33 ファースト

一人で考え事をするのは嫌いではない。
むしろ今までそうしている時間のほうがはるかに多かった。
何か一つの答えを求め、ひたすらに思案にふける。
それが彼女の癖でもあり、性格でもあり、日常だった。

だが、その思案も、今どれほどの間続いているのだろう。
普段ならば、小一時間考えていれば直に回答が出ているはずなのだが。
たとえ回答が出ない場合でも、彼女自身が割り切って水に流している。
それが、今は出来ずにいた。いずれにも転ぶことなく。

「はぁ、わからないわ、この感じ・・・」

ふと気づけば、もう空は明るくなり始めていた。
宿の窓辺から輝く星を眺めながら考えること、すでに6時間を越えたころのことである。





「おはよう、みんな」

重いまぶたを無理やりにこじ開けるために顔を冷水で洗った後、彼女は朝の挨拶を済ます。
すでに朝食の準備が始まっているのか、食堂には程よく香ばしい香りが立ち込めている。

「おはようございます、マリア。今日はいつにもまして早いですね」

「えぇ、ちょっと考え事をしていたら、寝付けなかったのよ」

眠気を紛らわすためか、マリアと呼ばれた少女は食堂の窓を押し開けた。
清々しい風と朝の日差しが瞳に程よい刺激を与える。

「そうですか、今日は休閑日ですから日中しっかり休んでくださいね。
 眠らないと身体が持ちませんよ」

「わかってる、心配しないでミラージュ」

自分の身体のことは自分でわかるから、と、マリアはミラージュに促す。
それでも、不安げな表情を隠しきれないマリアを、ミラージュはほうっておくことは出来ずにいた。

「悩み事でしたら、私でよければ相談に乗りますが?」

窓辺に腰掛けたマリアに、ミラージュはそっとささやきかける。
無理強いせず、かつ優しく語り掛けるミラージュの温かさは、
今のマリアにとっては大きな支えになる。
しかし、マリアはどうにも、今の気持ちをミラージュに説明する気になれなかった。
否、説明のしかたがわからない、というほうが正しいのかもしれない。
今まで感じたことのない悩みだからこそ、どのような解釈をしたらいいのかも、
そして同時にどのように説明したらいいのかも、自分自身ではまったくわからないのだ。

「私、やっぱり変なのかしら・・・」

「何がですか?」

思わずつぶやいた独り言。それをミラージュは聞き逃さない。
いつでもそうだった。ミラージュは人が悩んでいたり気落ちしていたりすれば、すぐに察知する。
しかしそれはおせっかいというレベルに達することはない。
あくまで相手のことを考え、相手の立場になることで話を解決しようとしてくれる。
いわゆる、大人の立場というものをわきまえている女性なのだ。
だからこそ、メンバーは相談事を何かとミラージュに話すことが多かった。

普段ならば、マリアもそれに乗じる形で、ミラージュにさまざまな相談を持ちかけている。
だが今までの相談事といえば、メンバーに対する(主に戦闘面での)不満などばかり。
今回のようなジャンルの相談事は、今まで誰にもしたことがない。
というよりは、彼女自身がこの手の悩みを抱いたのが初めてだったのだ。

「今話せないのなら、いつでもかまいませんよ。考えがまとまったら、また呼んでください」

言い残すような形で、ミラージュは去っていく。
ここが彼女のすごいところでもある。無理に聞き出そうとせず、
あくまで相手の意思を尊重する。そうすることで、本人が考える時間をしっかりと与え、
それでも結論が出ない場合にだけ話を聞くのだ。

悩み事は人に相談するのももちろんよい。
しかし、結局は自分自身のことなのだから、自分で解決できればそれに越したことはない。
考えること、それが一番、悩みを打開するには近道だ。





とにかく今は、メンバーたちと朝食をとることにした。
食事を取れば、少なからず気がまぎれるだろうと、彼女も感じていた。

最近はいろいろとあわただしいことが多かったせいか、
こうして落ち着いて食事を取るのも久しぶりの気がする。
時にはこういう機会もいいものだ、と、みんなが口々に漏らしている。
まるで家族のように仲のよいメンバーたち(多少例外はあるけれども)の中で、
マリアは1人考えにふけっていた。
結局、考えてしまう。いくら食事をしているからとはいえ、考えずにはいられない。



彼が、目の前にいるのだから。



「あれ、マリア、あんまり食欲がないのかい?」

突然話しかけられ、マリアは狼狽する。
その拍子に、手に持っていたトーストを皿の外に落とした。

「マリアは寝不足なんですよ。だからちょっと今日は体調が優れないようで」

ミラージュのフォローに、マリアは小さくうなづいた。
声をかけた当人は、心配そうな表情でマリアのほうを見つめている。

「そうなんだ、あんまり無理はしないようにね」

「えぇ、大丈夫よ。心配してくれてありがとう、フェイト」

目の前の蒼髪の少年、フェイトに声をかけ、視線を下に落とす。
なるべく平然を装い、マリアは落としたトーストを拾う。
きれいに掃除されたテーブルなのだから、食べられないことはないだろう。
そのまま、マリアは再びトーストに口をつけた。
ほのかに甘いメイプルシロップが、彼女のあらぶる心を和ませていく。



その後は、食事はどうということもなく過ぎ去っていった。
食事を済ませたメンバーは、それぞれが自分の好きな行動をとる。
部屋に戻って読書をする者、町に出て買い物をする者、休みを思う存分休む者。
それぞれが、有意義に一日を過ごしていく。

そんな中、マリアは再び部屋に戻ると、窓辺の椅子に腰掛けて頬杖をついた。
窓の外の景色、晴れ渡る朝の青空には屈託がなく、澄み切っている。
しかし彼女の心は曇り空。もやもやした雲が、彼女の心を覆い尽くしている。

(わからない・・・)

あれから、どれだけ考えたのだろう。
結論なんてはじめからないのではないかと思うくらい、何も思い浮かばない。
どれが答えなのかもわからないから、もしかしたら気づいているのかもしれないが。
それでも、彼女は迷い続けていた。答えのない闇をさまよい続けていた。

「マリア、体調はどうですか?」

ドアの付近で声がする。振り返れば、ミラージュが湯気の立つカップを2つ。
そのうちの一つを手渡される。ほのかな温かさ、熱すぎず、ぬるすぎずといったところか。

「ホットミルクです。飲むと落ち着きますよ」

「ありがとう、気を遣わせて悪いわね」

本当にミラージュは気が効く、と思いながら、受け取ったカップに口をつける。
温かく、ほのかに甘いミルクがのどを伝い、体中をやんわりと暖めていく。
なるほど、これは確かに落ち着くと、マリアもふっと笑みがこぼれる。

「フェイトさん、外へ出かけられましたよ」

危うく、カップを落としそうになる。
こんなにも反応が過敏になっているのが、自分でもおかしい。

「あ、そ、そうなの・・・いい天気だしね、気分転換には、いいんじゃないかしら」

悟られまいと、何故か饒舌になる。
しかし、しゃべればしゃべるほど、自分が如何にどうようしているかを示してしまう。

「・・・マリア、悩んでいるのは、フェイトさんのことなのでしょう?」

隠したってわかります、と付け加え、ミラージュもカップに口をつける。
マリアも、もう動揺しなかった。はじめから、ミラージュはわかっていたのだ。
それでいて、あえて追求しなかった。マリア自身が、自分から相談してくるのを待って。
あるいは、マリア自身が、自分でそれを解決できると信じて。

「よく、わかったわね」

どうしてわかったの?と聞き返す。ここでも、なるべく平静に。

「マリアがフェイトさんに向ける視線ですよ。じっと見つめてみたり、目が合えば逸らしてみたり。
 実は、フェイトさんは私に以前相談してきているんです。『僕はマリアに嫌われているのか』と」

「・・・えっ?」

全く予想外の言葉がミラージュから発せられた。
自分の行動があからさまだったのは認めるが、フェイトがミラージュに相談をしていたとは。
しかも、自分がフェイトを嫌っているのかどうか、ということに関してだ。

「マリア、近頃フェイトさんと会話が少なくありませんか?どことなくぎこちなかったりして。
 フェイトさんもそれを気にしているんですよ。マリアが嫌な想いをしているのではないかと」

「そんなことないわ、だって・・・だって私・・・」

言葉がしどろもどろになって、うまく出てこない。
自分が何を言おうとしているのかもイマイチわかっていない。
自分は、何が言いたいんだろう。

「最近、おかしいのよ・・・フェイトと話していたり、二人っきりになったりすると、
 緊張するって言うか・・・ 恥ずかしいって言うか、なんだかよくわからなくて。
 でも、フェイトのことが嫌いなわけじゃないの。そうじゃなくて」

とにかく、いいたいことはすべて言ったつもりだ。
これで伝わったかどうかははなはだ疑問ではあるが、それでもミラージュは
マリアの言葉を真摯に受け止めている。
そして、少し間をおいて、マリアに告げた。

「マリアは、フェイトさんのことが好きなのでしょう?」

「私が、フェイトを・・・?」

ハッキリ言って、よく分からなかった。
自分がフェイトに対して抱いている感情が、どういったものなのか。

ただ、フェイトのそばにいるとき、何故かとても幸せになっている自分がいて。
他の女の子の前で笑顔を見せているフェイトを見ると、何故か心が痛んだりして。
ほんの些細なことでも、フェイトが自分に話しかけてくれると、何故か心が弾んだりして。
それがどういう感情から来るものなのか、マリアにはまだよくわかっていなかった。

「好きだから、相手と一緒にいると緊張したり恥ずかしくなったりしてしまうんですよ。
 それは当たり前のことなんです。誰だって経験することなんです。でも、マリアはまだ、
 今までにこういう気持ちを経験したことがないから、ためらっているだけなんですよ」

「私、わからないの。初めて感じたから、こんな気持ち・・・だから、これが、
 好きっていう感情なのか どうかも自信がなくて・・・好きだから、どうしていいのかとか、
 そういうこともわからなくて・・・」

あせって早口になるマリアの頭を、そっとミラージュの優しい手が撫でる。
小さいころから、いつもミラージュはこうしてマリアを慰めてくれた。
いつでも、マリアにとってミラージュは大きな存在だった。それは今でも変わらない。
姉のような、母親のような。安らぎを与えてくれる存在。

「あせる必要はありませんよ。自分の気持ちに素直になって、よく自分自身と
 向かい合ってください。初めてのときは、だれでも戸惑うものです。
 マリアだけが味わっている戸惑いではないのですよ」

「自分に、素直に・・・?」

そうです、と、ミラージュの優しい笑み。

「その気持ちを大切にしてください。誰かを好きになるということは、すばらしいことですから」

ミラージュは立ち上がり、また小さく微笑んだ。
そのままマリアに背を向け、部屋を出て行く。

マリアは、少しだけぬるくなったミルクに口をつけた。
ほんのり甘いミルク。温かさは少し失われたものの、その甘さは変わらない。
カップの中にゆらめくミルクを見つめながら、マリアは考える。

(好きっていう気持ち・・・初めて感じた気持ち・・・)

自分がフェイトを好きだということ。
まだハッキリとそうだとはいえないけど、きっと自分はフェイトが好きなんだろう。
まだどこかにもやもやがある。でも、自分がフェイトを想う気持ちは、ハッキリしていると思う。
この想いが、好きという気持ち。

わからないことだらけ。
でも、わからないから、楽しいのかもしれない。
確かに、この気持ちが何なのか考えているとき、
つらくもあったがどこか楽しんでいる自分がいた。
誰かを好きになるというのは、きっとつらくもあり、楽しくもあるのだろう。

ふと、笑みがこぼれているのに気づく。
正体不明の何かが、ハッキリとではないが、その尻尾をちらりと見せた瞬間だった。
きっと今、今まで自分が見せたことのないくらい、素晴らしい笑顔をしているのだろう。
誰かに見せてあげたいと思う気もする。でも、これは自分の胸の中に収めておきたい。

きっとこの笑顔は、好きになった人のためにあるんだろう。
だったら、次にこの笑顔を作るのは、きっとフェイトの前。
そのときは、自信を持って、フェイトのことが好きだといえる自分になろう。
自分の気持ちに正直に。包み隠さず、好きという想いを伝えよう。