やっと終わりましたね・・・。長かったです。眠いです。お付き合いくださってありがとうございました!

 

もしも私が伝えたかったなにか、思いがけない何かを受け取ってもらえましたらこの上ない幸せでございます。


それはそうと本にするとき編集上読み返してみたのですが、微妙にこのお話アレでした。なんというか、ギャグかいこれはー!どーん!(自分をはたく音)みたいな。
あーハズカシ。冷静になるって恐いわ。もーいいや。恥さらし。若いっていいね!
もしも読み直したりしてくださるというありがたい方がいらっしゃるのでしたらあの本にしたほう(持ってらっしゃいましたら)を読んでいただけると嬉しいです。まだそっちのほうが少し手直ししてますので・・・
あー恥ずかしい。私にはもう読み返せません。

>イタチ。
私的にはこんなのです。本当はイイヒト説。あくまで私の希望ですから。
私はサスケにはお兄さんを殺して欲しくないのです。
だってそれによってきっとサスケはまた苦しむような気がするから。(このサスケファンが!)
(あ、でも某さんと話していた後悔するサスケを慰めるサクラもスキ。<半私信)
・・・ジャンプ的にも。

>to be continued...
優しい子だと思うから、幸せになって欲しい
生きていることだけが幸せではないと思うけれど、
二人には生きて幸せになって欲しい。
「大切な人は例え死んでしまっても心の中で生きている」ということに、この若い二人が価値を見出すのはまだ早すぎると思うのです。

否むしろ私がその価値を見出せていないのにそんなことは書けないのであります。


自由になることと、死はつながるのだろうか。

私は、「生きること」は
すべてのものに縛られながら、
すべてのものを背負いながら、
不自由なりに歩いていくことだと思う。
背負うものが重くても、自分で歩いていくこと。
地に足をつけて歩けば、大地は永遠に広がり、どこにだっていける。
多分それが、本当の自由だと。

自由になるということは飛んでいくことではない。
すべてを受け止めることができたとき、
自分の足で歩く決意をしたとき、
それは自由である。
だから自由は苦しくて、つらい。
だから人は自由から逃げようともする。


でもきっと、ふたりなら、生きていけると思うのです。

結局、そういうこと。

 

 

さあ、おわりです。
そしてひとつの、はじまりが。

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