院へ行くなんて恥ずかしいかぎりなんですが、30分ごとにトイレで、とても寝ていられない。医師の診断中もトイレ、点滴中もトイレですから、さすがの医師も「これじゃあ、仕方がないよなあ」とあきらめ顔。ここでも勉強になったんですが、下痢という症状は、腸にとって要らないばい菌を排出しようという生理現象なんだそうで、下痢は無理に止めるものではないんだそうです。むしろ水分を取って、ばい菌を排出するまで下痢したほうが良いとのこと。水分を取らないとどうなるか?体内の水分を腸から排出してまで下痢するんだそうで、口から水分を取らないとそのまま干からびて人は死ぬそうです)。
そこで、担当医師に、今回の事件を話たところ、心不全の直前のレントゲン画像は、肺が曇って映ることがあるとのこと。
つまり、死ぬ直前の人のレントゲン画像は、曇って映ることがある。

もしかしたら、私の叔父も死ぬ寸前だったので、CTスキャン画像も変に映ったのかもしれない。
そうでなかったら、「がんが治った」ことになります。

叔父は非常に重い肺炎に罹ったのだろう、と私の親族は思っています。
それゆえに、死にそうになり、レントゲン、CTスキャン画像もすべて、変に映った。
そう考えるほうが無理がないような気がします。

とにかく叔父は死にそうになって、判断力のある内科医が担当してくれて、それで助かった。
今回の顛末について、宮古病院の医師誰一人として、明確な答えを出す人はいません。
もしかしたら、どこにもいないかもしれない。
(2005年10月22日)



加筆
その後、叔父の病名は「肝膿瘍」とわかりました。
ネット検索すれば出てきます。
しかし、あの病状からの復活を、宮古病院の医師や看護師たちは、驚いています。
(2006年1月15日)

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