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プロフィール

梨屋アリエ(なしやありえ)

栃木県小山市生まれ。神奈川県横浜市在住。(東京都世田谷区よりH26年末に転居)
児童文学作家、YA作家。
法政大学兼任講師(社会学部で「クリエイティブライティング」担当)
社会福祉士(神奈川県社会福祉士会に本名で登録)
日本スクールソーシャルワーク協会会員

1998年、『でりばりぃAge』で第39回講談社児童文学新人賞受賞し、翌年、単行本デビュー。
2004年、『ピアニッシシモ』で第33回児童文芸新人賞受賞。

「日本YA作家クラブ」世話人。 http://jya.iinaa.net/
「YA読書クラブ」世話人。 http://www13.plala.or.jp/aririn/club/
「YA*cafe」世話人。 http://www13.plala.or.jp/aririn/yacafe/
「横浜緑YAカフェ」世話人。http://www13.plala.or.jp/aririn/ymyacafe/
「す児庫」世話人。https://jidobunko.wixsite.com/index

2012年開講の世田谷区立船橋希望中学校の校歌を作詞。

中学校教諭第2種(音楽)(旧免許)、社会福祉士


著作物や文筆活動については、こちら
講演やワークショップの活動については、こちら

お知らせ。
梨屋アリエは、医療機関で「大人の発達障害」の検査を受け、自閉症スペクトラム圏にあり(いわゆるアスペルガー症候群)、不注意型と多動性・衝動性型の特徴を併せ持つ複合型ADHDに当てはまる特徴があり、学習障害(LD)の書字障害が生来あったことを2016年9月に診断されました。知能検査の結果IQは 「特に高い水準」という数値になり、生来の発達のデコボコを高い知能で補うことができて、表面的には社会性のある行動ができている、とのことです。
これまでそれなりに普通に生活して、作家の仕事をしてきましたし、検査結果が出たからといって私の生活が変わるわけではありません。ちょっと変わっている人なだけで、特別な配慮は必要ありません。とにかく、自分が長年感じていたさまざまな違和感の正体がわかって、怠けやわがままや気のせいでなく、専門家に認めてもらえて、ほっとしているという状況です。
しかし、発達障害を原因とした適応不全や傷つきを繰り返す中で、二次障害としての鬱の状態があり、同時期に別の医療機関で光トポグラフィー検査を受けたところ、非定形うつ病との診断がありました。
自閉症スペクトラム、複合型ADHD、書字障害のほうは生来の発達のでこぼこなので治せないものですが、二次障害のうつ病は治せる病気です。ですので、いま約一年の予定でこれまで通りの仕事をしながら経頭蓋磁気刺激治療を受けています。(2017年春に治療は終了しました)
プライベートなことなのですけど、こういう人もいるということを知ってもらうのも悪くないと思うので、公表します。
2016年9月18日
 

作家になるまでの経路は、

作家になろうと思い、小説の初投稿は中学生の時。でも、はじめは原稿用紙に2、3枚の書くのがやっとでした。中学2年から3年になる春休みに原稿用紙25枚の短編小説新人賞に応募。ダメでした。
兄が買ったブラザー製の「ワープロ」をぶんどって書字の困難さを創作時にには乗り越えられたため、中高時代は遊び要素のつよい同人誌を作っていました。
国語や古典の勉強が大嫌いだったため文学部は無理と思い、学生時代は子どものときから習っていたエレクトーンの勉強ができる短大に進学しました。(「女は結婚して子どもを産めばいい」と家族に言われていたので、当時、四年制大学に行く意識がなかった。)
地元の音楽科の短大卒業後、ヤマハ音楽教室・システム講師となる(4年間)。幼児グループや小中学生にエレクトーンやピアノの指導をしていました。
24歳でいわゆる無職の投稿生活に入る。(作家になりたいからやめると公言したが、講師2年目の後半から指が硬直しだんだん楽器が弾けなくなり、精神的に限界と思ったのです。弾けないと言っても、周囲には「怠けている」せいと思われていました)
その間、コバルト短編小説新人賞やゆきのまち幻想文学賞入選など。
結婚をきに、パートナーの会社の東京都世田谷区の社宅に転居(会社都合で区内を2回転居)。主婦となのれるようになり堂々と無職。
講談社児童文学新人賞受賞。

作家デビューしてからは、
作家としてやっていけるのか不安になり、都会暮らしもまだつらく、このころから何度か死のうと思うくらい不調に。
ひきこもったままではまずいと考え、作家活動をしながら、世田谷区新BOPプレイングパートナー(公共の学童保育のアルバイト)などを約6年間経験。3年目でバイトのベテラン層になり、長く続けるものではないのかと察したが、最初の年に1年生だった子どもが卒業するまでいようと決めたのです。
バイトをやめ専業作家で行こうと考えていたがばりばり書いてないので暇そうにみえたらしく、大学の非常勤講師の話が来て、半期だけの授業と思って受け、その後毎年更新。

イベントで子ども若者福祉やスクールソーシャルワーカーのかたに会い、児童文学作家・YA作家として子どもや若者の福祉を学びたくなり、都内の通信制の大学に三年次編入。
通信制の大学大学中にADHDの先生にあい、ずっと気になっていた発達障害の検査を受けてみること。
作家業をしながら社会福祉実習を経て、大学卒業。社会福祉士国家試験合格。

今後の目標は、児童文学と教育と社会福祉の観点から、子どもや若者(もちろん大人も)のウェルビーイングに関わっていきたい。作品もちゃんと書く。書きます。書きたい。
 

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