FRAH(*1) & TEGE(*2) in OKINAWA
だらだら日記 10




*1:フラー=沖縄の方言で“キチガイ”
*2:テーゲー=沖縄の方言で“いいかげんな奴”


 煙るような雨が降っている。
白くのっぺりとした風景の中に、かすかに引かれた横一本の水平線。本土のような雨だな、起きぬけの頭でそう思った。
 やっと沖縄本島にも秋がやってまいりました。妊婦(突然だけど、そういうことなのね)のTEGEと、未だに西表風邪をひきずっている私FRAHの朝一番のセリフは「さむ〜い!」。寒いのに半袖。寒いのに短パン。
 そろそろ衣替えしよっかな。
 涼しい沖縄は、その魅力を充分には発揮できないようだ。
 そして私たちシマナイチャーに、その涼しさが本土シックを引き起こす。
 シマナイチャーの本土シックは、たいへん即物的だ。
 TEGEはついこの間、うどんにとりつかれた。タウンページに載るそば・うどん店・・・沖縄そば屋はまた別のページに掲載されている・・・の中から、いかにもヤマトらしい店名「八茶坊」という言葉を見つけだし、ただちにそこへ向かった(はっさぼう、だと思ってたら、やんちゃぼう、だったから、ちょっとガッカリ)。
 テーブル席を通過して、奥の小上がりに陣取った私たちは、うどん定食ときつねうどんと餃子をたのんだ。うどんと餃子を一緒に食べたのはこの日がはじめてだろう(この店のメニューには麺ものと中華がほぼ同等の割合で書かれていたから、餃子シックでもあるTEGEには、もってこいの店だった)。
 店にはかなりの人が入っていたが、客の会話を聞いたかぎりでは、ナイチャーは私たちだけだった。シマンチュがざるそばを、ゾゾーッゾゾーッ、と音をたてて美味そうに食べる姿は感動的だった。「日本そばも食べるんだぁ」と私は心の中で叫んでいた。
 となりの乳児連れの女性二人は、あったかうどんをおいしそうにすすっていた。実際に「おいしい」とも言っていた。へぇ〜、そうなのね。ウチナンチュも日本そばとかうどんとか食べるのね。みんなヤマトゥ暮らし経験者なのかな。それにしても、なんだか安心。
 秋・冬物、というか単なる長袖、を着ている人もチラホラと見られるようになった。私も秋・冬物が着たい。でも、まだ着ない。だって、日中はやっぱり死ぬほど暑いんだもん。
 福岡から沖縄に移住してきたカップル、金髪キヨヒコ君と赤毛のキョーコちゃんとの会話。
 「沖縄にいると、服装なんかどーでもよくなるよねー」
 「そーそー。気にするだけソンって感じぃ」
 「沖縄の子って、どーして皆ヤボったいんだろう?」
 「それに、背が低いのに、顔がデカイよねぇ。それで、女の子なんか、すごーく腰が張ってて、とってもオバサン体型なの」
 「そーそー」
 沖縄の若い子は、友人の手前もあるのだろう、それなりにおしゃれに気を遣っている(ようである)。真夏でもタイトの真っ黒ワンピースなどを着込んでいる。真っ黒な洋服を好む子は、ほぼきまって茶髪だから、私にはヤンキーにしか見えない。
 シマナイチャーからすると、真夏に真っ黒は暴挙にしか見えない。
 「あつくるしーだにー! Tシャツに短パンにシマサバ(ビーチサンダル)でいいだにー!」と言ってやりたくなる。ファッションなんて人それぞれだから、どーでもいいけど。
 話は戻り、キヨヒコ君とキョーコちゃんが勤める某雑貨屋に、ダンディーな白髪男性がやってきた時のこと。
 「キミ、この服(タイ製)は、色落ちしないかね?」
 「はじめはしますけど、洗うと肌触りがよくなって、気持ちいいですよ」
 「うーん。沖縄ではおしゃれをする必要がないから、キミの言うように着心地が一番重要かもしれないな。これ、もらおう」
 この話を聞いて笑ってしまった。このオジイ(同じくシマナイチャーらしい)は分かっている。南国とファッショナブルは相いれないのよ。私も耐えられる限りはTシャツ着てよっと。
 私の本土シックその1。高い山に登りたい&紅葉が見たい。
 この間NHKを見ていたら富士山周辺のハイキングコースが紹介されていた。
 FRAH「あっ、富士山だっ!」、TEGE「あっ、セーター着てる!」。
 秋は紅葉でしょう。私はフリーライター業を営んでいるから、秋といえば必ず一本は紅葉取材が入ったものだ。モミジだのダケカンバだのサクラの紅葉もいいだの、この場合は“黄葉”かなだの、ぐっちゃぐっちゃと、いかに読者の紅葉気分を高揚させるか悩んでいた。でも、あの知識は今やすっかり頭から飛び去った。ピヨピヨ。
 あれ、沖縄って、紅葉見られるの? なんか話しによると、たった一種類の木だけ、紅葉するらしい。それを見に、やんばるに行くか? たった一種類の木を見に? 気がすすまないなぁ・・・。
 やんばるには滝もあるらしい。けもの道もあるらしい。リュックしょって歩きに行く人も、たまにはいるらしい。物好きといわれながら。そんな人は、必ずといっていいほどヤマト帰りのウチナンチュだ。
 神奈川帰りのウチナンチュ、かっちゃんは、この間やんばるの滝壺でおぼれ、はじめて“死”を身近に感じたそうだ。やっぱりやんばる、行こうかな。
 私の本土シックその2。和菓子が食べたい。それも、練りきり。だんごや饅頭ならプリマートでもかねひででもサンエーでも売っている。紅芋饅頭なんか本土でもかなりいい線いくんじゃないかってほど、美味しい。うーん、でも、そーじゃないのよー。
 玉露と練りきりなの。抹茶と練りきりなんてゼイタク言わないからさぁ。
 あー、ついでにおいしい緑茶も恋しくなっちゃったー。どーしてくれるんだよーん。やっぱりやんばる、行こうかな(※注)。
 私の本土シックその3。列車に乗りたい。
 都市近郊電車と地下鉄にはまだ乗りたくないけど、列車、できれば寝台列車に乗って旅したい。ガタコーン、ガタコーンていう音を聞きながら駅弁食べて、通過していくどことも知らない駅を眺めながら、JR浴衣着て寝たい。
 別に海外でもかまわない。どこまで行っても終着しない旅がしたい。つまり、狭い島から脱出したくなってきているのかな。この間道に迷って、気づいたら東海岸だった。西から東まで、車で1時間ぐらいで行けちゃうの。そういえば金髪キヨヒコ君は、どこまでも続く高速道路をブッ飛ばしたいって言ってたっけ。
※やんばるの国頭村、奥集落では銘茶「おくみどり」が作られている。本当に銘茶であるかどうかは、未だ飲んだことがないので不明


FRAH in OKINAWA
だらだら日記 11




 えー、タイトルが少々変わりました。TEGEさんは内地にお帰りになりました。また戻ってくるよー、と明るく言い放って去っていったから、いつかは沖縄に戻ってくるんだろうけど、インドネシア人になる可能性もあるから、一応タイトルは変えといたよ。出産ガンバッテね。
 今回は沖縄における物価の話(あまり面白くないよ)。
 「沖縄はモノが安い」これはある意味で当たっていて、ある意味で間違っている。
 まあ、これはどこの地方にも言えることだけど。県産品(沖縄で生産されるもの)には偏りがあるから、おのずと内地からの“輸入”率が高くなる。沖縄と内地との間には青くて深い海があるから、内地産のものには輸送量がガッポリ加算される。
 例えばシャンプーなんかの生活用品なんかは、泣けるほど高い。ディスカウントショップに行っても(競争が激しくないから、値引き率も低い)買わずに出てきて、石ケンで頭を洗うハメになって後悔したりする。
 高原野菜なんかも概して高い。ハクサイ1/4が158円とか。あれ、こんなもんだったかな? 中国野菜は台湾が近いからなのか県産品なのか安いし、種類が豊富。
 さて、まずは半年以上前の話になるけれど、引越し費用から。

 荷物輸送料(2人分)  8万円
 敷金・礼金   各2ヶ月(家賃6万7千円×4)
 冷蔵庫(130リットル)  4万8千円
 ガスレンジ(グリル付) 1万円

引越し荷物の輸送料は安かった。これは内地の業者ではなく、沖縄の業者(東京にも事務所がある)にたのんだ。とってもドンブリ勘定で、荷物の見積もりも電話一本だけ、あとは当日までこれといった連絡も無し。取りに来たのはウチナンチュドライバー一人だけだから、私もえっちらおっちらと荷物をトラックまで運び、沖縄に着いたら着いたで、マンションの前に荷物をぜーんぶおっぴろげてサッサと行っちゃうから、3階までヘロヘロになりながら運び上げたけど、安かったから許す。
 ちなみに、今回のTEGEの帰郷における荷物輸送料は3万円だった。沖縄から送ったから、さらに安かったみたいね。
 不動産屋は、ダンゼン強気。敷金も礼金もしっかり2・2取りやんの。3・1という所もあるし、もうちょっと安いところで2・1とか。
 売り手市場かっつーと、空き家や貸し店舗がやけに目立つし、単に経済観念がズレているだけかな。敷金は1年以上住まないと返ってこない。
 借りる時に沖縄在住の保証人が必要。わが家のようにやや上等マンション(ウッフッフ)だと、保証人の所得証明までいる。だから、こっちに知り合いがいないナイチャーには、ちと面倒なようで。
 安い物件は那覇市内に集中していて、1DK2万円くらいから。築7年2LDKで4万5千円とか、東京に比べるとメッチャ安い。中部の沖縄市内(コザ)になると、2万円代はほぼ無くて、最も安い物件で2DK3万円程度。
 冷蔵庫とかガスレンジとかは、前述のディスカウント率の悪さがモロに出て、高い。リサイクルショップは多いけど、いかんせんボロが多い。
 ビックカメラさーん、沖縄にも進出してよーっ! ついでにハンズもー。
 次は生活費。

 ガス代    1ヶ月3500円程度
 NHK受信料 2ヶ月1220円
 新聞購読料  1ヶ月3100円

プロパンは民営だから高い。寒くなりだして風呂にお湯を張るようになったから、ガス代が怖い。
 NHK受信料は、面白いことに(面白い、とばかりは言っていられない問題を含んでいる)内地の半額。米軍による妨害電波云々への対処だそうだ。
 新聞購読料は、あの内容の無さでこれはヒドイと思う。よっぽど根性を入れて読まないと、1面から最終面まで、ただめくるだけで終わっちまう。
 忘れちゃいけないのが、電話代。これがもー恐ろしい。内地にかける用事が多いと、0088のJワンズファミリーに入ろうが何しようが、NTTとその他を合計すると1万5千円以上になる。まあ、今まではTEGEと2人で使っていたから、今後のことは予測不可能だけど。
 食費。外食文化だから、食べ物屋の値段は安いし、ボリュームもたっぷり。
 ただし、そうそう外食ばかりもしていられない。というのも、以前にも書いたよーに、外食=油コッテリウチナー料理を食べること、だからだ。

 〔外食〕
 沖縄そば  1杯400円前後
 ランチ(一日中食べられる) 500〜1000円
 ゴーヤーチャンプル定食   500円前後
 〔スーパー〕
 ゴーヤーやナーベラ(ヘチマ) 3本100円のときもある
 鯛 1尾580円(特価品)
 豚てびち(足)2.5kg880円
 牛肉(冷凍ステーキ用) 400g360円

食堂に行くと、ランチというものが存在する。これはA〜Dくらいのランクがあって、例えば近所の「なじみ食堂」の場合、Bランチ(この店には“B”しか存在しない)は、スープにはじまり、ハンバーグ・各種フライ・目玉焼きなど・サラダにごはんと盛り沢山で500円。
 超ドデカイ黒人ニーニー(アーサー君、キミのことだよ)でも、ロータリードライブインのAランチ1000円は食べきれない。
 野菜や肉の値段は、当然のことながら季節差と地域差がある。北部の恩納村(リゾートホテルが立ち並ぶところ)のスーパーでは、貧弱なゴーヤーが1本250円くらいだった。ただし、ゴーヤーやナーベラは夏野菜なので、秋になると高くなる。
 洋服も、選ばなければ安い。以前、牧志で500円のアロハシャツを買った。どこで作られているのか不明だが、台湾製かもしれない。
 沖縄にはお針子さんが数多くいるから、彼女たちが安い仕立て料で懸命に働いているのかもしれない。
 最後に「県産品を買おう」運動がある。低所得の沖縄人を救う、一つの方法である。



FRAH in OKINAWA
だらだら日記 12




 闘牛に行った。行きたかったから、行った。
 結論・・・あまり面白くなかった。

 その日は異様に良い天気だった。12月なのに半袖でOKだった。で、その日の気分は“闘牛”。石川市(本島北東部)の闘牛場まで、ウキウキしながら車を走らせた。
 なぜ闘牛に行きたくなったかというと、琉球新報紙上をにぎわす闘牛たちのネーミングが、あまりにおかしかったからだ。
 私が最も魅かれたのは「石川生コン号」。石川生コンという会社が持っている牛であろうことは一目瞭然なんだけど、なーんだか、おかしいじゃない?
 闘牛は毎週日曜日に、どこかしらの闘牛場で開催されている。できれば石川生コン号がでる時に行きたかったけど、その日は残念なことに登場しなかった。石川でやってたのにさぁ。チェッ!
 闘牛場に着くと、頭にタオルを巻いたおじさんたちと、牛の臭い。臭いじゃないのよぉ。
 入場料2500円を払って、すり鉢状の闘牛場へ。予想屋も牛券屋もいない。どーやって賭けてるんだろう?
 あるのは過去の大会のビデオを売る小屋と、弁当&ジュース屋。弁当は焼豚弁当一種類だけ。
 ブオーン、オオーンと異様な雄叫びを上げまくる牛が、おもむろに登場。
 あとは土土俵の上で2頭の牛がドッカドッカとぶつかりあったり跳ねあったり。
 一頭ずつに闘牛士がつき、ヒヤイヤッ! などと妙な怒声を牛にあびせかける。牛の闘争本能をあおっているらしいんだけど、これがなんとも耳慣れないの。
 なにしろ、全体に“ヘン”なのよ。臭いし。
 スピーカーから聞こえてくる、たんたんとした標準語解説がまたヘンだし。
 「はい、輝龍パンダさん、早く入っていただきましょう」とか「闘牛士さん、足元には十分気をつけ て下さい」とか、おマヌケな解説がずっと聞こえてんの。んーで観客は頭にタオル巻いたおじさんとか、立て膝にくわえタバコのおばあとか、ヤンママとかでしょ? 暑いから季節はずれのセミが鳴いてて、蝶がヒラヒラ飛んでて、うーん・・・。
 結局、12番あるうちの8番見たところで出てきてしまった。番付が後ろのほうになるに従って、強い牛が出るみたいなんだけど、あまりに単調すぎてつまらなかったからねぇ。こりゃ、金が賭かってないと、見る気にならないね。真剣に見てるおじさん達は、きっと賭けてたんだろう。なんらかの方法で。
 帰り際に、大京オープン(ゴルフの試合)を見に行った。もう試合は終わっていて、表彰式がはじまっていた。表彰式が終わると、コースの上でおもむろに琉球国まつり太鼓(プロの太鼓集団)の演舞がはじまった。
 これも何だか妙だった。暑い12月の沖縄で、太鼓の音とともに奇妙でまぶしい一日が暮れていった・・・。



FRAH in OKINAWA
だらだら日記 13




 ダイビングのライセンスを取るために、宮古に行った。なぜ私がダイビングのライセンスを取るのか自分でも反芻(はんすう)しきれないままに、気がついたら花笠オバケの宮古空港にいて、平良市の友人宅でくつろいでいた。
 「あー、テレビのコマーシャルがおんなじで、つまんな〜い!」と私は手足をジタバタさせた。
 「みょんどんみょんどん、焼肉みょんどん」のフレーズを普段何げに聞いていたその友人は、本島の私のアパートに来た際、すぐ目の前の焼肉明洞を見て「これかぁ!」と便秘が解消したような晴れやかな声で叫んだ。宮古でみょんどんのコマーシャルなんか流さなくったっていーじゃない?
 その友人はダイビングのインストラクターのくせして、私がなぜライセンスを取る気になったのかまるっきり分からん、と言い放った。「なんで来たの?」ってあらためて聞かれても、あーた。私とダイビングって不似合いなみたいね。
 宮古は殺人的に寒くって、おのずとプール実習も海洋実習も拷問のようだった。潜った瞬間に親指を天に向かって突き立てたくなったわよん(上昇の合図)。
そのくせ、私が晴れてライセンスを取った翌日には、空がぬけるように青くなって、真っ白な砂浜がウッキウキでピッカピカだった。
ばかやろー!
 ライセンスを取ったからって、ダイビングをやるとは限らない。「多分ペーパーダイバーになると思うよ」と私が誰かに言うたび、ヒッヒッといやらしげに笑われる。やっぱり私とダイビングって、つくづく似合わないみたいね。
 確かに、海の中に入っても「あっ、そ」だった。私は人為的なものにしか、感動しないのよー。
 はじめて宮古に行ってなにしろおどろいたのは、宮古と沖縄本島はまるきり違うところってこと。
まず、言葉がぜんぜん違う。
 ヒラヤーチー(韓国のチヂミにそっくりな食べ物。ネギかニラが入ったシンプルなお好み焼き)がパナパンビンだもの。あと、ウ○コじゃなくってマ○コじゃなくって、なにしろ忘れたけどヒワイ系の言葉が目についた。もちろんそれは宮古ではヒワイな言葉ではないらしかった。
 テレビが東京・大阪中心に動いているのを、地方の人が羨望といらだちを持って見ているのと同じように、沖縄県内のテレビやラジオ番組の多くを、宮古の人は「関係ないやー」と聞き流してるに違いない。沖縄の放送局だって、地域性を重んじてるフリして、結局中央主義なんだ。
 車ん中でAMラジオ聞いてたら、沖縄=宮古だと思っている東京からの脱獄囚的子連れタビビトが「これ、どこの言葉?」ってきいてきた。それはそれはすっごくきれいな模範的ウチナーグチだったけど。
だから『民謡で今日拝なびら(チューガナビラ)』(RBCラジオの長寿番組)も、宮古で聞くとピンとこない。
 宮古には基地が無いから、これにも違和感があった。
 シマナイチャーである私の中にすら“基地はどこにでも存在するもの”という認識が育っているんだから、コワイコワイ。さかんに取り沙汰されている基地問題を宮古の人がどう考えているのか、聞いてくりゃよかったけど、忘れた。
 ダイビングはさておき、宮古一週間旅行でのハイライトは“パワーストーン”だった。
 パワーストーンという言葉がダイビングショップの飲み会で頭の上を飛び交い、パワーストーンというものが宮古に存在し、『癒しの島』を書いた誰々さんが宮古で講演をし、それを聞いたショップの社長がカルチャーショックを受けていて、云々。
 菊之露(宮古の泡盛)が体液の80%を占めていたあの状況でのあの私は、その席上で何がどう語られていたのかまるきり理解していなかったけれど、なにしろ翌日パワーストーンを見に行く、ということになっていた。
 パワーストーンを見に行ったにもかかわらず、それについて書かれているらしい『癒しの島』なる本を読んでいないので(あとで読んだ)、パワーストーンの存在理由を知らない。
 ただ、宮古島南部の下地か上野あたりのおじいの家の裏庭(ったって、すんごく広いのよ)に、人頭税石みたいなパワーストーンがニョキニョキと置いてあって、その不思議エリアに足を踏み入れた瞬間、私の頭はグオォーンと回って痛くなった。
 ダイビングショップに帰って「パワーストーン見たら、頭が痛くなっちゃった」と報告すると、「やましい人は、そうなるんだって」とサラリと言われた。うふふふ。喜んでる場合じゃないけど、喜んじゃおっと。
 私は怪奇現象に否定的でありますが、確かにパワーストーンさんは邪悪な私を拒絶していたと感じましたです。はい。
 さて、離島と本島という関係ほど断絶的ではないにしろ、本島の中にだって、地域性や多少の差別がある。私は好んで中部に住んでるけど、悲しいかな中部の人は人間的にはケツ面白くもない。私が接触する北谷、沖縄市、読谷、恩納、具志川あたりの人は、単なる田舎の生活人だ。
 中部の若い奴らは、テキトーにバイトして小銭作って、パチンコしてゲーム喫茶でゲームして、バイク転がして居酒屋で朝まで飲んでばっか。アメリカっぽいのが好きなコはディスコやクラブに行く。夏の夜はビーチパーティー。
 「もっと遊んだら?」って私がゆーと「遊んでるよぉ」と答えられちゃって、それ以上何も言う気になれない。遊びっちゅーのは、その言葉通りの意味だけじゃないねん。
 その点、那覇の人っていうのは、私が見知っている関東人と通じるものがある。個人差はあるにしろ、たいがいが身ぎれいで、本も読むし映画も見るし、たまには絵も見るらしい。だからこの間、久々に那覇に行って友達と食事したら、ホッとした。
 人と話しててなにが面倒って「その人にでも理解できる話題を選ぶ」のと、「自分が言いたいことを、相手に分かるようにくどくど説明する」ってことで、その二つを那覇の人間と話している限り割愛できる。
 浦添とか宜野湾の人っていうのは、半文化的で、半田舎の人で、どっちつかずだけれど、それはそれで現代っぽい。
 那覇にも近いし、中部にも近いし、まあ、関東で言えば埼玉か神奈川の人って感じ。彼らはいつもレクリエーションに飢えていて、軽自動車を駆ってあっちのイベントこっちのイベントに繰り出してる。
 那覇人は那覇の中、中部人は中部の中をウロチョロしているのに比べて、彼らの行動範囲は広い。
 そういえば、浦添のおばさん連中と琉球舞踊の公演に行ったことがあって、そうしたら「ウチナンチュは待ち合わせ時間を守らない」という概念がみごとに覆された。
 彼女たちはキチンと集合時間5分前に集まっていて、ただ一人現れないおばさんを、集合時間になったとたんになじりはじめた。「5分前に来ないなんて、人間じゃないさー」なんていうんだから、これにゃビックリした。
 結局、その人は体の具合がすぐれないからって来なかったんだけど、そうしたらその人の悪口オンパレードになった。もーあの人は絶対に誘わない、とかいって。そのあとも、彼女たちは事あるごとに互いにののしりあい、ケンカしあい、なにしろ口悪く、たち悪かった。
 そういえば、横浜の人間も非常に口が悪いそうだ。FM東京でもそう言ってたらしいし、友達からもよ〜く言われる。こりゃ浦添と横浜の共通点について、考えてみる必要がありそうだな。



FRAH in OKINAWA
だらだら日記 14




 今、どしゃぶりの雨が降ってる。土・日ってゆーと雨が降る。なぜそんなことが気になるかというと、ナイトマーケットに土・日だけ店を出してるから。
 うちの近所に常設ナイトマーケット会場があって、誰でも1日1000〜2000円で出店できる。もうこの4週間、土・日っていうと雨が降ってるから、商売上がったりよ。
 店番してると、ウチナンチュの商売根性をモロに感じられて、とっても面白い。華僑ほどじゃないにしろ、ウチナンチュもなかなかしたたかよね。表面的にはやさしいけど、みんなバリバリに競り合ってる。人のことよ〜く見てるし。だから当然、売れてる人はなんどりと嫌われる。
 私が出してるハンビーガーデンマーケットで一番の売れ筋は、シャネルのコピー品。韓国で買いつけてくるらしい。あとは、シルバー製品。フィラとかナイキのマークが彫られた指輪なんかがあって、目がシバシバしちゃう。
 ナイトマーケットに限らず、やっと沖縄にもブランドもんが押し寄せてきたみたい。本土からほぼ10年遅れのブランド人気。一気にいろんなブランドもんが入ってきたから、日本のものもヨーロッパのものもアメリカのものも一緒くた。だから多分、今沖縄で最もおしゃれな恰好は、にせシャネルのサングラスにプラダのバッグ、ヨーガンレールの服を着てフィラの指輪をすること。なのに足元はサンダル。えー、うそでしょー?! そりゃないよぉ、シクシク・・・。
 よって、タイ&インド物を売る私は、苦戦しております。同じく横浜から沖縄に移り住んだ友達は「私がお金持ってたら、ぜーんぶ買いたいぐらいカワイイのにぃ」と言ってくれるけど、バンコクでシャネルのコピー品でも買い込んだほうがよかったかな?などと思う私。まあ、実際のところはそれほど弱気になってるわけじゃないけど。
 マーケット内で最も目につくのは、黒人&タイ人の中年夫婦の店。奥さんが作るパンケーキやタイ料理、ダンナさんが作るチリビーンズなどの食べ物と、奥さんが韓国からマークをはずして持ち込んだ、えせシャネルグッズを売ってる。
 黒人のダンナはひたすら寡黙で働き者、タイ人の奥さんはちょっとでも雨が降ると「もうクローズね」と勤労意欲に欠けてる。この奥さんが来週あたりバンコクに行くっていってるから、彼女が何を仕入れてくるのかとっても興味ある。まさか、私が売ってるのと同じものを仕入れてくるんじゃないでしょーねー。
 彼らに密かな敵対心を持ってるのが、同じくシャネル物とシルバー、あとわけ分からんみやげ物を売ってるウチナンチュ夫婦。ここのおばさんも、つい最近韓国に行ってきた。今度はバンコクでシルバーを仕入れたいらしく、私に一緒に行こうよってしつこい。道案内させよーっていう魂胆がみえみえなんだけど、ガイド料取るぞ。
 三線屋のおじいは、一緒に御前風(ぐじんふう。古典音楽の代表曲5曲)の練習をしよう、とやはりしつこい。このおじいの店でカンカラー三線(クッキーなんかの空き缶でできた三線)を買ったら、お返しにってマニ車(チベット仏教の道具)を5本いっぺんに買ってくれた。冗談で、1本1万円で売るさー、とか言ってたけど、ほんとに冗談か?
 ナナメ向かいでスケッチ800円と時計修理等々をやってるのは、コッテコテの関西人。私がステンレスの料理用ボールを売ってるから、彼は私のことを「お好み焼きのネーチャン」と呼ぶ。
 会場には日払いのブースと、月払いのコンテナ店があって、この関西人の店はコンテナ。月家賃5万8千円だって! 3m×3mでこりゃ高いよね。でも、彼は一週間でペイできるって言ってる。あきんどの見栄なのか、真実なのか判断つきかねる。
 この店には、やたら誰にでも馴れ馴れしい、怪しげな沖縄男が巣くってる。そいつは私を見るたび「ハマッコォ」と呼びかけるから腹立たしい。
 その他、いろんな個性豊かな商売人と話しているうち、こーいっちゃ悪いけど「成り下がった」気分になった。5円、10円にこだわるのは商売人として当たり前のことだけど、ただただ売れるものだけを追い求め、ひたすら売上だけに気をとられてたら、ロシアやモンゴルの商人と同じやんけ。
 やっぱりそれだけまだ沖縄というところは貧しいってことだね。自分の感性とか趣味とかに走った商売をしてたら、すぐにつぶれちゃうみたい。
 例えば、那覇の国際通りに、高価だけどいいものそろえてる骨董屋があって、そこは1年くらいでつぶれた。
 ヤマト顔負けのおいしい日本そばを出していた店も、すぐにつぶれたらしい。
 沖縄で商売するのはホントーにむずかしい。いいもの、おいしいものが売れるとは限らないとしたら、何を売ったらいいんだ?
 ナイトマーケットに話を戻すと、どの店も夕方5時くらいからボチボチ開きはじめる。5時〜7時はほとんど暇つぶし。私は三線屋のおじいに付き合って、カンカラ三線をつまびいたり、おしゃべりして時間をつぶす。
 本番は8時以降で、ピークは10時〜11時、12時以降にも客が来るけど、さすがにそれ以上開けてる店は少ない。
 ユタって知ってる? あ、ごめんね、突然で。私の頭ん中って、整理整頓がうまくされてないのよ。『豚の報い』とか『バガージマヌパナス』にも出てくるから、知ってるよねぇ。まあ、簡単な言葉で言うと、神がかった予見者ってとこかな。
 サーダカ(霊的能力の高い人)が修行するとユタになるんだけど、このユタ信仰っていうのが沖縄ではけっこう根強い。特におばさんのユタコーヤー(ユタ買い=金を払ってユタに相談事を持ちか けること。見料はだいたい5000円)はさかん。
 ちなみに、ナイチャーはユタコーヤーできない。してもいいけど、あまり意味がない。ユタは祖先との交信によって物事の判断をするんだけど、ナイチャーは沖縄に祖先がいないからデキナイんだってさ。
 こういう土地柄だから占いにも人気があって、ナイトマーケットにも4人の占い師が店(?)を出してる。見料は500〜1000円で、人気が高い占い師のところには、夜中の2時3時まで人が並んでる。少なく見積もっても、1日に10人見て、見料が1000円で月30万の収入。どうせ脱税してるんだろうから、いい商売だなー。
 あー、県民所得最低の沖縄県で、私はなにをゴタゴタ言ってるんだろう。
 金が回ってないところで金を回そうとしても、無理があるのよね。あんな広大な普天間基地が返還されたら、あの土地で人々は何をするっていうんだろう? 農業人口は減る一方、ホテルは乱立気味、内地の企業はどうせ進出しない。基地が返還されたとしたら、今度は「内地の人間がむりやり基地を沖縄に押しつけたんだから、その跡地が有効活用できるように補助金を出せ」と言ってくるかもしれないよ。
 その金を出したくないというんじゃなくて、そろそろ沖縄の人は自分たちの経済基盤を、自分たちだけで建て直すことを真剣に考えないと、県民総貧民状態から永久にぬけ出せなくなっちゃうよ。
 フニャフニャ。そろそろ内地に帰って、おいしい寿司やそばや焼肉を死ぬほど食べながら、ヌクヌク暮らしたくなってきたゾ。



FRAH in OKINAWA
だらだら日記 15




 コケた。思いっきりコケたゾ。両足が天に舞って、ドーンと地面に落ちた。その瞬間、私の上に“ステーン”というカタカナ文字が、ポヨポヨンと浮かんだ。
<考えられる理由>
  その1.ボケである(ポヨォ〜ン)
  その2.パワーストーンのたたり(グオ〜ォン)
  その3.グスクのたたり(ドロォ〜ン)
 さて、私は近頃グスク(城)めぐりをはじめた。といっても、まだ1回しか行ってないけど。
沖縄にはグスク(正確には城跡)が数多くあって、ある文献によると県内に300ヶ所もあるらしい。
 グスクは、ウガンジョ(御願所=拝むところ)であるものと、ウガンジョでありかつ、かつてのその土地の権力者=按司(アジ)の居住地であったものと、文字通りの城であったものの3通りがある。
まあ、城にもウガンジョが併設されてるから、結局のところグスクというものは神の国オキナワらしく、どこも神聖な場所であるらしい。
 で、話を戻すと先日、ある人と突発的に「グスクめぐりをしよう」となって、1日に一挙6ヶ所を見て回った。そのうち3ヶ所は整備されていない荒れ山で、いかにもハブが出てきそうだったから、中に入るのはパス。
 あとの3ヶ所は、用を得ないながらも立て看板ありの整備されたグスクだったから、ハブよけの棒をバンバンしながら上った。
 これがいけなかったんだってサ。ウガンジョなのに、私たちは敬虔(けいけん)な気持ちを持ち合わせてなかったし、ガサガサと無神経に歩き回って、失礼極まりなかったみたい。
 あるウチナンチュから「グスクに行ったら、キチンとおがまなくっちゃだめさー。だいたい、そんなに1日にたくさんのグスク回ったら、ウガンのしすぎでよくないさー。いろいろ起きるのも、そのせいだよー」って言われたの。
 ここで、私の超現実主義と沖縄の神様信仰がまっこうから対立するわけね。
 私は、自分がコケたのは「雨が降ってて、とっても滑りやすい靴を履いてて、全速力で走って、タイル張りのところで急に止まろうとしたから」だと思ってる。
 あッ、ここまで書いたら、私がまだちっちゃい頃、じーちゃんがいきなしコケの生えた水たまりでツーッとハゲ頭を下にして滑ってったのを思い出しちゃった。
 ついでに思い出したことを書いちゃうと、それとほぼ時を同じくして、喫茶店で叔母が薬を飲もうとして水を口に含んだ瞬間、かつらがポロリと落ちた。
 パワーストーンのところで頭が痛くなったのも、前々回ではこうは書かなかったけど、冷たい水に入ったあとで急に強い陽射しを浴びたからだし、風邪気味だったからだっても思ってる。
 どーなんだろう? やっぱり沖縄には神様がいて、いや、こう書くと誤解を招くね。沖縄には神様とか、それらしきものがたくさんいるっつーのは信じてる。現に、うちにもたくさんいるような気がするし。チラッ、チラッと目のはじを何かが飛んで、振り向くとそっちには何にもないけど、確かに虫よりもずっと大きくて、黒い存在がうちの中をフラフラ飛んでる(これって、原因が他にあるのかしらん?)。
 だから沖縄に神様がいるってことは信じてるけど、内地の人間である私が、ウガンジョで拝まなかったとして、それによる影響というものを受けるんだろうか?
 ほら、前回さ、ユタコーヤーは内地の人間はできない、って書いたじゃない? でも、サーダカ気味のかっちゃんに聞くと、そんなこと言うユタはにせものだっていうの。霊の世界に沖縄もクソもないって。彼女に言わせると、1日にたくさんのウガンジョに行っても平気だっていうし。なんなのよぉ。どれがホントなのよぉ。
 私みたいに無宗教・無神経な内地の人間でも、沖縄の神様からおしかりを受けたりするのか、誰か教えてちょーだいな。
 と、こんなこと書いたあとでグスクの説明しても、誰も怖がって行かないかな。だけど私はこれからもグスクめぐりを敢行するのだ。だって、私は単なる観光客でしかないし、沖縄の宗教についてなんにも知らないヨソ者だもん。ポヨ〜ン。

今回行ったところ

1.伊波城跡(イハ:石川市)
14世紀ごろこの地方の権力者であった伊波按司と、その御一行様が住んでいたところでヤンス。ほぼ一直線の階段を上ると、やや小さめの石で雑に組まれた石垣が周囲を囲み、中には3ヶ所のウガンジョがあります。石川市街がよぉく見渡せます。

2.安慶名城跡(アゲナ:具志川市)
具志川市民の森の中にあります。やや急な階段を上り、大きな岩をくりぬいて作ったトンネルをくぐると、鬱蒼と生い茂る木々をぐるりと石垣がとり囲んでいます。安慶名大川按司がやはり14世紀ごろ、ここでウ○コなどをしていました。

3.具志川城跡(グシカワ:具志川市)
海際なのにそこだけポッコリと山になっています。岩肌に不気味な穴が開いていたりして、たいへん怖いところです。15世紀ごろ、久米島の具志川城主がこの地へ逃げのび、この城を築きました(久米島にも具志川ってところがあります)。人が踏み入れた形跡もあまりなく、いかにもハブがいそうなので入りませんでした。引き返す途中、土バトが急に飛び立ったので「ギャァ〜」と叫んで走って逃げました。

4.勝連城跡(カツレン:勝連町)
もうこれこそ城跡です。看板もしっかりあるし、規模も大きくて、たいへん立派なところです。この城には沖縄史上に残る悪者、阿麻和利(あまわり)などが陣取っていました。360度に視界が広がり、沖縄本島を自分の手中におさめたような気がします。

5.喜屋武城跡(キャン:具志川市)
バスケットコート、テニスコートなどがそろう喜屋武マープ公園内にあります。「遺跡調査中により立ち入り禁止」という看板が立っているので、金持ちの具志川市のこと、近いうち整備してくれることでしょう。

6.兼箇段城跡(カネカダン:具志川市)
周囲の農家からクサイ臭いがただよってくる小山です。荒れ放題なので、入りませんでした。ここから先に進むと農業試験場園芸支部があり、立ち並ぶビニールハウスの中で電照菊などが栽培されています。



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