ちょっと昔の五日市町長と自転車の話

 西多摩 五日市(現在はあきる野市)は、秋川渓谷や奥多摩の峠道を目指し、サイクリングやレースのトレーニングで沢山の自転車乗りがやって来きます。ある意味自転車乗りのメッカのような場所になっていますが、その五日市のちょっと昔の歴史などをひも解いてみると、かつての五日市町長と自転車にまつわる面白い話を見つけました。


写真提供 内山輝次氏
五日市町長 内山 亀之助氏

 左の写真は昭和の始め頃に五日市町長を勤めた内山亀之助氏です。写真は孫にあたられる内山輝次氏に提供していただきました。さて、 その亀之助氏について、「五日市の古道と地名」(並木米一氏著 五日市郷土館発行)の八王子道(秋川街道)の項に次の様な話が記述されていましたので引用いたします。

 昭和八年から昭和二十一年まで、支那事変・大平洋戦争の動乱中、五日市の町長を勤めた内山亀之助氏は、若い頃流行した自転車競争が好きで、その頃しばしば行われたという上野の不忍池のまわりを走る自転車競争に、はるばる東京まで出掛けて参加したが、その頃、川口(注 八王子市の川口)の原中に直線道路が出来たので、そこへ度々練習に行ったという。これは亀之助氏から直接聞いたことである。

以上 五日市の古道と地名 より引用

写真提供 サイクルショップ・ミズタニ 角之倉隆氏
不忍池の自転車競争

 この上野の不忍池の自転車競争とは明治31年に始められ、不忍池を回る1周1マイル 1.6キロのコースを自転車で周回して競われたもので、その後も度々行われたようです。左の写真は明治43年 東京輪士會主催の上野公園不忍池畔第四回全國聨合自転車競争大会で普通決戦二哩一着となった林常三郎氏(右側)の選手姿のものです。残念ながら亀之助氏が自転車に乗っているような写真は無いようで、こちらを当時の自転車競走の選手姿ということで掲載いたしました。

 さて、輝次氏によると、明治16年生まれの亀之助氏は22歳で日露戦争(明治37年〜38年)に出征し、また、「池之端の自転車競走に出た」ということを若気の到りといったニュアンスで聞いたことがあるそうです。池之端(不忍池)の自転車競走にいつ頃参加したかは不明だそうですが、年令や出征を考え合わせると自転車競走に熱中したのは出征から無事帰還した後になるのでしょうか。五日市の古道と地名でも川口の直線道路の完成して亀之助氏が練習に行った時期を明治末頃と推定しています。写真の常三郎氏とほぼ同時期に自転車選手として走っていたことになりそうです。他、亀之助氏を知る五日市の年輩の方に聞くと、大変に慕われた人であったとのことですが、自転車競走にかかわる話は聞けず、今後とも情報収集を続けてみたいと思います。
 五日市に自転車でやって来るたくさんの人たちには、このような町長さんがいた五日市の町に親しみを持ってほしいなと思いますし、また地元五日市の人にはサイクリングや自転車レースに親しみを持ってもらえれば嬉しいと思います。それを通じて五日市周辺で今よりもっと自転車を楽しめるような町にしていきたいと山猫亭は考えています。みなさんのご理解とご協力をお願いします。