ネット検索をしていると、世の中には色々な武道があることに気が付きます。相手に触れずして投げ飛ばす技を披露している団体や、ほんの少しの力で相手が吹っ飛んでしまう技を奥儀とする団体など多種多様ですね。
しかし考えて見ましょう。「己の力をまったく必要としない。相手の力や体勢の変化,崩しも利用しない。」...有り得ないでしょう。一万歩譲って、そのような神技を使える人がいたとして、果たしてそのような技術を万人が会得できるのか甚だ疑問ですね。言いたくはありませんが、本物だとしたらそれは「特殊潜在能力(超能力)」か何かでしょうか。(笑)
そういえば随分昔、手刀切りでビール瓶の首を鋭利な刃物で切断したように飛ばすことができる空手家がいたとか...これも尾ひれが付いた噂話の一人歩きでしょうね。確かにビール瓶を割ることはできるのでしょう。しかし「鋭利な刃物で切断したように」となると話しは別です。「物理的に有り得ませんね。」そのようなことは、冷静に考えれば誰にでも分かることです。
10年,20年,30年修行しても会得できない技術。陶酔して高額な個人セミナーに参加する日々...お金と時間の無駄ですね。そもそも技のみに執着することに何の意義があるのでしょうか。気が付いたら老人になっていました...なんてまるで「浦島太郎」のようですね。
ところで、あなたは主催者から高額な個人セミナー受講費の領収書を頂いていますか。主催者は確定申告をしているのでしょうか。脱税していないことを切に祈ります。
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少林寺拳法 開祖(宗 道臣)法話
「少林寺拳法は単なる人集めの手段である。今時、格闘術など所詮旧式なものである。そんなものを学ぶためだけだったら意味がない。少林寺にはいらない人間だ。すぐに止めてもらっても結構だ。いいか、そもそも闘うことだけが目的だったら、拳銃でも買った方が手っ取り早いぞ。(笑)それよりも、人間として何を学ぶべきか、そしてそれを社会にどう活かせるかが大切なのである。」
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