厳格なる琉球古典音楽の世界



琉球古典音楽とは

沖縄の音楽といえば、喜納昌吉&チャンプルーズ、大工哲弘、ねーねーず、嘉手刈林昌、知名定男などを思い出すことでしょう。
彼らの音楽は、沖縄においては島唄、あるいは民謡と呼ばれています。
島唄あるいは民謡は、かなり古くから歌い継がれているものもあれば、今年作られた新曲もあります。つまり、ヤマトでの歌謡曲と同じような位置に置かれます。

一方、琉球古典音楽は、島唄や民謡とは全く異なった音楽で、ヤマトンチュが古典音楽に触れる機会など、ほぼ皆無といってもいいでしょう。
元来、この古典音楽と呼ばれるものは、琉球王府の中で庇護、発展したものです。工工四(後述)の附録に書かれた『歴代音楽大家系譜』によると、1625年頃、湛水親方(たんすいうぇーかた)がこの音楽を完成させました。

以降三百年余り、琉球の古典音楽家たちは、多少の手直し等はしたものの、基本的には湛水親方が作り上げたものを変わらぬかたちで伝承してきているのです。

琉球古典音楽は、三線(あるいは歌三線)、琴、笛、太鼓(鳴り物)、胡弓によって演奏されます。
三線を歌三線(うたさんしん)と表現することが多いのは、三線を弾くということ=歌を歌うことだからです。津軽三味線のように、歌なしで楽器演奏のみが行われることは、ほぼありません。
歌を歌いながら演奏されるのは三線と琴です。あとの楽器は伴奏楽器として使われます。


流派とは

琉球古典音楽(以後、古典)には流派があります。
古典で流派と呼ばれているのは、安冨祖流、野村流、湛水流の三つです。前項で三百年変わらぬかたちで伝承、とは書きましたが、流派や、細かくいってしまえば師匠によって同じ曲でも節回しが異なってしまうのは、しかたのないことなのでしょう。

古典では楽譜のことを工工四(くんくんしい)と呼ぶのですが、安冨祖流(あふそりゅう)には原則として工工四がありません。また、最も古型といわれる湛水流には、ほかの流派には二百三十数曲残っているのに対して、七曲九種しか残っていません。

各流派ごとに所属団体があり、安冨祖流には「安冨祖流絃声会」と「安冨祖流絃声協会」の二団体が、所属人数が最も多い野村流には「野村流音楽協会」「野村流古典音楽保存会」「野村流松村統絃会」「野村流伝統音楽協会」の四団体が、湛水流には「琉球古典音楽湛水保存会」と「琉球古典音楽湛水流伝統保存会」の二団体があります。


試験制度について

古典を独学でマスターすることは不可能です。たとえどんなに音感にすぐれ、美声にめぐまれていたとしても、古えの技の伝承が必要とされる以上、師匠につかなければ何もなりません。
また、試験制度が存在し、いずれかの団体に所属し、教師免許を持っている師匠につかなければ、試験を受ける資格が得られません。

試験は沖縄タイムス社と琉球新報社が行います。この両方ともに受けられるというものではなく、所属団体によってタイムスか新報か、どちらの試験を受けられるのかが決まっています。
試験(正式には、たとえばタイムスでは「沖縄タイムス芸術選賞」)には四段階あります。初段にあたるものは「新人賞」です。この上に下から順に「優秀賞」「最高賞」「グランプリ」があり、ここまでを新人部門と呼びます。

新人賞に合格すると、一年置いて二年後に優秀賞を受ける資格が得られるので(新報の場合は二年置かなければならない)、結局、グランプリをとるまでに最短でも六年はかかります。もちろん、今日習って明日新人賞が受けられるというわけではないので、新人部門を卒業するのに少なくとも十年はかかるといわれています。


最後に

肝心な古典音楽そのものについては、一切触れませんでした。
重厚な、とか、おごそかな、という表現をしたところで、聴いてみないことにはどういう音楽か分からないからです。
沖縄に深く触れれば、どこかで一度は「かぎやで風」(かじゃでーふう)という音楽を耳にすることでしょう。これが古典の中で最も多く演奏される、代表的な曲です。
内地にも、数は少ないですが古典音楽の教室(研究所と呼ばれるもの)があります。興味を持ったら、一度のぞいてみてはいかがでしょうか。




(参 考)

沖縄タイムス芸術選賞・伝統芸能新人部門
三線課題曲目

− 新人賞 −
伊野波節

− 優秀賞 −
(1)作田節・ぢゃんな節・首里節・しょどん節・暁節から一曲
(2)干瀬節・子持節・散山節・仲風節・述懐節から一曲

− 最高賞 −

(1)茶屋節・昔蝶節・長ぢゃんな節・仲節・十七八節から一曲
(2)仲村かり節・赤田風節・本花風節から一曲




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