ダイビングのライセンスを取るために、宮古に行った。なぜ私がダイビングのライセンスを取るのか自分でも反芻(はんすう)しきれないままに、気がついたら花笠オバケの宮古空港にいて、平良市の友人宅でくつろいでいた。
「あー、テレビのコマーシャルがおんなじで、つまんな〜い!」と私は手足をジタバタさせた。
「みょんどんみょんどん、焼肉みょんどん」のフレーズを普段何げに聞いていたその友人は、本島の私のアパートに来た際、すぐ目の前の焼肉明洞を見て「これかぁ!」と便秘が解消したような晴れやかな声で叫んだ。宮古でみょんどんのコマーシャルなんか流さなくったっていーじゃない?
その友人はダイビングのインストラクターのくせして、私がなぜライセンスを取る気になったのかまるっきり分からん、と言い放った。「なんで来たの?」ってあらためて聞かれても、あーた。私とダイビングって不似合いなみたいね。
宮古は殺人的に寒くって、おのずとプール実習も海洋実習も拷問のようだった。潜った瞬間に親指を天に向かって突き立てたくなったわよん(上昇の合図)。
そのくせ、私が晴れてライセンスを取った翌日には、空がぬけるように青くなって、真っ白な砂浜がウッキウキでピッカピカだった。
ばかやろー!
ライセンスを取ったからって、ダイビングをやるとは限らない。「多分ペーパーダイバーになると思うよ」と私が誰かに言うたび、ヒッヒッといやらしげに笑われる。やっぱり私とダイビングって、つくづく似合わないみたいね。
確かに、海の中に入っても「あっ、そ」だった。私は人為的なものにしか、感動しないのよー。
はじめて宮古に行ってなにしろおどろいたのは、宮古と沖縄本島はまるきり違うところってこと。
まず、言葉がぜんぜん違う。
ヒラヤーチー(韓国のチヂミにそっくりな食べ物。ネギかニラが入ったシンプルなお好み焼き)がパナパンビンだもの。あと、ウ○コじゃなくってマ○コじゃなくって、なにしろ忘れたけどヒワイ系の言葉が目についた。もちろんそれは宮古ではヒワイな言葉ではないらしかった。
テレビが東京・大阪中心に動いているのを、地方の人が羨望といらだちを持って見ているのと同じように、沖縄県内のテレビやラジオ番組の多くを、宮古の人は「関係ないやー」と聞き流してるに違いない。沖縄の放送局だって、地域性を重んじてるフリして、結局中央主義なんだ。
車ん中でAMラジオ聞いてたら、沖縄=宮古だと思っている東京からの脱獄囚的子連れタビビトが「これ、どこの言葉?」ってきいてきた。それはそれはすっごくきれいな模範的ウチナーグチだったけど。
だから『民謡で今日拝なびら(チューガナビラ)』(RBCラジオの長寿番組)も、宮古で聞くとピンとこない。
宮古には基地が無いから、これにも違和感があった。
シマナイチャーである私の中にすら“基地はどこにでも存在するもの”という認識が育っているんだから、コワイコワイ。さかんに取り沙汰されている基地問題を宮古の人がどう考えているのか、聞いてくりゃよかったけど、忘れた。
ダイビングはさておき、宮古一週間旅行でのハイライトは“パワーストーン”だった。
パワーストーンという言葉がダイビングショップの飲み会で頭の上を飛び交い、パワーストーンというものが宮古に存在し、『癒しの島』を書いた誰々さんが宮古で講演をし、それを聞いたショップの社長がカルチャーショックを受けていて、云々。
菊之露(宮古の泡盛)が体液の80%を占めていたあの状況でのあの私は、その席上で何がどう語られていたのかまるきり理解していなかったけれど、なにしろ翌日パワーストーンを見に行く、ということになっていた。
パワーストーンを見に行ったにもかかわらず、それについて書かれているらしい『癒しの島』なる本を読んでいないので(あとで読んだ)、パワーストーンの存在理由を知らない。
ただ、宮古島南部の下地か上野あたりのおじいの家の裏庭(ったって、すんごく広いのよ)に、人頭税石みたいなパワーストーンがニョキニョキと置いてあって、その不思議エリアに足を踏み入れた瞬間、私の頭はグオォーンと回って痛くなった。
ダイビングショップに帰って「パワーストーン見たら、頭が痛くなっちゃった」と報告すると、「やましい人は、そうなるんだって」とサラリと言われた。うふふふ。喜んでる場合じゃないけど、喜んじゃおっと。
私は怪奇現象に否定的でありますが、確かにパワーストーンさんは邪悪な私を拒絶していたと感じましたです。はい。
さて、離島と本島という関係ほど断絶的ではないにしろ、本島の中にだって、地域性や多少の差別がある。私は好んで中部に住んでるけど、悲しいかな中部の人は人間的にはケツ面白くもない。私が接触する北谷、沖縄市、読谷、恩納、具志川あたりの人は、単なる田舎の生活人だ。
中部の若い奴らは、テキトーにバイトして小銭作って、パチンコしてゲーム喫茶でゲームして、バイク転がして居酒屋で朝まで飲んでばっか。アメリカっぽいのが好きなコはディスコやクラブに行く。夏の夜はビーチパーティー。
「もっと遊んだら?」って私がゆーと「遊んでるよぉ」と答えられちゃって、それ以上何も言う気になれない。遊びっちゅーのは、その言葉通りの意味だけじゃないねん。
その点、那覇の人っていうのは、私が見知っている関東人と通じるものがある。個人差はあるにしろ、たいがいが身ぎれいで、本も読むし映画も見るし、たまには絵も見るらしい。だからこの間、久々に那覇に行って友達と食事したら、ホッとした。
人と話しててなにが面倒って「その人にでも理解できる話題を選ぶ」のと、「自分が言いたいことを、相手に分かるようにくどくど説明する」ってことで、その二つを那覇の人間と話している限り割愛できる。
浦添とか宜野湾の人っていうのは、半文化的で、半田舎の人で、どっちつかずだけれど、それはそれで現代っぽい。
那覇にも近いし、中部にも近いし、まあ、関東で言えば埼玉か神奈川の人って感じ。彼らはいつもレクリエーションに飢えていて、軽自動車を駆ってあっちのイベントこっちのイベントに繰り出してる。
那覇人は那覇の中、中部人は中部の中をウロチョロしているのに比べて、彼らの行動範囲は広い。
そういえば、浦添のおばさん連中と琉球舞踊の公演に行ったことがあって、そうしたら「ウチナンチュは待ち合わせ時間を守らない」という概念がみごとに覆された。
彼女たちはキチンと集合時間5分前に集まっていて、ただ一人現れないおばさんを、集合時間になったとたんになじりはじめた。「5分前に来ないなんて、人間じゃないさー」なんていうんだから、これにゃビックリした。
結局、その人は体の具合がすぐれないからって来なかったんだけど、そうしたらその人の悪口オンパレードになった。もーあの人は絶対に誘わない、とかいって。そのあとも、彼女たちは事あるごとに互いにののしりあい、ケンカしあい、なにしろ口悪く、たち悪かった。
そういえば、横浜の人間も非常に口が悪いそうだ。FM東京でもそう言ってたらしいし、友達からもよ〜く言われる。こりゃ浦添と横浜の共通点について、考えてみる必要がありそうだな。
FRAH in OKINAWA
だらだら日記 14
今、どしゃぶりの雨が降ってる。土・日ってゆーと雨が降る。なぜそんなことが気になるかというと、ナイトマーケットに土・日だけ店を出してるから。
うちの近所に常設ナイトマーケット会場があって、誰でも1日1000〜2000円で出店できる。もうこの4週間、土・日っていうと雨が降ってるから、商売上がったりよ。
店番してると、ウチナンチュの商売根性をモロに感じられて、とっても面白い。華僑ほどじゃないにしろ、ウチナンチュもなかなかしたたかよね。表面的にはやさしいけど、みんなバリバリに競り合ってる。人のことよ〜く見てるし。だから当然、売れてる人はなんどりと嫌われる。
私が出してるハンビーガーデンマーケットで一番の売れ筋は、シャネルのコピー品。韓国で買いつけてくるらしい。あとは、シルバー製品。フィラとかナイキのマークが彫られた指輪なんかがあって、目がシバシバしちゃう。
ナイトマーケットに限らず、やっと沖縄にもブランドもんが押し寄せてきたみたい。本土からほぼ10年遅れのブランド人気。一気にいろんなブランドもんが入ってきたから、日本のものもヨーロッパのものもアメリカのものも一緒くた。だから多分、今沖縄で最もおしゃれな恰好は、にせシャネルのサングラスにプラダのバッグ、ヨーガンレールの服を着てフィラの指輪をすること。なのに足元はサンダル。えー、うそでしょー?! そりゃないよぉ、シクシク・・・。
よって、タイ&インド物を売る私は、苦戦しております。同じく横浜から沖縄に移り住んだ友達は「私がお金持ってたら、ぜーんぶ買いたいぐらいカワイイのにぃ」と言ってくれるけど、バンコクでシャネルのコピー品でも買い込んだほうがよかったかな?などと思う私。まあ、実際のところはそれほど弱気になってるわけじゃないけど。
マーケット内で最も目につくのは、黒人&タイ人の中年夫婦の店。奥さんが作るパンケーキやタイ料理、ダンナさんが作るチリビーンズなどの食べ物と、奥さんが韓国からマークをはずして持ち込んだ、えせシャネルグッズを売ってる。
黒人のダンナはひたすら寡黙で働き者、タイ人の奥さんはちょっとでも雨が降ると「もうクローズね」と勤労意欲に欠けてる。この奥さんが来週あたりバンコクに行くっていってるから、彼女が何を仕入れてくるのかとっても興味ある。まさか、私が売ってるのと同じものを仕入れてくるんじゃないでしょーねー。
彼らに密かな敵対心を持ってるのが、同じくシャネル物とシルバー、あとわけ分からんみやげ物を売ってるウチナンチュ夫婦。ここのおばさんも、つい最近韓国に行ってきた。今度はバンコクでシルバーを仕入れたいらしく、私に一緒に行こうよってしつこい。道案内させよーっていう魂胆がみえみえなんだけど、ガイド料取るぞ。
三線屋のおじいは、一緒に御前風(ぐじんふう。古典音楽の代表曲5曲)の練習をしよう、とやはりしつこい。このおじいの店でカンカラー三線(クッキーなんかの空き缶でできた三線)を買ったら、お返しにってマニ車(チベット仏教の道具)を5本いっぺんに買ってくれた。冗談で、1本1万円で売るさー、とか言ってたけど、ほんとに冗談か?
ナナメ向かいでスケッチ800円と時計修理等々をやってるのは、コッテコテの関西人。私がステンレスの料理用ボールを売ってるから、彼は私のことを「お好み焼きのネーチャン」と呼ぶ。
会場には日払いのブースと、月払いのコンテナ店があって、この関西人の店はコンテナ。月家賃5万8千円だって! 3m×3mでこりゃ高いよね。でも、彼は一週間でペイできるって言ってる。あきんどの見栄なのか、真実なのか判断つきかねる。
この店には、やたら誰にでも馴れ馴れしい、怪しげな沖縄男が巣くってる。そいつは私を見るたび「ハマッコォ」と呼びかけるから腹立たしい。
その他、いろんな個性豊かな商売人と話しているうち、こーいっちゃ悪いけど「成り下がった」気分になった。5円、10円にこだわるのは商売人として当たり前のことだけど、ただただ売れるものだけを追い求め、ひたすら売上だけに気をとられてたら、ロシアやモンゴルの商人と同じやんけ。
やっぱりそれだけまだ沖縄というところは貧しいってことだね。自分の感性とか趣味とかに走った商売をしてたら、すぐにつぶれちゃうみたい。
例えば、那覇の国際通りに、高価だけどいいものそろえてる骨董屋があって、そこは1年くらいでつぶれた。
ヤマト顔負けのおいしい日本そばを出していた店も、すぐにつぶれたらしい。
沖縄で商売するのはホントーにむずかしい。いいもの、おいしいものが売れるとは限らないとしたら、何を売ったらいいんだ?
ナイトマーケットに話を戻すと、どの店も夕方5時くらいからボチボチ開きはじめる。5時〜7時はほとんど暇つぶし。私は三線屋のおじいに付き合って、カンカラ三線をつまびいたり、おしゃべりして時間をつぶす。
本番は8時以降で、ピークは10時〜11時、12時以降にも客が来るけど、さすがにそれ以上開けてる店は少ない。
ユタって知ってる? あ、ごめんね、突然で。私の頭ん中って、整理整頓がうまくされてないのよ。『豚の報い』とか『バガージマヌパナス』にも出てくるから、知ってるよねぇ。まあ、簡単な言葉で言うと、神がかった予見者ってとこかな。
サーダカ(霊的能力の高い人)が修行するとユタになるんだけど、このユタ信仰っていうのが沖縄ではけっこう根強い。特におばさんのユタコーヤー(ユタ買い=金を払ってユタに相談事を持ちか
けること。見料はだいたい5000円)はさかん。
ちなみに、ナイチャーはユタコーヤーできない。してもいいけど、あまり意味がない。ユタは祖先との交信によって物事の判断をするんだけど、ナイチャーは沖縄に祖先がいないからデキナイんだってさ。
こういう土地柄だから占いにも人気があって、ナイトマーケットにも4人の占い師が店(?)を出してる。見料は500〜1000円で、人気が高い占い師のところには、夜中の2時3時まで人が並んでる。少なく見積もっても、1日に10人見て、見料が1000円で月30万の収入。どうせ脱税してるんだろうから、いい商売だなー。
あー、県民所得最低の沖縄県で、私はなにをゴタゴタ言ってるんだろう。
金が回ってないところで金を回そうとしても、無理があるのよね。あんな広大な普天間基地が返還されたら、あの土地で人々は何をするっていうんだろう? 農業人口は減る一方、ホテルは乱立気味、内地の企業はどうせ進出しない。基地が返還されたとしたら、今度は「内地の人間がむりやり基地を沖縄に押しつけたんだから、その跡地が有効活用できるように補助金を出せ」と言ってくるかもしれないよ。
その金を出したくないというんじゃなくて、そろそろ沖縄の人は自分たちの経済基盤を、自分たちだけで建て直すことを真剣に考えないと、県民総貧民状態から永久にぬけ出せなくなっちゃうよ。
フニャフニャ。そろそろ内地に帰って、おいしい寿司やそばや焼肉を死ぬほど食べながら、ヌクヌク暮らしたくなってきたゾ。
FRAH in OKINAWA
だらだら日記 15
コケた。思いっきりコケたゾ。両足が天に舞って、ドーンと地面に落ちた。その瞬間、私の上に“ステーン”というカタカナ文字が、ポヨポヨンと浮かんだ。
<考えられる理由>
その1.ボケである(ポヨォ〜ン)
その2.パワーストーンのたたり(グオ〜ォン)
その3.グスクのたたり(ドロォ〜ン)
さて、私は近頃グスク(城)めぐりをはじめた。といっても、まだ1回しか行ってないけど。
沖縄にはグスク(正確には城跡)が数多くあって、ある文献によると県内に300ヶ所もあるらしい。
グスクは、ウガンジョ(御願所=拝むところ)であるものと、ウガンジョでありかつ、かつてのその土地の権力者=按司(アジ)の居住地であったものと、文字通りの城であったものの3通りがある。
まあ、城にもウガンジョが併設されてるから、結局のところグスクというものは神の国オキナワらしく、どこも神聖な場所であるらしい。
で、話を戻すと先日、ある人と突発的に「グスクめぐりをしよう」となって、1日に一挙6ヶ所を見て回った。そのうち3ヶ所は整備されていない荒れ山で、いかにもハブが出てきそうだったから、中に入るのはパス。
あとの3ヶ所は、用を得ないながらも立て看板ありの整備されたグスクだったから、ハブよけの棒をバンバンしながら上った。
これがいけなかったんだってサ。ウガンジョなのに、私たちは敬虔(けいけん)な気持ちを持ち合わせてなかったし、ガサガサと無神経に歩き回って、失礼極まりなかったみたい。
あるウチナンチュから「グスクに行ったら、キチンとおがまなくっちゃだめさー。だいたい、そんなに1日にたくさんのグスク回ったら、ウガンのしすぎでよくないさー。いろいろ起きるのも、そのせいだよー」って言われたの。
ここで、私の超現実主義と沖縄の神様信仰がまっこうから対立するわけね。
私は、自分がコケたのは「雨が降ってて、とっても滑りやすい靴を履いてて、全速力で走って、タイル張りのところで急に止まろうとしたから」だと思ってる。
あッ、ここまで書いたら、私がまだちっちゃい頃、じーちゃんがいきなしコケの生えた水たまりでツーッとハゲ頭を下にして滑ってったのを思い出しちゃった。
ついでに思い出したことを書いちゃうと、それとほぼ時を同じくして、喫茶店で叔母が薬を飲もうとして水を口に含んだ瞬間、かつらがポロリと落ちた。
パワーストーンのところで頭が痛くなったのも、前々回ではこうは書かなかったけど、冷たい水に入ったあとで急に強い陽射しを浴びたからだし、風邪気味だったからだっても思ってる。
どーなんだろう? やっぱり沖縄には神様がいて、いや、こう書くと誤解を招くね。沖縄には神様とか、それらしきものがたくさんいるっつーのは信じてる。現に、うちにもたくさんいるような気がするし。チラッ、チラッと目のはじを何かが飛んで、振り向くとそっちには何にもないけど、確かに虫よりもずっと大きくて、黒い存在がうちの中をフラフラ飛んでる(これって、原因が他にあるのかしらん?)。
だから沖縄に神様がいるってことは信じてるけど、内地の人間である私が、ウガンジョで拝まなかったとして、それによる影響というものを受けるんだろうか?
ほら、前回さ、ユタコーヤーは内地の人間はできない、って書いたじゃない? でも、サーダカ気味のかっちゃんに聞くと、そんなこと言うユタはにせものだっていうの。霊の世界に沖縄もクソもないって。彼女に言わせると、1日にたくさんのウガンジョに行っても平気だっていうし。なんなのよぉ。どれがホントなのよぉ。
私みたいに無宗教・無神経な内地の人間でも、沖縄の神様からおしかりを受けたりするのか、誰か教えてちょーだいな。
と、こんなこと書いたあとでグスクの説明しても、誰も怖がって行かないかな。だけど私はこれからもグスクめぐりを敢行するのだ。だって、私は単なる観光客でしかないし、沖縄の宗教についてなんにも知らないヨソ者だもん。ポヨ〜ン。
今回行ったところ
1.伊波城跡(イハ:石川市)
14世紀ごろこの地方の権力者であった伊波按司と、その御一行様が住んでいたところでヤンス。ほぼ一直線の階段を上ると、やや小さめの石で雑に組まれた石垣が周囲を囲み、中には3ヶ所のウガンジョがあります。石川市街がよぉく見渡せます。
2.安慶名城跡(アゲナ:具志川市)
具志川市民の森の中にあります。やや急な階段を上り、大きな岩をくりぬいて作ったトンネルをくぐると、鬱蒼と生い茂る木々をぐるりと石垣がとり囲んでいます。安慶名大川按司がやはり14世紀ごろ、ここでウ○コなどをしていました。
3.具志川城跡(グシカワ:具志川市)
海際なのにそこだけポッコリと山になっています。岩肌に不気味な穴が開いていたりして、たいへん怖いところです。15世紀ごろ、久米島の具志川城主がこの地へ逃げのび、この城を築きました(久米島にも具志川ってところがあります)。人が踏み入れた形跡もあまりなく、いかにもハブがいそうなので入りませんでした。引き返す途中、土バトが急に飛び立ったので「ギャァ〜」と叫んで走って逃げました。
4.勝連城跡(カツレン:勝連町)
もうこれこそ城跡です。看板もしっかりあるし、規模も大きくて、たいへん立派なところです。この城には沖縄史上に残る悪者、阿麻和利(あまわり)などが陣取っていました。360度に視界が広がり、沖縄本島を自分の手中におさめたような気がします。
5.喜屋武城跡(キャン:具志川市)
バスケットコート、テニスコートなどがそろう喜屋武マープ公園内にあります。「遺跡調査中により立ち入り禁止」という看板が立っているので、金持ちの具志川市のこと、近いうち整備してくれることでしょう。
6.兼箇段城跡(カネカダン:具志川市)
周囲の農家からクサイ臭いがただよってくる小山です。荒れ放題なので、入りませんでした。ここから先に進むと農業試験場園芸支部があり、立ち並ぶビニールハウスの中で電照菊などが栽培されています。
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