アジアン雑記
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☆バンコクは進化していく
(05/JUN/'04 追加)
信号に待ち時間が表示されるようになった。
大阪みたい。
それでもまだ、赤信号でも車が途切れれば渡るけど。
☆ついにはじまった
(05/JUN/'04 追加)
バンコク、バンランプーのランドマークだったニューワールドデパート。
ついに解体工事がはじまった。
さて次はなにになるんだろう?
☆インドで見つけたもの
(21/APR/'98 追加)
その一、「インディア・キングス」(タバコ)
ついに無理なく吸えるタバコがインドに登場した。
金色のパッケージに赤い文字。これこそキングの風格。
でも55Rsとケタはずれに高いから、WILLSやビリーとチャンポンで
吸ってた。なさけなー。
個人的にGOLD FLAKEはキライ。Classicもあまり好きじゃない。
その二、リンスインシャンプー
インドにリンスインシャンプーがあるたぁ知らなかった。
しかもいろんな種類がある。左の黄色いボトルのものは、
1本買うともう1本おまけキャンペーン中だった。
☆タイでハマりかけたもの
(21/APR/'98 追加)
それはこの焼きバナナだっ!
☆インドにて<コイルヒーター事件 その一>
(16/APR/'98 追加)
わたしはコーヒーがないと生きていけない。だからコイルヒーターと
マグカップとインスタントコーヒーを持って旅している。
日本製のコイルヒーターはたいへん優秀で、すぐ沸くし、壊れないし、
感電もしない。
プシュカルの某ゲストハウスでのこと。ラジャスタンは食い物がまずい
とさんざん聞かされていたから、インスタントラーメンを持ち歩いていた。
だけどそれを食べなきゃならない状況にならなくて、そいつはとっても
ジャマだった。プシュカルの次はラジャスタンの旅のしめくくり、ジャイ
プールだ。ジャイプールならうまい店がたくさんあるに違いない。じゃあ
ここらで食っちまおう・・・。
水をマグカップに入れて沸かして、麺を半分に折っていれて、それが
ふやけるのを待っていた。
んん? こげくさい?
「おおーー!」
ふりむくとそこには、コンセントから垂れ下がる
コイルヒーターと、炎を出して燃え上がる
ジャンパーとマクラとシーツがあった。
あわてて水をかけてパタパタして、荷造りして、
チェックアウトした。
あのゲストハウスはまだあるだろうか?
☆インドにて<コイルヒーター事件 その二>
(16/APR/'98 追加)
デリーに帰って試してみたけど、やっぱり愛しのコイルヒーターちゃんは
御臨終だった。
しかたないからインド製のものを買った。ちょっと気ぃぬいてマグカップの
金属部分を持ったら、ウガウガウガ!って腕中に電気が走った。
まだインスタントラーメンが残ってる。
よーし、ちょっと豪華なラーメン作るぞー。
香菜、赤たまねぎ、とうがらし、にんにく、
タマゴを市場で買った。
むっふぅーー♪
さーてお湯わかそう。
バチッ!
コンセントから火がでた。あれれ?
インドのコイルヒーター君はたった2回活躍しただけで、お亡くなりに
なりました・・・。
(ゴミ2つ)
☆バンコクにて<コイルヒーター事件 顛末記>
(16/APR/'98 追加)
バンコクの路上ミシン屋さんにたのんで、
ジャケットの穴をふさいでもらった。
色は違う、真ん中に縫い目が入ってる
(ズボンのすそを広げて使ったらしい)、
焦げてる端の始末はしていない。とほほほ。
いくら30バーツだからって・・・。
☆タイのあたらしいお金
50バーツ札<その一>
50バーツ札<その二>
10バーツコイン
1997年にプミポン国王在位50年を記念して作られた。
札が透けてるなんて、もーまったくタイってすごいわん。
国民も「プラスティック・プラスティック」と大喜びしてるし、
この分じゃまだまだ、ダイオキシンだとか地球温暖化なんかたぁ
無縁の国政が続きそーね。
かなり出回ってきてるようだけど、それでもまだまだモノめずらしい
みたい。トゥクトゥクに乗ってお釣りがこれだったとき、運チャンは
なぜか「テヘヘヘ」と笑っていた。胸ポケットから出してきたから、
大事にとっといたやつだったのかしらん。
コインはチェンマイで仲良くなった女の子がくれたんだけど、
「いーのいーの、こんなのバンバン人にあげちゃうのよ」だそーだ。
これってお金じゃなかったんだっけ?
☆バンコクにて<またもやトイレ話>
('97 秋)
バンコクで生まれてはじめて、便器が存在しないトイレに入った。
しかも2度。
1度目はチャトチャックのウィークエンド・マーケットにて。
ここはトイレが少ないから、女性用トイレには大行列ができていた。
ここって物置かな?と思われる個室があったけど、どんどん人が
入っては出て行くから、ここもトイレなんだなと判断して並んだ。
ワタシの番がきた。ドアを閉めた。入ってすぐ右手に水がたっぷり
入ったドラム缶があった。床はきれいな青いタイル貼りだ。
でも便器がない。床しかない。
しかたない、そのへんにGO!だ。
きっとここはシャワールームだったんだろう。
2度目は深夜、ボーベーの果物マーケットを見にいったときだ。
半露天の飲み屋のテーブルに座ってビアシンを飲んだ。
「ホグナム ユー ティナイ カー(トイレどこですか)?」
店のねーちゃんが指差すドアを開けた。
なにここ?
狭い通路の左側に、酒ケースがつまれていた。それだけだ。奥まで
歩いてはみたが、便器らしきものなんてどこにもない。
雨どいが壁づたいに上から垂れていた。雨どいの下に、水をためる穴の
ようなものがあった。も、もしや、これ?
さすがのワタシも、即座に外へでた。
水を入れた洗面器を差し出すおねーちゃんに向かって、ワタシは
静かに首を横に振った。
☆タイにて 1
('97 秋)
チェンマイからチェンライまでバスに乗った。エアコンは好きじゃ
ないから、NON-ACのバスに乗った。
指定席なんだからゆっくり行けばいーやと思って、バスターミナルで
ギリギリまでタバコを吸っていた。甘かった。チケットに書かれている
座席番号なんて、なんの意味もなさなかった。
最後部の狭い座席で縮こまって座った。それでもウトウトと眠りかけていた
のに、だんだん息苦しくなって眠るどころじゃなくなった。
あれま? 車内が白いじゃない。
目の前の後部ドアあたりから、粉塵が巻き上がっていた。
新道が全舗装されるのはいつの日か。
☆タイにて 2
('97 秋)
「もーあの粉塵はイヤ」
と、チェンライからチェンマイまではエアコンバスに乗った。
「く、くさい・・・」
トイレつきのバスなのはいいけど、あのニオイはすごかった。
ハンカチを顔に巻いて、なんとかチェンマイまで乗り切った。
なんとかしてくれよー。
☆タイにて 3
('97 秋)
ビニール袋を持って歩いていると、かならず犬がニオイをかぎにくる。
その中にガイヤーンか鳥の唐揚が入っていると、もー彼らはぜったいに
離れてはくれない。
めちゃくちゃ犬がしつこい場所のそばには、必ずガイヤーン屋台か鳥の
唐揚屋台がある。
タイでは、鳥の骨は犬にやるものと決まっているらしい。
☆タイにて 4
('97 秋)
タイは空前の花火ブームだ。どこにでも花火屋台がある。
メーサイで出会ったイギリス人カップルは、これをロウソク屋台だと思っていた。
教えてやらなきゃよかった。
タイの花火は音ばっかりで、花火っていうよりは爆竹に近い。運悪くデカい花火が
しかけられた裏道を通りかかると、耳がキーンとしてしばらくなにも聞こえない。
こんな状態じゃ、そのうち規制されるだろう。
(あとから考えると、お祭りだったからみたいね・・・)
☆タイにて 5
('97 秋)
タイにもまともなコーヒーが飲める場所が増えてきた。
今まで確認したところは、
A.バンランプーのタンホアセンデパート4階。かなりうまい。ただし禁煙
B.マーボンクロン3階、不良通りの奥。でもそんなにうまくない
C.チェンマイのJJ。今さらいうまでもないけど
D.チェンマイのナイトマーケット・フードセンター内
E.シーロムのロビンソンにもあるらしい
☆タイにて 6
('97 秋)
旅先ではいろんな人にあう。
その中に「professional student」といわれる人種がいる。つまり奴等は
一生なにかを習っていたいのだ。
タイ語、タイマッサージ、タイクッキング、ムエタイ、習えるものならなんでも
いい。そのくせ、タイ文化に対する知識はまるでない。タイマッサージを極めたい、
といっておきながらワット・ポーを知らなかったり、タイクッキング教室に通い
ながら、毎日バナナパンケーキやピザを食っていたりする。
それと、おもいっきしぶっとんだのが、「NOMADになりたい」とマジでぬかした
オージー<脇毛>ねーちゃん。わりゃナニモンじゃい!
ああそーいえば「タイマッサージ習いたいけど、他人がワタシの身体にふれるのが
耐えられないのよね」というネエチャンもいたっけ。ふぅ。
☆トルファン(中国)にて
ベゼクリク千仏洞に行きたかった。でもタクシーの運チャンたちは
どいつもこいつも信じられないカンジだった。
すると「僕たちが連れてってやるよぉ」と子供らが寄ってきた。
「ええ、あんたたちがぁ?」って怪訝な顔してると、着いてこいって
手招きするから、ヒマだったし着いてってみた。あるじゃんあるじゃん、
四駆のボロ車が。
「誰が運転すんのよ?」「僕らだよ」「ぎょへぇ」
今になって冷静に考えてみると、ムボウとしか思えないんだけど、
そいつらに運転させて行ったんだな、ベゼクリク。
谷沿いの山道だったことと、ブドウ棚がきれいだったことと、仏画が
壊滅状態だったことだけ覚えてる。
☆ジャマイカにて(アジアじゃないけど・・・)
路上に広げられてる絵で、一つ気にいったのがあったから、
買うことにした。
「これ、誰が描いたの?」
「ミスターブラック」
「それって誰?」
「・・・・・・・・」
☆バリにて 1
やっぱり絵のハナシ。
気にいった絵があったけど、ものすごく高かった。
「これは僕のお師匠さんが描いた絵だから、高いんだ」
「でも高すぎるよ。ワタシにはとても買えない」
空を見上げ、タバコを吸い、またその絵のところに戻って、
「安くしてよ」
その間に西洋人がどんどん絵を買っていく。
「ほら、またバカな西洋人がお金おとしたでしょ」
「・・・・・・・」
結局、丸一日ねばって、やっと半額になった。
それでもボラれてるのかもしれないけど、ま、このくらい
ならいっか。
「今日は、安い絵がたくさん(高く)売れたからね」
修行中の若い画家も苦笑い。
(注)わたしはイスラエル人ではありません
☆バリにて 2
仲良くなったタクシー運転手たちと、ケチャを見にいくことに
なった。場所は団体観光客ばっかりのアート・センター。
一緒に行ったやつらときたら「へたっぴぃ!」「ひっこめぇ!」
みたいなことを大きな声で叫んで、やたらうるさい。
「ちょっとあんたたちぃ、静かにしなさいよっ!!」
ワタシもしまいにゃブチ切れた。
その夜、友達の友達が新婚旅行で来てるってことで、
帝国ホテル(!)に遊びに行った。
「今日、ケチャ見に行ったんだけど、うしろのバリ人たちがうるさくってさ」
「あ、それって、もしや・・・・」
☆バリにて 3
帝国ホテルにて、つづき。
飲みに飲んで多いに盛り上がった。
突如、サテが食べたくなった。一緒に部屋に入り込んでた
ロンボクにーちゃんに、買いに行ってもらうことにした。
「じゃ、10本買ってきて」
待つこと数十分。
ドサッ。サテの山が床に置かれた。
「なにこれ?」
「だって、サテって10本で1つって数えるから、これでも半分に
してきたんだよ」
「えらいっ!!(笑)」
☆ニューデリーにて
ボーッと一人、路上でチャイを飲んでると、ワタシの旧姓を呼ぶ
声がする。
なんでワタシの旧姓が聞こえてくるんだろう、空耳かな?
と思ってると、地元の仲間がヘロヘロ状態でそこに立ってた。
「あれぇ、こんなとこでまぁ。ど〜かしたの?」
「パスポートとか全部、やられちゃったぁ」
だってさ。
くれぐれも“やりすぎ”には注意。
(後日談)
そのハナシを旅先で知り合った男の子にすると、
「あ、その人、むこうから全速力で走ってきて、
『チャラスもってない? チャラス!』って叫びながら
行っちゃった人でしょ」だと。
かぁ〜っ、なんだかとってもハズかしい。
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