主のご降誕と新年おめでとうございます

 皆様お変わりございませんか。日々のお祈りの支えに感謝申し上げます。

 神が人間となられたことに思いを馳せるとき、『あるクリスマスの出来事』という、以前、読んだお話をご紹介したくなりました。
それは、ある年老いた農夫のクリスマス・イブの体験です。彼は長い間、神が人間になったことなどバカバカしいと信じられないでいました。
この夜も揺りイスに身を委ねまどろみかけていた農夫が、窓ガラスに何かがぶつかる烈しい物音に気付きます。
それは音もなく降り積もる雪闇の中、この家をめざして押し寄せてくるおびただしい小鳥たちの群れでした。
小鳥たちは灯を求めては、ガラス窓に突き当たって死んでいきます。
しばしその様子を唖然と見つめていた農夫は、急に一目散に納屋に走り、電灯を明々と灯して小鳥たちを呼び入れようとします。
「こっちだ、こっちだ、こっちへ来い」。
しかし小鳥たちは、彼の必死な叫び声に応えず死んでいきます。
「ああ、わたしが小鳥になって、彼らの言葉で話しかけることが出来たなら!」。
その時、彼は瞬時に悟ったのです。
「神が人になられた」という言葉の意味を。
彼はその場に跪きました。

 彼は小鳥たちを「放ってはおけなかった」のです。
私にも似たような体験がありますが、農夫のように主の降誕にまで思いが及びませんでした。
だからなおの事、このお話は心に深く沁みました。
神様は救いを求めてあえぎ苦しむ私たち人間を放っておくことが出来ずに、御独り子を人間とともにいるようにと遣わして下さったのですね。
父なる神様の「はかり知れない愛」を感じます。
イエス様もまた、「放蕩息子」や「見失った羊」のたとえ話で父なる神様の愛を告げてくださいました。
イエスさまの時代同様、否それ以上に現代は人間も自然も病んで叫びを上げています。
戦争やテロ、気候の変動による災害など、「苦しんで助けを求めている人々」が大勢後を絶ちません。
私達も自分の内なる叫びに気付いているでしょうか。
自分の遠くにいる人々、または身近にいる人々の苦しみに鈍くなっているのではと反省させられます。
それほどまでに私たち心の中は、日々押し寄せてくる多くの情報に振り回されています。

 イエスさまは、一番小さく、無力な、放っておかれたら死んでしまう、人間の赤ちゃんの姿でこの世に来られました。
2017年のクリスマス、私たち一人一人の心の中に、平和のキリストが生まれてくださいますように待ち望みます。

 イエス・キリストの誕生を心をこめてお祝いしお祈りいたしましょう。皆様と世界中の全て人々が、主の救いへの希望と喜び、平和に満たされますように。

院長 シスターセシリア 藤井 泰子