今日、全世界のカトリック教会は『聖母マリアのみ名』の記念日をお祝いします。
マリア様の祭りの中では大きく祝う日ではありませんが、スペインから始まり、歴史的にはまだ500年になっていない祝い日です。
マリア様の名前の祝い日、人の名前は非常に大切です。
旧約聖書で神様が天と地をお造りになった時、動物も植物も最初の人間アダムとイブ、全てのものに名前を付けてくださいました。
これは神様が人間に与えてくださる、しるしです。
名前を付けることによってコントロールをする意味で、人も何かに名前を付けて自分のものにします。
たとえば、親は子どもに名前を付けることで、特別な意味があるわけです。
おばあさんの名前から1字取ってつけたり、おじいさんだったり、また先生だったり、ある人は歌手の名前を付けて、とんでもない名前が出てくる時
もあるでしよう。
マリア様の場合は、私たち人聞の救いの歴史で1番重要な人物であり、土台です。
マリア様のお陰で私たちの人類の救いが始まりましたし、マリア様の素晴しさは神様から与えられている恵みです。
カトリックはマリア様を大切にしますが、拝むわけではありません。
教会の信者がよく口にすることばに、『マリア様は特別な方で、私は何もできません』と・・・
人間は、すぐ比べる傾向が強くありますね。
マリア様も、私も、選ばれているのです。
マリア様と比べることは、よくないです。
マリア様は神様からいただいた恵みを、開かれた大きな心で喜んでオッケーと受け入れたのです。
私たちも1人ひとりが神様から選ばれ、呼ばれ、与えられた恵みを、開かれた心で、オッケーと言って受けましょう。
ただし、マリア様と同じ意味ではなく、1人ひとりがユニークな存在であることを確信することです。
さて、マリア様のお望みは何でしようか?
ただ1つ『私の息子の言うことを聞いてください』ということ、つまり、お互いに愛し合いなさい! 大切にし合いなさい!ということです。

ルルドにも、ファチマにも、メキシコのガダルぺにもメジュゴリェ、スペイン、フランス、全世界にマリア様の出現の話はあって、ほとんど子どもたちに
現れています。
なぜ子どもに? 大人は、本当にマリア様か?と疑い深いからです。
また、ルルドに行ってもいいし、メキシコのガダルペに行ってもいい・・・
しかし、巡礼よりも日常生活の中に、毎日出会う人を大切にすることの方をマリア様は喜ばれるのです。その人を好きになることではなく、性格的に合わないかもしれないけれど、それでも相手を大切にする。
少なくとも相手の悪口を言わないことです。

簡単な祈りの方法を1つご紹介しましょう。(マリア様のご絵を机の上に置きます)
静かに目を閉じて、呼吸に合わせてマリア様の名前『マリアさま』と・・・
次にイエス様の名前『イエスさま』と・・・
小さな声で唱えてもいいし、あるいは心の中で息を吸うときに『イエスさま』・・・
息を吐くときに『マリアさま』・・・と呼吸に合わせて祈るのもいいと思います。
『恵みあふれる聖マリア』と、繰り返してもいいです。
雑念がいっぱいわき起こることもあるでしょう。
たとえばこれが終わったら買い物に行かなければならないとか、でも諦めず、雑念を気にしないようにリズムに合わせて祈ってみてください。
                   
ルカ福音書2章22節
モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。
それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。
また、主の律法に言われているとおりに、山鳩1つがいか、家鳩の雛2羽をいけにえとして献げるためであった。

その当時の習慣に従って、エルサレムに行った。
とにかく初めて生まれる男の子、女の子ではなくて。
男の子、どうして? 男尊女卑ですね。
いろんな理由はあるがその1つには、昔は男性の種は新しい命が始まる
と考えられ、女は自分のからだから種を出せないからです。
子どもの出来ない女は恥じとされ、男の子が生まれたら、将来は大丈夫で、女の子だと、あ〜そうですか、子孫がないと考えられたからです。

ルカ福音書2章36節
アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。
非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから7年間夫と共に暮らしたが、夫に死に別れ、84歳になっていた。
彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。
何年間結婚していましたか?
7年間です。7というのは、1、2、3・・・の意昧ではなくて、しるしとして多いという意味です。
アンナがそうであったように、皆さんの夫が今生きている、生きていないに関係なく、年を取る女性の素晴しいつとめは、祈ることです。
祈る時間が増えることです。
祈るというのは願いであって、ほめること、感謝すること、これは素晴し
いつとめです。
成長した自分の子どもにもう説教する意味がない、聞く耳がないでしょう。ただ子どもと孫にお祈りの姿を見せることです。
子どもの教育は耳からではなく目です。
パパとママの祈る姿を目で見て、育つのです。
パパとママが寝る前に祈っているからわたしも祈ります。と・・・
子どもの教育は共にすることが1番大事です。
祈りなさい!と言わなくても、また祈りを忘れたことを指摘するのでなく、さぁいっしょに祈りましょうか。と・・・

しかし、中高生になると、親と離れたくなるのが当たり前で、一緒にいると逆に恥ずかしくなるものです。
小さい時にこそ家族そろって祈ること、共同体として少人数でも祈ることをお勧めします。
孫と一緒にミサに行かなくても、平日ちょっとの時間、今日はマリア様に「ありがとう」をいいに行きましょうか。と・・・マリア様の前に立ってゆっくり、マリア様の祈りを唱えて、それからアイスクリームを食べましょう。と・・・誘うのです。
教育とは共にです。
教育といえば、誰かの上に立って教えることが教育ではありません。
子どもの目は純粋で敏感です。
子どもに知られたくないパパとママのけんかでも雰囲気ですぐ分かる。
胎児は、親がうまくいっていないと感情的になって腹を立てると、敏感に感じ取るんです。
胎内でエネルギーの流れで分かるのです。
50代〜70代の人でおなかの中にいた時に受けた影響で、心の傷がまだ残っている人がいるのです。
そのために自分の人生が難しくなったりもします。
もしかして、わたしたちの中にも胎内で経験した時のことを、知らずに悩んでいる人もいると思います。
そういうこともあるということを知っている方がいいでしょう。
何も知らないと、人生の旅はつらいものとなりますから。
私は結婚講座で必ず若い2人に良く話すことがあります。
妊娠したら、絶対にけんかしないように努カして欲しいこと、夫は妻に迷惑をかけない、恥をかかせない、心配させないことをお願いするんです。
これは夫婦のためにではなくておなかのあかちゃんのためにです。
心配していることがあります。
私は間違っているかもしれませんが、今の若い人は勇気がないみたい!
私の立場で感じるのですが、若い人はダメだといっているのではありません。
何かにぶつかると簡単に負けてしまうし、弱い面を感じ取ります。
今の時代の子どもの育ち方を、もう一度見てみましょうか。
何か足りないかもしれません。
何歳とははっきり言えませんが、必ず子どもは、いつか巣から飛び立たせ
なければならないのです。
でもそれができない。
たくさんの人、20代〜50代の子どもは親の負担で生活している。
これは親が悪いかもしれない。
自分の子どもは自分の将来の保険?
子どもは我々の保険のためではなく、子どもは神様からいただいた恵みです。
自分の子どもは自由にさせなければなりません。
子どもは自分のためではなくて、まわりの人、杜会のためだから、なるべく早く自信をもって喜んで巣立たせる、ユニークなタレントを持って人生を歩んで欲しいです。
喜びのカってすごいよ。
何でも出来るわけではないけれど、生きたい体験を持たせ、やりたい気持ちを持たせ、そうすることによって、知恵と勇気を神様が与えてください
ます。
私たち親のチャレンジは、子どもや孫のタレントを早めに見つけ、ガンバレ!と、自分の足で立って、自分のつばさで飛んで行けるように見守ることです。
もちろん、みんなユニークだから、からだの不自由さ、精神的な不自由さがあるかもしれないけれど、ちゃんとユニークなタレントは誰にでも絶対あります。
私は不思議に思うのは、不自由さを乗り越えて口で油絵を描く人や、足で素晴しい絵を描く人がいます。
他の人は自分の不自由さにガッカリして自殺します。
同じことがあっても、ある人は自分の人生の旅で不自由さを乗り越えて、素晴しいことをしている。
その人の環境、特に親ができることは、お前はユニークですよと伝え、人間の考えで人間の価値が決まるわけではないから、上手かどうかはどうでもいいことです。
                 
私の小中高の同級生に、大人に『お前はバカだ』と何回も言われて自分はバカだと思うようになった人がいます。
だから、ことばに注意してください。
子どもの教育はここから始まります。
いろいろ考えて大きなことではなく、小さなことで、子どもと孫のために、夫と共に祈りましょう。
問題がある子どもだけでなく、今大丈夫であっても祈りましょう。
また結婚がうまくいっていたら感謝ですが、大きな試練にぶつかって別れてしまうかもしれないけれど、今日は大丈夫だったら感謝、最終的には2人の責任だけれども、息子・娘夫婦のために祈りましょう。
マリア様は、十字架に付けられた血だらけの息子の姿を見て大変だったでしょう。
マリア様は人間の人生、母親のつらさ・ひどいことを体験しておられます。
母親としての心配、母親としての恐れ、母親としての不安、母親としての悲しさ、みんな知ってます。
マリア様とともに、一生懸命今の悩みはつらいかもしれないけれど、一緒にがんばりましょう。
神は必ず死を滅ぼし、光が来ます。
幸いにマリアさまの十字架の苦しみは3日間で終わったけれど、われわれの苦労は20年、30年続くかもしれませんが、苦しい暗闇の中にいるだけではなく、必ず日は昇り希望の光がさします。
そういう時は、たびたびマリアさまに心の内を話し電話して相談してください。
女性の苦しみ母親・妻としての喜び全部知っていますから。