砂上のあしあと(foot prints)
マーガレット・パワーズ著
松代 恵美 訳

ある夜、わたしは夢を見た。
わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。

一つは私のあしあと、もう一つは主のあしあとであった。

これまでの人生の最後の光景が映しだされたとき、
わたしは砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。
このことがいつもわたしの心を乱していたので、
わたしはその悩みについて主にお尋ねした。

「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、
あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
わたしと語り合ってくださると約束されました。
それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、
ひとりのあしあとしかなかったのです。
いちばんあなたを必要としたときに、
あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、
わたしにはわかりません。」
主はささやかれた。
「わたしの大切な子よ。
わたしは、あなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない。
ましてや、苦しみや試みの時に。
あしあとがひとつだったとき、
わたしはあなたを背負って歩いていた。」
ある日曜日の朝のことです。
ある夫婦が教会に出かけようとしたその時に喧嘩となりました。
夫は、このままじゃ聖体拝領ができないと、途中で家に戻ってしまい
ました。…妻は教会へ…。
感情は善悪の罪ではありません。
ありのままの自分を主に委ねてください。
御聖体はこのためにこそあります。主とわたしが一致するために。
神の義と人の義ファリサイ派の人の義は、人間の義。
神の義は自分の罪を悔い改めること。
聖人とは、罪を犯さない人ではなく、何度も罪を犯しても主に立ち帰る人のことです。

自殺について
自殺は追い詰められ追い詰められて、逃げ場を失った状態の病です。(らせん階段に例えました)うつ病や依存症などで苦しみ、最終的に自殺する場合も少なくありません。
教会として、遺族のために祈りの心を持って、心の支え、心の友となることが大切。
いちばん辛いのは自責の念にかられる残された家族だから。
教会共同体としてできることは、すべてをご存知なのは神なのだから、亡くなった方のために、心を一つにして葬儀や祈りを大切にすること。
                  [おわり]