2016. 9.20火曜日19:00アトリエ戯座 演戯集団ばあくう 読演75 山崎豊子「死亡記事」
病院でふと、というか日常化、新聞を読む主人公。社会面欄に知っている人がいる。知っているひとといっても何年も会っていない。新聞社に勤めていた。戦中戦後の頃。そこで主筆をやっていた人だ。新聞記事には本人の輝かしい経歴が書かれているが、そのあとに、「なお、氏は生涯独身であった」という記載があり、そこを見た時、次々と思いだすことがある、という話。生涯独身であった、などという一節がいまどきありそうにもない話だが、当時としては重要なことだったのかも知れない。
まずは新入社員時代。他の新入社員と共に挨拶をする。その時片方の足がないことに気がつく。あるとき法隆寺の資料を頼まれたこと。酔って列車にはねられて片足を失ったこと。自分も油断していたが、部下の不手際で記事の重要な部分を逃したこと。また想像かも知れないが女性関係と、次第にこの人物の姿があらわれて来る。空襲でみんなが地下に避難していった時どうしたか。最初は自分とは関係ない、見かけも経歴も。ところが圧巻になっていく。個人の記憶から来る歴史だが、その個人にしかわからないこと、これはスタイルというものを扱っている話で、スタイルと思うとスタイルは逃げて行くような危機になんども毎度おそわれていくことか。
2016. 8.20土曜日19:00アトリエ戯座 演戯集団ばあくう 読演74 杉本章子「秋鯖」
おたみには2人の娘がいいる。お花とお光。お花は内向的で、妹のお光は社交的。お花が損な性分なのを気にかけている。米問屋の女房。実家も米問屋。夫は少しよれている。夫の下に弟、義理の弟がいるがこれが働き者。評判も弟の方がよさそうだ。その弟の女房がおそので、弟夫婦も同じ敷地内に済んでいる。
そのよれている夫が帰ってくると、どうやら食あたりらしい。ついで店にでると今度は、弟の女房のおそのもどうやら食あたりらしく、2人とも同じ腫れ物も出ている。おたみはおさとを見舞い、普段とは2使わずか、釘をさす。いつもひかえめなおたみの言葉に驚くおその。それにしても、おたみは思う。今までは働きのわるい自分の夫が家を出て、問屋は弟夫婦が継いでも仕方がないと思っていたが、こうなると自分にも意地がある。そこで夫にもお灸をすえて頑張らせるが、弟の女房のおそのは憤まんやりかたないという表情をする。このあと2ページで終わる。おそのの顔がちらつくのをどけてしまう。
2016. 7.10日曜日15:00アトリエ戯座 演戯集団ばあくう 読演73 岡本かの子「家霊」
お家流という流派の文字、どうも一般的な文字のようだが、その文字で「いのち」というのが店の名で、この店の名は、始めは流行ったのかも知れないが、その後はインパクトがなくなっている。どじょうとかナマズやすっぽんの店、精がつくといわれる食べ物の店。おいしいらしく値段も手頃らしく、広くはなさそうだが客足は途絶えていない。丁度舞台となっているこの頃では、この「いのち」という言葉がいまどきの青年には、むかしとは違うのだろうが、人気の言葉になっているらしく、若いお客さんもいる。
店はおかみが切り盛りしているが、一応主人公はその娘で、くめ子。多分会社で3年働いて、母の病気で帰って来ている。家の仕事は嫌いであった。わざわざ精力をつけることもなかろうに、というふうには書いていないが、若いこともあって、もっとさっぱりとしたものとも書いていないが、要するに職業についたが、それにも、ここでは同じ繰り返しばかりといっているが、自分でもあきあきしていた所であった。
暮れ、年の瀬もおしせまった頃、ある日、そろそろ店を閉めようかという時刻。そこに出前持が、徳永が、御飯つきのどじょう汁を頼んだとのこと。徳永はもう百文以上ツケがたまっている。母の時からツケにはかまわず注文は受けているので、だそうとすると年長の出前持が、そりゃいけませんよ、という。年の暮れなんだから、そろそろ入れてもらわないと、という。それもそうだと注文はとばして、店の者みんなで夜食を食べる。
そのとき、徳永老人があらわれる。どじょうはまだですか。いくらか入金して頂かないと。ここで老人、寒いからと店に入り込む。体格はあるが貧相な老人。このあとえんえんと彫金の話をする。実際の見ぶり手振りを見ると、なかなかの腕前らしい。実は毎度のことらしいのだが、結局あとでどじょう汁を届けますという話になる。
ある夜、ちょうどくめ子だけがいる時に、老人が入ってくる。老人はいう。若い頃からどじょうが好きで、うらぶれて苦しいときでも。そしてくめ子の母親の話をする。ちょうど今みたいな話をした時に、母親の方、おかみさんは、どじょうが欲しかったらいくらでもあげますよといってくれた。その代わり、これぞと思った品が出来たら、支払ってもいいからわたしにおくれ、それだけでいいと言ってくれた。
まだおかみさんも若かった頃。
そのおかみさん、つまりくめ子の母は亭主の放蕩に耐えていた。このあたりまでで半分。
2016. 7. 8金曜日20:00甘棠館 バカダミアン 「銀河のくそ野郎ども」
うしろに細長いテーブル、黒いクロス、上に国旗や銃が載っている、さらにうしろに折りたたみイスがいくつか、しかしこれらはほぼ使われない。男4人登場。ひとりがマイクに。3ばか大将のお話だ。しばしシュシュッと、外からドーム内に入るエアロック動作、シュシュッ、歩こ歩このかけ声。「どこへ行くのよドナルド」「ああ、ドロシー」。エクスカリバナナ、化け物め、ここにいたのかドミニカ、くさいものにふたをするポーズ、どんなポーズだったか、宇宙国立伝染病の保養所。
そこをまとめているチエ。でもあたしたちにはチエがいてくれるから大丈夫。好きな事で苦労することはしあわせなことです。前に向かって歩いてすぐ横向きに倒れ込む。フィデルあらわる。ロックフューラーの秘書の女。ロックフューラーはテストするひとを捜している。ある朝目覚めたらホーは脱皮していたんです。
宇宙船でハバナへ向かう。途中で何人かがやられる。両手を伸ばして死んだ人の格好。ブンやさんが来てカストロールのインタビュー。今までで一番楽しかったことを思いだせ。「チエは知らんふりは出来ん、自分の手をよごす」。同期はどちらでもいい。バチカブル攻撃。派遣の四天王。チーム感。
チエ、ハバナから出る。「これほど国民が支持してくれていないとはな」。だからこそいい奴に会えたらうれしいじゃないか」。
2016. 7. 1金曜日19:30博多リバレイン 劇団HallBrothers 「男の嫉妬」
左手にソファ、こちらから見て縦長に。その右の奥にもソファ、こちら向きに、右手に50センチくらい高さのあるスペース、上が畳二畳敷きで本棚がくっついている。本棚は三段だが、2段目からが畳の上。会社のリフレッシュルームという設定。ラストの吉富の挨拶以外はすべてここ。嫉妬という字を初めて覚えるというか書いていて、この場合は男偏なのかと茶々を入れるがぱっとした茶々ではない。作品名に既に引いているのか、見て正解だったが、ケイタイとスマホで何だか街中が宴会みたいだとか、見る前から少し負のスパイラル。チラシにはネガティブ感情をテーマにしていると書いてあったが、そうでもなくて感情そのものだからか好感あり。
「どうぞどうぞどうぞ」「失礼します」「リフレッシュルームよ、好きなことしてて下さい」と麻理恵と三浦。「がんばります」と新入社員の三浦、テンション高い、「いつまでいってられるかしら」という声あり。吉富くんと津久見くんが加わる。「成果でみせなきゃ」とか「我が社のほこるリフレッシュルームだからね」とか。
ヌードが変わる。「どうせ今月もダメだ」「こんな申し訳程度のリフレッシュルームなんて笑わせるよ」吉富くんは成績も悪く。また一貫して自分よりもいい会社にいった者がうらやましい。福利厚生でもよさそうだし、いい会社にいった彼女とも自然に別れてもいる。仕事についても負のイメージ、お年寄りに健康ドリンクを売る、どうも世間からもサギ集団の会社といわれている節もあるらしく、実際にそうもいわれてそれでも頭を下げているという。
その吉富の彼女らしき経理の岡島さん。吉富と同期の鈴木。同期で残っているのは2人だけ。社員の芽衣子さん部長の石川さん。鈴木は成績がよく今月の社長賞マチガイ無し。石川は鈴木に「おー鈴木、5月、調子いいなあ」それにひきかえか吉富には「おいおい逃げんなよ吉富」精神論が始まり、部長はあーっはあっーと気合いを繰り返す。一番面白い場面で、気合いの止まらない部長を止めると、急に小声になってのどがかれている。同期の鈴木は忠告する。これが全体の引き金になる。「本気で仕事捜してるの」「環境のせいにするのは言い訳だよ」。
女性4人、同じくリフレッシュルームにて。芽衣子さん、肩の肉が0.5センチ落ちたとドリンクの解説、2つのB、バーンとブロック、昼間バーンで燃やして夜はブロックする。この頃吉富さんが変わったという話。なんとあれだけ落ち込んでいたのに打って変わって2ヶ月連続社長賞となっている、何で変わったのかしら。
部長と新入社員だった三浦さん。三浦さん、打って変わってテンション下がっている。新入時のがんばりますよが嘘みたい、「だからその、陰気なオーラだしてんじゃねえよ」、ここでまた部長さんが、あっはっと気合いを入れ出す、「ネガティブ・オーラふりまかないでよ」と誰がいったか。
その吉富くん、「売れなくてもいいやと考え出したら、うまくいきだした」「お客さんとの会話を楽しみだした」という。とはいえついつい「まあちょっと本気をだしただけですよ」なんてことも。そこで鈴木くん津久見くんなどと、ミニアイデア会議。鈴木君、「個人の努力に頼らず仕組みを変えないといけない」、誰かが劇場仕立てでホールを借りて、数字でなくわかりやすいものを」、そこで津久見が知り合いに劇団員がいるという、そこに頼むかダメだったら他の劇団になどと。
そういえばマネージャーのポストが空くとの情報。あるいは芽衣子さんの好みは、強い男、強い男とは出来る男の意味。鈴木と吉富、みんな先に止めた、ひとつの所でがんばれるってすごいよ、などといい話。
急に変わる男。吉富もあせっている。恋人の岡島さん、経理のひとに、他の奴の成績を教えてくれ、社長賞を連続させてぜひともマネージャーに。暗に結果を書き換えてくれともいっている。すごい構成。うまくいったらいったでまだその次、引いてしまうようなスカッとしているような。嫉妬は自分基準での浅い理解。
津久見くんは、吉富鈴木の少し後輩だが、経理の福田さんと話している。例の劇場もの、800人ホールの司会、オレでいいんですか。芽衣子さんはそれまで出来る鈴木くんと少しのみつきあったみたいでもあるが、吉富くんの店舗に配置希望する。鈴木くん嫉妬する。おまけにマネージャーを希望もしている。ダブルで落ち込みかけている鈴木、ついに部長に希望を述べると、部長は娘の発表会のドレス代がと暗に物品を要求する。
吉富のあせりはつのる。こわい顔。麻理恵さんは社内の情報通で、ワイロを要求しつつ、他のひとの悪い噂を広める。この間に三浦さんも津久見くんもちからをつけたのか、少しずつ成績が上がっている。なんだか自分が作った会社でもないのに、とひとごとだからか思える。吉富くん、三浦サンにも、鈴木はかかえこむたちだから、ご飯を食べるとかしてあげてよ、そして情報を自分にという。三浦さんは素直にいいことをする見たいな感じでわかりました。かたや芽衣子さんは強くなった吉富くん、岡島さんという年上の彼女がいるのに、吉富くんをくどこうとする。「重くないですか」というと、吉富くん、うーんと思う、さらに「結婚する気まんまんの女性って」などと挑発する。
その岡島さんと福田さん、経理の2人。福田さん、「吉富さん、3ヶ月社長賞って、すごいですね、特に月の途中からが」という。実は岡島さんが吉富くんの成績を誤摩化しているらしいのだが、それは最後まで明らかにされず。このあたり、むりをしているのが自分に見えないこわさ。それにひきかえ、鈴木くんは落ちちゃった。鈴木くん、何もかもうまくいかず。ここは大丈夫だと思わずいいたい所。芽衣子さんがどこであらわれたか「私、吉富さん、とっちゃいますよ」。
鈴木くんが三浦さんに怒る。「うちの店舗の情報を持っていってる」あやまる三浦さん、「ふざけんじゃねえよ」「ばっかじゃねえの、おまえ」。いつしか三浦さんは重要な情報を吉富くんに流していたらしい。「いつ、いつ終わりが来るの?」、岡島さんがいってたか。なんだか情報通の麻理恵さんが一番まっとうに見えるくらいの雰囲気。プライドや嫉妬、ここまで来ても他の一流会社にいった同級生なんかと比較してしまう。
石川部長あらわる。「マネージャーは津久見くんに」。ついに後輩に抜かれたか。津久見くんいわく、「でも、それが実力なんすよ、吉富さんの、そんな、必死こいてなきゃいけないなんてことが」。ひとごとだとすかっと納得。
1年後か、吉富くんが部長に製品の説明をしている。吉富は会社を立ち上げて、といっても一人だが、部長の所に宣伝に行く。彼女の岡島さんはまだ会社にいるが、つきあいは続いている。ところで、「皆さんお元気ですか」。鈴木くんもまた社長賞をとっているし、皆さんも何とかやっているらしい。あのときはひどかったが、「オレはラッキーだったなあ」と吉富。実際見ていてもそう思うのだが、ところが話してしまうとつい比較になる。「オレはラッキーだなあ」という台詞が、その通りなのに繰り返すと沈む気分になる吉富。ここまで来ても、負のスパイラル、その入口はそれでもあるというところで終わる。
ネガティブなテーマを扱っているといいその通りだろうが、その台詞を繰り返すとこれまたあぶなそうな事をあとで思うからまた不思議。
2016. 6.20月曜日19:00アトリエ戯座 演戯集団ばあくう 読演72 ウージェーヌ・イヨネスコ 「大佐の写真」
「私」は、市の建築技師に連れられて、穏やかで素敵な屋敷街を見学している。ここまでパンフレットから、その通りで、少し高台で暖かい、下町は冷え冷えしていたのに。海もそれほど遠くなく見える。電車を降りて少し昇っただけで、高級住宅街ではこんなにも違うのか。給料はそれほどでもないが是非とも住みたい。くっきりと高級感あふれる描写。描写の場面がそれほどあるわけではないのに風景が浮かぶ。
しかし私はふと思う。それにしても人のいる気配がない。案内の建築技師は、お昼時なのでみなさん家の中にいるんでしょというが、それならそれで笑い声が聞こえてもよさそうなもの。さらに歩くと建築途中の家あり、どうしてどうしてシャレたもの。しかしてこのあたりから案内の建築技師のトーンが変わる。何やらみんな家の中に隠れているとでも言っているような。悪人がいて毎日人が殺されているような。さっき見た公園、中に池もある。そこへ入っていくと、池の中に2つ、いや3体、死体が浮かんでいる。いつもは2つくらいなのに。空気は一変、見せない方がよかったかも知れませんね。私はもうびっくり、早く出ましょう。そっちじゃありません、そっちへ行くと迷路になりますよ、ようやく電車の停留所に出る。そこまでに何故警官を配置して捕まえないんですかとたずねているが、そこまで手は回りません、やることはいっぱいありますといった返事。この停留所なんです。犯人はここで降りて住宅地に帰る人に、おもちゃやお菓子といった小道具を用意してもいて巧みに話しかけて被害者を物色しているんですよ、今日はいませんね、などと建築技師はいう。実はこの建築技師、警視であって、警察の人間でもある。
このあたりでは既に、壁に張りついて逃げ出したくなっていたが、さらにこわくて動けないのとこのあとどうなるのかという、いい結末をまだ期待しているのか、不条理劇なのに。私はうちに無事帰りつくが、そこに友人がいる、2人暮らしだったのかも知れない。この友人がちょっとトンチンカンで、外に食べに行こうというときにバッグを忘れている。私が指摘するとバッグをとりだすが、そのバッグが落っこちるかして中身がこぼれだす。いろんなものが入っている。テーブルに乗せると、どれだけ詰まっていたのか、おもちゃやお菓子もあるようで、友人は、自分は知らない、バッグの中なんてしばらく見ていないという。私は驚く。たいへんなことだ。すぐに警察に、さっき別れた警視さんに届けようといい外に出るが、友人はそのバッグを忘れている。引き返してとって来るようにいうと引き返すが、結局友人はこのあとあらわれない。道路を見ているか少し歩いたかしたのか、正面の道は歩道の方が車道よりも少し低くなっており、真ん中あたりなのか、歩道から車道にあがるのに階段が4段ある。今思うと、なんでそこに階段があるのかと、私は思う、何故そこに階段があるのかだが。
その道に軍隊の車が3台急にやってきて止まる。真ん中のトラックは幌をほずされていて、中に40人くらいの兵士がいる。そのひとりは花束を持っている。そこに警察がやって来て交通整理を始める。ありがたい、それにここで警察に会えたのもよかったと私は思うが、犯人に関係するものを発見した、これを証拠に犯人を捕まえられるのではと思っている私に対して、警官は、私は交通課です、警視さんとお知り合いならそちらへどうぞ。それでは逃げられてしまうじゃないかと思ったかどうか、友人はうしろから来ているのかまだあらわれないし、私は県庁の方へと歩く。見えて来ているようだ。その手前に電車の停留所がある。
不条理劇というものは、佐藤氏曰く、滑稽さ、運命にはさからえない、断片を楽しむ、全体のまとまった筋はない、といった特徴がある。いわれてみると、滑稽さを感じるような時にだけ、何だか時間が過ぎているような感覚。あとウージェーヌ・イヨネスコのウージェーヌにコクトーを感じた、帰宅後調べてみると、ポトマックに出ていた人物だった。友人とのやりとりの所が小説としては単調に思ったが、そもそも長くはない作品。ゴシック風探偵小説をも想起してしまうが、教訓らしきもの、そういう真実はどこふく風。
2016. 6.14火曜日19:00中央市民センター 14+ サンゲツキ
開演前、人多し、並んでいる、忙しかった様子。ほとんど忘れている原作を思い出す事が出来るか。確かあの理解レベルで充分、トラになる前に発表すべきだと覆っていたような記憶がもやもやっと。
開演前の音楽で、中島敦の夏、イメージ、ふれるとこわい、目で追えばふれる。
市民センター、高さを出せる、中央に高い段、その左右にはしご、とはいえ三段、段の間が広く実用的ではなく、窓か木のイメージかも。さらに左右に階段、全体グレー色。音と共に5人が踊り出す、それぞれに派手な衣装、ボリュームが下がるととまどいしずかになる。
サトナガが段の上、2階で「わっ」という。サトナガは順風万帆でここまで来ていた。ベールがうしろで舞って、どんな仕掛けか、サトナガに絡まる。サトナガ、2週間仕事を休んでいる。エンドウが見舞いに来ているが、「友達だったことは一度もない」「心配して来たんだよ」「笑いに来たんだ」「そうじゃない、夜中におれが、ケモノになっちまうんだ」。
エンドウがドアから入ると、サトナガはいなくてベールだけ。エンドウに左右から光か、エンドウの影が左右に2つ。
音楽、「声、声、いのちがめばえ」4人の踊り、「ここはどこだ」「ここは樹海だ」、サトナガの妻があらわれる、原作にはなかった気がして新鮮。「主人は嫌われていたんですか」、サトナガは子供のときからそうであったみたいで、いってないが気位も高く、職場では自分の出来ることが他の者にも出来ると思い込んでいる。
猛獣になったサトナガ、エンドウに襲いかかる。すでにどちらが元々の自分だったのかもわからなくなりかけているのか、「人生てそんなもんだろ、むりやり押しつけられたものを」。きれいさと生理的感覚にふれそうな。「おれはコドクを感じるが」「それはおまえのコドクじゃない」。
後輩・部下たちが現れる「本日のスケジュール、ちょっと過密でないか」「サトナガ部長にはついていけん」
「おまえは別の風にからめとられたんだ」、ねたみ、そねみ、ベールが身体に移動する。「あのトラ肉は神にささげるんだ」。2階のサトナガの前に、縦に上に向かってオリがあがる。自分のレベルに周りを合わせようとするサトナガ。
明らかに過去の話。クラスの集まり。催し物で、全員バンドをすることに。サトナガだけが浮いている。ときおり誰かがさあやろうとサトナガにも声かける。エンドウもいてギターを弾いている。見に覚えのある話。ストーリーの具体的展開、スペクタクル、中島敦のうしろにこんな夏があるのでないか。「オレは死ぬことをまっさきに考えたよ」。トラと友人の会話、「はなのおくに」云々、バックに漢詩だったか、自分の書くものはあたりまえということばかり、などといっていたか。「おれは元々ケモノだったような」「ケモノはおれを内部から食い荒らそうとみつくろっていたんだ」。そこに「人食いトラを追いつめろ」の声。
再び奥さん、奥さんが出る、同級生のなかにも、それならもう少し奥さんの出番が多いといいのか。「だあれにもわからない」「だあれにも届かない」エンドウはサトナガにいう「あのとき、おまえは歌いたかったんじゃないか」ギターをだすエンドウ、「やめろー、やめろー」「おまえが歌うまで何度でも繰り返すからな」
卒業したみんな変わるといっていたかどうか「おくびょうかぜに吹かれている場合じゃねえ」、終わり近くになって原作を思い出す。で、どうするという感覚。トラはふりかえったか、「再びその姿をみなかった」。
2016. 6.12日曜日18:00アクロス福岡円形ホール中央市民センター コラボアートQ session#1「求」
コラボだからこその面白さ、コラボやるというと反発しあいもないか。円形は他のお客さんが見えるのがプラスかマイナスか、どの席でも不満がないのはプラス。舞台を始めるときに、キューをだすというらしい。円形舞台といってもそれほどおおきいものではないが、ここでの舞台は日常ではない。舞台中央にトランクかチェストか海賊の宝箱か、足つきのものがひとつ。円形の外側奥、一段上に楽団、弦楽器、ピアノ、パーカッション、いい音。
男、「私はかつての私に戻るつもりはない」「うれしい時に踊りだすひともいるだろう」「再演してみせるお調子ものもいるだろう」「しかし怒っているときはどうだろう」、トランクを開ける、譜面を取り出して作曲を始める。男のスーツ姿と物腰、台詞だけだとチェーホフがまだ知られていない新作を書いているイメージ。
「すいません」と女登場。どうやら男の信奉者らしい。「感じわるっ」とどちらがいいたのか、「一人にして」、女が出てゆく。「ホント、出てゆくのがいい」。あとでみると男は、よだか、という男で、宮沢賢治のよだかの星をモチーフにしているらしい。何の話だったか、コドクな鳥が目的というか、一本の線、軌道を見つけたみたいな話だったか。
カワセミくん。「先生、まだ落ち込んでるんだろうから」「心が動いたらいいんだろ」。トランクからマイクが2本。作曲家と女が歌い出したかも知れない。大きなトランクに少しの道具のイメージ。「ぼくはひとと関わり合うのがいやだった」、タカにいわれた、先生の名はよだか、ここは原作かも知れない。カシオペアがドレス姿で登場、生きたまま静かになる、「調を変えて演奏してくれ」。プロデューサーのシモサキがいう。調が変わると別の曲になるというヨダカ先生と、演奏しやすいようにというシモサキ。トランクに背を乗せてころげおちるヨダカ。
速いダンス。ダンス、男一人女一人、終わってみるともう少しダンスが見たかった。「お星様どうしてぼくは寂しいんでしょう、どうしたらこの寂しさはなくなるんでしょう」。寂しさに焦点をあてた作品らしい。「わかってもらえない事が寂しいのか」「いつもココの中にあるんです」「おまえのアタマの中にある寂しいという感情を五線譜に書きなさい。そして誰にも見せてはいけません」、思っているかも知れないが、それでもはっとなる台詞。
女、カワセミくんという。「やさしい曲がございます」楽団からやさしい感じの曲、目の前の演奏。
作曲家を止めて会社勤めをするよだか。コーヒー、仕事、ノーストレスだよ、全然興味ないよ、といってたか、カナリアくんかカワセミくんかとの会話。「でも、会社勤め出来たんだ」「いや、結婚した」、できないと思っていたが「でも出来たんだ」「お客さん」「古い友人なんだ」「ぼくカナリアです」。
「むかしは蝶を見たり南風を感じるだけで曲が書けた」「もう先生じゃないしね」「心がふるえるような事がないっていってた」「どうしたら心ってふるえるのかな」。ここだったか「それは出来ません」とカシオペア、ハーンのお貞の話みたいな、「寂しいという音をつくるのです」。白眉。追えないが論理も。
そのあとよだかは再び曲を作ったのか、「カナリアくんに会いに来ましたよ」「カナリアくんは死にました」「知っていますよ」。コラボがどう動くのか勝手にどきどき、固有のモーター音。
2016. 6.10金曜日19:30ぽんプラザホール マニアック先生シアター 十一人の少年
中央うしろに電信柱、てっぺん近くに電球と傘、左右に縦長の四角、正面に横長の四角、正面のものは左右にそれぞれ階段、舞台右にプラスチック製のバスケット。左の縦長の下に自転車のホイール。段の左上から細身の男、スーツ。右のバスケットの近くに女がいたか。男がスーツを脱いでいくと、スーパーマンの衣装があらわれ、いままで着ていたスーツを紫の風呂敷に。誰もいない所でこのいでたちになりたい癖があるらしい。
「おとうさんの人形です」「大丈夫です、今夜は飛べそうです」「わあっ、人がいた」、って自分も人じゃないは今で思うと。「きみ、見てたね」「私、目は見えませんから」女は盲目でよく目立つ丸いガラスの厚いサングラスをしている。「さあ飛び降りましょうよ、おとうさん」布製のおとうさん人形をこのときから持っていたかどうか、舞台うしろに段の上から飛び降りる、ザブンという音。同時に右から男が来たか、本を読んでいる、十一人の少年という本、「我々はこの眠らぬ海にたどり着いたのだ」、国定忠次を思いだす。さっきの盲目の女に気づいたか。
職場演劇のひと、どういう話ですか、ミヒャエル・エンデのモモを下敷きに時間泥棒の話か、「結末がないんですよ」「奴らがおそってこないのには何かがあるはずだ」「あ、ちょっと待っちよ、汽車が、汽車が来るっち」、舞台が赤い照明。プロットの変わり目に暗転していた記憶あり。
沓掛時次郎くつかけときじろう、「これ見よがしに死ね」「わっしゃあ」「あ、汽車が通る」、汽車が通っても時間が動いたという気がしないのが、同一平面、それこそ別々の車両が連結してるという事か、懐かしさをこちらが感じたいと、こちらは単純になっているのと合わない。ミヒャエル・エンデに関心がないせいもある。
上司と部下、途中までは格好いいのだが急に弱々しくなる。「スガ子お、スガ子お」。「根はいい奴なんだ」「その根がどこにあるのか」「きみ、芝居はすきかね」、右からさっきのスーパーマンとアオキ、太郎吉に道を聞く、「どうも芝居を初めてから、思い込む癖がついちゃって。またも汽車。
木syあ、緑の照明で、段上に女が2人、「ああ、ノルマがきつい」。4人の男が豆向きをやっている。右から、おきむ、スガ子との一人2役。2人の女がたずねてくる、スガ子に。2人は未来保険コンパニオン。くちびるを白っぽく塗ってあるメイク、思いと事実は一致しない、思う保険の話。ねむっていいるうちに悪い思いをいただいて、満期になればいい思いにして返してくれる。
演劇部長の話が交錯していたらしく、「もうこんな芝居はやめた」「おれは明日から働いてほんとの部長になるんだ」。2時間15分予定の舞台で、このあたりまでで1時間10分。
再びスーパーマンと盲目の少女。「別保さん、ほんんとに部長になったんすよ」。このあたりからどういう話になっていくかわからないままにどきどきが圧巻、横が広い、横の歩行が一歩多いからか、この劇団の特徴と初めて見たときからの印象。
「さあ、アルゴー号の出発です」。おおたれんたろう、さっき少女を買った男、そういえば盲目の少女は兄かなにかに売られたりしている、おおたれんたろうは保険勧誘の2人の女のチーフ。誰がいったか、「ひとつ疑問があるんですが、いい思いと悪い思いを判断するのは誰なんです」。
少女、「あの話の続きをしてよ」。泣くな妹よ、妹よ泣くな、という、人生の並木路が歌われる、誰かが歌う、選曲に懐かしさもあって笑ったがあとでみると20年以上前の原作。
清掃局の青木、実はみんな清掃局のひと、「人生は並木路だったのか」、保険の2人あらわれる、「あの兄妹の事教えてあげましょうか、あの2人は夫婦なのよ、思う保険に一刻も早く」、ウワサ話だが、なんだか展開。
少女は首を切られている、チーフに。保険勧誘の女2人、「死んでるんですか」「青木がやった事にするんだよ」、それをスーパーマンの男が見ていたか。スモモ、盲目の少女の兄に保険の女、「あの男がやったんです」、あの男って誰だったか。
片岡さん、「青木くん、隊員おめでとう」「小林は死んだ、スーパーマンの格好をして屋上から」。別保さんには公金横領の疑いがかかっている。「あの女だから、生きている」。
ごみをなくそうキャンペーンをうたう、おおたと女2人。片岡サンと青木とヤクザの3人が刀を持って別保さんをおそう、「さあ、別れの水バケツだ」「私は利用されたんだ」「そのときおれは目覚めたんだ」、スガ子が変わりに切られてしまう。このあたりから最後のまだまだ一押しモード。
背中に羽根のはえたスーパーマン、自由に動く。都会とそれ以外との同居をイメージ。「銭とアタマは使いようっていうからな」と太郎吉。「青木さんスモモさん、生きていたんですか」「兄がつかまったんです」。保釈金が300万、私の目の手術が600万。900万ちょうだい。ついに十一人の少年の話。「人間から表現力を奪っていくのか」、サングラスの片方を目に当てる、「世界が真っ青だぜ」、これまた古い曲、赤いハンカチ、が流れる。舞台の段になっている部分の真ん中がせりだしてきて、両側の階段は錨の部分、電信柱はマスト、自転車のホイールは舵輪、マストに帆も張られる、船になる!。
「来たっ、永遠の台風が来るぞ」。「オキシゲンデストロイヤーを使う」、台風の根っこをやっつける話に。ゴジラものを感じたが、いま調べたら、ゴジラの映画にでたオキシジェンデストロイヤーという兵器で有名なのか。少女、「青木さん、話、うまいなあ」「このメガネあげる」「このメガネかけて、また新しい話をつくって下さい」、青色メガネ=偏見、よくいえば偏向があり、同時にそこからの脱出や振り返りのイメージ。少年たち、船の真ん中を総出で押したのか、元の位置に、帆が落ちて電信柱に戻る。Vから横長の四角に。
右に小林、青木、「そこにその少女は坐っていたんだね」「美しい年には美しいひとが育つ」「ここに盲いた女一人ある、名をスモモ」といってたかどうか。
2016. 6. 4土曜日19:00諫早独楽(こま)劇場 大耳ライブ2016in長崎
待ちきれなくて。まずは落語、「スライダー課長」、スパナ亭平成男腐(だんぷ)さん。課長に野球を教えてもらうよう頼まれる田中さん。息子に教えたいが課長はやった事がない。「変化球って、何に変化するんだ」「まん・るいさく、という選手はいないがどうしてか」「浮力か、磁力か」「努力です」と続き、ラストはめでたし。田中くんはシアトル転勤。課長がラストで寿司をおごる。「こんどは私が正しいにぎりを教えてやろう」さりげなく。
音楽ユニット「いと」サワ&安達さん。ベースギターとキーボード。ささやく声が。それぞれに長崎と諫早から集まってのユニット。コンプレッションという曲。意外といったら変だがモーツァルトという単語が出てくる。「花もあれと願おう」といってたか。オリジナルではないが、日曜日の死者という曲。会話、サワさんは喋りは苦手だという。安達さんは「それはいいことですね」と。シャララララランシャラララララ。手拍子となる。
梅とチーズ。「Next The 三匹の子豚」。一人芝居。「ぶただぶたきち、何がおかしい、きーっ、ぼくの悩みは自分が豚だということだ」「豚イコール汚いその他マイナスイメージがこめられている」「だいたいの所はその通りだろう」「豚じゃだめだ、ぼくは自分を救えない」だったか、のびやかに。説得力・「インンパクとのためには」。2人の兄さんに、家をつくる話をもちかける。「ぼくはレンガで家をつくるんだ」。しかし兄さんたちは、わらや木の家しかつくらない、台風や地震は来ないかもしれない。しかしオオカミが来た。助けてくれと駆け込む兄さん達、と思いきや、兄さんたちは戦う。「マニュアル通りに食べられる豚じゃない、そこには戦う豚がいた」。2匹の豚は笑みを浮かべているように見えた。「でも、ほこり高き豚だ」「ぼくは明日精肉工場に運ばれます、よろこんで」。たとえはともかくも方法の話と思うとインパクト。
ガムテープ男。初めて見たひともいて、いいもの見たか。まずは折りたたみ椅子の丸いのと格闘、引き伸ばし式の物干しポールを客席中程の床と天井にたてて、それを足で蹴ってこっちが倒れる。その丸椅子に微妙に立って、その状態で次の折りたたみ丸イスをひろげて床に置き、次にその上に乗って異動して行く。いつものバラの飾りのブレザー。緊張とゆるみ。手で四角を作って○を作って、○を大きくしてそれから×にしてばたっと倒れる。「おぅいおぅいおぅい」かけ声。
名島表現塾「海辺の箱」。ラストの酋長さんみたいな衣装、あれをもう一回見たいというのがここまで来た一番理由。中央に段ボール、前半、ここから手が出て来る。海水浴場。夏場のためのセッティング、準備をしている男。箱を片付けようとする。そこに女。「この箱、ハコじゃないんですよ」「この子に何をするんですか」箱から手が出てきてピコピコハンマーで男をたたく。「今ここから手が出て来ましたよ」「そんなことないんじゃないですか」「まだ6月でしょ」「さっさと仕事片付けてバイクに乗ってぶっとばすつまりなんすよ」「あれってハーレーじゃない、それも限定プレミアムの」。そのスリルと開放感の話。「私、英子、あなたは英孝、私を乗せて」。
28年前の英子。「ねえ、孝一さんはオンブされた記憶ある?」サングラスに超リーゼントかつら、オレンジ色のつなぎ。「まあ、こんなヤンキーに育ったけど」「かわいい」「あ、流れ星、お願い」「優しい人と幸せに暮らせますように」「出来たみたい」「そうか、やった」。厄災が来る。2人は離ればなれになる。そこで会ったこの子と今は暮らしている。名前を英孝、ひでたか。英孝?男が聞く。あなたのおとうさんの名前は?」「まさか、おかあさん」と男は言う。なんと息子との感動の再開。
ところが、そこで段ボールの中の者が出てくる。トーテムポール風な化粧と衣装、今回は紫がかった衣装。「おれはあの厄災の苦しみを食べて生きている悪霊だ」戦いが始まる。「神社育ちをなめるなよ」男が勝つが、そのあと女は消える。「さようなら英孝」段ボールの中が点滅する。中に骨が入っている。そのひとつをつかむ。「かあさん、やっと会えたね」。時間を空間化はぴったりしないかも知れないが、見える化。見える化できるこわさもあるのかも知れない。
2016. 6. 3金曜日19:00ぽんプラザホール 風三等星 「さよなら鞍馬天狗」
ラストの「遅れてもいいけど、来てくれたんだから」で、熱くなる。前半は、世界文学全集のでだし部分がちょいと続きそうで少々やきもき。
台本をあとでダウンロードできたがそれは後日読むとして。
大きな本棚が3つ。中央から右にかけて。本はシリーズものの風で、15巻くらいの全集がいくつも並んでいる感じ。左側にベンチ。鞍馬天狗とは無関係そうだがモダンな感じ。
まずは左手から、明治の講釈師の雰囲気、見たことはないが、「開国か攘夷か」あたかも幕末。新撰組と鞍馬天狗との闘い、とはいってなかったが始まり始まり。
一転、おばあちゃんと孫娘の会話。古い映写フィルム、円盤のような缶に入ったものがある。それを映写するらしく、「あの映写機を動かせるのは部長のあなただけなのと」と娘が連絡をしている。おばあちゃんのお兄さんが撮ったもので、という話だったか、お兄さんはそもそも小道具担当だったらしい。
ちょっとくどく感じたが縁台将棋。「きみの番だぞ」「はいはい」「はいはいと2回言うな」「けちけちするな」「男でしょ」「ひきょう者」そして「待った!」今度待ったといったら何円とか、間のむつかしい場面が続くがやや続きすぎてじれったい。一人は活動弁士だが、あとで思うとトーキーの時代に入りかけていたのかも知れないが、とにかく暇ではあるひと、開店休業中。対するは小道具担当のお兄さん。このお兄さんには妹がいて、家業の洋食屋さんで働いている。この人が最初にでてくるおばあちゃんでもある。小道具担当をやっているお兄さんが、家業の洋食屋さんを継ぐかどうか。
そこに警察の巣鴨氏がやってくる。ここまで、お兄ちゃんと娘は館林さん、食堂は日の入り食堂。ここまでにも「うちにも警察が来た」なんて話はあって、もちろん戦前の話。巣鴨は、やしろ、を捜している。しかし、その映画会社の社長のかわいさんは、やしろはいないという。新撰組の隊士役のひとがしつこく孫娘にいいよる。それがしつこいがその都度さわやかにプラスイメージで押しまくる。周囲はあきらめろといってるが、他に好きな人がいるんですかとか、続けるのが大変そうな役。
実はやしろさんというのは鞍馬天狗の役者さん。しかし赤紙が来て兵舎に入っているのだが、脱走している。何としても鞍馬天狗の今の分、さよなら鞍馬天狗、を撮り終えたいと。それを社長以下、スタジオに隠してロケを強硬している。追手の巣鴨を館林は、小道具係、自分の後釜と勘違いして一方的に話している。孫娘のこいとちゃんが銀色のロボットに入る場面あり。兄の館林のかんちがいからか、やしろさんの名前が出て、巣鴨は応援を頼もうとする。スタジオは大混乱。沢登翠の活弁を思い出す。
支障の大辻さんと、鞍馬天狗の格好でスタジオに入る館林。社長から手入れの責任をとらされて出入り禁止。どうも1時間、巣鴨を引き止めておくことになっていたらしい。
そこにやしろの幽霊、ここでは生霊があらわれる。これが目のあたりなどチャップリンそっくりのメイク、ズボンのあたりもそう見える。但し、生霊という設定はどうかとも思いつつも話にはなって行く。その生霊は喋らないが、巣鴨が、「どうして館林さんの前にあらわれるんですか」とか聞いているうちに、やしろは自分の映画を完成させたいのだということがわかる。既に映画の看板も出来ていて、それは一番右の本棚の一番下の箱に入っている。箱の表に一枚貼ってある。「さよなら鞍馬天狗、天狗と杉作少年の衝撃のどんでん返し!」と。かたやサイレント映画の復活をねらう活弁の大辻師匠。久々に徳川夢声の名を思い出す。ロボットは、新撰組の発明した新兵器がロボット、いい展開。やしろのいるスタジオが警官に乗り込まれた場面も使おうとする。
再びおばあちゃんと孫娘の会話。なんでおじいちゃんの巣鴨がフィルムに写ってるんだろう?
「この暗いいやな時代はいつおわる」弁士の大辻さん。小糸と巣鴨の会話。巣鴨「誰かが私を説得しに来ると思っていました」どうやら巣鴨の理解を得て制作続行と生きたいムード、巣鴨は拳銃をだすが「巣鴨さん、その拳銃、弾が入ってないんでしょ」と圧巻になっていく。何で巣鴨がそのフィルムに入っているのかもう忘れたが、小糸ちゃんと巣鴨氏がその後結ばれたらしく思えた。
ラスト、おばあちゃんになった小糸ちゃんが「遅れてもいいけど、来てくれたんだから」。気に入ったことがあると、けんかや好き嫌いなどどうでもよくなりそう。
2016. 5.20金曜日19:00アトリエ戯座 佐藤順一読演 山本周五郎「鼓くらべ」
お城で鼓の腕くらべ大会がある。稽古をしている女。実に上手で、おそらくライバルとなっている女にも勝てそうである。稽古をしている。ところでそれを物陰から聞いている老人がいる。数日前から気がついてはいたのだが。その老人の話を聞いているうちに、鼓を打つのは誰のために、といってはいなかったと思うが、迷路にはまり込む。はまり込む話と聞いてしまうが、芸術のひろがり感も同時に伝わる。
実に道徳的な話と思っていたら、他のお客さんも開口一番そういわれていたのでやや投合。しかし途中でやめる方が非道徳的ではないかという冷やかしも出て来る。そもそも昭和16年の作品で、その数年前ならまだ江戸川乱歩だって読まれていたという話など、わずかの間に世情が変わってそれが作品にもと思うと、こわさよりも、ひとの時代ってそうそう変わらないようにも思え出す。少しの意見で世の中がきれいきれいになっていく今。それが結局誰にでも跳ね返ってくると私は少し言ったが、それは皮肉になりそうなだけで発言素通りされたが、表現しにくさが面白くなさに通じるというのは実感。もうひとつ。時間について。便利さの恩恵をこうむってはいるのだが、おかげで例えば列車が動いているだけでは時間がつかめず、だから持て余しているのかどうか、スペクタクルで時間を埋めようとしているなどとも、まるで雑談だったが聞いていて面白くなる。
帰宅後だったが、行列の並ぶ店、そりゃあいいものなんだろうが、直接聞かない限りは、用心用心と思いだす。
2016. 5.14土曜日19:00ぽんプラザホール サンピリサンピリサンピリサンピリ 「星に帰ろう」
どんな風なラストだったか。想像とは違っていたような記憶。人物はよく別れていて何だか思い出す。床に幅の広いアルミホイルが横方向に長く何本も。10本くらい。背景にもアルミホイルを丸めたもの。椅子が7脚、どれもアルミで包まれた椅子。風があって床のアルミ、銀紙がときおり揺れる。これは歩きにくい。ところが床のアルミは、それがないかのように人物が動くもので、次第にもともとの板の床も見える。転んだらどうするのと初め思うが、そうでもないのかも。
宇宙などにはためくアルミホイルのイメージ、間違っていたが、テク、科学技術プラス考え方から生命が出てくるのか、ラストはメモリーの保存法へと至る。
左の奥から男、ロボットみたいな動きだったか、右手から女、禅や銀色の神社の話か。「おはようございます、あの、ミーティングやります」女が画面を操作する。この手で目の前の文字盤を操作する仕草はこのあともずっと全員続く。次々に「おはようございます」とあらわれる。宇宙船メルボルンは天の川銀河。宇宙船の中だった。今起きた訳だ。「何々くん、みんなの健康は」とか、現況をまず確認しあう。周囲の星についても。一人の女性隊員が星のタイプをいったとたんに連呼が始まる「第二の地球、見つかった!」「肉、肉が食べたい」第二の地球が見つかるまでは帰らない。そういうコンセプトか決意で船に乗っている。あーっ、ぎゃーっとヒステリックになる女性隊員、ゆっくり呼吸、大丈夫ですか、もうがまんできない。今の地球が危ないのでもうひとつの星を捜す旅。いつまで?「私も最近ぼうっとしちゃって、こんなはずじゃなかったと思うときが」。さっきヒステリックに興奮していた隊員、があっといったせいか、あっというまに元気になって躁状態ですという。これで躁というのも変で、単にすかっとしただけだったが。質問が始まる。「あの、皆さんはこの宇宙船に乗る前は」「私、編集者をやってました」「僕、内臓がつながれていて、(地球だと具合がわるいのか)、それがここだとOK」「えいたさん、見た事あります、親しみのある顔ですね」えいたさんが一番とぼけた役だが、ラストでは違ってた。「私、スーパーの店員でした」宇宙なのかきれい、「引き込まれそう」「すぐあきちゃうよ」「思い出せない事が思い出せない」。
急にみんな苦しみ出す。銀河系脱出。まきちゃんはここに来る前は?高校生でした。何かいるぞ、うしろに8人目が。壁伝いに回る。「何で言葉わかるんですか」「助かった、今まで漂流してきた」このあたり笑、こちらは探索する側、やって来たのは漂流者。翻訳。「なんか人間が食べたいそうです」集団ヒステリーと古くはいってたか、何だか伝染していって音楽と共に踊る。
艦長、怒る。「タッチパネルをやっててラクですね」「僕からしたら、あなたたちこそ宇宙人ですよ」というのは他の隊員についてだったか。また感染。そして、「ちひろさん、私、この子の母親だったんです」そして、「私、この2人に会った事があるんです、病院で、艦長もいましたよ」。さてはこの話、全て病院での出来事だったのか。ういーんロボ登場。
「どちらから」「愛媛から」「お名前は」「ひらた」「もてたいなあロボット、ひまだなあ宇宙人」と思ったらここに来ていたんだ。艦長や狂った隊員たちを撃ち始める。えいたさんがあと2人を撃ったか。「どういうことなんですか、えいたさん」「私も知りたいです、人間だった頃の記憶を」。そもそもでだしで見つけた新しい星に降りてみたいとみんなは言うが、艦長はそれには否定的だった伏線がある。えいたさんが目立ち始める。「ぼくはこの物語の作者なんです」話が崩れ出す。えいたさんには妹がいた。「艦長、あなたはキャラクターにすぎない」「登場人物が自分の存在を疑い始めたので大変になっている」「表情を持つって大変だ」しかし、「えいたさん、それはわかってたんじゃないですか」とするどく「あなたがもう一回書くんです」
全員、始まりと同じく椅子に座って、パネルを操作する仕草。でだしの今日の確認を繰り返す。しかし、第二の地球が見つかったの場面で艦長の意見が変わる。「一回よってみましょうか」。
ひっかかっている事が、その容量から表情に変わっていく話、弁証法的だったのかも知れない。
2016. 5. 7土曜日13:00ゆめアール大橋 下鴨車窓「渇いた蜃気楼」
紙切れが散らばっている。黒いカーペット。左に扇風機、段ボール箱、アマゾンの箱、左手前には円盤再生機と小さい液晶画面、あとでこれを見ながら踊ったりする。右手奥に目立つ、水道の蛇口、古くてわかりやすいタイプ。その手前に物置台とペットボトル、椅子。真ん中を忘れている訳ではないが、ちゃぶ台テーブルとざぶとんがあったか。どこか昔風だが現在でもそうか。しかし床が畳でもフローリングでもなく、黒一色。切り取られている。
赤のタンクトップの女、左から、続いて男、右手から、青いポリタンクを運んでいる。ポリタンクに腰掛ける。「盗まれた、やられた」「え」「自転車」「自転車」「自転車」。扇風機が上を向いて回っている、途中からだったか。「どこで」「スーパー」。「どういう意味」「こしたんたん」「たまたま」「そんな確率」ほんのちょっとと思っていたという会話。
画面でエクササイズをする女、水を運ぶ男、お互い暑くて扇風機の風のとりあいになる。「アマゾンで買ったの」「仕事捜して来たら?」「ハワイでも行こうか」「下見、とりあえず」「さっきからナツミ、自転車泥棒に詳しいな」どきっ。
どっこいしょとカーペットごと運んで来たら、我が家が演劇空間になりそうな。
ピンポーン、右手からスーツネクタイ布ビジネスバッグの男。「いつから住んでるの」「ここまで水は来ないんだよ」「メールのひとつもよこさない」「まあそんなもんか」「ゆうじ、死んだって聞いた」「こんな所にいたとわな」どうやら集金人さんが同級生らしい。「完全におっさんよ、リョウもゴルフやるかな」
ライティングがとても立体的、明るい暗いではなく、ある光量を当てると影の有無も変わるのか、ワイシャツはあくまでも白いのに。
「タバコ、やめた」「東京に行くの、おまえが」「いいからンhK、はんこ押せよ」いつのあにかちゃぶ台は右側に。「おまえもゴルフやるか、誰だって最初は初めてだよ」。外の高校生に託して2人の過去「リョウ、あのとき知ってたんだろ、おれが出て行くのを」リョウがまたがって首を絞めかける、ますみが止める。
撤去された自転車の引き取りハガキ、NHKご契約頂いた皆様へ。「ゆうじくんから連絡あった」「いや、あれから全く」「その前に仕事を捜さないと」「なんでもあるんだな、ハワイって」「ゆらめきながら立ち上がる熱気の中にあなたがいた、ただ離れて行ってるのか向かって来てるのかがわからない、遠くも見えない近くも見えない」「早く雨降るといいのに」ピンポーン、アマゾン。
「バイクで死んだと聞いたとき、オレは少しほっとしたんだな」「いつも誰かを殺したつもりで」まつとみ行き電車、「あけといて、暑いから」「また誰か来るよ」風鈴の音、テレビの音量があがる、風鈴。
ああ、今だ、どころがその今を説明しようとするとき、うまく同調しあわない所が刺激、刺激というよりもややつらい、How Toにも通じる。例、自分だと何々がなおる本とか、たまに読まないと不安にならなくもない。アフタートークで、ゆうじが生きてるか死んでるのか、はっきりさせないことが大切と、彗眼。
2016. 5. 6金曜日19:00ぽんプラザホール hen house「つるばみの杜の家に」
古い山奥の家。土間らしきがあって、縁側があって、真ん中に電灯、その上に魚がある不釣り合い。男、読書中だったか、女がホウキを持ってあらわれたか。トイレは家の外にある、旧式。「落ちないでください」雨が降ったら傘をさして行かないといけない。少しずつ人が集まる。ひとりの女は、仕事からか、トランクをもってあらわれる。
すすんで行くような、逆もどしになっていくような、時間がダブっちゃって圧巻。つるばみはツタと思ってそれにしてはツタがからまってないなと思ってたが、どんぐりの実の事だった。
コミックやリボンコミックの話。「住んでるところが生活圏」。
そもそも山奥の家という設定でセミが鳴くのが少しは疲れた。こういう設定ならもっと時間もゆうっくりと流れないと、たどり着く面倒さが感じられないのではなどとは思う。
どなたかの何回忌かの集まり。「この家でやった方が母が喜ぶと思って」人間は何にでもなれられるといったのか、仏にでもなれられるといっていたのか「うわー、人間てすげえ」
りょうさんがしづえさんを怒る。それが母親と似てる。ところがりょうさんはトランクで来たひとで、一番よりつかなかった人なのに、それが母親と似ている。「ばあちゃん、納骨堂にいるよ」
「しづえさん、いってない事あるでしょ」誰のことか「一年前からボケてる」「どきどき沸点がものすごく高くなる」。
ムーンウォークのような世界
踊るあやこさん、寝ているしづえさん。おれの酒という幻想。めぐみとリョウ、抱き合って仲直りする。「私には何もない」それを聞いてか男「ええっ!」と驚く。いちど住まわなくなったうちに同じ者が住むのだろうか」。おばあさんに「ところで気味は誰なのかな」
日常ニュースで見聞きする問題とももちろん関係があろうが、一例をあげつつも、それは次々に変わっていくというとらえ方へと変わっていってるのか、複雑だっただけにシンプルさに、ちょっといやいやしつつもわからざるを得ない。
2016. 5. 5木曜日19:30飯倉チープサイド 大耳ネットワーク「大耳ライブ2016」
年一回、恒例の楽しみ。半元気のライブから。ラストは全員メガネをしての楽曲、12月に聞いた曲、カフカの一人称か。
次がナガミミ。キーの機械から朗読へ。
コンポジット、白い衣装、初め女2人、足まで見える、美学かと思いきや、途中から「たまんねえ」からまる、くっつく、ほしい、切れる、切れた片方が届く。届いた!。
舞台、海辺の里。段ボール箱から手がでたり。
代表いわく、「何でこんな事をやっているんだろ」感銘。
2016. 4.16土曜日19:00ぽんプラザホール あなピグモ捕獲団 「Giant-Step」
椅子が8個、半円状に左右4個ずつ、途中から周囲の壁にくっついている。木の棒で出来た枠組みが大背景で左右おそらく他に入ったり出たり。グレーのコート、薄いグレー、これ着たい、真ん中に天野、椅子に8人、おい授業中だ私語はやめろ、ゴドーさんは来られないって、ゴドーの少年の台詞が単独で出て来るのにびっくり、あら、そこだけ独立していわれると、別のひとがいそうだ。1969年アポロ、実感としては覚えていずそういえば、ヒューストン、それでは月に行くのか、空っぽの手のひら、人生なんて誰かに迷惑をかけていくもんなんですからね。
古い作品の再演みたいだが、ESやiPSのことも感じてしまう。偉大なる友と一緒に月に行くんです。ノアの箱船に乗って。宇宙空間、rendez-vousに集中。芝居は自由だ、そしてやったもんがちだ。芝居はアンサンブルと前面に並ぶ場面あり。もういちど20世紀を見てみないか。コロンボの物真似。20世紀を思い出す。面白くて逃げ出しそう。探偵になる。天野の落語、とんでもないものに実印を押す気分。わっはっはっは、さあ時間をとめておきました。お前たちどこへ行くのか、違うよ、どこかに行ってるのは先生の方だ。まだ来ていない20世紀か、リンゴは落ちた涙も落ちた、私たちはまだとべる?
アフタートークあり、髪の中分け。
混乱すればするほど、とびあがって水たまりがあったとする、実際にそうすればバシャッだが、それがまた見えるので音もなく存在は見えるのだが、見えるというよりも、それはふりかえっていると初めは思うのだが、そう思いたがっているだけではないか。フロイトのミケランジェロのモーゼ像、その次にどんな動作があらわれるのか。
2016. 4.14木曜日19:30ぽんプラザホール あなピグモ捕獲団 「瞬間キングダム」
詩は瞬間の王という言葉があるが、それは考えずに。#01最後のディスコティーク、11人あらわる。チラシにイエスの12使徒がいて、そんな感じの話なのか、ドラマチックにあれあれ何?王様だれだあ!
#02世界の終わりのゲーム、くじ引き、王様。#03、03という使い方、流星の落ちる場所。おまえ何者だ人類、そこを否定するつもりはない、今何してたの?、流星のかけらを捜していた。この王国の地図を作るんだ。さっきお前と別れて3メートル。言葉先とはいえ時間と空との使い方の変貌。#04無音の余韻。私は何の病気なんだろ。もうそこまで次の時間がやってきて。手刀が立石の頭にあたる。24音36音、両手ではっと受けとめるもすり抜けて頭にあたる。音は見えないといってたかどうか。#05ゆるやかな革命。オキュウトの話。#06TMネットワークの話。その時代性というか、作品の年代との接点。ここで現在の周囲に触れてはみる、壁が地面からはえて、もしかしたら俺が引いた境界線、時間がたてば何でもないことなのかも知れない、朔太郎の地面の底に竹がはえを連想、まるで違ってもいないが、グループとして示してみせていて、そのあたり、詩との距離感、ここぞ演劇。#07戴冠の儀、流星のかけらって、世界以前にあったもの、論理学の宇宙は何の中にある?が急につながる。#09赤の流線形で描く地図。あわれだ、壁の前で。#10降下する選択肢。壁はそもそも地面からはえるのか。このあたりまで、あとで見ると理解できる展開だが、どうやってつくれるのか。#11ライクアローリングストーン。とはいえ、よく展開もするがきつくもあり、このあたりから笑いが少し減る。王様になった男が踊っている、夢か。#12王国のゆれるバイオグラス。自分が何の病気か決めてほしいんですよ。#13中身と殻のルール。アドレスで示したものとその中身、アセンブリ言語みたいな題。俺たちは踊らないと決めたんだ。#14半透明の世界の中心。中心はなくて、へりだけしか存在しないのか、しかしそこに開いているものがありそう、あるのか。#15交差する診察室の前で。このあたりから、も、踊ろうぜ、このさい一人でもあるが、などと。#18三十枚の銀貨、26,27,28、あと2枚、ユダはキリストにいわれて裏切った。ヒロイズムの生成? #19名もなき病、あなたの場所はどこ、実によく出来ているこの作品、わからなく進むが進むとわかる、しかしこのあたりもずっと見るにはきつい。問いかけることで病気になりかける。#20壁をつくと、女がうっとうなる。壁を壊す群衆の一人として、ユニコーンの角を頭につけて、シェイクスピアがかる、何が正しいのか、さようなら王様。ゆっくりとここから去ってくれ、やめちゃったの王様、もしも自分を引き当てられなかったら許してあげる。#24崩壊の速度、作品は冷静でもある。#25思い知った痛み。この世界はいつまでも、俺はこの白で一人、そうだかまわない、それでいい。#26流星のかけら、ここは壁の向こう側、はりつけの棒が抜けた!死ぬほどいたいけど死んでないからモンダイナイ。#28スワン・ソング。最後のばんさん、王様だ。#29復活とレクイエム。#30瞬間の王国、王様は歩き続けることにきめて、この世界、王様は俺だ。
2016. 4.10日曜日19:00アトリエ戯座 佐藤順一読演 藤沢周平「秘密」
おみつが外をのぞいていると、夫の父の由蔵がいる。由蔵はひなたぼっこをしている。おみつとその夫とは、用件があって今、でかけようとしているのだが。ふとおみつは夫に、あなた一人で行ってもらいたいという。何故か。どうも由蔵の動きがいつもと違う。それが気になってうちに残ることにした。
由蔵はひとり物思いにふけっている。何かを思いだそうともしている。まだ若い自分のこと。一生懸命働いていた。店での評判もよかったのだが、うっかりと乗った誘い、あれが悪かった、花札賭博を続けてしまったこと。ついに5両の借金。誘った奴も実はわりきれたワルで、ついに明日は店にとりたてに行く、とあっさりという。どうすることも出来ないまましかしその明日が来てしまう。由蔵は朝からぼんやりと営業の仕事をしている。
ここから由蔵のやることはともかくとして、もう自分以外の広がりは見えず、それ故に何かをやったときの、ああ孤立してしまったという感覚。おびえてもいる。由蔵はわるいことをこのあとしてしまうが、ここで由蔵に広がる風景は、いいことにも通じると思える。藤沢周平自身がそう思っていたわけでももちんなかろうが、人情で人は変わるか、変わらないだろう、だとすると人情を書きたいような、それでいてひねくれもせず、そういう態度になってしまう。この態度がいいのは、長屋なら長屋、一軒屋なら一軒屋、それをどうしようというわけではないが、すみずみまで、キッチン用品にせよ漫画にせよ、くっきりと見えてきて、必要なもの、これは自分にはむりなものなども見えてきて、なんだか整理収納の話になってしまいそうだが、実際そうともいえる。理由省略。
2016. 3.20日曜日19:00アトリエ戯座 佐藤順一読演 梅崎春生「蜆(しじみ)」
ぎゅうぎゅう詰めの電車から男が落ちる。ふわっと落ちたような風景。そのとき周囲にいた者は、さっきその男に場所を変えてもらった女も含めて、急に笑いだす。戦後の買い出しの風景だったか。誰も知り合いでもないが、ひとりひとりはただただ生きるのにがんばっているのだが、風景としては、見たくもないようなものがあったことを知らされる。
その風景が、作家の内側に入り込む。本筋は主人公と、また別の男との、外套のやりとりであるわけだが、その交換の仕方に当時の世相なり、今に通じる人がいるのかも知れないが、ストーリーをつらぬく緊迫感に、ラスト、はあっとうなる。よくいえばムンクの叫びを見ているんではなく、その人物になっていて、しかも外から叫びが聞こえるが、それを書き取ったような緊迫感。前に聞いた、赤い駱駝もそんな感じだったか。外から見ると夕日が人物にささってきているんだが、人物の内側に自分はいて、外からささってくるものを書き取っていくような、すぐに逃げだしそうな所で、私ならだが、何故かひとりだけきりっとしてしまうひとがいる。
2016. 3.18金曜日10:00 久留米市 来雷軒 やぎたこライブ
やぎたこで聞くのは初めて。楽器が多才に登場。南北戦争に詳しいらしい。南北戦争といえば自由貿易農業の南軍と保護貿易工業の北軍と1861-1865、国際社会を味方にする意味もあって奴隷解放宣言1863、死者62万人、北軍が勝ち工業が発達してエジソンやカーネーギーも出てきてわずか100年で世界一の国になってしまう。ちょうど今日、だいぶあとだが高校講座を見る。
2016. 3.18金曜日 石橋美術館 古美術の世界
9月からごっそり東京に移転と聞いていたので、もう一度と思って来たが遅いらしく、自分の覚えている作品では、海の幸とわだつみのいらこの宮とお針子さんと坂本繁二郎の馬があるだけで感動薄し。古賀春江の海が目当てだっただけにショックもひとしお。
それをフォローしたい訳ではないがそれだけにか、今まで以上に建物と周囲の庭やらのたたずまいに目が行く。以前だと名作のおまけくらいにしか思っていなかったのだろう。日本やオリエントの古い絵が壷、いろいろな作品が雪舟に至るような展示の仕方とか、いきなり結論や直感にいかずに、かえってありがたみを感じて、これだったら覚えられたのにとあとで思う。
これはもうミニ・ルーヴルという方向か。池に鴨の雄が二羽牝が一羽、強い方の雄がもうひとりの雄をやれ近づくなと時々追いかける。しかし雌は追いかけられてる方に気がありそう。隣の友人にもそう見えたらしい。
遅くまで。マスターが、ラストに聞くのはこれだとか決めうちの会話。
2016. 3.13日曜日19:00 konya-gallery サンピリ「ラブ・イン・ヘル」
雨。このあたりで車を停めるしかないと駐車場。ところがその目の前にkonya-galleryあり、うれし。チラシのデッサンが気に入って。
バーのカウンターの高めの椅子に、しばらく座っている。無言。「えーっ、もう始まっているんです」というので、気がつく。もう始まっている、うつ病、病院にいく、うつ病ですね、アンケート用紙、仕事の話、トヨダさん、仕事をしない、今日うつ病の診断もらいに来ただけですが。ここまで、診てもらう事自体がすごい。
「あーっ、もしかして、これテレビカメラで」「何が楽しいんですかね、人間なんて観察しちゃって」母の話、母が死ぬまでは無口だった「はるかはるか、昼ドラのかずまくん、やっぱり不倫しちゃったよ」「はるかはるか、こないだの続きだけど」入院してからボケちゃって急に。
白のワイシャツ、Gパン。思い通りになるのが私だけだから、「あ、すいません、ちょっとトイレいっていいですか」いったん退場、「なんでしたっけ」再開、「バチーンとたたかれて、セロリとかアスパラとか吐いちゃって」、あの頃、母が料理してた頃「まあ楽しかったと思います」このあたり、こっちが医者の側になる、思いもよらず、やりたいこと、たくさんあったはずなんだけど、母と私が事故にあったのも、事故に会ってから、料理もしなくなったんですよ。
この作品とは別に気に入る、男女無関係に何だか料理がうまそうな。
途中睡眠。団子売、太棹4本、謡3人、夫婦でもちつき、うす、きぬ、男、薄水色の服の上を脱ぐと赤、踊る。女、赤に変わって、頭、白いかぶり物。天秤をかつぐ男だったか、はなやか。
天網島、三味線1本、謡1人、ふとんに寝込んでいたのは治兵衛だったか、大和屋へかごが、かごの衆、すぐ休みなはれ、夜の長さ、緊迫感、「心にちらつく人影は小春」、二人、舞台の左右、また中央で並んで、「流るる月に逆らひて」小春にうちかけをかけて下手へたたた。
当時は夜が長かった、昼間の思考とまではいいすぎだが、こっちの方が長過ぎて。
2016. 3.5土曜日11:00 大野城まどかぴあ HallBrothers「簡単な結婚」 1/4 「スクラップ・ベイビィ!」
円形形式、HallBrothersでは4方向に柱が立っていてそれが上部でつながっている、天蓋の骨組み。結婚はね、いいわよ、といってたかどうか、好きな食べ物を聞くレベル、結婚も。相羽さんが好きなのは自分でしょ、おれを落として自分を上げようとする、人生フィーリングだす、相羽、こりゃだめやね、仕事とオレとどっちが大事なんだよ、ダンナのとおるくんのシミュレーション、それぞれの部屋には入らない、相手に合わせて変わろうとしない、どげん生きてもいいけど後悔しないように。シゲにいちゃん、結婚すると完璧でなくてもいいなあと思える、結婚なんて不幸だす、そこがいいん、完璧なしあわせならここにいないよ、といってたような。
円形形式、1/4では円形舞台の上からへりまで英字新聞が並べられる。アズとオズ、世界にうまくまぎれこむこと、最初に黒帽のオズがアズのことをいう、旅に出るんだオズ、途中睡眠。
2016. 3.4金曜日19:00 大野城まどかぴあ 1/4 「スクラップ・ベイビィ!」 PA!ZOO!!「スキャット」
1/4 「スクラップ・ベイビィ!」
円形の舞台、周囲に天蓋の棒が4本つながっている。舞台上には英字新聞が散らばっている。2人の少女。帽子、カーキと黒。ブーツ、茶と薄い茶。
聞いて下さい。オズとアズの小さな物語。男一人女一人が加わって踊る。段ボールでおうちを作るときは、お日様に当ててカラカラにしてから。
周りの人間をおてにするな。子どもの時から日本語でないもので育ったような、むろん英語とかいうのではないが、壮快、ホントはみなさんそうだったのである、みんなちがうと思いたい気ももちろんあるが、そういうのは素通りして、みんな多言語。
男、黒のハットに黒の服、服に新聞で切り抜いた蝶。女、白い服、同じく蝶。ぼくがどうやって字を覚えたか。一晩牢屋に入っている。アーベーセーデー、フランス語かドイツ語か。ぼくの心臓がどうやって作られたか。読める。私たちはこの子の両親です。
臓器提供クローンの話になる。覚えたことがまずいことに自分を取り囲みそうな気配はいつもある。青4つ黄色2つの照明。おれの心臓は12時で止まる。ひとつの身体ではきついということか? アズはオズのクローンであった。カズオ・イシグロの私を離さないでもヒントにはちらり、ぼくらはいつも一緒という。他者がいなくて一人の中での対話にすると、もどかしさに長い時間が伏せてあるようでインパクト。
PA!ZOO!!「スキャット」
円形舞台。テーブルとその両脇に椅子、他にも椅子、下は丸いカーペットだったか。
コーラス3人グループの話。お掃除シリーズと違ってドレスドレス。マツコ、三ヶ森と電話。コーラス。はりきりすぎると的がずれてくるのよ、あのこと話すから、お菓子食って涙が出そう、山羊のあとに天使が生まれた。色っぽくもあり電気仕掛けでもあるような。オリーブオイル、バリウムみたい。
誤解されてたのよ、違う子じゃないか。いつのまにか三姉妹のスキャットがメインになる。意味のある歌詞とか歌えない、松子。本番前の緊張。ちょっとしたショック、転機。
HallBrothers「簡単な結婚」
円形舞台、黒の円。直径5mくらい。周囲に鉄骨が4本、照明用。
イオンモールの中のラーメンネクストがうまいとか、現代の自意識に焦点をあててと説明あり。結婚せないかんよ、おまえがゆうな、この年になったらさびいしいよ、あんたはまだ可能性がある。叔母さんが30才のよりちゃんn説教する。22才の姪? 愛ちゃん、その夫のトオル。お酒やダーツの話。トオルがよりちゃんという、ちょっとした相手の呼び方。
結婚てリスキーなんだよな、男、ビリヤードをしながら。よっちーと呼ぶ男、悪ぶった設定。奥さんが出ていったあとのシゲ兄ちゃん、また結婚したい、いいもんだよ
かたやもっとシンプルに軽いノリの男、それに対抗する相羽くん。じゃあ叔母ちゃんが考えるから、余計なお世話。3週間の旅行。写真を見ながらか、これはダメやねえ理屈っぽくて、おれは国家のイヌじゃない、サガンの優しい関係、よりちゃんは自分を守っている、相手にあわすのがこわいんでは。妥協なら妥協、さかのぼる。
玉屋「青春ー直線〜部活編〜」
円形舞台。中央に男2人、周囲に女4人男1人、踊る、タッチの曲で。三原、グリーンのブレザーにチェックのスカート、生徒会長のヒガシさん役。相撲、負けた方が連帯保証人。相撲はあきらめない。カッちゃんがいう、おれ絶対ヒガシさんを両国につれていっちゃるけんね。犬のべす。かみあわない会話なんだが、天真爛漫な会話と、誰かのためにこうしたいという意識が真っすぐ出て来て、オトナの時間。車にひかれるカッちゃん。花形タツヤ、カッちゃんの弟あらわる。ヒガシとタッちゃん、タッちゃんの折り目のついたシャツ。
すみません負けました、また来年。いかにもありそうな情景、そこで起こるトラブルをいまだに避けていない。
2016. 2.27土曜日19:00ぽんプラザホール アントン・クルー「リア王」
2時間40分ですとまずは言われてびっくり。結構今風にしてまあ1時間半くらいに、なんて思っていたが、ほぼ原作通りに演じますといわれてびっくり。今思うといいものに出会ったもので、久々のアントン・クルー、ダイレクトメールもらえててよかった。あとでチラシを読むと2年がかりだったらしく、確かに久々に長い台詞にもしびれる。
そもそもウワサでしか知らない話。本当はコーディリアは死ぬんだなんて聞いてもいたが、ラストはどちらでもいいくらいにしか思っていなかったが、見終えると、甘言を求めてしまうリア王、最初から間違っているなんて思っていたら、作品よりも、まだないものを作品にしたときの批判というか、シェイクスピアもきっといろいろいわれもしたんだろう、なんて思いだすと、リア王というのは、批評のことは知らないというのがテーマじゃないかと思えた。そもそも読んだ事のない話だが。
舞台後方全面に四角い柱が立ち並ぶ。時には室内に見え、時には荒野の遠くの木にも見えたかと思っているのは今。間に出入口が4カ所。中央に背の高い椅子。それから六角形の台が左手前から椅子の左、さらに椅子の右、右手前と4つあって、左から高さおおむね30センチ15センチ、また30センチ15センチ。挨拶で一人10役をやるというひとが、まもなく開幕ですというのに背筋が伸びる。なんとホントにホントのリア王が始まる。
とはいえアントン・クルーがやるんだからと、早くも「リアル王」とか、また途中にはオレオレ詐欺とか、単語が浮かんでくる。イギリスとフランスとの当時の関係はお互いに世界の反対側だったのかとか、未来戦士、とかなり浮かぶ。
舞台は四角い柱の中央部が左右に広がって王の登場。9人、いきなり大登場。一応地位も財産も娘達に渡したリア王という話からだが、そしてリア王はゆっくりと隠居暮らしといかなかった、という事は、王は王のまま死ぬしかないのか。積極的でないコーディリアをかばうフランス王は、何も譲らないというリア王に、なんという不思議と言い立てる。姉2人の衣装が見事なもので、カラスをモチーフにしているのか、きれいに磨かれたような黒、黒い羽根。それからエドマンドの左肩を吊り上げたようないでたち、ベルトあたりからの工夫と演技力、これで普通に喋っている。他にもグロスターの自然なお腹の詰め物、途中でエドマンドの策略はリチャード三世みたいと思った事、エドガーが、エドガーでは生きられない、これからはきちがいトムだ、といって浮浪する。人間から必要以外のものを奪ってみろ、どこでいっていたのか、人間とはこれだけのものか。圧巻の舞台。エドガーという日常という単語も浮かぶ。
2016. 2.20土曜日18:00ぽんプラザホール 非・売れ線系ビーナス「そう遠くない」
でだしで前に見たことのある舞台だと気がつく。福岡市油山にある喫茶店。左にカウンター、手前に高さのある椅子。右手にテーブル、椅子が3脚、その右についたてがありポスターが貼ってある。南区基地フェスタとか書いてある。カウンターの上にはコーヒーカップがひとつ、テーブルの上はオレンジ色のメニュースタンドか、それとナプキン入れ。山の上から基地が見える喫茶店。喫茶店をついでくれる娘がいる。オスプレイケーキというのがありプロペラが刺さっているといってるが見えない。だんまりの若い男の客。店を出るときに「ニモカでいいですか」という。店長めあて。雑談中に航空機の音、百鬼撩乱とかいっている。右足を少しひきずっている女のひと。このひとがバスタオルでボールを投げ合う、バスタボーというスポーツにはまっている。
黒い服の女2人、冨田ともうひとり背の高いのが、だんだんとわかってくるがロビタというロボット。「かねだいちろうさんのお孫さんですか」とか喫茶店の娘にたずねる。「ここですか、基地の見える喫茶店」とも。座り込みが見えるらしい。基地反対なのに、そんな店の名で経営していることをやゆしていたのはどこだったか。このあたりで睡眠。自分が今何かに新しく関心を持ってもこりゃもうわからんなという感じと、しかしこれで楽しいということであれば、知らない事も研究不足もえんえんと好きになる感じ。暗転。
店長の女の子と店長目当てに見えた大学生。どうやら実は危険人物か。軍用車とバスが衝突した話。気をつけろ、捜索首、どうもミミズの先にカメラがついているイメージ。かくれている健一をさがす冨田とロビタ。ロビタが歌って手を横にだすと手が電話機になっている。そのロビタと康子さんがタオルバレーを初めてロビタがどこかしら人間、小声でファイトともロビタがいってたような。
タオルバレー以外にはびっくりしなかったが、基地問題とそれぞれに生きている者、我々だが、結びついていると、そこはいわずにか、単にあると見せている所が、むしろ深い熱意か。前回も自分は途中で妙に当たり前すぎる展開にしている所にひっかかって寝たような気もする。作品名の「そう遠くない」も、身近ですよと主張しているのではなく、今の普通に見えているものですよといっているのか。
2016. 2.20土曜日14:00青年センター バカダミアン「怒りのサブ・ジェネラル」
少し長くなって70分になる、次の作品の人達に30分延長をお頼みしたとのこと。真ん中に男が。「そしてこれがビールでございます」「お代官さま、そしてなにとぞこの越後屋を」。汚職。「越後屋、お主もワルよのを」。越後のちりめん問屋。ご老体が死ぬ、悪代官も。「さ」を「しゃ」という女、「だいごんげんしゃま、しゃつじんです」。
死後の世界のご老公。女。普通に神ですか、あるのはただ主観のみ、というのはこちらが自分で思ったことかわからず。神は別の時代へ生まれ変わるべしという。そこにブッダが出てきて、「悩んでいるのですね、東照大権現」。なんと神は家康だった。「わが孫よ、空より広い豊かな三途の川」「覚えている、古代くん、私は森雪よ」。日本はもう通りすぎていて、光圀はどうやら未来に来る。「ま、いいか、と思わせる事」なんていってたか。「私は行く、キャプテン・ヌークリアよ」「高き志にほれました」。印籠が原子力の危険マーク。ごちゃごちゃしていたが、今思いだしてると、ストップモーションが続いてたのか覚える。
2016. 2.20土曜日13:00青年センター ちょこりん「めぐる」
「おかあさん、これ苦い」「甘いでしょ、食べなさい」。白いドレスの女が2人。おかあさんと娘が入れ替わり、人物も変わる。甘いでしょ食べなさい、椅子の上で2人が、初めから人間の身体がこう出来ていたみたいに重なっていって、やめて倒れる。
あばれるひとりをもうひとりがおさえる。「りんご、おいしかった。りんご、好きじゃなかった」「そうだったの、知らなかった」。亡き王女のためのパヴァーヌが流れる。いつのまにか真ん中に2つあった椅子が両サイドへ。そこで踊る。突然別人になるのがそもそも早い2人。ひとりの足元にもうひとり。そのもうひとりが立ち上がる。
20分だったのだが、それ以上。まず、何かとの出会い、あまりの合致、ひとりをもうひとりがおさえる所が長い時間、音楽に引き込まれずに並ぶか先に踊って音が続くかの拮抗。ラストは脱皮というと怒られそう、スイングなもの。
2016. 2.20土曜日12:00青年センター ぐにゃり「野ばら」
昨日見たのをもう一回。戦火の音のあと、銃をいったん向け合うが、老兵士が銃を降ろして手をあげる。そのあと若い兵士が立ち去る。銃自体は小道具にせずに、手真似でやった方がきれいなんだろうと昨日は思っていたようだったが、やっぱり出てくる方が本当らしいと改める。回り灯籠の兵士が次々に過ぎる。花が咲くというが、花から見ると、咲く咲かないとは思っていないんじゃないかと。
2016. 2.19金曜日14:00青年センター ぐにゃり「野ばら」
背景、三角形の山の絵、その両脇についたて、こちらも山の絵、緑にほんの少し赤と黄があったか、異なるのは左のついたての中に小さく白い建物プラス白と赤の横縞の旗、右のついたてだと赤い建物で、白地に青の斜めの線、×マーク風に。中央に箱やサンドイッチ用のバスケット、小さい看板というか四角い紙に、野ばら、と書いてある。
うしろから登場。笛とカスタネット系の楽器で、わらべは見たり野中のばら、シシシシレドドシラララの方、その2人が箱の上でとびだす絵本を順番に開く、平和風な風景からややあやしくなっていたような、そして国境BORDERがあらわれる。そのあと箱にもBORDERと書かれていて、今思うと箱は壁の断面だったのかも知れない。少し踊っているシーンがあって、野ばらなのに花が降っているような。
小鳥の声、と共にうしろから兵士、顔には仮面というよりも能面に近い、つけている。水の入ったリュック、水の音がしたので、ライフル、それからりんごをまるかじりしている。
もうひとり兵士があらわれる、こちらも能面。目の部分は小さく、2人とも周囲はほとんど見えないまま演技していたとしか思えない。能の目付柱にあたるのは、左右の照明くらいでは。昼はそれぞれに左右、敵味方、それぞれ歩哨に立つ。夜になると陣地、風景の中の建物に入る。野ばらの役というのも変だが、野ばらが踊ると、夜は夜で世界は楽しくなっているというか舞っている。
朝が来る。国境で向かい合う兵士、右の老人の兵士からアクションがあったか、ビスケットとチョコの交換をする。左の青年との動作のコンビネーションがよくて、いやいやあの面では見えていないはずなのにとこれは最後までわからず。煙草をやったり、家族の写真や恋人の写真を見せ合ったりする。老人が白い布袋をだすとそこには布の将棋盤と駒袋。老人が青年にルールを教える。やっているうちにまた夜が来る。次にやったら教えた老人の方の負け、また夜が来てそれぞれの建物・陣地に。そしてまた野ばらが踊る。
冬が来る。厚着の軍装、風の音。昼間の野ばら。急に砲声が鳴り始め、やっぱり戦う事に。しかし老兵士は先に若い兵士の捕虜になる。そのあとが覚えていず、若い兵士も脱走したのか、ラストは兵士の幻灯。舞台うしろから、円盤に描いた何人もの兵士に光をあてて、舞台上では白い兵士の像がくるくる回る。
ぱっと見、アラバールの戦場のピクニックを思いだしていたが、ばーんと不条理を提出するんじゃなくて、チラシにも同様のことが書かれてあったが、そのときそのときの行動、それもあまり選択を感じることはないが自然な行動、チラシにはささやかでもと書いてあったが、そいつはささやかだから続くのだと、ちょっとした宇宙観。チケットが、ぐにゃり、野ばら、と書いた、どういう技法か版画か、紙の葉っぱを野ばらの造化につけたもので、扱いにくいがなかなかのもの。
2016. 2.17水曜日 福岡市美術館「モネ展」
冗談抜きにモネとマネの違いとかは、話に合わせていただけで結局わからない。ただ「印象・日の出」と「睡蓮」を描いたひとが、同じひとだとわかる。「印象・日の出」はむかしどこかで見たことがあるような、それともカレンダーで見たのか、それで人が多すぎたら帰ろうと思う。
自分と同年齢、もう同齢年と書いてもわからないような、あとは女性。
途中座ってメモしてたら、これはうかつだったが鉛筆を貸して頂ける。前に別の所でつかつかとボールペンは駄目ですよといわれただけの所もあっただけに親切。入ったあとで知ったが、改装工事で2、3年閉館するらしい。10年以上来た事がなく、荻原守衛の彫刻があのあたりにあったと思うのだが配置が変わっているのか、実際常設展示の仕方が変わっているようで、機会があったら8月までか。
「モネ展」は2階。入口からかなりの人出。「睡蓮」がお目当てのひとがあとで思うと多かったか、「日の出」はアップで見たいひとは前を停まらずにと、2列仕立てでうまい導線だなあと感心する。
まずは若きモネ、多くはなかったがカリカチュア風刺絵で認められたらしく、演劇界の小パンテオンのほとんど線の足とか年金生活者のリンカーンのスタンプみたいなの、とがったあごとか、ああやっぱりこのひとも元々うまく描けるんだなと、知りたくもないがやっぱりとわかってしまう。
帽子をかぶって、ボンボンのついた、子どもの絵。「霧のヴェトゥイユ・セーヌの対岸から」、目を引く。「ギヴェルニーの黄色いアイリス畑」。「印象・日の出」、これはもう研究が進んでいて、年月日と描かれた時間、朝の7:25から7:35の頃で、水門が開いている時間、太陽の方角、天候や波を見て、その年にルーアンに行ったという記録はないが、推測できているらしい、すごい。水面に写った日差しの赤の厚みが写真ではわからない。係のひとに、ホンモノですか?と聞きたくて。若いときの赤やオレンジはムンクみたいだったが、晩年になると不自然でなくなる。視力の影響? ポール・シニャックの収集やドラクロワの水彩、左から正面にかけて湾が湾曲していていかにもドラクロワっぽい。よく旅をした人だったらしくて、「オランダのチューリップ畑」、「ブルターニュの元漁師のポリーの肖像」のアニメっぽい目つき、生き生きしている。
そして「睡蓮」。これからが自分にはちんぷんかんぷんだが人多し。キャンバスの右上に大きな小舟のある絵がいいと思うくらいで、横長の絵で緑・黒・赤・また緑と来る睡蓮などは現代アートっぽい。城に各種の緑。最晩年、ぐちゃぐちゃだが構成にはなっているような「バラの庭から見た家」、日本の橋やしだれ柳。しだれ柳は、ちょっと、ああこう見えるのかとちょっとびっくり。最晩年の絵はおおむね
2016. 2. 14セリーヌ「夜の果てへの旅」
ほぼ2週間。半分あたりで引き返しもかけたが、終わりまで読んだからといってどうだとまでは思わなかったが、立派ないいぶりのラストまで。自分が初めて読んだときにも既に、もうセリーヌの時代ではない、とも言われていたし、またサルトルがでだした頃だろうか、セリーヌのサルトルについての無茶苦茶いいがこれがまたひどいもんだったが、ん十年ぶりに読んでみると、驚いた事に、自分の覚えている台詞で、あれっ、ここに書いてあったのかと思った所が何カ所かあって、自分もよもやこの「旅」で知った言葉とは思ってもいなかったのにびっくりする。
まずは手短に、ちなみにセリーヌは、哲学的ないいかたで、このセカイに放り出されたとか自由とかいわない。
2016. 2.10水曜日19:00アトリエ戯座 佐藤順一読演 太宰治「トカトントン」
明るい話だと思っていた、記憶では。筋なんてみんな忘れているが、トカトントンという響きのせいか。しかしこのトカトントン、手紙形式のこの小説、主人公がきまってあと一歩という時、不吉でももちろんないが、たんたんと聞こえてくる。ある読者から敬愛する作家に向けて書かれた手紙で、最初は戦争が終わってしんみりとしているときに、目からうろこが落ちるように聞こえてくる。このあたりは気持ちのよさとして伝わるが、この釘を木に打ちつける時の金づちの音、これがそれからはこの主人公にとっては重荷になっていく。小説をあと少しで書き終えようという時やら、職場でもかなりの仕事家で、はまり込んでいたのが、あと一日で一区切りだという前の日に、とか、お客さんの相談を受けて、ちょっと恋心を抱いたかなと思えた時、さらに街頭のデモを見てこれだ!と思ったり、あげくにこの手紙を書いている途中でも既にこのトカトントンが聞こえていたと書き綴られる。
忘れやすいということか、すべからく何かがあるというふうに思わないといけないというちからが働くのか、とにかく主人公は悩んでいる。作家の回答は「勇気を必要とするもの」といたって簡単なわけだが、自分にはそれでもこのトカトントンは、何かしらひとそれぞれに自動的に働くブレーキのように見えて、確かに作家がいうように、そうは書いていないが作家としては、より高いものを見て道を捜せといっているように聞こえるが、そこまで行く気がしない時にこれが聞こえて、明るいは言い過ぎと修正はするものの、それでもほがらかなことじゃないかと決めてしまう。
読演ではトカトントンの所を、やや早めに発声される。ここは自分の速度と違って、自分だともっとゆっくり聞いている。ふっと急に脳裏に浮かぶというのと、何となくやる気がなくなるという違いか。読演や実際の太宰の意図はどうも、実の所あとで読み返したが、自分とは違っているようだった。途中に、「とても複雑している事」と、今風な日本語がある。あくまでも個人をかたっているだけなのに、面白いのはいうでもがな。途中に名文箇所もいくつかある。
2016. 2. 7日曜日14:00大濠公園能楽堂 狂言「墨塗」(すみぬり)能「吉野天人」(よしのてんにん)
2500円で見れるというのでやっぱり離せない。おまけに狂言が野村万禄(のむらまんろく)というわけで、毎年の入門講座なのだがやっぱり来てしまう。席は脇席で目付柱の少し左、全く正面ではないが、橋掛りの部分がアップで見れる。まあそこは歩くだけの所ではあるがそれでも新味。屋根の上がないというイメージを持とうとするがそれは無理。鏡板もまあまあ、その右側の竹の絵がまっすぐ見える。
いきなり登場。アフタートークの質問と答がよくて、知らなかった事を今回多く知る。いきなり登場というが、そもそも黙って始まって黙って終わるもので、これはどこで拍手したらいいかわからないという質問への答だったが、基本は、すべての演者奏者がいなくなってからされるのがまあよろしいかとの事。実際には自分も含めて、それぞれ退場される時にしていたが、その方が見る方としては気分よし。
墨塗はかろうじて言葉がわかる。新地を拝領し大名が本国へ帰る、おいとまをいただく、「喜ばしきこと、おめでたいことはない」と、大名と太郎冠者がかけあうが、力強い。このあたり、作品というものは自分なりに読めるなら勘違いして読んでもいいということと受けとめられる。ところで女がいる。その女とも別れなければ、「太郎冠者、おまえがいうてくれ」、いえいえだったかのかけあい。いよいよ女に、大名が、「い、い、い、いとまごいを」、女が「なんとしましょう」といいながら目を濡らす。感極まるか困ったかの大名。ところが橋掛りから太郎冠者が見ていると、水で目を濡らしているのがわかる。殿、あれをごらんにといっていたか、しかし殿は感極まって「ええー」と泣くばかり。太郎冠者、女の水を、墨の入ったいる水にすりかえる。気がついた殿、ぐたっとなる、へたりこんだか、太郎冠者、あれが見えぬかと逆にいう、お別れに女に鏡を渡す。女も気がつく。それから大名の「はようこい」、太郎冠者の「こころえました」、女の「はらだたしや」の合唱。
誰にもわかりやすい演目で、25分。太郎冠者がぬきあしさしあしで女の水いれを取り替える所、女が喋りながら目に水を塗るしぐさ、大名のぐたっとへたりこむ所とか、普通のドラマとは違って型で見せている所が、だから狂言とはいえ楽しめる。この作品から見たひとはラッキーと思えた。自分も、これだけは見た事があると説明できそう。
15分休憩後に能「吉野天人」。こちらはまるで何とおっしゃられているのかわからず、あとの質問でも子どもたちを連れてきたらしき女性が、狂言はわかるのに、能だとどうして眠くなるのかと質問あり、自分も途中少し寝かかっていたが、答がよかった。眠たさをどける方法はないというのがひとつと、もうひとつは聞いていて、実は我が意を得たりとも思ったが、わからなきゃいけないと思って無理をするから次からは行きたくなくなる、それよりは寝てしまった方がいいし、またよくしたもので、結構肝心の所ではまた起きるように楽曲も出来ていたりもするとのこと。
それにつけても何で面をつけるのか、自分は異界がこちらにやってくるか、あるいはこちらが異界で向こうから何かがやって来るという認識。正面に桜の枝というか桜の木を置く。赤黄金色の服の里の女が踊る、入れ替わりに白い服を来た天人が踊る、少し面が変わった気はしたが、そう思いたかっただけでもあったが、実際には最初の面は、こおもて、といい、年若い人の面、次が、ぞう、という仙人の面だったらしい。幕がないので、終わりがわからない、ここが拍手に困った所。40分。
この吉野天人は観世流にしかない演目というが、特別の演目というのではなく、きゅうきょ作られたような説明もあり。とにかく踊りはわからなかったが、大鼓(おおつづみ)の木のような音、小鼓(こつづみ)のおなじみぽーんという音、太鼓(たいこ、点をどけるとおおつづみに注意)のばちが上から下へたんたんたん、笛も謡もあったがそこまでは覚えず、楽曲のとりあわせというのか、それで眠たくもなりつつもまた目が冴えたりのライヴとなる。実際にライヴらしく、今日はこういう段取りで行きましょうと話すくらいで、ほんとにリハーサルなしでやるものらしく、鼓やかけ声で、まあいを計る。全くの一期一会アドリブなしという話に、みな驚く。それでやれないひとには次からお呼びがかからないらしい。
同封のチラシ。とはいえやっぱり1万円代で眠るのはというのと、そんなチケットでそもそも入場できる手札はないと思ってしまう。県外でやはり入門講座があるようなのでこれは行きたいところ。
2016. 1.23土曜日19:00北九州芸術劇場 不思議少年「いいひと」
中央に舞台、客席はその両側、目の高さの関係で向こう側の観客が見えるのも演出のうちか。自分は好きだが、あとで久々で偶然あった、未だにお名前を知らないX氏は、演技を見る者としては、普通の舞台の方がいいといわれて、なるほど冷静に思えばそうだが、自分だとそこまではちと無理だとも気がつく。
中央、横に長く、線路が2本、一本は真っすぐに右から左まで、もう一本は途中から上にそっていて、反対側からももう一本途中から上にここまでという意味でそりあがっている。ということはレールは3本といったらいいのか、その線路の両側に小物が所々並んでいる。雑誌、ぬいぐるみ、横向きに倒した椅子、コーヒーカップ、ざぶとん、何色かの水玉のついたゴミ箱。
左側、といっても自分が座ったのは入口に近い側だが、左側から列車の音、ちょうど線路の突き当たりまで聞こえる。「私を知っているひとがいない所まで」とか「おれってどういう性格なんだろう」「なんで彼女ができないんだろう、教えてほしい」「こんな自分をみっともないと思って」とかといった台詞がそれぞれに出て来る。あとでチラシを見ると、「ありのままの自分への好ききらい、そして人との影響し合いから、そこでいいのか、いやだめでしょう、あるいはその両方を求めつつ、少しでもいいひとに近づけますように」といったコンセプトだったらしく、それで納得がいく。いくつかの、いや何人かのでいいが、グループというにはおおきすぎるが、複数が併行しつつ話は進む。「ぼくのおじいちゃんが死んだ」「どこか信じられない」という、しかし、自分が思っているだけの事ではない現実もおさえつつ、「こうやって街を見ていると、みんなよく生きてるんだなと思う」なんていっているが、これで世界がいっぺんにひらけると同時に、あとで思うと、これぞ結論につきる、結論という言い方は不正確だろうが、と思える。
「あのう、これ落としませんでしたか」とスマートフォンを拾ったふりをしては声をかける男。「
私は、なりたい私になる努力をする」「外見の大事さを男はわかっていない、適当な格好をして自然のつもり」といったかどうか、あるいは「このセカイはおじさんに便利なように出来ている」とか、果たしてそうか、その分け方はと思える台詞。いろいろな、特にタイプ分けした訳でもなさそうで、説得を感じる。いろいろな人にかかる話が、ときに「ノジマケンジの場合」、といった台詞も出てきていたか、紹介されつつも、ときにはつながったりもする。
手相を見る男、ブックオフに務める女、ときには夢の中。レールの上を左手からトロッコが登場して、どうやら悩めるひとをまとめる先生もあらわれる。フジサキユウカの場合、「私の心はあまりゆれることを知らない」と、自分だと会話に困る台詞が目白押しで、何故困るかというとあまりのストレートぶりに、いやいや難しくないからというのではなく、あまりのストレートぶりに、これは舞台後のトークでも思ったが、かえって気がつかなかった事に気がつくからで、なんかいいこといわねばと、こちらが思ってる方がマチガイなのだが、それこそ、そこでいいのか、いやだめでしょうといった話。
とはいえ、「人は何を残すか残さないか、ぼくはいいことをしたいよなあ」といった台詞には疲れつつも、「オレの知らなかったノブがいる」なんて台詞には、出会いという錯覚か、それをいうなら錯覚ひとつなくて出会いでもなかろうとか、勘違いにはもっと積極的な意味付けがありそうな所を主張しているようでもあり、この「おれの知らなかったノブがいる」というのは、知らなかったから愉快不愉快というのではなく、明るさを覚えてしまわないでもない。
とはいえ教祖様ぽくもなる先生が、「息を吸って吐いて」「心をひらいて」なんてありそう。そして突然荒れ出すノジマさん。あっ、いかにもいそうなひと、「ぼくは誰よりもコドクなのかも知れない」とそのときいったかどうか、ご勘弁願いたい、気持ちはわからないでもないが、肥大化するオジサンを感じる、何日かたった今だと、大人の何々、というあやしげなフレーズまで感じてしまい、それはオジサンになる前からそうだったんだろうと割と狭く自分は決めてしまっている事にも気がつく。
サトナカさんは実は教祖先生の妹で、その教祖先生、いつのまにかそうなったようだが、子どもの時はいじめられていたがその度に、自分は特別と思っていたとか、いくつかの2人一組の話はまだまだ引っ張って来る。イデさんとナカムラさんは山登り。どうやら先生を救いに行ってるのか。「祈りましょう」「境界を消していきましょう」ひっぱられそうな台詞。オイワケノブオくんはバイト先のフジサキさんが好き、そこでノジマとも一悶着あったか。もう揺れて当たり前と思うところかどうか。
途中でノザキとリホさんだったかユリさんだったかが、小さい声でラベルのボレロのタンタタンッタタをBGMで唱和している場面に感激、今思うと、舞台はそのままなのに2人が遠ざかっていくような遠近感を持ってたみたいだ。イデさん「私たちには先生が必要なんです」といったか、どなたかが「私の心のリセットボタン」がどうだったかのか、ラストはみんなで、レールの上のトロッコを押す。
何をいまさらと思った箇所はほぼ一カ所、偶然だが演劇通のまだ名前も知らないX氏と会ってお話し聞ける。こちとら多くて月2回だが、ちょっと話していたら月5、6回はさっさと出かけておられるようで、いくつかヒントをもらい、後日それを見に行くこととする。
2016. 1.20水曜日19:00アトリエ戯座 佐藤順一読演 岡本綺堂「妖婆」
江戸とはいっても江戸後期。なんだか時代物には江戸後期が多い気もする。それから明治になるのが不思議と思うこともあり。とにかく岡本綺堂、半七捕物帳で知られると聞いてなるほど、よく見ていた気が。
旗本の家でのカルタ会。雪の日。順番に武士が集まってくる。そろった所でじゃあカルタをしようという算段だが、10人目くらいにやってきた堀口という侍が、同じ道を通ってここに来たと思える他の侍に、あそこ、鬼ばば、と俗にいわれる場所だが、そこで何か見なかったかと聞く。そういえば雪に埋もれたまま座っている女がという返事に安心。次に自分よりあとに来た侍にも尋ねる。何か見なかったかと。ああ、雪をかぶったお婆さんがいたので小銭を投げ与えてそのままここに来たという。安心。安心なのだがその安心は、自分が見たのは幻覚ではなかったという安心で、実はあやしく思っている事がある。そもそもこんな雪の日に、なぜまた人通りのない所で雪に埋もれかけている老婆がいるのだろうかと。
その堀口のあやしいが伝染したか、なかなかカルタモードに周囲も入らない。ようやくあの道なら、もうひとり、石川があとから来るはずだから、彼の話を聞いてみようと結論をだすが、その石川は現れない。どうしたことか、用人が現れて、屋敷の外で石川様が、何やら意味もなく刀を振り回していて、それから疲れたように倒れ込んでいると。
どうやら石川は血気盛んで、その老婆の挙動に、ついに下駄を投げつけたり、刀を抜いたりもしていたらしい。さても不思議な事があるものだでその日は終わるのだが、帰りしなに堀口が、蒼ざめた石川にちょっとした冗談をいう。よもやその冗談が主な原因とも思えぬが、そこいらあたりから話はおかしくなっていく。
うへっ、こわくならないようにこわくならないようにと用心しながら聞く。少し作りすぎの話のようにも感じながら、そう感じたのは前に読んだ事がある話のようかも、しかしまるっきり展開は読めずに、ただただ身動きできなくなる。結局こわかったわけだが、他のお客さんの話だと、この番町という地名には、いろいろな話が日本中にあるらしく、どこが大元というよりも、そういった話がストーリーは変わりつつも、どこからか広がったのには、共通して感じるものがあるからなのかなんて思う。そこでまたこわくなって退散。本年もよろしくといえてたか不安。
2016. 1. 18二葉亭四迷「浮雲」
これは面白かった。1ページ目を開いた時には、やっぱりというか、ルビのついた漢字がずらずらとあり、やっぱりね、持ってただけだねと、それだけ確認したつもりが、よく見ると第1編第1回「アララ怪しの人の挙動(ふるまい)」というでだしにぎょっとなる。そして漢字が多くて読みにくいのは実に最初の2ページだけで、ラストまで、といっても、一応未完の作品ということも初めて知ったのだが、途中よく笑う。第3編に入ると、笑うよりもむつかしい事が出てきてそこからが重要なのかも知れないが、とにかく第2編まで。
男の名が、内海文三で、官吏だがでだしでいきなり免職に会う。むかしの事なので人員整理かと想像。女の名が、お勢で、母親のお政と暮らしている。内海はそこに間借りしているのかもう覚えていないが、2人はいいなづけなのか、これももう覚えていないが、この免職を機に一波乱が始まり、元同僚の昇がこれにまたおおいに絡まってくる。
まずは文章の読みやすさ。何々したもので、といった終わり方をしている所が多く、講談を聞いているようなテンポのよさに恐れ入る。くたばってしまえで二葉亭四迷にしたというのは聞いたことはあるとはいえ、楽しく書いているのが1編2編とも伝わる。それからカタカナとひらがなの面白さ。といっても当時がそうだったのかも知れないが、「イヤあれは」とか「アノネ貴君」とか、いとまがない。「キャッキャとなり済ました。」「入我我入でメッチャラコ」など、今の流行語がつまらなくなる。内海の悩みや昇の社交性、お政の考え所、わからないではないがついてはいけないお勢のきまぐれ、文三と違って話の面白い昇、話はまっとうに進んで行って、正直我が身にふりかえってみる所が多いが、ついて行かされる。
「アイドル(本尊)」などは打ち止めもの。相手を過大評価しすぎていると気がついたあたりから文三の世界は広がるが、とはいえそれまでの悩みもまだ消えないというあたり、文学史の本ではない。
2016. 1. 8「ひとつ灯せ」宇江佐真理。
去年ばあくうの読演にて、インパクトを受けて読了。大江戸怪奇譚とあるが、終わり近くの小川のシーンなどは、ユング心理学の風景じゃなかろうかと思ったあたりからか、まるで先がわからなくなりつつも、読後に部屋が広がったような、いい感じ。あとスタイルというか、勉強にしてもミニ旅行にしても、捜していたらきりがないというか、自分のスタイルしか覚えないということが伝わる。伝わるといってもそんな事は書いてないが。
ある男が、江戸時代だが、具合を悪くする。具合は一気に悪くなる。そこへ幼なじみが見舞いに来るが、見舞いをしている幼なじみ、急に病人の部屋で誰かに向かって叫ぶ。病人治る。そこから月一度の7人による例会が始まる。8つの連作になっていて、途中で仲たがいしてしまうひともいたりとか、それぞれ仕事や家庭も異なっているのはメインではないが、それだけに、普通に会話しているのに、そこは気づかなかった意見がよく出てくる。「この昆布巻きの素人っぽいところがいい」という台詞などは、料理をちからづけてくれてうれし。
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