オブレート便り



PAX
'04.12.25発行
院長ご挨拶                                                                                                                              

















































講 話





                 
     主のご降誕の平和と新年の希望が、オブレ
     ート会員とご家族の皆様の生活の隅々にま
     で行き渡りますように祈りつつ心よりご挨拶
     申し上げます。

      
雪の白さが眩しい今日この頃ですが、今年
     も皆様のお祈りに支えられて、主のご降誕と
     新年を迎えられましたことを感謝致します。  
      

2004年は、地震、台風、洪水、竜巻と世界各地、自然災害の多い年でしたが、天災だけではなく、環境破壊による人災と言う問題が浮き彫りにされた今、私達を支えている大地が悲鳴を上げているように感じます。

被災された方々が、今どんな思いでクリスマスと年末、そして新年を迎えられるのかを思いますと心が痛みます。しかし、その様な時にも、善意あふれる方々の言葉や行動は心に染みとおり清められます。

昨年11月の末、目の手術の為来日したイラクの少年モハマド・ハイサム・サレハ君(十歳)が、フリージャーナリストの故橋田信介さんの妻、幸子さんと、長岡を訪れ「僕の町ファルージャは、戦争で被害を受け、長岡は地震で被災したけど一緒に頑張りましょう。」と日本語を交えて挨拶したとのニュースを知って力を頂きました。

この世の中には、過酷な人生を生きていても、他者を思いやる優しい人が沢山いる。小さい時から、世の中の不条理を経験してもくじけずに、隣人と連帯して強く生きる人がいる。今の世の中が、おかしい方向に流されていても 、希望を捨てずに、逞しく生きている人がいる。自分の弱さや限界を感じても失望せず、神様に委ねて生きている人がいる。自分の問題に終始する事なく、他者の痛み苦しみに敏感で、いつも隣人の幸せを 願って共に生きようとしている人がいる限り、それはクリスマスの本当の意味を味わっている事だと思います。

イラクで殺されたご主人の生き方を、日頃から応援していた橋田幸子さんだからこそ、不条理な現実から逃げ出す事なく、今、自分に出来ることは何かを問い、実践したのでしょう。世界的な視野に立って人間とかかわっている橋田さん夫妻に出会えた少年サレハ君の、長岡での言葉がけと握手は、被災された方々には、平和の使者が来たと感じたことでしょう。

クリスマスに主と出会えた私達も、それぞれの場で、平和の使者になれますように、神様の祝福とお導きを共にお祈りし合いましょう。

2005年も恵みの年でありますように。

          院長 シスターテレジア 斎藤




三好満神父様の講話抜粋

 日常の中で神を見出す

    英国人が話した、ドイツ人の話として、次のような内容があります。

「『天国の入り口』」と書かれた看板と、『講習会の入り口』と書かれた看板がありますと、理屈が好きなドイツ人は『講習会の入り口』と書かれた看板の方に行く傾向があります。講習会好きなドイツ人は、『講座を選ぶ』。」と言うことです。

これは、私達も考えなければならない話ではないでしょうか。霊的な話は話、講話は講話ではありません。霊的な話も講話も含めて、毎日の生活の中での出来事が、天国に通じている道と言うことです。きっと講習会好きなドイツ人は、講座を選んで天国を目指すのでしょう。さて、どの様に天国を目指すのでしょうか。どの様に神を見出すのでしょうか。信仰者の目的は、神を探し続ける道です。私達は毎日、神に出会っているのかも知れません。しかし、人間的弱さから、見えないのかも知れません。日常の中に神を探し続けることが、信者の道です。私は、信者生活50年を過ぎていますが、いつも神と出会いたいと願っています。間もなく、神と出会わなければならない時が近付いています。探し求めて、神の愛に至る事が出来るようにと願っています。

 

 
近くの人に愛の手を
     
     
聖書のことばに、

「お前たちは、わたしが飢えていた
  ときに食べさせ、のどが渇いていた
  ときに飲ませ、旅をしていたときに
  宿を貸し、裸のときに着せ、病気の
  ときに見舞い、牢にいたときに訪ね
  てくれたからだ。」

           (マタイ福音書25章35節〜)

いつも神と出会いたいと思っている人は、遠くより、近くにいる人に何かをする事ではないでしょうか。それは、ことごとく神にした事になると聖書は教えています。

『カリタスの家』(ラテン語―神の愛と言う意味)で30年働きましたが、カリタスジャパンには、四旬節ともなりますと、外国から寄付の依頼がたくさん来ます。寄付金は7〜8千万円集まりますが、そのうち7割は外国に3割は国内の寄付に充てます。お金はきれいではありません。しかし使い方によります。 マザーテレサは、人のために使いました。よく使うことは、この世でのキリスト者の役割ではないでしょうか。

    日本中に、孤独な人、小さい人々、何かの手を
    待っている人がたくさんいらっしゃいます。経済大
    国日本ですが、その谷間にいる人がたくさんいら
    っしゃいます。物心両面の貧しい人が、ホームレ
    スが、たくさんいらっしゃいます。『カリタスの家』
    に来る人もたくさんいらっしゃり、設立当初に対
    応し切れない状況から、お金で解決しようとした
    こともありました。ある時、必要な分の交通費だ
    けを手渡したその人が、そのお金でお酒を買っ
    て飲むところを見つけ、大喧嘩になったこともあ
    りました。それ以来食事に事欠く人には、用意し
    ていたカップ麺を提供します。

札幌でカリタス家庭支援センターが設立されたと聞きました。家庭内暴力、障害者を持つ親の悩み相談、登校拒否、引きこもり、精神障害の方が増えていますので、その方々にとって福音ではないでしょうか。教会全体が、その様な人々の仲間になっていく事はとても大切ですが、仲間になることは極めて少ないように思います。統合失調症の人は、自分の弱さを知っている人が多いのですが、それを知られる事に恐怖を持っています。孤独な生活を送っている人が多いと言う事を、皆さんに知って頂きたいと思います。 

係わっていた躁鬱病のおばあさんが、亡くなりました。電車に飛び込んで亡くなりました。相談者の中には、自殺者があります。予告する方と、予告をしない方があります。ある一人暮らしの女性からは、十数回程自殺予告があり、とうとう最後に亡くなられました。部屋には炊事道具がなく、大川橋蔵のファンでしたので、プロマイドがたくさん残っていました。その方のSOSに気付きませんでした。生きているうちに、何か出来なかったのかと悔やみます。教会の中にも、その様な方はたくさんいらっしゃいますが、いつの間にか忘れ去られてしまいます。孤独な方に気付きません。教会は、愛を説き、 私たちも聞いたり使ったりはしますが、実行が伴いません。私たちは講演会で聞くには聞きますが、実際の問題になると、一歩も二歩も引下ってしまうと言う事を認識し、ここを出発点としてその様な方と係わってほしいと思います。神から頂いた命を育み、共にいきることが、キリストと共に生きることとなるのではないかと思います。


奉 仕

函館・旭丘の家のグロード神父様がお始めになった、ビ・モンタント(登り行く人生の会)の運動を、ご存知でしょうと思います。登り坂・山の頂に近づいた方々を対象にした運動ですが、これは東京でも行われています。私はカリタスの家を引退し、若い神父様に譲って、今はフリーになりましたが、ビ・モンタントの年代の方々を対称にした勉強会は、続けてやらせて頂いております。信仰と友情と奉仕がビ・モンタントの三本柱だったと思います。その中でも特に奉仕については、一番難しい問題で、皆さんがどの様になさっているかを、むしろ知りたいと思っています。

10年程前、102歳で亡くなった方の所に、毎週通っていました。その方はひとり暮らしで、その方が作ってくださる物を頂くのが、私の主な仕事でした。サービスされるばかりと思うのではなく、積極的にサービスされることは、サービスする人の役に立ち、サービスする事と同じになります。皆さんも、この様に頭を切り替えてみては、如何でしょうか。積極的に奉仕される事は、する事と同じなのです。そう思えば、奉仕される事も難しくはなくなります。堂々と受ければよいと思います。年をとったらする事が無いと言うのではなく、快く奉仕され、祈り、周りの人にご自分の経験を話す事は素晴しく、意味のある事だと思います。              

   「森のイスキア」の佐藤初音さん(83歳)とは、共助組合の関係で24、5年前からお付き合いがあります。お金を低金利で貸し付ける日本農業協同組合を、プロテスタントの賀川豊彦さんが設立し、弘前の神父様が導入したのが始まりでした。名前を共助組合とし、その後イエズス会のラフォント神父様が、長い間会長をなさっていらっしゃいました。その当時の理事を、佐藤初音さんがなさっていました。彼女のことは映画ガイヤシンフォニーで紹介され、広く知られるようになりましたので、以前にも増して「森のイスキア」を訪れる人が多くなったと言うことです。

       

  
「何か特別な事をしていますか」と初音さんに尋ねると、彼女は、「私は何もしていない。ただ心を込めて食事を作り提供します。そしてお客様のお話を、ただひたすら伺っているだけ」だとおっしゃいます。それだけで話している人は癒されます。問題を抱えている人や、あらゆる宗教の人が訪ねて来ますが、癒されたその人達が、今度は逆に熱心に奉仕をしてくれます。皆はそこで元気になって帰って行きます。 

ミサは愛であるキリストを食べること、愛であるキリストを飲むことにあります。実に、それと同じことを、初音さんはなさっているように思います。心を込めて食事を作り提供する事は、つまり愛を配る事ではないでしょうか。今は、インスタントやレトルトの時代で、出来上がった物ばかり見ている人が多いようですが、心を込めて作ることが、どんなに大きな愛情表現になっているか、計り知れません。

人間関係の中で、何を中心に生きているのか。キリストを中心にした家族。オブレートの会員は、聖ベネディクトの精神とキリストを中心にした一つの家族として、まず自の霊的成長を求め、キリストの奉仕に見習いながら、キリスト教的、楽天的な生き方を持って生きる事を目指す家族でありたいものです。

誰も自分が持っていないものを、人に与えることは出来ません。霊的な成長と豊かさを頂いて、それを人々に伝える事は、信者としての務めです。頂くために必要なものは何でしょうか。それは、自分が無力であり、空っぽである事を知ることではないでしょうか。神の愛に飢え乾き、それを頂きたい。そして頂いたものは、必ず分け与える事が、家族の原則ではないでしょうか。アフリカでも、フィリピンでも、インドでも、飢えている人が、同じ飢えている人に分け与える事を、自然に行っています。私たちも頂いた愛を、是非自分の回りの人に配って頂きたいと思います。どの様に配って行くか。機会を逃さず配ることができるように、しっかりと信仰の目で見、信仰の心で聞くお恵みを頂けるように、その為にシスター達も祈ってくれていると思います



 祈 り    

     
  さて、祈りについてですが、私は昭和22年
     に20代で 受洗し、間もなく旅行で当別のトラ
     ピスト修道院に行きました。当時のフランス人の
     大院長様に、泊めて頂きたいと願い出たところ、
     「何をしに来たのですか。」と尋ねられ、「静かだ
     から、勉強や読書ができるので来ました。」と答
     えました。しかし、その様な理由では泊めてもら
     えず、困り果て途方にくれていたところ「修道院
     に行く気はありますか」「泊めて下さる所なら、
     何処へでも・・・」と言うことで紹介状を書いて下
     さり、当別のトラピスト修道院から、湯の川の
     トラピスチヌ修道院に行くことになりました。修
     道院での宿泊の条件は、大院長様がなさろう
     としていた電話線の配線工事の手伝いで、ブ
     ラザーと一緒に1ヶ月半程かけて行いました。
     お陰で、トラピスチヌ修道院の屋根裏と床下の
     配線を、 熟知するお恵みも頂きました。当時、
     百人以上のシスター達がいた筈ですが、古い
     修道院なのでその姿は見られませんでした。
     私は、ミサ応えをし、『声はすれども、姿は見
     えず』の香部屋係りのシスターと友達になり
     ました。祭服はシスターが用意し、壁の向こ
     うとこちらに通じるタンスがあって、その引き
     出しに祭服等を入れて押すと、こちらに出て
     来るという優れ物です。カリスやパテナは、半
     樽のようなケースの中がターンテーブルにな
     っていて、その上に準備したものを乗せてク
     ルリと回すと、こちらに出て来る独特な物です。

 トラピスチヌ修道院での生活にも慣れ、やがて1ヶ月半にな り修道院を去って、4年程経ってから神学校に行くことになりました。その事を修道院の香部屋係りのシスターに知らせましところ、「当前のことです。私は何も驚きませんでした。何故なら、私はあなたに会ったその時から、ずっと祈り続けていましたから。 そして神様は絶対聞いて下さると思っていました。」と言われ、非 常な衝撃を受けました。

それから10年後に司祭になり、トラピスチヌ修道院でミサをしたいと思い訪ねました。たまたま「病人にご聖体拝領を」と言うことで、病人の所に連れられて行きましたところ、そこに、末期の癌に侵された香部屋係りのシスターがいました。彼女は病床にあってもなお、新司祭を見ないと言う犠牲を捧げようとなさいしましたが、司祭の特権で目を開けるように言い、そこで初めて彼女に会いました。これが最初で最後の出会いでした。

その2ヶ月後に彼女は亡くなりました。彼女は自分の命を、私のために捧げて下さいました。そのお陰で、私は今日ここにあると思います。命がけの祈りは、すごいなと思います。祈りの力を実感しました。同じベネディクトの精神に生きている皆さん達の祈りの力は、私たちの心臓と同じだと思っています。

どうぞ、家族のために、そして、人々のために祈り続けて下さい。        
                  (文責 係り)






司祭叙階


おめでとうございます。


聖ベネディクト会三位一体修道院の修道士
エドワード・ヴェべロンさんが、米国で司祭に
叙階されました。 来日されて四年程ですが、
来札時、大変流暢な日本語で、宣教の意欲
に燃え、熱心に希望を語って下さいました。    
  
神父様は、現在長野県富士見市の三位
一体修道院に所属され、教区のお手伝いも
されております。
  どうぞ皆様、新司祭のために、お祈りによ
って支えて下さいませ。






16



オブレ|ト会
報告



              主のご降誕おめでとうございます。

 オブレート会員の皆様、いつもお祈りをありがとうございます。

色々な出来事が数多くあった2004年も、いよいよ終わりに近づいております。しかし、主の典礼においては、すでに新しい年が始まり、救いの完成に向って進んでおります。一人ひとりの心の中に、又ご家族の中に、社会の中に、世界中の人々の中に、救い主の希望の光が差し込み、対立のない世界になりますようにと願いながら、ご復活以降の主な出来事を、ご報告させて頂きます。


◆ 誓願25周年記念
 
       5月3日
        
本会の姉妹シスターマルタ上田若子(室蘭修道院
      所属)が、誓願25周年を迎え、感謝の記念ミサを、
      マイレット・ジェームズ神父様(札幌・手稲教会)司式の
      もと、札幌修道院で行いました。

       当日緊張気味だったシスターも、祝賀会ではいつ
      もの楽しいシスターに戻り、これまでの神様のお導き
      と、多くの方々のお祈りによる支えに感謝致しました。
        
これからの歩みも、神様が祝福し、導いて下さい
      ますように、皆様どうぞお祈り下さいませ。


◆ 第12回 ベネディクト・フォーラム

      6月14日〜17日
        当別のトラピスト修道院において行われました。
       今年1月31日に帰天されたトラピスト修道院の
       慈父高木大院長様の永遠の安息を願いつつ、新
       院長の高橋重幸神父様が提言者となり、「養成」
       をテーマに話し合われました。

       男女修道院の養成に関する相違点、又、近年
       の入会者との関わり方から生ずる問題点などが
       話し合われ、「『喜びに満ち、神に許された共同体
       が修道院である』と体験し合う事」が、養成の大切
       な点であるとの共通理解がなされました。



◆ 新連合会会長来院
      
         9月2日〜9日

       昨年、米国聖ベネディクト女子修道院連合会の
       会長に選任されたシスター
マッケーラー へディカン
       が、初来日致しました。

       彼女は50代の物静かな雰囲気の方で、異
       化を積極的に受け入れようとしておりました。又聖ベ
       ネディクトに倣い、聴く霊性の大切さを身を持って示
       して下さり、これからの霊的刷新の活躍に期待した
       いと思います。



◆ 召命黙想会

         10月15日〜17日
        三好満神父様(東京教区カリタスの家)を講師にお迎え
        し、札幌修道院におい
て行いました。
       参加者が二名でしたので、神父様との面談に充分
       な時間をとることが出来ました。お二人から、神父様
       の暖かなお人柄にふれ、安らぎが与えられたとの感
       想を頂きました。



◆ オブレートの集い

       10月18日
       第18回オブレートの集いを、札幌修道院におい
       て、講師に召命黙想会の三好神父様をお迎えして
       行いました。
       福音と社会の接点で、特に小さくされている方々
       に寄り添いながら活動された神父様の貴重な体験
       と、感動的な司祭召命に至る道のりを、お話下さい
       ました。




 

 新会員のご紹介


どうぞ、よろしくお願い致します。

 * 西野 比佐子様 (霊名マリア)

        札幌    小野幌教会所属

   


 巡礼の歌
 おもしろニュ|


聖ベネディクト女子修道院が当選


            北海道版の朝日新聞に、写真入で堂々とこんな
           記事が載りました。 何に当選かと思いましたら・・・

            北海道の花「ハマナス」の苗木プレゼント

            室蘭修道院の姉妹が出した一枚のハガキが、当
           たってしまったのです。しかも60鉢も当たってしまっ
           たのです。新聞社の方が、「立派な生垣になるまで、
           大切に育てていきます」と自作の文まで添えて下さ
           ったものですから、さあ大変。新聞社から現地の視
           察もあり、根付くまでは、気がゆるせません。私達が
           植え、水を注ぐのも私達ですが、成長させて下さる
           のは神様です。 どうぞ、どうぞしっかり根付きます
           ように




良書紹介













    ・『ヨシュア』
         ジョーゼフ・F・ガーゾー
               
春秋社      2,415

  ・『差し伸べられる手』
    ヘンリー・J・M・ナウウェン著
        女子パウロ会   1,575

  ・『父さんの宝物』
              山浦 玄嗣著 
       
女子パウロ会   1,575


訃報

 
   ニール・ローレンス神父様(聖ベネディクト会
 三位一体修道院)が、11月3日、転倒による脳内
 出血のため、逝去されました。96歳でした。

 神父様は、沖縄戦の悲惨さを見て、後半生を
 世界平和に捧げる事を決意し、米国務省に入り、
 マッカーサー元帥の占領軍外交部門等で活躍
 された後、米国のベネディクト会に入会。
   1960年司祭に叙階され、当時の東京目黒に
 在った聖アンセルモ修道院に派遣されました。

   カトリック新聞の、死亡通知欄に掲載された、
 ニール神父様の数多くの名誉ある職以上に、
 神父様を際立たせたのは、謙遜さでした。『修道
 院の宝』とも言われていたニール神父様は、どの
 様な事に対しても、又、どの様な人に対しても、い
 つも「はい」に「ありがとう」の言葉を添えて従ってお
 られました。その謙遜さこそが、平和に繋がってい
 たのではないでしょうか。奉献生活を通して、主の
 愛と平和の実現のために貢献された神父様に、
 永遠 の安らぎが与えられますように。


編集後


     「ギリシャ世界における パウロの宣教の巡礼に
   参加して」をお書き下さった輿石様、美しい巡礼記を、
   有難うございました。紙面を借りてお礼申し上げます。

   
中越地震の被災地で、地元の中学生や小学生達が、
   地域の被災された方々の家に行って手助けをしたり、
   ボランティアの人達に水を配り、声掛けする等自分達
   の出来る事を探し、生き生きと行っている姿に、明るい
   未来の兆しを見ました。         オブレート係り