白保(石垣)で生まれてはじめて風速50メートルを経験した。しかも堤防前でゴーグルつけて。今から考えればなんて無謀なことをやったんだろうと思う。高波にさわわれなくって本当に良かった。 翌朝、目の前のバナナ畑の奥の方に船がぶっ飛ばされていた。再開されたばかりの路線バスに乗ると、道路が各所で崩れ落ちていた。 北谷にいたとき、やたらでっかい台風の目に本島の半分以上がすっぽり入ったことがあった。目の中に入った途端にうそのような快晴。近所のスーパーに行くと、大勢の人々が浮き足立った感じで買い物していた。 その晩、停電になった。TVが映らないから情報がなく、冷蔵庫は中の物を腐らせないために開けられない。そのときふと三線の師匠の「台風の夜は稽古に最適です。なにもすることがありませんから」という声が頭をかすめた。でもダメ弟子は工工四(楽譜)がないとろくすっぽ歌えないのだ。小さなマグライトの灯りを頼りに一人歌った夜が忘れられない。外を見るとなぜか米軍の中だけはオレンジのボンヤリした灯りがともっていたっけ。 電気復旧後に冷凍庫を開けると、ブルーシールの飛行機型棒アイスが飛行機型じゃなくなって、各色混じり合っていた。 最後に、台風見物は本当に死ぬからやめましょう。 |