オブレート便り

PAX
'05.12.25
院長ご挨拶                                                                                                                              




















































講 話





                 

































































































































































































































































































































































































































































































































































































































17










    
 主イエス・キリストのご降誕
          おめでとうございます。    
 今年一年もいろいろなことがありました。聖ベネディクトの霊性を社会の中で生きておられるオブレートの皆様のこの一年も、神様に見守られ導かれた日々であったことを共に感謝しております。
 
この一年間に、親しい方を亡くされたご遺族の皆様の上には、神様からの慰めと癒しの恵みをお祈り申しております。

私達の敬愛するヨハネ・パウロ二世教皇様が四月二日に帰天され、別れを惜しんだことを昨日のことのように思い出しております。前教皇様は、誰もが認めるほどの愛と祈りの人でした。「教皇様がお部屋にいらっしゃらない時はチャペルで祈っておられた」とのエピソードを聞いて、私は心から頷けました。カトリック以外の世界にも大きな影響力を与えた前教皇様の後に続く方はと、カトリック信者はむろんのこと、世界中の人がコンクラーベの結果を待っていました。「今の時代に必要な教皇様をお与え下さい」との祈りの輪は日増しに大きくなり、メディアの後押しもあって、新教皇ベネディクト十六世の名は世界中に知れ渡り、「聖ベネディクト」「ベネディクト修道院」に対する関心も深まって参りました。このことは、私達にとっては嬉しい限りで責任も同時に感じております。この感覚はオブレート会員である皆様も同じだと思います。私達シスターズは修道院におりますが、皆様は、社会の中でのそれぞれの場で、特にご家族の中で信者として生活し、聖ベネディクトの霊性を共有しています。

 私達のオベレートが発足して、今年で25年が経ちました。節目の年に、オブレートの集いを長野県の男子修道院で開催出来たことは意味深いことでした。その上、アメリカからアボット・ジョーンが来日されていたことも大きな恵みであったと感謝しております。この25年の歳月の中で、私達は、オブレートの皆様から沢山の支えをいただきました。普段お会いできないオブレートの方々とも祈りを通して交流が出来ることを大切にしています。私達の祈りの輪がこれからも質的に深められていきますように、お祈りしております。

 一人一人は小さくても、あのサンピエトロ広場にこだました「ベネディクト、ベネディクト」のかけ声を思い出し、対話と平和を強調されるベネディクト十六世教皇様のご意向に沿って、世界の平和のために共にお祈りいたしましょう。

オブレート会員の皆様にとって、2006年も恵み多い「信仰の旅」でありますように、神様の祝福とお導きを心よりお祈り申しております。
          
         院長 シスターテレジア 齋藤 弘子





エドワード・ヴェベロン神父様の講話

      お陰さまでオブレート会は、創立25年を迎えることが
      できました。記念すべき年にオブレートの集いを、私ども
      と霊的兄弟である長野県諏訪
郡富士見にある男子ベネディ
      クト修道院のご協力により、今年9月8日に行いました。
       講師は、昨年アメリカで司祭に叙階されたばかりのエド
      ワード・ヴェベロン神父様で、テーマは「聖ベネディクトの
      霊性」でしたが、分かり易くかみ砕いて説明をしてくださり、
      優しく語りかけるような話し方でした。

        参加者は、会員4名とその関係者、東久留米市にある聖
      グレゴリオの家から5名も参加してくださいました。
この
      日は、ちょうど男子修道院の本部があるミネソタ州セント
      ・ジョンズから大修道院長様が来院中でした。特別、私た
      ちの講話の前に大院長様から、参加者へのご挨拶があり、
      お話の中で、オブレート会員も修道者と同じように主キリ
      ストを目指して、日々回心に励む者であり、ベネディクト
      修道院のコミュニティの一員ですとお話して下さいました。


       講師のエドワード神父様をご紹介します。
      オハイオ州のご出身で30代、1990年に修道院に入会し、
      1999年来日、叙階されました。来日6年ですが、日本語
      のお話といい、神父様がお作りになった日本語の資料といい
      素晴しく、出席者全員が感銘を受けられたようです。



エドワード神父様の講話の内容


『聖ベネディクトの霊性について』


   一 謙遜 Humility

   二 回心  (Conversion of Life)

   三 服従  (Obedience)

   四 定住 (Stability)

   五 お祈り (Prayer) 

   六 働き  (Work)

   七 歓迎  (Hospitality)

   八 共同体との交わり (Community)
    
    九 平和 (Peace)

    十 慈愛  (Compassion)共同体との交わり

  以上、十の項目を挙げて説明して下さいました。
  神父様の資料をそのまま掲載いたします。そのあと
 項目ごとに説明のあった内容も書き添えますので、
  是非、ゆっくり時間をかけてお読み下さい。

  なお文中(7・1)の数字は聖ベネディクトの戒律の
 (7章1節)の意味です。戒律は序に続き、1章から
 始まり72章まであります。


一 謙遜

 聖書は私たちに、「すべて自ら高ぶる人は低くされ、自らへりくだる人は上げられるであろう」と声高く呼びかけています。     (7・1)


 心から謙遜にまた高ぶらず、その意見を述べ、

 あえて 自分の立場をかたくなに主張する事が

 あってはなりません。        (3・4)
  
  謙遜のこれらの段階をすべて登りつめた時、

 れを締め出す完全な神の愛に到達するでしょう。

 その時、以前は恐怖から遵守(じゅんしゅ)していた

 すべてのことを、どのような苦労もせず、あたか

 もそれが自然になされるかのように、習慣として
  
 守り始めます。         (7・6768

神父様の説明

      語源はhumas「土」と言う意味です。自然体

   で手を加えないもの、自分は偉くもなんでもない

   ありのままの姿と心で神様の前に表すこと。誰に

   でも
blind spot=盲点があることを自覚しているこ

   とは大切です。



二 回心

  まったく何ものをもキリストに優先させては

 なりません。願わくは、主が私たちをともに永

 遠の生命に導いてくださいますように。

                (72・11-12
  私たちは主に仕えるための学校を建てなけれ 

 ばなりません。これを設立するにあたって、厳

 し過ぎあるいは難しすぎることを課すつもりは

 ありません。しかし公正の要請に従って、悪行

 を改め、愛を保つために、いくぶんか厳しさが

 増すことがあっても、そのために恐れをなして

 救いの道を避けることがあってはなりません。

                 (序4548
  見よ、主は、私たちに対する慈愛の念から生命

 の道を示しておられます。そこで、私たちは信仰

 と善いおこないの実践を腰にまとい、私たちをみ

 国に招いてくださる主を仰ぎ見ることができるよ

 うに、福音の導くままにそのみ跡に従うことにし

 ましょう。もしこの国の幕屋に住むことを望むな

 らば、私たちは善いおこないを実践しながら、そ

 こに向って走らなければなりません。

                 (序20-22

神父様の説明

      自己理解、自分を知っていくことです。今の

   環境の中で無理をしないで、バランスのとれた

   生活をすることが大切です。好きな所に行くの

   ではなく、今ここにおくと考えてみては如何で

   しょうか。



三 服従

  子よ、心の耳を傾け、師の教えを謹んで聴きな

 さい。そして慈しみ深いあなたの父の勧告を喜ん

 で受け入れ、これを積極的に実行に移しなさい。

 このようにして、無気力で従順さに欠ける生活を

 送り遠ざかってしまった方のもとに、服従の労役

 を通して戻るのです。そこで今、真の王たる主キ

 リストに仕えるために自らの意志を捨て。

                   (序1-3)
  重大な問題が生じた場合、修道院長はその度に

 全共同体を招集して、課題を自ら説明しなければ

 なりません。全員を協議に招集することにしたの

 は、主がしばしばより若い者によりよい道を示す

 ことがあるからです。       (3・1,3)
            
  負担が自分の力を全く越えるものとみてとれた

 ならば、それが自分にとって不可能である理由を

 忍耐強く、また適切な時期に長上に説明すべきで

 す。ただしその際傲慢であったり、抵抗したり、

 あるいは反論をしてはなりません。

                   (68・2-3)

神父様の説明

     心から聴くことです。なぜなら他人には知恵があ

   るから他人の声を聴くのです。
 audireは「絶対に従

   う」の意味ではなく、「心からきく」こと。神に対

   して、院長に対して、そしてお互いへの服従です。

   
若い者というのは、弱く小さいと解釈します。こ

   のような人の中にも神様はいらっしゃいます。


 

四 定住について

  修道生活と信仰の道を進むにつれて、私たち

 の心は広がり、表現を越えた甘美な愛をもって

 神の掟の道を走るようになります。そこでこの

 師の導きから決して離れず、修道院において死

 ぬまで主の教えを守り続け、忍耐強くキリスト

 の受難にあずかり、神の国の一員となりますよ

 うに。              (序40-50
  事実、艱難と不正な取扱いを受けても、忍耐

 強く主の命令を守る者は、片方の頬を打たれた

 なら、他の頬をも向け、下着を取る者には上着

 をも与え、1マイル歩くことを強制されたら、

 2マイル行きます。         (7・42
  これらすべてを熱心に 実践する作業場は、

 修道院の禁域であり、また共同体における定住

 です。               (4・78)

神父様の説明

     場所と人間の関係を大切に、今自分の居るところ

   home
を大切にすることによって実が生じます。日本

  的な園庭を想像して下さい。時を経て、風格が出て

  くるでしょう。私たちも毎日の生活を通して、生活

  を形作って行きます。共に住む人と話し合うことを

  大切にしましょう。

 

五 お祈り

  神はいたるところにおられ、主の目はどこに

 も注がれ、善人をも悪人をも見ておられること

 を私たちは、信じています。しかし特に「神の

 業」にあずかる時には、いかなる疑いもいれず

 このことが真実であることを信じなければなり

 ません。            (19・1-2)
  修道院のすべての器具そして所有物は、祭壇

 上の聖具であるかのようにみなし、何ものも粗

 末に扱ってはなりません。     (3110
  聖務日課の時間には、合図の鳴るのを聞くや

 ただちに従事している全ての作業を手放し、で

 きる限り急ぎ集合します。ただし威厳は守り、

 軽率になることがあってはなりません。そもそ

 も何事も「神の」に優先してはなりません。

                  (43・1-2)
  願いが聞き入れられるのは多くの言葉による

 のではなく、心の純粋さと痛快の涙によること

 を自覚すべきです。そこで私たちの祈りは、短

 くまた純粋でなければなりません。 (20・3-4)

神父様の説明

      聖ベネディクトの霊性の柱は祈りと働きです。

    私たちは、文章を書くとき、をつけること

   によって読みやすく理解しやすくなります。生活

   の中での祈りは、このようなものです。





六 働き

  もし地域の事情あるいは貧困が原因で収穫作

 業に自ら当たらなければならないとしても、そ

 のために心を痛めてはなりません。わたしたち

 の師父と使徒たちがそうでしたが、己の身を労

 して働いて、始めて真の修道士なのです。ただ

 し小心な者のことをおもんばかり、何ごとも節

 度をもって行わなければなりません。(48・7‐9)
  もし助けを必要とするならば、これを与え、

 また仕事がないときには、修友は指示に従うよ

 うにします。           (53・20)
  修道院に特殊技能を身につけた者がいる場合、

 その者は、修道院長の許可があれば、謙虚にそ

 れを活用します。しかし、もし彼らのうちに、

 自分は修道院になんらかの利益をもたらしてい

 ると思い上がり、その熟練した技能について驕

 る者がいたならば、その者は作業からはずし、

 彼が謙虚になり、修道院長から再び指示が下さ

 れるまで、その職に戻ることがあってはなりま

 せん。              (57・1-3)

神父様の説明

     取るに足りない皿洗いのような仕事であっても、

   その仕事を大切にすることです。仕事を通して広く

   この世界に貢献できます。私たちには、役割がある

   と生き生きと働くものです。しかし、人間は働くた

   めだけに存在するのではありません。






七 歓迎

  修道院を訪ねてくる来客はすべて、キリスト

 として迎え入れなければなりません。キリスト

 は、「わたしは旅人であったが、あなたはわた

 しを迎え入れてくださった」と言われるでしょ

 う。                (53・1)
  貧しい人と巡礼者に対しては、最大の配慮と

 気配りを示して彼らを受入れます。ほかの人の

 場合以上に、彼らのうちにキリストが迎えいれ

 られるからです。          (53・15)
  総務長は何よりも謙虚でなければなりません。

 分け与えるものがない場合には、親切な言葉を

 もって応えます。聖書に親切な「言葉は最良の

 贈り物に勝る」とある通りです。 (31・13-14

神父様の説明

    温かく迎えられたら、元気が出るものです。迎え

  入れやすい人でない場合でも、誰であっても温かく

  迎えましょう。毎日会っている人に出会っても、こ

  の温かく迎える心は大切です。






八 共同体との交わり

  身体あるいはふるまいにおけるそれぞれの弱

 点をどこまでも忍耐強く辛抱し、進んでお互い

 に服従しなければなりません。誰も自分にとっ

 て利益になると判断したことを追い求めず、む

 しろ他の者にとって利益になると考えられるこ

 とを求めます。修友に対する愛を清らかに実践

 し、神を愛しながら畏敬し、自分たちの修道院

 長を真心のこもった、謙虚な敬愛の念をもって

 愛さなければなりません。     (72・5-10)

神父様の説明

    共同体に対する愛は、喜びをもって協力しようとす

  る心を強めます。






九 平和

  争いのいばらが生える危険性は少なくないの

 で、朝課と晩課の終わりに、長上は主の祈りを

 始めから終りまで、必ず全員に聞こえるように

 唱えます。そうするのは、この祈りでわたした

 ちが人を許すように、わたしたちの罪を赦して

 くださいと唱えるその約束に促がされて、皆が

 この種の悪行から自らを清めるためです。

                 (13・12-13
  偽って平和の挨拶をしないこと。  (4・25)

神父様の説明

    正義なしに平和はなく、ゆるしなしに正義はありま

  せん。





十 慈愛

  修道院長の任務は、健康な霊魂に対する支配

 ではなく、虚弱な霊魂の看護にあることを心得

 ていなければなりません。また神が預言者を通

 して語った、「あなたは自分には肥えたものと

 見える羊はこれを自分のものとし、弱いものは

 見捨てた」という警告を畏れなければなりませ

 ん。そして、九十九匹の羊を山に残し、道に迷

 う一頭の羊を探す善い牧者の優しさを模範とす

 べきです。善い牧者は羊を衰弱しきった状態に

 いたく心を動かされて、畏れ多くもこれを聖な

 るその肩に担がれ、群れのもとに連れ帰られた

 のです。              (27・6)
  病人については、何ごとよりも先に、また何

 ごとよりも熱心にその世話をし、キリストに仕

 えるように、真実彼らに仕えねばなりません。

 キリストは「わたしが病んでいた時に、あなた

 は私を見舞ってくれた」。      (36・1)
  「老人と子供に対して慈愛の念を示すのは、

 人間性にとって自然なことですが、その者たち

 についても戒律の権威による規定が必要です」

                  (37・1)

神父様の説明

     の人の立場からものを見るように努力するこ

   と。「他人の靴に足を入れる」とは、人の身にな

   ってみるという、英語のことわざの引用です。


                         以 上



修道誓願25周年


           シスターヘルマンナ 小林 
                 (東京麹町教会出身)

 修道誓願25周年を迎えて

2005年3月12日 シスターセシリア藤井と共に神様の恵みと、皆様のお祈りと励ましに支えられ修道誓願25周年を迎えることが出来ましたことを感謝いたします。 何か記念のことばを選ぶとしたら、迷うことなく 

全てにおいて神が栄光を得んがために

と、もうひとつ

やみに住む民は光を見た

です。

   「聖ベネディクトの戒律」のあるのも
  「教会の祈り」の開き方もわからずに、
  カトリック麹町聖イグナチオ教会の掲示
  板のポスターを見て、黙想会の申し込み
  をしたのは、有珠山が噴火して直ぐの時
  でした。航空券が取れずに参加できませ
  んでしたが、翌年、1978年入会後、洞爺
  湖近くでその大きかった被害を目の当た
  りにし、驚き、特に印象に残っています。


    これからは、ほんとうに祈りを必要
   としている方々のために祈りたいと思
   います。

    キツネが王子様に言った「心で見な
   くちゃ、ものごとは見えないってこと
   さ。かんじんなことは目に見えないん
   だよ」を、
忘れないよう心に留めてゆ
   きたいと思います。

          
     




           シスターセシリア 藤井 泰子
               (函館宮前町教会出身)
  
私の召命

   「神様は今、私達の目には見えないでし
   ょう。それに神様のお心は私達には分から
   ないことが多いです。でもいつか、神父様
   と藤井さんがこうして顔を合わせているよ
   うに、神様をはっきりと見る時が来ます。
   神父様はその時を、とても楽しみにしてい
   ます。」…小学生の頃、教会の助任神父様
   からお聞きしたこの言葉が、なぜか心に焼
   き付きました。この神父様のお姿は、一見
   神に生きる喜びと平和に満ちている…とい
   うよりは、まだ若かった私には、苦悩と戦
   いながらキリストに従っておられるように
   感じられました。いつも聖堂で祈っておら
   れたお姿は、今も折に触れて思い出します。
   神父様のお言葉が聖書
(1コリント1312
   
に書かれていると知ったのは、中学生にな
   ってからのことです。こうして私の信仰は、
   幼い頃から青年時代に至るまで、教会共同
   体の皆様と、今は亡きこの神父様に育てら
   れました。 神父様が苦しみや困難の中に
   も憧れを持って探し求めておられる神様に
   思いを馳せるうち、私も一生かけて神様を
   探し求めたくなったのです。

    当会入会にあたっては、神様はすばらし
   い方々との出会いを通して私を導いて下さ
   いました。聖ベネディクトの精神に従うこ
   の共修生活の中で、最後までシスターと共
   に神様を探し求める生活こそ、「私が無意
   識の中に探し求めて来た道」と、大きな喜
   びの中で決断できました。


     入会から27年、いろいろなことがあり
   ましたが、共に住むシスター方、オブレー
   トの皆様、神父様、家族、友人、今は亡き
   多くの方々のお祈りと支えに励まされて今
   日まで歩み続けることが出来ました。私が
   今あるのは、神様の恵みによるものと感謝
   の心でいっぱいです。

    まだまだ未熟な私ですが、これからも皆様
   と共に、神様の愛に倣って生きることが出来
   ますように願っております。どうぞお祈り下
   さい。心からの感謝を込めて




オブレート会のご報告



オブレートの集い 

富士見 三位一体修道院で開催

 心配した台風が通過した9月8日、第19回オブレートの集いを八ヶ岳のふもとの修道院で開催しました。初めてお会いする方との出会いに心を躍らせて、修道院から三名が赴き、ご一緒に神父様の講話をお聴きしました。午後、それぞれの所属している教会の状況を交換し合い、時の経つのを忘れるほどでした。修道院の近くからは、日本一の富士山が見えました。




新会員のご紹介

鈴木 由美子 様 (中富良野在住)
どうぞよろしくお願い致します。 

 

修道院からお知らせ

院長再選

院長にSr・齋藤 弘子再選される。

 本年5月4日、アメリカから連合会会長Sr・マッケラを迎え、共同体全員が集まり、祈りと識別の中でSr・テレジア齋藤弘子が4年間の任期で修道院長に再選されました。

オブレート係交代

 14年間の長い間、係りを担当しておりましたSr・アスンプタ上村から、Sr・マルタ上田に係が代わりました。

ベネディクト
    フォーラム
当別トラピストで開催

 6月6日から4日間の日程で、第13回目を迎えた今年は、「聴く」をテーマに行われ、院長が出席しました。この集まりは、聖ベネディクトの戒律に生きる11の修道院の代表者が、全国から集まります。

召命黙想会が開かれる。

 7月22日から二泊三日の日程で、札幌修道院で行いました。参加者は一名でしたが、遠く四国から参加されました。
 今年は「祈りと働き」をテーマに、講話は当会の
Srナオミ田中が担当しました。実際に、「働き」の時間を設定し、参加者とシスターが一緒に外で草取りをして汗を流しました。

アジア・ベネディクト 上長者会議に院長出席

 11月21日から25日まで、「使徒活動と修道生活に与える影響」をテーマに、フィリピンのマライバライにあるトランスフィギレーション修道院で開かれ、院長が出席しました。

   


心に残る一冊


    ・『12の贈り物』
       
 世界でたった一つの大切なあなたへ

        
シャーリー・コスタンゾ
          黒井 健・訳・絵
          ポプラ社 定価・本体     1,000

          アメリカに住む一人の母親が、二人の子
         どものために贈った十二のメッセージが、
         やさしい絵と一緒に書かれて心が温かくな
         ります。私が忘れていたこの世に生を受け
         たことへの感謝と喜びを思い出させてくれ
         た本です。

あとがき

 ▼ 今年も、異常気象が日本列島を覆いましたが、会員の皆様いかが
  お過ごしでしょうか。来る年も恵み多い日々でありますように、お祈
  り申し上げます。

 ▼ 誓願25周年を迎えた二人のシスターから寄稿してもらいました。修
  道生活も聖霊に導かれていなければ続きません。皆様のお祈りによっ
  て支えられています。これからもよろしくお願い致します。

 ▼ しんまいの係りですが、どうぞよろしくお願い致します。室蘭から
  19
年ぶりに札幌の共同体に加わりました。修道院の周りの交通量と家
  屋の増加にビックリしています。