風をきって自転車が走る。
河川敷には人もまばらで、二人乗りなんて咎めるものはいない。
「おい千石」
なあに跡部くんと風に乗って声が届く。
「もっとスピード出ねえのかよ」
「ん なこといったってー…!これ結構キツいんだよ?」
「ふん、根性なしが」
言葉とは裏腹にその音色は優しい。
きっと構って欲しかっただけなんだろうと思って、 千石は後ろに分からないように少しだけ笑った。
それに跡部くん立ってるんからスピード出すと危ないよ
アーン?俺様がそんなヤワに見えっかよ
「見えま せ ん!」
急に追い風になって、 それに任せるようにぐいっと足の裏に力をこめる。
「あげるよ跡部くん!」
はやく、もっとはやく
空も 飛べるくらい
「南くんおはよ!」
校門にさしかかると、いつものように彼の声が聞こえる。
南が振り返ると、派手な色の髪の友人がへらへらと歩いてくるところだった。
いつもと違うのは、彼が傍らに自転車を引いていたこと。
オレンジと青い空のコントラストが目にまぶしい。
「うっす!…お前その自転車どうしたんだよ?」
「もらったんだよ〜ん」
「あー、誕生日か!…でもお前お父さんにMDプレーヤー買ってもらったって言ってなかったか?」
「うふー!いいでしょ」
「お前ほんと結構謎だよな」
南は半ば呆れながら、千石の自転車に視線を移した。
「でも見事にお前にぴったりだな」
「えっ!どこらへんが!?」
妙にウキウキしながら千石が食いついてくる。
その様子に南は少し戸惑いながら
「そうだな。色とか、派手でにぎやかだし」
「明るくて楽しいってことだね!」
「……ポジティブなのは、いいことだな」
にこにこと笑う千石のそういうところを、南は嫌いではなかった。
「まあ、ものはいいだろ、これ。デザインはシンプルだけど、しっかりしてる」
「……」
千石がじっと自転車を見つめて黙ってしまう。
なぜだろう?南は慌てて会話を続けた。
「あ、それにだな、自転車ってアクティブっていうか、」
「乗り物のなかで一番自由な感じがする」
千石がはっとして南を見た。
「って、外国の映画監督が言ってた」
「うけうりかよ!」千石が笑う。
「なんだよ!悪いかよ!」
「どこで言ってたの?」 言おうかどうしようか迷った。
「…新聞…」
千石の表情がみるみる変わる。
「…地味――!!」
さすが地味ーズ!と大笑いされて、 やっぱり言わなければよかったと軽く後悔した。
なんとなく頭にきたのでうるさいな、と適当にあしらうことにする。
「さすがいいこと言うじゃん」
こいつめ。調子のいいやつめ。
けれど南は千石のそういうところを嫌いではなかったのだ。
「でもさ、あれだよな。」
「贈り物ってお返しって気がするじゃん」
「お返し?」
急に千石の顔が真面目になる。
「そう。たとえばお前にどんなものあげようか、っていうのはお前に対するイメージで決まるだろ?
要するにその『イメージ』をそいつはお前からもらってるわけだ。だから」
南は嬉しそうに笑った。
「誰だか知らないけどこれくれたヤツはきっと、お前の事きちんと見てくれてるんだろうなーって気がして」
お父さんは嬉しいよ…と南は千石の頭をなでた。
贈り物は、その心を映す鏡なのだ。
千石の軽い髪が風に揺れている。
跡部は肩に置いた手でそれに少し触れた。
同じ景色がただずっと続いていく。河川敷の夕暮れ。
「跡部くんこれ」 眼下の千石の背中から、急に声がかかる
「ほんとにもらっちゃっていいの」
「あー…じゃあ、お前誕生日いつだ?」
「25日、って、そういうことじゃなくて」
「だったらそういうことにしとけよ。何いまさら遠慮してやがる」
「だってこんなの、高いじゃない」
「いーんだよ、その辺の自転車屋で見つけたやつだから」
その辺の自転車屋さん以外に自転車買うところなんてあるんですか。
聞いたらおそろしい答えが返ってきそうなのでやめといた。
さっき交換したマフラーが、多分毛糸なはずなのにさらさらしていて、やけに暖かい。
「でも」
「気に入らないのか」
「いいえとんでもない!」
「おまえにぴったりだろ」
満足げに跡部が口の端を上げる。
「お前のとこにあるために、生まれてきた気がするだろ」
ぴくんと千石の肩が動いた。
それが跡部くんのことだったらいいのに
眩暈がした。
「贈り物は、お返しだって、南がゆってた」
南ってうちの部長ね、と付け加えて千石がつぶやく。
「ああ、なんとなくそれは、わかる。」
「この自転車、色が派手でにぎやかだって言ってた。」
「そうか」
「でもシンプルでしっかりしてていいモノだって、言ってた」
「…そうか」
「自転車って、乗り物の中で一番」
「自由な気がするって言ってた」
「……そうかもな」
薄い雲が太陽を隠しきれずにそれと同化する。
夕日が千石のオレンジの髪に透けて、キラキラ光っていた。
跡部はそれを見るのが好きだと思った。
「跡部くん」
「ありがとう」
千石はかすれた声で呼びかける。
「大切にするね」
跡部は何も言わなかった。
千石のこぐ自転車のかすかな音と、耳のそばを通りすぎる風の音だけが、やけに響いた。
なぜだかむしょうに泣きたくなった。
それが嬉しいからだと、後になって気付いた。
二人、同じものを見ている。
それがいまだけだったとしても、きっと同じものを見ていると、信じている。
「綺麗でしょ」
「そうだな。」
「気持ちいいね」
「そうだな」
「来てよかったでしょう」
「…ああ」
「誘ってよかった」
きっと千石は微笑んでいるのだろう。
「ありがとう」 音を発することなく、跡部の唇が、多分そう動いた。
それを自由と言うのかは知らない。
けれどお前はこうして俺を連れ出して 新しいものを見せてくれる。
背中に風がびゅうと吹き付けた。
乱れた跡部の髪の隙間から見える青い瞳は、楽しそうに笑っていた。
それを自由と言うのかは知らない
けれどきっとこんな感じだ。
お前の風が、背中を押して 行けと叫ぶ。
たとえば この
広い空へ