私の考え方は、ある意味偏っているかもしれないね。
これは年頭に際していうことではないが、どうも技術論ばかりを唱えているとまずいらしい。身心一如の修行法を考えれば、体と心の調和をはかることなのだが、まだどうしても心の前にある身(体)が気になってしまう。やっぱり修行不足でしょうかね。
誰でも「自信」について考えたことがあるだろう。それは自らを信じることなのだが、どうしても不安が消せないようだ。しかし結論は、「少林寺拳法の修練」を無駄に過ごしてさえいなければ大丈夫なのである。ただ注意すべきは、体が分かっていても頭が分かっていないことに問題があるのである。誰でも自分なりの目的のために少林寺拳法の門を叩いたことだろう。そして春夏秋冬、はたまた暑い日も寒い日も絶え間ぬ努力をしてきた筈だ。だったらその努力を本気で信じさえすれば問題は解決じゃないかな。要するに何もやっていない人間に、日々修練している者が負ける筈はないと信じることが大切なのだ。しかし自惚れでない自信と努力がポイントになるけどね。
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